314 / 356
最終章〜唯一の未来〜
三百十三話【SIDE:陽平】
しおりを挟む
――その日から、俺は原稿展に通いつめることになった。
と言うのは、やはりサイン本が手に入らなかったことが理由だった。マナーの悪い客が、どっさりと買って行くせいで、在庫が直ぐに切れてしまうらしい。
「っとに、いい迷惑だよな」
と独り言ち、空になった棚を見る。
俺の周りにも、落胆の声を上げる客が幾人もいた。「団体客が来て、全部売れてしまった」と、腕章をつけた店員が平謝りしている。
「誠に、申し訳ありません!」
「県外から来たのに……」
「どうして、おひとり様一冊ずつって、書いておかないんです?」
ギスギスしている売店に居たくなくて、俺は展示スペースに戻った。
残念ではあったものの、店員を責めてもどうしようもねえだろ、というのが正直なところだ。
――展示もそろそろ終わるし、桜庭もそろそろ腱鞘炎だろうしな……ここらが潮時か。
かなり無念だが……なんとか踏ん切りをつけて、展示スペースを回った。
サイン本以外にも、見どころがある。だからこそ、あんな長い列にも並べるってもんだ。
「……ん?」
桜庭のスペースで知り合いを見かけ、足を止める。
白いセーラーブラウスに、黒のプリーツスカート。名門私立の制服を纏った少女は、真剣な面持ちでノートにメモを取っていた。
どうやら、展示の内容を書き写しているらしい。
――あれは……晶の妹だよな。桜庭ファンだったのか?
側には、お付きと思しきスーツの男しかいない。誰かの付き合い、ってこともなさそうだ。
正直、驚いた。
晶が言うには、蓑崎の当主は大の桜庭嫌いらしいから。彼女――玻璃は、原稿展なんかに来ていると知れたら、叱責を受けるだろうに。
「……」
声をかけるか迷ったが、無視して去った。
知人に見られたとあっちゃ、次は来られないかもしれない。――コソコソと隠れて、好きな本を読む。それくらい、後継者には許されてしかるべきだろう。
俺も両親に隠れて読んでいたから、気持ちはわかるつもりだ。
――そうだ。だから、誰かと桜庭を語ったことなんて無かった。
社交界で「桜庭を読んでいる」など言えば、夢見がちだと笑われる。
――『話題作りのために読んでるんでしょう?』
ふと、「桜庭の新刊を」と漏らしたときの、あの冷めた反応。
好きなものへの批判は、俺にも打撃を与えた。「恥ずかしい」と思った自分も嫌になったし、あんな思いは二度としたくなかった。
だから……親だけじゃなく、誰にも隙は見せまいと。
それなのに、なんでだろうな。
「……あ」
ある展示の前で、ピタ、と足が止まる。
「さぼてん堂」
摩訶不思議な古書店の物語。――桜庭の処女作の表紙絵の原画が、壁に掛けられていた。去年の展示で観た時も、思いのほか大きいことに、成己と二人で驚いた。
――『すごい迫力やねぇ。ぼく、この絵大好き……!』
興奮気味の声が甦り、拳を握りしめる。
複雑で幻想的な色味は、油彩画家が書き下ろしたもので……俺も気に入っていた。
――そうだ。だから……あいつが持っていたのも、すぐに「これ」だって、気づいたんだ。
教室移動のたびに、廊下をすれ違うだけの同級生。
学年で、唯一のオメガ。
それが俺の、春日成己への印象だった。
『……また、いる』
あいつは、決して派手じゃない。晶や母さんを見慣れている俺からすると、尚更。
なのに、曇り空から落ちてくる光のように、いつも眼を奪われた。
木陰のベンチで、うまそうに弁当を食っているところ。
落とし物を見れば、小走りに届けに行く背中。
ひとりで掃除をしているとき、いつも歌っている鼻歌。
『~♪』
『……下手な歌だな』
やっていることは何でもない事なのに、見かければ笑っている自分がいた。
それは、あいつが常に幸せそうだったからかも、しれない。
――『なんで、いつも笑ってるんだ……いったい、どんな奴なんだろう?』
見かけるたびに、興味は募った。
それなのに、なまじアルファとオメガであるばかりに……話すきっかけが掴めなかった。
――『俺は、ただ話してみたいだけだ。でも、向こうからすると……気を持たせたら悪いものな』
悶々としていた、ある日――図書室で、あいつを見かけた。
あいつの大事そうに抱えている本が「さぼてん堂」だと気付いたときの衝撃は、計り知れない。
だって、そうだろう。まさか……俺の好きな本を、好きだなんて!
