いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
321 / 346
最終章〜唯一の未来〜

三百二十話【SIDE:陽平】

しおりを挟む
 成己は控えめな奴で、共有スペースに私物を置かなかった。例外だったサボテンは、「日当たりのよいところに置いてやりたい」と、わざわざ頼んできたほどだった。
 幼馴染の野江は、そういう性格を知っているから、真っすぐ部屋に行ったのだろう。
 
 ――野江は、あのブランケットに、気づいていない? なら……
 
 あれだけは、助かる。
 胸に希望が甦り、ドクンドクンと心臓が激しく脈打ちだす。
 俺は、床に項垂れるふりをしながら、野江が荷物を運び出すのを注視した。
 
 ――はやく。早く出て行ってくれ。
 
 先ほどまで、止めたくて仕方なかった野江に、出来る限り早く出て行けと念じる。一分一秒が、永遠のように感じた。
 
「うん、こんなところですね」
 
 やがて……がらんどうになった部屋を見回し、野江が頷く。使用人が一人歩み出て、その気を窺うように、尋ねた。
 
「では……これで、陽平様の事を、許して頂けるのでしょうか」
「ええ。そうですね……」
 
 野江は、勿体ぶるように顎を撫でた。固唾を飲んでいる俺達の前で、すんと鼻を鳴らし、目を細める。
 
「いいでしょう。条件通りにして貰いましたから」
 
 野江の言葉に、使用人達がホッとしたように顔を見合わせる。本来なら、主の頭上で交わされる会話に苛立つところだが、それどころじゃない。
 
 ――帰れ、野江。早く……!
 
 息を殺して、野江を睨み続けていると……奴は、にっこりと笑う。
 
「じゃあな、城山くん。邪魔したね」
 
 そう言い置いて、部屋を出ていった。俺は、奴の足音に耳を澄ませた。……のんびりとした足音が遠ざかり、玄関の扉の開く音が、確かに聞こえた。
 
 ――よしッ!
 
 俺は、泣きたいほどの安堵にさらされ、床の上で拳を握った。
 助かった。助かったんだ……俺の成己が、ただひとつだけでも。
 
「陽平様!?」
 
 使用人の驚愕もよそに、俺は部屋を飛び出した。
 居てもたってもいられなかった。俺だけの成己を確認しなければ、どうかなりそうで。
 
「成己……!」
 
 寝室の戸を叩き開ける。ベッドに突進し、俺は上掛けの中にしまっておいた、ブランケットを抱きしめようとして――
 
「え」
 
 まっさらのシーツが、眼前に広がっていた。
 
 
 
 
 
 無い。
 
 頭の毛が、ぶわりと太るような心地がした。慌てて、枕と、布団を跳ねのける。――白い埃が舞うばかりで、何もない。バサリ、バサリ、と布団を振り回し、俺は叫ぶ。
 
「なんで! なんで……!?」
「――探しているのは、これかな?」
 
 背後から、穏やかな声が聞こえた。
 弾かれたように振り返ると、寝室の戸に凭れるように、野江が立っている。
 その手にあるものに、ひゅっと息を飲んだ。
 
 ――成己のブランケット!!!
 
 野江はにやりと笑い、袋に入ったブランケットを揺らして見せた。
 
「帰ったと思ったのに、残念だったね。さっきの足音は、君んところの見送りだよ。――ちょっと、忘れ物があったと気付いたもんでね」
「お前、なんで……それっ!!」
 
 血を吐きそうな思いで叫ぶと、野江は飄々と言ってのける。
 
「荷物を仕舞っている時にね、ブランケットの空袋しかなくておかしいなと思ったんだよ。ひょっとしたら、寂しん坊が使ってるんじゃないかとな」
「……っ返せ!!」
「おっと」
 
 飛び掛かると、ひらりと身を躱される。
 
「返せも何も、これは成のものだろ。あの子が仲良くしてた職員さんが、寿退社したときの餞別でね。大切なものなんだと、知らなかった?」
 
 そんな話は知らなかった。
 何気なく、振りまかれていた成己の優しさに気づいたのは、あいつが居なくなってからだった。
 言葉に詰まる俺に、野江はふっと笑う。
 
「じゃあな、城山くん」
 
 成己のブランケットを大事そうに抱え、廊下を歩み去って行く。――成己の甘い香りが遠ざかり……俺は、目の前が真っ白になった。
 
「……待ってくれ!!」
 
 どたばたと奴の後を追い、目の前に回り込んだ。両腕を広げ、通せんぼをするように立ちふさがると、野江は眉を上げる。
 
「おい、何だよ」
「……それだけは。それだけは、置いてってくれ!」
「は?」
 
 俺は、野江の足元に跪く。床に手をついて、頼んだ。
 
「お願いだから……俺にはそれが必要なんだ。それだけは、許してくれ……!」
 
 城山のアルファが、憎い男に土下座。恥も外聞もない――だが、このまま見送るなんて、とてもできそうになかった。
 俺の手元に残った、成己のよすが。優しさ……それが無くなるなんて、たまらない。
 
