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第一章 おけつの危機を回避したい

三十八話

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「アホ! そんなことはなあ、恋人同士の秘密やろうが!」
 
 顔を赤くして、晴海が怒鳴った。――やっぱり、晴海もおんなじこと思ってる! おれは勇気を得て、愛野くんを見た。
 
「ほらな! おれら、キスなんかせえへんからっ」
 
 すると、愛野くんはキリッとした顔で胸を張った。
 
「へーえ。つまり、出来ないんだな?」
「はあ? 出来ひんとかや無くて、せえへんって話でっ」
「もっともっぽいこと言って、逃げんだろ? はーあ、信じらんねぇ! 好きなやつへの気持ち疑われて、「恥ずかしい」が勝つんだな、今井は! その程度の気持ちなワケだー!?」
「な、な……!?」
 
 愛野くんは、大げさな身振りで肩を竦めてみせた。あからさまな挑発に、一瞬にして頭が煮え上がる。
 め、めっちゃ腹立つ、こいつ……! ギュッと握りしめた拳が、わなわなと震えた。
 なんとか、目にもの見せたりたい。
 でも、キスなんて出来るわけない。普通の恋人でも、人前でキスなんて無理やと思うのに。――おれと晴海は、付き合ってすらないんやもん!
 
「うぐぐ……!」
「ほら! どうするんだよ、弱虫っ?」
 
 愛野くんは、押し黙るおれを見て、ニヤリと笑った。「負けを認めろ――」そう思ってんのが、ありありとわかった。
 すると、黙って成り行きを見てたクラスメイトも騒ぎ始めた。
 
「どうだ、やんのか今井!」
「それとも、逃げんのか?!」
 
 やんややんやと囃す声に、唇を噛み締める。うう、悔しい……!
 
「シゲル……! ええかげんにせえ、お前らッ」
 
 ついに晴海が声を荒らげた。――そのとき。
 
「やっちまえ!」
 
 教室中に、威勢のいい声が響いた。全員の視線が、声の主を見る。
 竹っちやった。竹っちは、肩を怒らせて叫ぶ。
 
「いっちょ、キスして見せてやれ! お前らの絆をよー!」
「でえええ?!」
 
 援軍に背中から斬りかかられ、おれと晴海は慄いた。
 
「まっ、待てや竹っち! いくらなんでもっ」
「ここまで舐められて、黙ってんじゃねーよ! 一発かまして、ギャフンと言わせてやれ!」
 
 竹っちは、心底悔しそうに息まいた。その勢いにたじろいどったら、上杉・鈴木・山田の三人も拳を振り上げる。
 
「そうだ、わからせてやれ!」
「ブチュッとやったれい!」
「お、お前ら……!」
 
 四人の目は友情がメラメラしとって、燃え盛る火の玉よりも熱い。
 おれらは、完全に進退窮まった。
 どうしよう。「キスできひん」なんて、言いだせそうな雰囲気とちゃう。でもっ……!
 おれは、ちらっと晴海を振り返る。唇が目に飛び込んできて、慌てて首をブンブン振った。
 
「……っ!」
「シゲル?」
 
 ……やっぱり、無理!
 だって、「付き合ってるフリ」なんやもん。それに、晴海だって、絶対ファーストキスのはずやもん! ――ごめん、みんな。たとえヘタレと言われても、おれは……!
 覚悟を決めて、息を吸い込む。
 
「お、おれ――!」
 
 出来ひん、そう言おうとしたときやった。
 晴海に強く肩を押された。グルンと体が反転して、真正面から思いっきりギューされる。
 
「ふぎゅっ!?」
「シゲル、悪い。ちょっと辛抱してくれ」
「……っはるみ?」
 
 晴海は、おれの耳たぼに口をくっつけて、ひそひそ囁いた。くすぐったくて目を瞑ると、ほっぺに手がかかった。
 
 ――えっ!
 
 バチッと目を開けたら、間近に晴海の顔があってのけ反った。
 
「ひゃああ!?」
「こら、じっとしい」
「だっ、だだだだって!」
 
 背中に回った腕に力が込められて、ぐいっと引き戻される。おれは、腕を突っ張って――う、うそ、全然逃げられへん。片腕やのに、なんでこんな力強いん?
 周囲が「おおっ」とどよめいて、顔にボン! と熱が上る。
 
「ちょ、晴海っ。何すんねん!」
「キスや」
「ひええ! ちょっと、ちょっと!」
 
 燃えそうなほっぺを包まれて、ぐっと正面向かされる。鼻がくっつきそうな距離で、晴海の真黒い目にかち合った。今にも、”触れそう”。観衆の熱狂は凄まじく、「キーッス」「キーッス」とお囃子状態や。
 
――うそ、ホンマにすんの? だって、キスやで。相手はおれやで、晴海!
 
「は、晴海ぃ……待って、あかんって!」
「シゲル。大丈夫やから、俺を信じろ」
「!」
 
 思わず、息を飲む。
 真黒い目の奥から、あったかい光が放出されとった。それはおれの目の中に入ってきて、頭をくらくらと揺さぶってくる。なんでか、「無理」思ってたんが無くなってって、否定の言葉が出んくなる。
 
「あ、あぅ……」
「シゲル、絶対いやか?」
 
 晴海が、ごく穏やかに聞いてくる。これ以上、熱くなりようがないほど、ほっぺが燃える。
 
「き、聞かんといてぇ……」
「じゃあ、するで」
「……っ」
 
 逃げを打ったおれに、晴海がほのかに笑った。――心臓がドコドコとあばら骨を叩いとる。近寄る影に、ぎゅっと目を瞑ってから、後悔した。いつされんのかわからんくて、余計に緊張する! 
 目ぇ瞑ってんのに、めまいする。足が震えて、支えてもらわな立ってられへん。――めっちゃ怖い。でも、晴海はするって、覚悟してくれたんや。
 おれも、晴海とやったら大丈夫……!
 そう、覚悟を決めたら、ふにっとした感触がした。
 
 ――ほっぺに。
 
「えっ」
 
 ほっぺ?
 ぱちっと目を開けたら、照れた顔の晴海が「な?」って感じにウインクした。
 え? ちょっと。戸惑っとるうちに引き寄せられて、胸に頭が当たった。
 
「ほら、ええやろお前ら! これ以上は、見せもんちゃうで!」
 
 晴海は、おれの頭を抱えたまま、でっかい声で宣言した。いつのまにか静まり返ってた周りは、それでハッとしたように騒ぎ出す。
 
「あ、あまずっぱ!」
「無理無理、ひいい」
 
 真っ赤な顔で体を掻きむしるやつらが、好き勝手騒いどるなか。
 おれは、ボー然としとった。
 ほっぺを、手で覆う。「ほっぺ?」って言葉が頭ん中を、ぐーるぐーる回る。晴海が、心配そうに囁いた。
 
「シゲル、よう頑張ったな。まあ、ほっぺやから許してや……シゲル?」
「……」
 
 ドキドキしてた心臓が床に落っこちたみたいで、からっぽの胸がすーって冷たくなった。
 許してって、何それっ。おれがどんな気持ちで……!
 じわーって涙が目に盛り上がったんを見て、晴海はうろたえとる。でも、知らんっ。
 
「シ、シゲルッ?」
「は」
「は?」 
「晴海のアホ~!!」
 
 おれは晴海をつき飛ばし、教室を飛び出した。
 
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