いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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最終章〜唯一の未来Ⅱ〜

三百四十二話【SIDE:玻璃】

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「ついに……ついにやったぞ!」
 
 私は、送迎の車の中で雄たけびを上げた。優勝カップのごとく、桜庭宏樹のサイン本を掲げては、にやにやと笑み崩れる。ごろごろと後部座席を転がって、勝利の陶酔を口にした。
 
「ずっと、通い詰めた甲斐があった! 原稿展の最終日にして、この戦果……最高!」
 
 対向車線のライトが、スポットライトに感じるくらいだ。
 大盛況だったという、今年の原稿展。この超絶倍率のなか、サイン本を手に取ることが出来るとは……普段の自分の頑張りを、神は見ていてくださったに違いない。
 
「やっぱり、信じる者は救われるってやつだね」
 
 八月の終わりごろから通い始め、いまは九月初旬。長期休暇が終わり、客足が落ちついたのも、良かったのだろう。
 終盤で、海外の団体客に総ざらいされたときは、ぶっ倒れそうになったけど。最終日までに、もう一度補充がないかと、通い詰めておいてよかった……!
 私は、本をぎゅっと胸に抱き、ふふふと笑った。
 
「若様、ようございましたね。念願の本を手に入れられて、宍倉も嬉しゅうございます」
 
 運転席の宍倉さんが、にこにこと穏やかに祝ってくれる。――原稿展の会場から、塾の送迎の間まで、ずーっと同じ話をしているのに、同じトーンで相槌を打ってくれているのだった。プロフェッショナルだよね。
 私は、バネ仕掛けのように身を起こし、助手席のヘッドレストに手をかけて、話しかける。
 
「ありがとうございます、宍倉さん! 宍倉さんが、スケジュール管理してくれたおかげですよ」
「なんの。私は当然のことをしたまでです」
 
 謙虚な態度を崩さない宍倉さんに、私は苦笑してしまう。
 宍倉さんのサポートが無ければ、原稿展に行くなんて無理だったのに。――物理的にも、精神的にも、家族にぎゅうぎゅうに締めあげられていたわけだからさ。
 大事な本を抱え、頭を下げる。
 
「宍倉さんが居て、本当に良かったです。でないと私、今も兄貴のケツを追っかけまわして、大事な血管も一本や二本、ちぎりそうになってたと思うんで……」
「はは。そんな事はないと思いますが」
「いえ、本当に!」
 
 この感謝をわかって貰わずにはいられまいと、ぐっと拳を握り、熱弁した。
 
「私、当主になったら宍倉さんに報いますよ、絶対。楽しみにしててくださいね」
「若様……光栄です」
 
 宍倉さんの声に、少し面映ゆそうな響きが乗ったので、満足する。この蓑崎玻璃は、若輩とはいえ生粋のアルファだ。あほ親父やお母様……兄貴とは違う。報恩謝徳の名家・蓑崎の理念を受け継いでるのだから。
 後部座席に、ぼすんと背を預けると――前髪をかき上げる。
 
 ――とーはーいーえ。私は、やっと十三歳だから。当主になるまで、あと何年かかるかわかんないんだよなぁ。
 
 それまでに、どれだけあの家族に振り回されることやら――と思えば、ため息しか出ない。
 それでも、宍倉さんをはじめ、私について行くって言ってくれる人はいる。その人達と頑張っていく未来を思えば……まあ、必要な試練として、受け入れることは出来ると思う。
 通学鞄にサイン本を大切に仕舞い、変わりにタブレットを取り出す。
 
「……お。お兄様は、もう御帰宅ですかね。お早いおかえりですこと」
 
 兄の「位置」を確認し、嘆息する。ホテル街から――家に向かって、GPSが移動していた。
 大学も始まったろうに、相も変わらずフラフラしているらしい。履修登録くらいは、さすがに済ませてあるんだろうけど、そんなんで大丈夫かと思ってしまう。
 
 ――椹木さんと話しもしないで……逃げてなんになるんだか。
 
 私も、追いかけては逆切れされるのに飽きたので、最近は無理に連れ戻そうとは考えてない。タブレットで位置を確認し、ヤバそうな相手じゃないか、相手の身元と映像の管理だけしてる。
 それで十分じゃない。
 いきがっても、お坊ちゃん育ちな兄貴は、ヤクザとつるんだり出来ないだろうし。
 正直、今回の城山さんとのことだって、ちょっと驚いたからね。あの小心者が、よくも他人の家庭を壊すなんて、大それた真似できたなって。
 
 ――それで今さら、事の重大性にビビったって遅いんだけど。
 
 せめて、関係者には謝れよと思う。
 城山さんは――あの人も悪いから、どうでもいいか(婚約していたオメガを捨てるなんて、同じアルファとしてガッカリだ)。
 婚約者の椹木さんと、危うくセンター送りになるとこだった春日さんに、くらいはさ。
 夜の街を心細そうに彷徨っていた華奢な青年を、思い浮かべる。

――『助けて下さって、ありがとうございました』

 オメガとはすぐに知れたけど、艶よりもやさしげな雰囲気が際立つ人だった。
 てっきり年下かと思ったのに、彼がくだんの春日成己さんだったとは。
 
「……はあ」

 憂鬱。
 あんな可愛らしくて幼気そうな人を、よくひどい目に遭わせたもんだ。
 私も責任の一端を負わされている気がして、よけいに胸糞が悪い。

――兄貴が城山さんちに入り浸ってるの、知ってたからな……

 城山さんだし、他の学生より安全だと、高をくくっていたんだ。ちょっと、ラク出来ると思っていたくらい。
 まさか痴情のもつれに発展し、春日さんが追い出されることになるなんて。
 野江さんが保護して下さらなかったら、何としても私が彼を請け出して、責任を取るところだった。
 野江さんと寄り添う姿を、瞼の裏に浮かべる。
 
 ――お幸せそうなのが、せめてもの救いだけどさ……兄貴には詫びさせないと。
 
 やるせなく、タブレットを放るように鞄に仕舞う。
 車窓に家が近づくのが見えて、だらけた姿勢を直した。
 
「ただいま帰りました」
「若様、おかえりなさいませ」
 
 玄関に足を踏み入れると――なんだか、家の様子がおかしい。ざわついていて、落ち着きがない。
 
「何かあったんですか」
 
 出迎えてくれた使用人の奈央さんに尋ねると、彼女は表情を曇らせた。
 
「それが……」
 
 彼女からもたらされた情報に、目を見開く。
 
「え……お兄様が……!?」
 
 兄が、ホテル街でトラブルを起こしたらしい。今から「帰宅する」と、連絡があったらしい。使用人達は、心配で狂騒としていたのだ。
 すると……家の奥から、父親が凄まじい剣幕で、飛び出してくるのが見えた。

「貴様、何をしていた!」

 父は、手を振りかぶった。頬を打たれ、遅れて痛みが来る。――思いきりぶったらしく、鼓膜がきんとする。

「若様!」

 歯で切ったのか、唇の端から血が零れた。
 真っ青になる奈央さんを、目で押しとどめる。――危険だった。父の目は瞳孔が縦に切れており、どう見たってブチ切れている。

「役立たずめ……晶の身に何かあったら、勘当してやる!」

 
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