「お願いだ……」
 
 床に、額をつける。
 ガチガチと歯を鳴らす俺に、野江はほうと息を吐き、言う。
 
「いやだ」
 
 無慈悲な一言に、目を見開く。
 
「成の荷物を引き取ることが、君を許す条件だ。これも当然、例外じゃないな」
「う……あ……」
「じゃあな、城山くん」
 
 野江は、俺の横を通り抜ける。
 床につけた額が痛み、自分の筋の浮いた手の甲が、ぶるぶる震えるのが見えた。ぶつん、とこめかみで、何かが切れる。
 
「……うあああああ!!!」
 
 野江に飛び掛かり、でかい背に体当たりをする。床に突き倒した野江に馬乗りになり、めちゃくちゃに拳を振り回し、わめいた。
 
「ふざけるなあッ……! お前は、成己がいるだろうが! なんで、それさえも奪う! なんで、ここまですんだよ!!!?」
 
 使用人達も威嚇のフェロモンにやられ、誰も近寄っては来ない。よしんば近寄れても、止める気は無かった。喉が火を噴くように、呪いの言葉を叫び続ける。
 
「……」
 
 野江は両腕で身を庇い、手を出しては来ない。――腕の隙間から、冷めた目が俺を見ているのに気づき、ますます逆上する。
 冷血野郎だ。
 こんな奴の元に、成己は――悔しさに、わめいた。
 
「このクソ野郎……あいつを、成己を返せ!! 成己を、俺に返せよぉッ!!!!」
「――ふざけるな!!!」
 
 天井までも震わせるような、大音声だった。
 胸倉を掴まれ、床に突き倒される。――凄まじい威圧のフェロモンを喰らい、目の前が暗くなった。
 
「が……ゲホッ……!」
 
 野江は酸欠に咽ぶ俺を掴み、情け容赦なく揺さぶった。
 
「何が”返せ”だ。お前だろうが! 成から、全てを奪ったのは――!」
「……っ?」
 
 凄まじい怒声に鼓膜を揺らされる。
 
 ――俺が、奪った?
 
 要領の得ない俺に苛立ったのか、野江は舌打ちをする。食いしばった歯から絞り出すように、憎々し気に言う。
 
「解らないのか? あの子が、どれほどお前との未来を望んでいたか……側に居て、少しも解らなかったのか?!」
 
 俺は、息を飲む。――やわらかな笑顔が浮かび、言葉を失う。
 
「それを、お前は! よそのオメガに浮かれ、あの子を邪魔にし続けた。挙句の果てには、荷物の一つも持たせずに、お前の家から追い出したんだろうが……!」
 
 野江の声は、俺への憎悪に荒み切っていた。黒鉄のような瞳孔が断ち割る灰の目が、俺を射すくめる。
 
「……ぁ」
「あんな雨の日に……成は、どこにも行けずに、うずくまっていたんだぞ。わかるのか、その痛みがお前に……」
「……」
 
 胸倉を掴む手が震えていることに、気づく。
 野江は……成己を想う男としての怒りを、俺にぶつけていた。愛しいものを傷つけた者を、許さないと伝わってきて、動けなくなる。
 
「城山陽平……俺は、君を許さない。もう奪わせない……思い出の中でさえ、あの子に縋る真似を、許すものか!」
 
 野江は俺を振り落とし、ゆらりと立ち上がる。
 刃のような目が、俺を見下ろした。
 
「いいか? 成には俺が全て与える。――お前の家は、もう必要ない」
 
 だから一生、孤独でいろ。
 呪いの言葉が、心臓に突き刺さった。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐

当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。 でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。 その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。 ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。 馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。 途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。

Tally marks

あこ
BL
五回目の浮気を目撃したら別れる。 カイトが巽に宣言をしたその五回目が、とうとうやってきた。 「関心が無くなりました。別れます。さよなら」 ✔︎ 攻めは体格良くて男前(コワモテ気味)の自己中浮気野郎。 ✔︎ 受けはのんびりした話し方の美人も裸足で逃げる(かもしれない)長身美人。 ✔︎ 本編中は『大学生×高校生』です。 ✔︎ 受けのお姉ちゃんは超イケメンで強い(物理)、そして姉と婚約している彼氏は爽やか好青年。 ✔︎ 『彼者誰時に溺れる』とリンクしています(あちらを読んでいなくても全く問題はありません) 🔺ATTENTION🔺 このお話は『浮気野郎を後悔させまくってボコボコにする予定』で書き始めたにも関わらず『どうしてか元サヤ』になってしまった連載です。 そして浮気野郎は元サヤ後、受け溺愛ヘタレ野郎に進化します。 そこだけ本当、ご留意ください。 また、タグにはない設定もあります。ごめんなさい。(10個しかタグが作れない…せめてあと2個作らせて欲しい) ➡︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。 ➡︎ 『番外編:本編完結後』に区分されている小説については、完結後設定の番外編が小説の『更新順』に入っています。『時系列順』になっていません。 ➡︎ ただし、『番外編:本編完結後』の中に入っている作品のうち、『カイトが巽に「愛してる」と言えるようになったころ』の作品に関してはタイトルの頭に『𝟞』がついています。 個人サイトでの連載開始は2016年7月です。 これを加筆修正しながら更新していきます。 ですので、作中に古いものが登場する事が多々あります。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

いっそあなたに憎まれたい

石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。 貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。 愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。 三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。 そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。 誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。 これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。 この作品は小説家になろうにも投稿しております。 扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。

処理中です...