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最終章〜唯一の未来〜
三百十話
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九月。爽やかな陽気の日――ぼくは宏ちゃんと、センターにいた。
定期健診と……ヒートの後の、メンテナンスに来たんよ。
「うん、フェロモン値は正常に戻ってる。生殖弁に傷もない。子宮の状態も良かったし……大丈夫そうだね」
中谷先生が、にこにこ顔で診断結果を伝えてくれる。
ぼくは、ぱっと笑顔になり、頭を下げた。
「ありがとうございますっ。じゃあ、次は三か月後に来るんでしょうか……?」
「うん、また経過は診ていくことになるけどね。その予定でいて良いと思うよ」
「わあ……!」
中谷先生の太鼓判に、隣に座っていた宏ちゃんと、ぱっと顔を見合わせる。
「中谷先生、ありがとうございます。よろしくお願いします」
宏ちゃんは真剣な表情を和らげて、先生に頭を下げてくれた。
ぼくも、ほうと胸をなでおろす。
――良かった。次も、きちんと来てくれるんや……!
十四歳の時みたいに、経過観察になったらどうしようって、ちょっと不安やったん。
すると、宏ちゃんが繋いだ手に、そっと力を込めた。
「成、大丈夫だよ」
「宏ちゃん……ありがとう」
優しい眼差しに、ほほ笑み返す。――大きな手の温もりが、心強かった。
「成己くん、宏章さん。機会は沢山ありますよ。焦らず、ゆっくり行きましょうね」
「……はい!」
中谷先生が穏やかに締めくくり、診察は終わったん。
診察室を出ると、宏ちゃんが笑顔で振り返る。
「お疲れさん。朝から大変だったな」
優しく労われ、胸がじんわり温かくなる。
「ううんっ。宏ちゃん、ついててくれてありがとう」
「当たり前だろう」
二人で笑い合っていると、「成ちゃん」と声を掛けられた。
「涼子先生!」
「成ちゃん、宏章くん。来てたんやね!」
溌溂とした足取りで、先生は駆けよって来てくれはった。
ぼくからも駆け寄る。ちょうど――先生に、大切な用事があったんよ。
「涼子先生、おめでとうございますっ。これ、ぼくと宏ちゃんから!」
ぼくは笑顔で、涼子先生にお祝いを渡した。先生は、目をまん丸にしてる。
「あれぇ! こんな、ええのっ?」
「えへへ。お祝いしたかったんよー。先生、本当におめでとう」
色々あって、遅くなっちゃったんやけど……ちょっぴり気恥ずかしい思いで言う。すると、涼子先生はレモン色の袋を抱いて、声を滲ませた。
「悪いわあ、成ちゃん。ほんまにええ子やなあ……いつも、気遣ってくれておおきにな」
「涼子先生……」
ふくふくした手に、両手をぎゅっと握られる。幼い時から変わらない温もりに、じんわりと目が潤む。
――大好きな先生。今日は……ちゃんと言わなきゃ。
見守ってくれている宏ちゃんを見、覚悟を固める。
ぼくは、ペコリと頭を下げた。
「涼子先生、あのね……ごめんなさい」
「ん? 何がなん」
先生は、目をぱちりと瞬く。ぼくは、先生の目を見て、もういちど謝った。
「”あの時”のこと、ずっと謝りたかったんです。ぼくが、馬鹿なことしたせいで……先生の足を引っ張っちゃったこと」
「……!」
十年前、赤ちゃんから育てたぼくが起こした、ある事件。管理不行き届きとして、教育係の先生が責任を取らされたって、聞いた。
――馬鹿やった。くだんない寂しさに負けて、あんなこと……
そのせいで……涼子先生は、ずっと望む仕事ができないでいたんやから。――ずっと、後悔してたん。
「ごめんなさい。あのとき、ぼくがセンターを脱け出したりせえへんかったら……」
「……成ちゃん」
涼子先生が、沁みるような声でぼくを呼んだ。
