いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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最終章〜唯一の未来〜

三百十三話【SIDE:陽平】

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 ――その日から、俺は原稿展に通いつめることになった。
 と言うのは、やはりサイン本が手に入らなかったことが理由だった。マナーの悪い客が、どっさりと買って行くせいで、在庫が直ぐに切れてしまうらしい。
 
「っとに、いい迷惑だよな」
 
 と独り言ち、空になった棚を見る。
 俺の周りにも、落胆の声を上げる客が幾人もいた。「団体客が来て、全部売れてしまった」と、腕章をつけた店員が平謝りしている。
 
「誠に、申し訳ありません!」 
「県外から来たのに……」
「どうして、おひとり様一冊ずつって、書いておかないんです?」
 
 ギスギスしている売店に居たくなくて、俺は展示スペースに戻った。
 残念ではあったものの、店員を責めてもどうしようもねえだろ、というのが正直なところだ。
 
 ――展示もそろそろ終わるし、桜庭もそろそろ腱鞘炎だろうしな……ここらが潮時か。
 
 かなり無念だが……なんとか踏ん切りをつけて、展示スペースを回った。
 サイン本以外にも、見どころがある。だからこそ、あんな長い列にも並べるってもんだ。
 
「……ん?」
 
 桜庭のスペースで知り合いを見かけ、足を止める。
 白いセーラーブラウスに、黒のプリーツスカート。名門私立の制服を纏った少女は、真剣な面持ちでノートにメモを取っていた。
 どうやら、展示の内容を書き写しているらしい。
 
 ――あれは……晶の妹だよな。桜庭ファンだったのか?
 
 側には、お付きと思しきスーツの男しかいない。誰かの付き合い、ってこともなさそうだ。
 正直、驚いた。
 晶が言うには、蓑崎の当主は大の桜庭嫌いらしいから。彼女――玻璃は、原稿展なんかに来ていると知れたら、叱責を受けるだろうに。
 
「……」
 
 声をかけるか迷ったが、無視して去った。
 知人に見られたとあっちゃ、次は来られないかもしれない。――コソコソと隠れて、好きな本を読む。それくらい、後継者には許されてしかるべきだろう。
 俺も両親に隠れて読んでいたから、気持ちはわかるつもりだ。
 
 ――そうだ。だから、誰かと桜庭を語ったことなんて無かった。
 
 社交界で「桜庭を読んでいる」など言えば、夢見がちだと笑われる。

 ――『話題作りのために読んでるんでしょう?』

 ふと、「桜庭の新刊を」と漏らしたときの、あの冷めた反応。
 好きなものへの批判は、俺にも打撃を与えた。「恥ずかしい」と思った自分も嫌になったし、あんな思いは二度としたくなかった。
 だから……親だけじゃなく、誰にも隙は見せまいと。
 それなのに、なんでだろうな。
 
「……あ」
 
 ある展示の前で、ピタ、と足が止まる。
 
「さぼてん堂」
 
 摩訶不思議な古書店の物語。――桜庭の処女作の表紙絵の原画が、壁に掛けられていた。去年の展示で観た時も、思いのほか大きいことに、成己と二人で驚いた。

 ――『すごい迫力やねぇ。ぼく、この絵大好き……!』

 興奮気味の声が甦り、拳を握りしめる。
 複雑で幻想的な色味は、油彩画家が書き下ろしたもので……俺も気に入っていた。
 
 ――そうだ。だから……あいつが持っていたのも、すぐに「これ」だって、気づいたんだ。
 
 



 
 
 教室移動のたびに、廊下をすれ違うだけの同級生。
 学年で、唯一のオメガ。
 それが俺の、春日成己への印象だった。
 
『……また、いる』
 
 あいつは、決して派手じゃない。晶や母さんを見慣れている俺からすると、尚更。
 なのに、曇り空から落ちてくる光のように、いつも眼を奪われた。

 木陰のベンチで、うまそうに弁当を食っているところ。
 落とし物を見れば、小走りに届けに行く背中。
 ひとりで掃除をしているとき、いつも歌っている鼻歌。

『~♪』
『……下手な歌だな』

 やっていることは何でもない事なのに、見かければ笑っている自分がいた。
 それは、あいつが常に幸せそうだったからかも、しれない。
 
 ――『なんで、いつも笑ってるんだ……いったい、どんな奴なんだろう?』
 
 見かけるたびに、興味は募った。
 それなのに、なまじアルファとオメガであるばかりに……話すきっかけが掴めなかった。
 
 ――『俺は、ただ話してみたいだけだ。でも、向こうからすると……気を持たせたら悪いものな』
 
 悶々としていた、ある日――図書室で、あいつを見かけた。 
 あいつの大事そうに抱えている本が「さぼてん堂」だと気付いたときの衝撃は、計り知れない。
 だって、そうだろう。まさか……俺の好きな本を、好きだなんて!
 
 ――『これで気を持たせずに、話しかけることが出来る!』
 
 それからは只管あいつを観察し、話すタイミングを探った。真面目な奴らしく、仕事中に雑談はしないらしいと、すぐに知ったからだ。
 何日も機をうかがい……あいつが昼飯を終え、準備室に戻ってきたところを捕まえたんだ。
 
『それ、桜庭先生のデビュー作だろ?』
『……えっ?』
 
 はしばみ色の目に見つめられ、緊張で汗が滲んでいた。

 ――『何だよ。急だったのか?』
 
 だが、心配は杞憂だった。白い顔が、ぱあっと上気したんだ。
 頬がやわらかな笑みにほころんだのを見て――胸がドクンドクンと騒いだ。
 
『そう、そうやで! 城山くん、知ってるん?』
 
 純粋な喜びをあらわにする姿は、同級生にしては、あどけなかった。
 けれど、「話しかけて良かった」と思わせる効果は抜群で。
 
『当たり前だろ! 知ってるどころか、推しだし』
 
 絶対に言わないと決めていたことまで、話してしまった。本来なら、コンマ一秒で後悔する失態。実際、心臓は早鐘をうっていたが――
 
『嬉しい……! ぼく、同志に会うの初めてや』
 
 あいつは、にっこり笑った。
 その未来を、俺は何となくわかっていた気がする。そして……その期待を叶えてくれたあいつに、信頼を置いたんだ。
 
 
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