いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
277 / 391
最終章〜唯一の未来〜

二百七十六話【SIDE:玻璃】

しおりを挟む
 兄は、男とホテルを転々としている。
 流石に、行きずりの相手の家に上がり込んだことはない。……それをマシだと思わなきゃいけない状況、本当にどうかと思うんだけど。 
 そういうわけで――兄のいるホテルの前で宍倉さんと二人、出待ちをしているところなんだ。
 
「なかなか来ませんねえ。とっくに終わってるはずなのに」 
「ええ。……若様、どうか私から離れませんよう」
 
 宍倉さんは、中学生の私がホテル街をうろつくことを心配して、ついて来てくれた。この界隈に足を踏み入れてからというもの、しきりに周囲の視線から庇おうとしてくれている。
 私は、過保護な彼に苦笑した。
 
「宍倉さん、そんなに心配しなくても平気ですよ? 今日は制服着てないし、補導される心配も無いでしょうからね」
 
 私は高い背のためか、きつい顔立ちのせいなのか、歳ほど幼く見られたことは無い。私服だと、大学生に間違われることもある。
 
 ――女にさえ見られないことの方が多いものな。
 
 すると、宍倉さんは渋い顔で言った。
 
「そういう問題ではありません。ここは若様のような年頃の方が、うろついていい場所じゃないのです」
「はあ……」
 
 厳しい声音にぽかんとしていると、彼は我に返ったように「すみません」と頭を下げた。
 
「出過ぎたことを申しました。若様ならば、とっくにご承知のことを……」
「いえ。気にしないで下さい」
 
 恐縮する宍倉さんに、私は爽やかな気持ちで笑って見せる。
 
 ――宍倉さんは、いいお父さんになりそうだよね。
 
 うちの親父と大違い。
 和やかに笑いあっていると、人の話し声が聞こえてきた。ラブホテルから、人が出てくる。
 
「……あ!」
 
 肩を抱こうとする男の腕を払い、早足に外へ出てくる若い男。――まぎれもなく、うちの兄だった。
 
「なあ、連絡先くらい教えてくれてもいだろ!」
「一回切りの、約束だったはずですけど……」
 
 大学生くらいの、いかにも体育会に入っていそうなごつい男が、逃げようとする兄に必死に追いすがっている。兄は困り顔で退けているものの、体に芯が無いようにふらふらしていて、まったく抵抗できていなかった。
 
 ――あー、さっそくピンチですってか!
 
 とは言え、逃げ足の速い兄を足止めしてくれるなら、それに越したことは無い。
 私は、二人の前に躍り出た。
 
「兄様」
「……!」
 
 兄は驚愕に目を見開き、さっと顔を青褪めさせた。逃げたそうに後じさったけれど、ごつい腕に肩を抱かれていて、かなわない。
 
「そこの貴方、その人は私と帰るんです。どうぞお引き取りを」
 
 私が昂然と言い放つと、男は唇をニヤリと歪めた。
 
「なんだよ、てめえ。後から出て来て、しゃしゃってんじゃ……」
 
 三下同然の台詞を吐こうとした彼を、きつく睨みつけた。
 
 ――とっとと失せろ、三下。
 
 目力を込め念じると――頭の奥で熱が滾り、唇に固いものが食い込む感触がした。苛立ちと暴力的な衝動が、目から火のように迸るみたいだった。
 
「ひいいっ」
 
 男は泡でも吹きそうな顔で、どたばたと縺れるように逃げて行く。
 
「ふう、これで良し」
 
 私は肩の力を抜き、乾いた息を吐いた。
 威圧のコントロールは、苦手だ。みっともなく牙の出た口を押さえつつ、離れたところに立つ宍倉さんに目配せをする。それだけで優秀な彼は意を察してくれ、「かしこまりました」との会釈が返る。――これで、あの男は今夜には丸裸だ。
 