――『これで気を持たせずに、話しかけることが出来る!』
それからは只管あいつを観察し、話すタイミングを探った。真面目な奴らしく、仕事中に雑談はしないらしいと、すぐに知ったからだ。
何日も機をうかがい……あいつが昼飯を終え、準備室に戻ってきたところを捕まえたんだ。
『それ、桜庭先生のデビュー作だろ?』
『……えっ?』
はしばみ色の目に見つめられ、緊張で汗が滲んでいた。
――『何だよ。急だったのか?』
だが、心配は杞憂だった。白い顔が、ぱあっと上気したんだ。
頬がやわらかな笑みにほころんだのを見て――胸がドクンドクンと騒いだ。
『そう、そうやで! 城山くん、知ってるん?』
純粋な喜びをあらわにする姿は、同級生にしては、あどけなかった。
けれど、「話しかけて良かった」と思わせる効果は抜群で。
『当たり前だろ! 知ってるどころか、推しだし』
絶対に言わないと決めていたことまで、話してしまった。本来なら、コンマ一秒で後悔する失態。実際、心臓は早鐘をうっていたが――
『嬉しい……! ぼく、同志に会うの初めてや』
あいつは、にっこり笑った。
その未来を、俺は何となくわかっていた気がする。そして……その期待を叶えてくれたあいつに、信頼を置いたんだ。
と言うのは、やはりサイン本が手に入らなかったことが理由だった。マナーの悪い客が、どっさりと買って行くせいで、在庫が直ぐに切れてしまうらしい。
「っとに、いい迷惑だよな」
と独り言ち、空になった棚を見る。
俺の周りにも、落胆の声を上げる客が幾人もいた。「団体客が来て、全部売れてしまった」と、腕章をつけた店員が平謝りしている。
「誠に、申し訳ありません!」
「県外から来たのに……」
「どうして、おひとり様一冊ずつって、書いておかないんです?」
ギスギスしている売店に居たくなくて、俺は展示スペースに戻った。
残念ではあったものの、店員を責めてもどうしようもねえだろ、というのが正直なところだ。
――展示もそろそろ終わるし、桜庭もそろそろ腱鞘炎だろうしな……ここらが潮時か。
かなり無念だが……なんとか踏ん切りをつけて、展示スペースを回った。
サイン本以外にも、見どころがある。だからこそ、あんな長い列にも並べるってもんだ。
「……ん?」
桜庭のスペースで知り合いを見かけ、足を止める。
白いセーラーブラウスに、黒のプリーツスカート。名門私立の制服を纏った少女は、真剣な面持ちでノートにメモを取っていた。
どうやら、展示の内容を書き写しているらしい。
――あれは……晶の妹だよな。桜庭ファンだったのか?
