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最終章〜唯一の未来〜
三百十四話【SIDE:陽平】
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俺は、さぼてん堂の絵を眺め、高校の頃に思いを馳せる。
そうだ――成己の奴と話すのは、楽しかった。
あいつはオメガだが、俺に色目を使ってはこなかった。
――『城山くん! 桜庭先生の新刊、読んだ?』
ただ純粋に、桜庭が好きで。好きなものを共有できる友達が出来て嬉しい……そんな感じだった。
それは、俺も同じだった。
『読んだに決まってんだろ! 今回は、オチが泣けたよな』
『ねっ。最後の友達とのやりとり、じんと来ちゃった』
好きなものを、思い切り話せる相手がいることが、これほど毎日を楽しくさせるとは。
成己は、桜庭の全てを読んでいた。地方の同人誌に寄稿した掌編や、雑誌のコラムに至るまで――それも、ただマニア的な収集欲でなく、ひとつひとつを大切に心に仕舞っていた。
――『こいつは、話しが解る!』
好きなものへの向き合い方は、人となりに通じると、父は言う。その言葉の意味を、成己を見て実感した気がした。
あいつのいる準備室に訪ねて行くのが、日課になっていた。
『城山くん、また明日』
『ああ……』
放課後には、翌朝の登校が楽しみだった。――学校なんて、社交の一環でしかないと思っていたのに。
『うう、また犯人当て負けた~』
『はは。一昨日こいよ』
成己は喜怒哀楽が、子どもっぽい。そんなあいつの前じゃ、俺も普通のガキみたいになってしまう。
――『でも、悪い気はしねえな……』
俺にとって、成己は小さな革命だった。
『春日、他には何を読んでる?』
そう尋ねるのは、それほど時間はかからなかった。
桜庭を好きな成己の、桜庭以外の部分も知りたくなったんだ。 趣味の仲間――それ以外に、俺達に名がつけられるのかと、試してみたくなったのかもしれない。
成己は、なんの気負いもなく笑い、答えを寄こした。
『ぼく、ローリングとウッドハウスが好きかなあ。あとね、恋愛小説も好きやで』
『ふうん。意外っつうか……春日っぽいか』
『えへへ。城山くんは、何が好き?』
やわらかな声が、俺に質問を返す。
それからだ――俺達は何気ないことも話す、友達になったんだ。
「……すみません、後ろ良いでしょうか?」
遠慮がちに声を掛けられ、我に返る。
子供を連れた女性が、俺の後ろに立っていた。
――そんなに考え込んでたのか……?
俺は会釈して、その場を離れた。足を絨毯から引き剥がすように歩いていると、きゃあきゃあ、と幼児の無邪気な声を背中越しに聞いた。
「綺麗な絵だね」と和やかに話しかける母親の声も。
本来なら、優しい絵なのだと思い知る。だが、俺にとっては――あまりにも苦い。
「……っ」
唐突に――どうして、ここに来てしまったんだろう、と思う。
桜庭のことは、今でも好きだ。
ただ……成己に近すぎるんだ。桜庭は――俺と成己の楽しい時期を、共有し過ぎてる。
――別れた相手には、花の名前を教えろ、だったか。ざまあねえな……
大昔の大作家の言葉を想い、自嘲したときだった。
「……なんだ?」
にわかに、周囲が騒がしくなる。訝しく思い、振り返ったときだった。
ふわり。
えも言われない瑞々しい甘さが、鼻腔をくすぐった。懐かしく、甘い――花のような香り。
「……!」
身体が、カッと燃える。
喉が、カラカラになった。――砂漠のオアシスのように、胸を惹きつけてやまない。
「この匂いは……」
面影が浮かんだとき、足音が近づいてきた。
聳えるような体躯の男に抱かれ、淡い茶髪の華奢な少年が、姿を見せた。
――成己!
俺は、その場に凍り付く。
「……宏ちゃん、ぼく大丈夫やから……」
「駄目だ。危ないんだから」
ちょうど柱の陰になって、向こうから俺の姿は見えないらしい。
通りすがりに、弱弱しい声で訴える成己を、野江が窘めているのが聞こえてきた。我が物顔に、華奢な体を抱きしめ、歩き去って行く。
俺に、気づきもせず。
「……クソッ、なんだってんだよ!」
屈辱で、頭に血が上り――俺は、柱を蹴りつける。
鼻先を掠めていったご馳走が、憎くてならなかった。
そうだ――成己の奴と話すのは、楽しかった。
あいつはオメガだが、俺に色目を使ってはこなかった。
――『城山くん! 桜庭先生の新刊、読んだ?』
ただ純粋に、桜庭が好きで。好きなものを共有できる友達が出来て嬉しい……そんな感じだった。
それは、俺も同じだった。
『読んだに決まってんだろ! 今回は、オチが泣けたよな』
『ねっ。最後の友達とのやりとり、じんと来ちゃった』
好きなものを、思い切り話せる相手がいることが、これほど毎日を楽しくさせるとは。
成己は、桜庭の全てを読んでいた。地方の同人誌に寄稿した掌編や、雑誌のコラムに至るまで――それも、ただマニア的な収集欲でなく、ひとつひとつを大切に心に仕舞っていた。
――『こいつは、話しが解る!』
好きなものへの向き合い方は、人となりに通じると、父は言う。その言葉の意味を、成己を見て実感した気がした。
あいつのいる準備室に訪ねて行くのが、日課になっていた。
『城山くん、また明日』
『ああ……』
放課後には、翌朝の登校が楽しみだった。――学校なんて、社交の一環でしかないと思っていたのに。
『うう、また犯人当て負けた~』
『はは。一昨日こいよ』
成己は喜怒哀楽が、子どもっぽい。そんなあいつの前じゃ、俺も普通のガキみたいになってしまう。
――『でも、悪い気はしねえな……』
俺にとって、成己は小さな革命だった。
『春日、他には何を読んでる?』
そう尋ねるのは、それほど時間はかからなかった。
桜庭を好きな成己の、桜庭以外の部分も知りたくなったんだ。 趣味の仲間――それ以外に、俺達に名がつけられるのかと、試してみたくなったのかもしれない。
成己は、なんの気負いもなく笑い、答えを寄こした。
『ぼく、ローリングとウッドハウスが好きかなあ。あとね、恋愛小説も好きやで』
『ふうん。意外っつうか……春日っぽいか』
『えへへ。城山くんは、何が好き?』
やわらかな声が、俺に質問を返す。
それからだ――俺達は何気ないことも話す、友達になったんだ。
「……すみません、後ろ良いでしょうか?」
遠慮がちに声を掛けられ、我に返る。
子供を連れた女性が、俺の後ろに立っていた。
――そんなに考え込んでたのか……?
俺は会釈して、その場を離れた。足を絨毯から引き剥がすように歩いていると、きゃあきゃあ、と幼児の無邪気な声を背中越しに聞いた。
「綺麗な絵だね」と和やかに話しかける母親の声も。
本来なら、優しい絵なのだと思い知る。だが、俺にとっては――あまりにも苦い。
「……っ」
唐突に――どうして、ここに来てしまったんだろう、と思う。
桜庭のことは、今でも好きだ。
ただ……成己に近すぎるんだ。桜庭は――俺と成己の楽しい時期を、共有し過ぎてる。
――別れた相手には、花の名前を教えろ、だったか。ざまあねえな……
大昔の大作家の言葉を想い、自嘲したときだった。
「……なんだ?」
にわかに、周囲が騒がしくなる。訝しく思い、振り返ったときだった。
ふわり。
えも言われない瑞々しい甘さが、鼻腔をくすぐった。懐かしく、甘い――花のような香り。
「……!」
身体が、カッと燃える。
喉が、カラカラになった。――砂漠のオアシスのように、胸を惹きつけてやまない。
「この匂いは……」
面影が浮かんだとき、足音が近づいてきた。
聳えるような体躯の男に抱かれ、淡い茶髪の華奢な少年が、姿を見せた。
――成己!
俺は、その場に凍り付く。
「……宏ちゃん、ぼく大丈夫やから……」
「駄目だ。危ないんだから」
ちょうど柱の陰になって、向こうから俺の姿は見えないらしい。
通りすがりに、弱弱しい声で訴える成己を、野江が窘めているのが聞こえてきた。我が物顔に、華奢な体を抱きしめ、歩き去って行く。
俺に、気づきもせず。
「……クソッ、なんだってんだよ!」
屈辱で、頭に血が上り――俺は、柱を蹴りつける。
鼻先を掠めていったご馳走が、憎くてならなかった。
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