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桜沢、メシを食え(「俺は~」六話と七話の間くらいの期間)

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「ふんふ~ん」
 
 俺は軽い足取りで廊下を歩いていた。まだ早朝だが、窓から見える空は雲一つなくて、よく晴れそうな気配に心が浮き立つ。 
 紫の生徒の住居である最上階。――ここに、仲間入りしたばかりの後輩を構うには、絶好の休日日和ってわけだぜ。
 ある部屋に着くと、ノックもなしに開け放った。
 
「おはよう、桜沢!」
 
 高らかに声をかけながら、中に歩み入る。
 ダイニングの窓枠に凭れて、外を眺めていたらしい桜沢が、だるそうに振り返った。
 
「……八千草先輩。ノックくらい、してほしいんすけど」
「しても返事しないだろ。メシ食ったか?」
「……」
 
 桜沢は答えず、ダルそうに目を伏せた。派手な容姿とうらはらに、大人しい奴だぜ。まあ、朝からだと元気が出ないというタイプもいる。俺は気にしないことにして、近づいた。
 
「食ってねぇなら、食堂にでも行こうぜ。奢ってやるよ」
「いいっす」
「なぜ」
 
 ツレねえ返事に、俺は肩を竦める。桜沢は、またも無言のまま俺の横を通り過ぎ――キッチンのシンクにマグカップを置いた。俺を秒で振るとは、クールな野郎だぜ。
 おもしれえ。俺は長期戦も辞さない覚悟で、ソファを探し――部屋に座るところがないのに気づいた。ミニマリストなのだろうか? という疑問はさて置き、壁にカッコよく凭れて、お茶を濁すことにする。
 
「その元気の無さ、やっぱ朝メシ食ってねえな? 悪いことは言わねーから、メシは食えよ。いくら若くても、体調壊すぜ」
 
 若さにかまけて、不摂生はいけねえ。特に、いきなり寮暮らしになると、親の目が離れて好き勝手しちまう生徒が後を絶たねえからな。
 だが、俺の目が黒いうちは、仲間を栄養失調で倒れさせたりゃしねえよ。ふふふ。
 びし、と指をさすと桜沢は面倒そうに息を吐いた。
 
「心配してくんなくても、もー食いましたし」
「ほう。なにを?」
「それっす」
 
 桜沢は、ダルそうに顎をしゃくる。開けて「見ろ」という事か。見かけによらず、挑発的な野郎だぜ。顎で指された冷蔵庫に、俺は近づき、パカリと蓋を開ける。
 で、ぎょっと目を見開いた。
 
「お前、これはさぁ……」
 
 冷蔵庫には、ぎっしりとゼリー飲料が詰まっていた。ワンパックで、一食分の栄養が摂れるとの歌い文句で売り出されるそれは、忙しい社会人の味方である。
 が、男子高校生の飯としてはどうなのか。まさかと思うが、三食これなのかと尋ねると、夜は冷凍うどんを食っていると応えが返った。マジかよ。
 
「昨日も食ったんか? 一人で、ここで?」
「そっすけど」
「寂しすぎんよ。お前……」
 
 けろりと答えた桜沢に、膝から崩れ落ちそうになる。
 なんてこった。後輩が、日毎そんな寂しいメシを食っとるなんざ、俺の仁義が許さねえぞ。
 
「桜沢。朝が食いづらいなら、晩飯でも一緒に食うか? 外に食いに行ってもいいし。そうだ、俺の恋人に料理好きの奴がいるから、遊びに来るか?」
 
 慈愛に満ちた声で言い、肩を抱こうとすると、ひらりと躱される。
 
「いいっす」
「えー、なんでだよ」
 
 ぶうぶうとブーイングをすると、桜沢は死んだ魚のような目で言う。
 
「俺ねぇ。ごはんって、何食べるかはどーでもいいんすよ。大切なのは、誰と食べるか」
「……!」
 
 俺は息を飲む。
 涼しい声が、さらりと述べた言葉は心理を穿っていた。
 確かに、そうだな。俺も好きな奴と食う飯は、何食っても美味いもんな。
 しかし――桜沢の静かな横顔を、俺はじっと見た。
 こいつ、こんなことを言うってことは、「愛」を知ってるな。……大方、相手はあの幼馴染なんだろう。なるほど……仲良さそうだったと聞くし、離れ離れになってるのが辛くて、メシも味気がないという事か。
 泣かせるじゃねえの。
 
「桜沢……そうか。お前の気持ちはよくわかったぜ」
「はあ」
 
 鼻を啜りつつ肩を抱くと、桜沢は胡乱に頷いた。「いつ出てくんだろう」って顔してるぜ。正直な野郎だ。
 
「でもお前、メシは食わなきゃ」
 
 桜沢のメシの興味が薄い理由はわかったが、改善はやはり必要だ。いくら、切なく胸が苦しくあっても、ベストコンディションを保ってこそ男ってもんだろう。
 
「外に食いに行くのが怠いなら、自炊でもいい。自分の身体は労われよ」
「はあ」
 
 生徒会になりたての頃は、とかく皆に狙われっからな。俺も覚えがあるが、体調が万全じゃねえと楽しめねえぞ。
 俺の演説を、桜沢は気のない様子で聞いていた。自分の納得しねえことはしたくねえ――そんな感じに見える。つくづく魔法使いらしい奴だ。そんな頑固者を、やる気出させるようなことはねえかな……
 ふいに、脳裏に閃いたのは料理好きの恋人のある一言だった。
 
――すなお君が美味しそうに食べてくれるから、俺も生活に張り合いが出るんだよね~。
 
「そう――それに、料理が出来たら、好きな奴が美味そうに食うぜ? 嬉しくねえ?」
「!」
 
 刹那、桜沢が目を見開いた。死んだようだったヘイゼルの瞳が、きらきらと圧倒的な光を放つ。劇的な変化にビビりつつ、俺は「自炊だ桜沢」と、押しまくる。すると、桜沢はその気になって来たのか、夢を見るような目で天井を見上げた。
 
「そっか。俺がメシ作ったら……トキちゃん、食べてくれるかな」
「おう、そうだ。自炊しろ、自炊」
「なら、練習しなきゃ」
「えっ?」
 
 桜沢は、ふわふわと羽の舞うような足取りで、部屋を出て行った。パタン、とあっけなくドアが閉まる。主が居ない部屋で、俺はひとり取り残された。
 仮にも先輩を置いてくとは、自由な奴だ。
 
「ま、やる気になってくれてよかったぜ」
 
 また、迷える後輩を救ってしまったな。満足が胸いっぱいに広がって、思わず笑みこぼれたとき――ぐうう、と腹が切ない悲鳴を上げた。
 
「そういや、桜沢と食おうと思って、まだ何も食って無かったぜ」
 
 独り言ち、桜沢の部屋を後にする。
 さて、俺も楽しい飯でも食うか。恋人の話したら、会いたくなってきたことだし。……久々に、九人そろってメシを食うのもいいかもしれない。
 鼻歌交じりに、エレベーターのボタンを押し込んだ。

 
(完)
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