側には、お付きと思しきスーツの男しかいない。誰かの付き合い、ってこともなさそうだ。
正直、驚いた。
晶が言うには、蓑崎の当主は大の桜庭嫌いらしいから。彼女――玻璃は、原稿展なんかに来ていると知れたら、叱責を受けるだろうに。
「……」
声をかけるか迷ったが、無視して去った。
知人に見られたとあっちゃ、次は来られないかもしれない。――コソコソと隠れて、好きな本を読む。それくらい、後継者には許されてしかるべきだろう。
俺も両親に隠れて読んでいたから、気持ちはわかるつもりだ。
――そうだ。だから、誰かと桜庭を語ったことなんて無かった。
社交界で「桜庭を読んでいる」など言えば、夢見がちだと笑われる。
――『話題作りのために読んでるんでしょう?』
ふと、「桜庭の新刊を」と漏らしたときの、あの冷めた反応。
好きなものへの批判は、俺にも打撃を与えた。「恥ずかしい」と思った自分も嫌になったし、あんな思いは二度としたくなかった。
だから……親だけじゃなく、誰にも隙は見せまいと。
それなのに、なんでだろうな。
「……あ」
ある展示の前で、ピタ、と足が止まる。
「さぼてん堂」
摩訶不思議な古書店の物語。――桜庭の処女作の表紙絵の原画が、壁に掛けられていた。去年の展示で観た時も、思いのほか大きいことに、成己と二人で驚いた。
――『すごい迫力やねぇ。ぼく、この絵大好き……!』
興奮気味の声が甦り、拳を握りしめる。
複雑で幻想的な色味は、油彩画家が書き下ろしたもので……俺も気に入っていた。
――そうだ。だから……あいつが持っていたのも、すぐに「これ」だって、気づいたんだ。
教室移動のたびに、廊下をすれ違うだけの同級生。
学年で、唯一のオメガ。
それが俺の、春日成己への印象だった。
『……また、いる』
あいつは、決して派手じゃない。晶や母さんを見慣れている俺からすると、尚更。
なのに、曇り空から落ちてくる光のように、いつも眼を奪われた。
木陰のベンチで、うまそうに弁当を食っているところ。
落とし物を見れば、小走りに届けに行く背中。
ひとりで掃除をしているとき、いつも歌っている鼻歌。
『~♪』
『……下手な歌だな』
やっていることは何でもない事なのに、見かければ笑っている自分がいた。
それは、あいつが常に幸せそうだったからかも、しれない。
――『なんで、いつも笑ってるんだ……いったい、どんな奴なんだろう?』
見かけるたびに、興味は募った。
それなのに、なまじアルファとオメガであるばかりに……話すきっかけが掴めなかった。
――『俺は、ただ話してみたいだけだ。でも、向こうからすると……気を持たせたら悪いものな』
悶々としていた、ある日――図書室で、あいつを見かけた。
あいつの大事そうに抱えている本が「さぼてん堂」だと気付いたときの衝撃は、計り知れない。
だって、そうだろう。まさか……俺の好きな本を、好きだなんて!
――『これで気を持たせずに、話しかけることが出来る!』
それからは只管あいつを観察し、話すタイミングを探った。真面目な奴らしく、仕事中に雑談はしないらしいと、すぐに知ったからだ。
何日も機をうかがい……あいつが昼飯を終え、準備室に戻ってきたところを捕まえたんだ。
『それ、桜庭先生のデビュー作だろ?』
『……えっ?』
はしばみ色の目に見つめられ、緊張で汗が滲んでいた。
――『何だよ。急だったのか?』
だが、心配は杞憂だった。白い顔が、ぱあっと上気したんだ。
頬がやわらかな笑みにほころんだのを見て――胸がドクンドクンと騒いだ。
『そう、そうやで! 城山くん、知ってるん?』
純粋な喜びをあらわにする姿は、同級生にしては、あどけなかった。
けれど、「話しかけて良かった」と思わせる効果は抜群で。
『当たり前だろ! 知ってるどころか、推しだし』
絶対に言わないと決めていたことまで、話してしまった。本来なら、コンマ一秒で後悔する失態。実際、心臓は早鐘をうっていたが――
『嬉しい……! ぼく、同志に会うの初めてや』
あいつは、にっこり笑った。
その未来を、俺は何となくわかっていた気がする。そして……その期待を叶えてくれたあいつに、信頼を置いたんだ。
359
お気に入りに追加
1,422
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
彼を追いかける事に疲れたので、諦める事にしました
Karamimi
恋愛
貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。
どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も…
これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない…
そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが…
5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。
よろしくお願いしますm(__)m
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる