いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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最終章〜唯一の未来〜

二百五十九話【SIDE:陽平】

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「あ……」
 
 見覚えのある顔に、俺は声をあげる。 
 美しさよりも先に、鋭利さが際立つ顔立ち。その雰囲気のせいか、セーラー服を纒っていても、少年のように見える。
 間違えようもなく、晶の妹の――玻璃はりだった。
 
「あの、大丈夫ですか?」
 
 俺が答えないせいで、問いが重なる。慌てて、頷いた。
 
「ああ、ありがとう……」
「申し訳ありません。兄が大変みっともない真似を」
「あ、いや……こちらこそ」
 
 しゃんと頭を下げられ、バツが悪くなる。かなり年下の少女に、先の醜態を見られたのは、末代までの赤っ恥だった。
 
 ――助けてもらえて良かったけどな……男のプライドはズタズタだぜ……
 
 床にへたり込んでいるのも何なので、立ち上がる(手をかしてくれようとしたが、遠慮した)。
 よれたスーツを直していると、部屋の隅で「うう」と呻き声がした。
 
「……!」
 
 そっちを見て、目を瞠った。晶は、壁に張り付くように横たわり、こちらを睨みつけている。
 
「……お前、何を……」
「ああ、お兄様。正気が戻ったんですね」
 
 恨めしそうな兄に、妹は口端をつり上げ笑う。
 晶は恨めしそうに、脇腹を擦った。
 
「心にもないこと、言うなよ……思いきり蹴ったくせに!」
「やだな、急いで来たので勢い余っただけですよ。物盗りでも出たのかって、騒ぎでしたから」
「……」
 
 とことん悪びれない様子に、俺はあっけに取られる。晶の妹とは、パーティで顔を会わすくらいだったが、こういう性格だったのか。
 
「どうしたのだ!」
 
 すると、大声が近づいて来た。慌ただしい足音がしたかと思うと、晶の親父が部屋に駆け込んできた。後から、父さんと椹木も続いてくる。二人は部屋の中の様子を見て、驚きに目を瞠った。
 
「晶! ――これは一体どういうことだ!」
 
 床に倒れ込む晶に、蓑崎が血相を変えて掴みかかって来た。避ける間もなく胸倉を掴まれ、揺さぶられる。
 
「うぐっ」
「貴様……晶に危害を加えたな!? やはり本性を現したか!」
「蓑崎、手荒な真似は止せ! 何が起こったか、まず話を……」
 
 父さんが割って入るが、蓑崎は聞く耳を持たない。
 
 ――俺は何もやってねえ!
 
 がくがくと揺さぶられ、反論もままならない。蓑崎は動転しきっているのか、力加減が吹っ飛んでいる。
 
「父、さん……」
 
 肝心かなめの晶は、怯えたようにわが身を抱いている。その様は、どこから見ても被害者で――俺に襲い掛かって来たの、あいつのはずだよな? と、ぶん殴ってやりたい気持ちになる。
 
「違う! 俺は……」
 
 必死に声を張り上げた時、蓑崎が「うっ」と濁った悲鳴を上げた。
 見れば、青白い華奢な手が、俺の胸倉を掴む腕を、捻り上げている。
 
「お父様、やめて下さい」
「玻璃、貴様! 兄が辱められ、悔しくは無いのか!」
「ですから……兄さまのために申し上げているのです。……兄さまが、いつもの発作で陽平さんに助けを求められたんですよ。私が止めなければ、どうなっていた事か」
 
 晶の妹は声を潜めて、彼女の父に囁いた。……最も、間近にいるおれには聞こえているのだが。
 
「それに、城山様のことだから、録音されているやも。城山夫人といい、用心ぶかい方々ですから……訴えたら、恥をかくのは兄さまです」
「!」
 
 蓑崎は、ハッと息を飲み、俺を見た。
 俺は、録音なんかしちゃいなかったが――下から玻璃に目配せされ、あくまで否定も肯定もせず、意味深な表情を作って見せた。
 
「くっ! 小癪な!」
 
 蓑崎は、振り落とすように俺の襟を解放する。
 
 ――助かった……のか?
 
 何度も締め上げられた喉を撫でている俺の横を、椹木が通り過ぎていく。
 
「……晶君。大丈夫ですか?」
「……ぁ」
 
 椹木は、壁際にへたり込んでいる晶に近づき、傍に膝まづいた。
 正直、俺は少し椹木を尊敬した。――自分を裏切った婚約者に、あんな優しい声を掛けられるなんて。
 
「あっ……あ、俺……」
 
 晶は、顔面に朱を上らせ――おどおどと視線を揺らす。
 あからさまな振る舞いに、俺は情けなくなった。まるで晶らしくない、深窓の令嬢みたいな挙動……あいつの心の在処が一目瞭然だった。
 
 ――俺は一体、何を見てたんだ……
 
 げんなりしていると、椹木が晶に手を差し伸べた。
 
「立てますか?」
「あ……」
 
 晶は息を飲み、目にいっぱいの涙を浮かべると――思いきり振り払った。
 
「わあああっ」
 
 泣きながら廊下に飛び出して、走り去っていく。意味不明の行動に、俺はあっけに取られた。
 手を振り払われた椹木は、もっとわけわかんなかっただろう。
 
「晶……可哀そうに。おい。使用人に言って、あたたかいお茶でも差し入れてやれ」
 
 蓑崎は、娘に兄を案じるようにと命じる。なんとなく、反感を覚えたが、当の玻璃は慣れているらしく、静かに目を伏せる。
 
「……はい、わかりました。皆さま、失礼いたします。城山さん、兄が申し訳ありませんでした」
「ああ、いえ……」
 
 礼儀正しく頭を下げられて、疲れた笑みが浮かぶ。
 こんな年下の子に気遣われて、心から情けない。
 父さんにも挨拶をすませ、玻璃が足早に部屋を出て行く。
 
「では、話の続きをするか」
 
 傲岸に言い放つ蓑崎に、こめかみが引き攣った。それどころじゃねえよ――そう思ったのは、俺だけじゃなかったらしい。
 
「正気か? 一度ならず二度までも息子を貶めた挙句、謝罪も無しに。――不愉快だ。今日は帰らせてもらう」
「何?」
 
 父さんは蓑崎を無視し、椹木に頭を下げる。
 
「椹木さん、申しわけない。この続きは、またいずれ……」
「あ……はい。よろしくお願いいたします」
 
 なかば呆然としたまま、椹木は頭を下げた。さっきのショックが抜けきっていないらしい。
 
「行くぞ、陽平」
「……はい」
 
 父さんは俺の肩を叩き、部屋を出る。
 おろおろと、その背について行きながら――俺は蓑崎家を後にした。
 こうして、なんの発展も無い会合は、終わったのだった。
 
 
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