「ゲホッ、ゴホッ……玻璃、お前ッ……」 
 
 気がつけば、兄が体を折って咳き込んでいた。 
 どうやら、威圧に当てられたらしい。恨めし気に睨まれたが、私はこれ幸いと、兄の腕を掴む。
 
「さあ、鬼ごっこはおしまいです。帰りますよ」
「……っ、いやだ」
 
 手を引いて歩き出そうとすれば、兄は子どもがぐずるように、その場に踏ん張った。
 苛ついて、腕をグイと引く。
 
「大人のくせに、我儘を言わないで下さい。だいたい、こんなことばっかして、椹木さんに申し訳ないとか思わないんですか?」
 
 逃げ回るために、他の男と関係を持つなんて――そう詰ると、兄は羞恥からか顔を赤らめた。
 
「……っ、うるさいな。お前に関係ないだろ!」
「あるに決まってるでしょう? これでも兄妹なんですから、放っておきはしません」
 
 いくら面倒でもな。
 と言外の言葉を察したのか、兄は思いきり腕を払った。
 
「ちょっと!」 
「……お前は、いいよ」
 
 兄は俯いたまま、言う。
 
「気楽な子供で。オメガであるせいで、捨てられるって怯えなくて済んで。アルファってだけで、人生うまく行くもんな。父さんにも愛されて、目をかけられて……っ」
 
 ――は?
 
 目を見開いた私に、兄は暗い声で叫んだ。
 
「でも、そんなんなら、放っておけよ。俺のことなんか放って、気楽に好きにやってろよ!」
 
 そう言い捨てて、兄は踵を返し、走り去っていく。
 でも、フラフラ走っているせいで、足取りは重い。すぐに走り出せば、余裕で捕まえられる――
 
「……」
 
 けど、足が重くて動けなかった。
 理性では、追いかけるべきって思ってんだけど。何ていうか……追いついたら、兄と喋んなきゃなんないのが、めちゃくちゃ億劫でさ。
 宍倉さんは、窺うように私を呼んだ。
 
「若様」
「……ごめん、宍倉さん。逃がしちゃいました」
 
 兄の姿は、完全に人ごみに紛れて見えなかった。宍倉さんは、気づかわし気な目をしたけれど、私が黙っているので察してくれたのか、「車に戻りましょう」とだけ言った。
 
 
 
 

 
 
 車に戻り、後部座席にだらける。
 反芻するのは、さっきの兄の言葉だった。
 
 ――なにが、愛されていいな、だ。鏡に向かって言ってろよ。
 
 どろどろとした感情が、胸の中を蠢く。 
 あの兄は……父が、どんな態度で自分に。私に接しているか。本当の本当に、わからないのだろうか。
 
「マジで、いい加減にしろよ……」
 
 苛々と爪を噛み締めると、ぱきりと音がして痛みが走った。
 
「……あぁ、もう」
 
 ピンクの部分にまで罅が入り、血が滲んでいた。忌々しい気持ちで口に含むと、「若様」と控えめな声がかかる。
 私は、ハッと顔を上げた。
 
「はい」
「若様、今日はもうお休みしましょう」
「……え? でも、予定が。兄を探さないといけないし。それに、課題も遅れてるし」
「いいえ。若様の予定は、もうありません」
 
 呆然としていると、宍倉さんは優しい声で続ける。
 
「ですから――私で良ければ、なんでも仰ってください。宍倉は、若様の力になりとうございます」
「……!」
 
 仏のような言葉に、胸が詰まる。
 心底、有難かった。こうして親切にしてくれる人がいるから――身内がどんなにクソでも、自分を嫌いにならなくて済む。
 私は、がばりと起き上がり、運転席に乗り出した。
 
「ありがとう、宍倉さん。じゃあ……もう少し、ドライブしてもらっていいですか?」
「はい、喜んで」
「それから……原稿展に行きたいです」
 
 おずおずと申し出ると……ミラー越しに宍倉さんの目が、やわらかく笑んだ。
 
 ――ありがとう、宍倉さん。
 
 私は助手席のヘッドレストに腕を回して、にっこりと笑い返した。
 
 
 
しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

冷酷なミューズ

キザキ ケイ
BL
画家を夢見て都会へやってきた青年シムは、「体液が絵の具に変わる」という特殊な体質を生かし、貧乏暮らしながらも毎日絵を描いて過ごしている。 誰かに知られれば気持ち悪いと言われ、絵を売ることもできなくなる。そう考えるシムは体質を誰にも明かさなかった。 しかしある日、シムの絵を見出した画商・ブレイズに体質のことがばれてしまい、二人の関係は大きく変化していく。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

婚約破棄?しませんよ、そんなもの

おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。 アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。 けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり…… 「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」 それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。 <嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

処理中です...