いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
250 / 360
第四章~新たな門出~

二百四十九話【SIDE:綾人】

しおりを挟む
「――なあ、大丈夫?」
 
 後部座席に乗り込むと、オレはすぐに朝匡に尋ねた。
 反対側のドアに凭れるように座っていた朝匡が、低い声で答える。
 
「何のことだ」
「強がるなよ。痛み止め、切れてきたんじゃねえの」
「そんなにヤワじゃない」
 
 ふい、とそっぽを向く包帯男に、オレは「はあ」とため息をついた。
 
「そこ、強がるとこじゃ無くね。ほんとさあ……」
 
 バッグから新しい水を取り出し、ずいと差し出した。座席を滑るように詰め寄ったオレに、朝匡はちょっと息を飲んでいる。
 
「せめて、水分は摂っといた方がいいよ。脱水になったら、目も当てられない」
「……」
 
 朝匡は何も言わずに水を取ると、口をつけた。普段より、幾分ゆっくりした動きに、やっぱり弱っているらしいことを悟る。
 
 ――そりゃ、そうだよな。あれだけやられれば……
 
 顔面だけじゃなくて、スーツの下だって酷い打撲になってるはずだ。熱だって、けっこう出てるんだろう。 
 オレは、朝匡がこの怪我を負ったときのことを回想した――
 
 
 



 
 あの日――成己が意識を失ったあと、すぐに救急車がやって来た。
 一緒に乗り込んでいった宏章さんは、振り返りもしなかった。ただ、「成、成」って血相を変えて、片時も離れたくないみたいに、成己に呼びかけていて。
 
「成己……宏章さん」
 
 ぐったりしてる友達とか、普段飄々としてる人の、必死な姿とか。でかいサイレンの音も相まって、怖くてたまんなくてさ。
 サイレンが遠ざかってからも、しばらく呆然としていたんだけど。
 
「綾人さん、大丈夫ですか」
「あ……」
 
 椹木さんに声を掛けられて、我に返った。
 オレのせいで成己を酷い目に遭わせたのに、こんなとこで呆けてる場合じゃない。
 
「すみません、オレをセンターに連れてってください!」
 
 たしか、椹木さんは車で来たって言ってたはず。今の時間だとバスはないし、タクシーで向かうお金もない。
 縋るように腕を掴むと、椹木さんはすぐに頷いてくれる。
 
「わかりました。すぐに向かいましょう」
「ぁ……ありがとうございます!」
 
 頭を下げるオレの肩を叩き、椹木さんは「車を回してきます」と店を出て行く。オレも外で待っていようと、出て行きかけたとき、
 
「待て、綾人。車なら俺が出す」
 
 ずっと黙っていた朝匡が、急に声を上げた。驚いて立ち止まると、腕を掴まれる。
 
「綾人、お前は俺の車に乗れ」
「……は?」
 
 何言ってんだコイツ。
 呆然としているオレをよそに、朝匡は早口に言い募った。
 
「センターには俺も行く。わざわざ彼の車に乗らずとも――」
「ふざけんな!」
 
 オレは、目の前にいる馬鹿を、思いきり突き飛ばした。
 
「この期に及んで、何言ってんだよ!? あんたのせいで、成己が怪我したんだぞ!」
「……わかってる。だが、それとこれとは別だろうが! お前の安全が――」
「そんなの、今はどうでもいいんだって! あんたって人は、何でそう頑固なんだ!?」
「……綾人!」
 
 もどかしげに、腕を引き寄せられて暴れる。足を蹴り飛ばすと、強引に押さえ込まれて唇を奪われた。こんなときなのに――と目の前が真っ赤になる。
 
 ――成己を傷つけておいて!!
 
 頬を、打っ叩いてやろうとした。 
 なのに――朝匡の肌から、太陽と焼けた砂のような、激しい香りが溢れていた。テニスコートの上で何度も嗅いだ懐かしい匂いに、脳みそが揺らされる。
 
 ――フェロモンで懐柔しようとしてるんだ。
 
 怒りを飛び越して、絶望に近い感情が胸を占めた。
 
「やめろ……!」
 
 朝匡がわからない。
 こんなことをしてまで、オレを思い通りにしようとする。
 心配を通り越して、もはやエゴに近い言い分に、さんざん振り回されてきた。今までずっと、それは屈折した優しさなんだと、思おうとしてきた。今日だって、話し合うつもりだったけれど――
 
「……ッ」
 
 朝匡が、顔を離した。
 その唇からは血が滴っている。オレの唇からも同じように……でも、こっちは返り血のようなものだ。
 思いきり噛みついてやったんだから。
 
「綾人、お前」
「離せつってんだろ!」
 
 怒鳴りつけてやると、朝匡は僅かに目を瞠る。オレが抵抗したのが、そんなに意外なんだろうか。
 
 ――オメガはアルファに逆らえねえって、お前は思ってるもんな。

 乾いた笑いが漏れる。 
 ふざけやがって。体の両脇で、拳を強く握りしめた。
 
「大嫌いだ……あんたなんか」
「!」
 
 ごうごうと胸を焼く感情にそそのかされ、強い言葉が口をついて出る。すぐに怒鳴りつけてくるかと思ったのに、朝匡は何も言わなかった。
 
「……?」
 
 相手が大人しいと、たじろいでくるのがオレだ。自分の放った言葉の、思いがけない効果に後じさっていると……店の扉が開いた。
 
「綾人さん、野江さん! 行きましょう」
 
 息せききって飛び込んできた、椹木さんが言う。
 オレは我に返った。
 
「……離せよ」
 
 まだ掴まれたままだった腕を振り、椹木さんの所へ向かう。
 
「綾人さん、何かあったのですか」
「いえ。早く行きましょう!」
 
 もの言いたげな椹木さんを促し、店を出る。
 閉まるドアの隙間から、朝匡が立ち尽くしているのが見えた。
 
 
しおりを挟む
感想 203

あなたにおすすめの小説

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

妹を侮辱した馬鹿の兄を嫁に貰います

ひづき
BL
妹のべルティシアが馬鹿王子ラグナルに婚約破棄を言い渡された。 フェルベードが怒りを露わにすると、馬鹿王子の兄アンセルが命を持って償うと言う。 「よし。お前が俺に嫁げ」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ  前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。  悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。  逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位 2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位 2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位 2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位 2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位 2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位 2024/08/14……連載開始

モブらしいので目立たないよう逃げ続けます

餅粉
BL
ある日目覚めると見慣れた天井に違和感を覚えた。そしてどうやら僕ばモブという存存在らしい。多分僕には前世の記憶らしきものがあると思う。 まぁ、モブはモブらしく目立たないようにしよう。 モブというものはあまりわからないがでも目立っていい存在ではないということだけはわかる。そう、目立たぬよう……目立たぬよう………。 「アルウィン、君が好きだ」 「え、お断りします」 「……王子命令だ、私と付き合えアルウィン」 目立たぬように過ごすつもりが何故か第二王子に執着されています。 ざまぁ要素あるかも………しれませんね

言い逃げしたら5年後捕まった件について。

なるせ
BL
 「ずっと、好きだよ。」 …長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。 もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。 ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。  そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…  なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!? ーーーーー 美形×平凡っていいですよね、、、、

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

花婿候補は冴えないαでした

BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

処理中です...