そして――温かい指が、頬をぎゅっと摘まむ。
「いひゃい!」
「この、ド阿呆!」
目を白黒させるぼくに、先生はにっと笑う。
「成ちゃんは、水くさい! そんなん、当たり前やないの……うちは、成ちゃんの先生なんやで!」
「涼子先生……」
両頬を、ふくふくした手に包まれた。
「ありがとうね。うちは、成ちゃんみたいな優しい子を見守ってこれて、幸せやった」
「……ぼくも! 先生が、お姉ちゃんで……本当に幸せやったよ」
優しい言葉に、胸が詰まる。
ぼくの気持ちも伝えたくて、必死に言い募ると――「わかってるよ」って、先生は微笑んだ。
「次の子にも、そう思ってもらえるよう頑張るわ……成ちゃん、応援してくれる?」
「……うんっ!」
ぼくは、力強く頷いた。
「さようなら……!」
お仕事に戻っていく涼子先生を、手を振って見送った。
緊張がとけて――少しふらついてしまう。すぐさま、宏ちゃんに抱き留めてくれた。
「大丈夫か?」
「うん。安心しただけ……」
にっこりして、宏ちゃんに寄りかかる。芳しい木々の香りを嗅いでいると、とても落ち着く。
「良かったなあ、成……な、大丈夫って言ったろ」
「うん。宏ちゃんのおかげ」
感激が尾を引いて……最後まで、言葉にならない。
――宏ちゃんが、居るから。勇気が出せたんよ。
感謝を込めて、力いっぱい抱きしめる。
胸に顔を埋めて息をしていると、宏ちゃんはくすぐったそうに笑った。
「なんだ? くっつくの好きか」
「うん。宏ちゃん、好き」
「……可愛いなあ、お前は!」
ぎゅう、と苦しいほど抱き返され、悲鳴をあげた。
うりうりと頬ずりされて、顔がほころぶ。大きな体に包まれていると……心が満たされちゃう。
――……ありがとう。
穏やかに笑う宏ちゃんの頬に、そっと手を伸ばす。そこには大きな湿布が貼られていて、すごく痛々しい。
「……宏ちゃんの頬、診てもらわなくて良かったん?」
「ああ、これくらい何でもないよ」
宏ちゃんの怪我は、ぼくを守るためについたものらしいねん。
あの夜――ぼくが眠ってから、ヒートが来たんやって。宏ちゃんは、ぼくを壊さないように……自分を傷つけてまで、抑制剤を打ってくれたんだ。
――宏ちゃん、優しすぎます……
きゅう、と痛む胸を押さえる。
ぼくね……本当言うと、残念やったん。二人で楽しみにしてたヒートが、どうして起きてるときに来なかったんやろうって。
でも、宏ちゃんがぼくを守ってくれたって聞いて……すごく愛おしくなったんよ。
「成。どうしたんだ?」
穏やかな声が、訊いてくれる。ぼくは応える代わりに、うんと背伸びして、湿布の上にキスをした。
「……!」
「えへ。早く治るよう、おまじない」
目元を赤らめる宏ちゃんに、にこっとほほ笑む。
「待っててね! 次は、こんな目に遭わさへんからっ」
そして叶うなら――番になりたいって、思うよ。
もう二度と、あなたと離れないで済むように……そう願って、腕に飛び込んだ。
定期健診と……ヒートの後の、メンテナンスに来たんよ。
「うん、フェロモン値は正常に戻ってる。生殖弁に傷もない。子宮の状態も良かったし……大丈夫そうだね」
中谷先生が、にこにこ顔で診断結果を伝えてくれる。
ぼくは、ぱっと笑顔になり、頭を下げた。
「ありがとうございますっ。じゃあ、次は三か月後に来るんでしょうか……?」
「うん、また経過は診ていくことになるけどね。その予定でいて良いと思うよ」
「わあ……!」
中谷先生の太鼓判に、隣に座っていた宏ちゃんと、ぱっと顔を見合わせる。
「中谷先生、ありがとうございます。よろしくお願いします」
宏ちゃんは真剣な表情を和らげて、先生に頭を下げてくれた。
ぼくも、ほうと胸をなでおろす。
――良かった。次も、きちんと来てくれるんや……!
十四歳の時みたいに、経過観察になったらどうしようって、ちょっと不安やったん。
すると、宏ちゃんが繋いだ手に、そっと力を込めた。
「成、大丈夫だよ」
「宏ちゃん……ありがとう」
優しい眼差しに、ほほ笑み返す。――大きな手の温もりが、心強かった。
「成己くん、宏章さん。機会は沢山ありますよ。焦らず、ゆっくり行きましょうね」
「……はい!」
中谷先生が穏やかに締めくくり、診察は終わったん。
診察室を出ると、宏ちゃんが笑顔で振り返る。
「お疲れさん。朝から大変だったな」
優しく労われ、胸がじんわり温かくなる。
「ううんっ。宏ちゃん、ついててくれてありがとう」
「当たり前だろう」
二人で笑い合っていると、「成ちゃん」と声を掛けられた。
「涼子先生!」
「成ちゃん、宏章くん。来てたんやね!」
溌溂とした足取りで、先生は駆けよって来てくれはった。
ぼくからも駆け寄る。ちょうど――先生に、大切な用事があったんよ。
「涼子先生、おめでとうございますっ。これ、ぼくと宏ちゃんから!」
ぼくは笑顔で、涼子先生にお祝いを渡した。先生は、目をまん丸にしてる。
「あれぇ! こんな、ええのっ?」
「えへへ。お祝いしたかったんよー。先生、本当におめでとう」
色々あって、遅くなっちゃったんやけど……ちょっぴり気恥ずかしい思いで言う。すると、涼子先生はレモン色の袋を抱いて、声を滲ませた。
「悪いわあ、成ちゃん。ほんまにええ子やなあ……いつも、気遣ってくれておおきにな」
「涼子先生……」
ふくふくした手に、両手をぎゅっと握られる。幼い時から変わらない温もりに、じんわりと目が潤む。
――大好きな先生。今日は……ちゃんと言わなきゃ。
見守ってくれている宏ちゃんを見、覚悟を固める。
ぼくは、ペコリと頭を下げた。
「涼子先生、あのね……ごめんなさい」
「ん? 何がなん」
先生は、目をぱちりと瞬く。ぼくは、先生の目を見て、もういちど謝った。
「”あの時”のこと、ずっと謝りたかったんです。ぼくが、馬鹿なことしたせいで……先生の足を引っ張っちゃったこと」
「……!」
十年前、赤ちゃんから育てたぼくが起こした、ある事件。管理不行き届きとして、教育係の先生が責任を取らされたって、聞いた。
――馬鹿やった。くだんない寂しさに負けて、あんなこと……
そのせいで……涼子先生は、ずっと望む仕事ができないでいたんやから。――ずっと、後悔してたん。
「ごめんなさい。あのとき、ぼくがセンターを脱け出したりせえへんかったら……」
「……成ちゃん」
涼子先生が、沁みるような声でぼくを呼んだ。
そして――温かい指が、頬をぎゅっと摘まむ。
「いひゃい!」
「この、ド阿呆!」
目を白黒させるぼくに、先生はにっと笑う。
「成ちゃんは、水くさい! そんなん、当たり前やないの……うちは、成ちゃんの先生なんやで!」
「涼子先生……」
両頬を、ふくふくした手に包まれた。
「ありがとうね。うちは、成ちゃんみたいな優しい子を見守ってこれて、幸せやった」
「……ぼくも! 先生が、お姉ちゃんで……本当に幸せやったよ」
優しい言葉に、胸が詰まる。
ぼくの気持ちも伝えたくて、必死に言い募ると――「わかってるよ」って、先生は微笑んだ。
「次の子にも、そう思ってもらえるよう頑張るわ……成ちゃん、応援してくれる?」
「……うんっ!」
ぼくは、力強く頷いた。
「さようなら……!」
お仕事に戻っていく涼子先生を、手を振って見送った。
緊張がとけて――少しふらついてしまう。すぐさま、宏ちゃんに抱き留めてくれた。
「大丈夫か?」
「うん。安心しただけ……」
にっこりして、宏ちゃんに寄りかかる。芳しい木々の香りを嗅いでいると、とても落ち着く。
「良かったなあ、成……な、大丈夫って言ったろ」
「うん。宏ちゃんのおかげ」
感激が尾を引いて……最後まで、言葉にならない。
――宏ちゃんが、居るから。勇気が出せたんよ。
感謝を込めて、力いっぱい抱きしめる。
胸に顔を埋めて息をしていると、宏ちゃんはくすぐったそうに笑った。
「なんだ? くっつくの好きか」
「うん。宏ちゃん、好き」
「……可愛いなあ、お前は!」
ぎゅう、と苦しいほど抱き返され、悲鳴をあげた。
うりうりと頬ずりされて、顔がほころぶ。大きな体に包まれていると……心が満たされちゃう。
――……ありがとう。
穏やかに笑う宏ちゃんの頬に、そっと手を伸ばす。そこには大きな湿布が貼られていて、すごく痛々しい。
「……宏ちゃんの頬、診てもらわなくて良かったん?」
「ああ、これくらい何でもないよ」
宏ちゃんの怪我は、ぼくを守るためについたものらしいねん。
あの夜――ぼくが眠ってから、ヒートが来たんやって。宏ちゃんは、ぼくを壊さないように……自分を傷つけてまで、抑制剤を打ってくれたんだ。
――宏ちゃん、優しすぎます……
きゅう、と痛む胸を押さえる。
ぼくね……本当言うと、残念やったん。二人で楽しみにしてたヒートが、どうして起きてるときに来なかったんやろうって。
でも、宏ちゃんがぼくを守ってくれたって聞いて……すごく愛おしくなったんよ。
「成。どうしたんだ?」
穏やかな声が、訊いてくれる。ぼくは応える代わりに、うんと背伸びして、湿布の上にキスをした。
「……!」
「えへ。早く治るよう、おまじない」
目元を赤らめる宏ちゃんに、にこっとほほ笑む。
「待っててね! 次は、こんな目に遭わさへんからっ」
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