いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
225 / 356
第四章~新たな門出~

二百二十四話

しおりを挟む
 ――どうして椹木さんがここに……?
 
 ぼくは、和やかに挨拶を交わしつつ、椹木さんのまわりが気になって仕方なかった。
 だって、伴侶のいるアルファがセンターに来る用事なんて、一つくらいやんね?
 この近くに、”例のあの人”がいるんやないかって、気が気やない。なんたって、今会いたくない人ナンバーワンやから。
 
「あのう、椹木先生。今日はお一人なんですか」
 
 と、綾人がずばりと切り込んでくれた。すごい綾人……と内心で手を合わせていると、椹木さんは穏やかに答える。
 
「はい。本日は、私用ではありませんので」
 
 それから、中谷先生に目を合わせる。先生はにっこりと笑って、頷いた。
 
「椹木様は、センターにとってなくてはならない方ですから。本日も、素晴らしいお話を持ってきてくださってね」
「いえ、そんな。こちらこそ、中谷先生にはいつもお世話になっております」
 
 お二人のやり取りに、ぼくははっとした。
 そうでした。椹木さんのお仕事は、製薬会社の所長さんやってこと、すっかり失念してた。
 
 ――蓑崎さんの婚約者さんやってインパクトが、強すぎて……
 
 たらりと冷や汗をかく。長年の恩人の経歴をうっかりしてしまうなんて、恐るべき蓑崎さんへの苦手意識……!
 反省しつつ、先生と椹木さんを見比べる。――二人が小脇に抱える四角い鞄に、小さいころから何度も見た光景が、ふと思い出された。
 
『成己くん、ごめんね。少しだけ待っていてくれるかい?』
 
 中谷先生を訪ねてくる、きっちりしたスーツを着た男性たち。場所は診察室だったり、詰所だったりまちまちで……スーツの人も毎回同じ人じゃなかったけど。
 いつも、四角い鞄を持った人たちが来ると……お薬が変わってん。
 
 ――……素晴らしいお話って、ひょっとして新しいお薬かな? もし、新しい抑制剤だったら……たくさんのオメガにとって、朗報になるに違いない。
 
 なんて色々想像して、期待に胸がふくらんだ。
 
 
 それからね。中谷先生は、椹木さんを送るところだったそうなので、お別れしたんよ。
 二人の背を見送ってから、ぼく達も図書室に向かった。ぼくらの他に利用者はいなくて、のんびりと利用させてもらって。綾人は勉強、ぼくは読書とマイペースに時間を過ごす。
 
「なあ、成己。これ教えて」
「これは……ええと。ちょっと待ってね、参考書持ってくる」
 
 図書室のありがたいのは、解らへんことがあってもすぐに調べられることやね。
 ぼく達は、宏ちゃんから連絡が来るまで、そこで勉強に没頭した。
 
「うーん、捗った~」
「綾人、すっごいテキスト進んだよね」
「おう!」
 
 ロビーに向かう綾人の足取りは、弾むみたいやった。
 和やかに談笑しながら歩いていると、「成ちゃん」と呼び止められた。振り返ると、涼子先生が手を振りながら、駆け寄ってきはるとこやってん。
 
「涼子先生!」
「ああ、良かった。帰るまでに間に合って……」
 
 胸を押さえて、肩で息をする先生にぼくも駆け寄った。
 
「先生、走って来てくれたん? ありがとうねえ」
 
 今日は忙しくしてるって、他の職員さんから聞いてたから、嬉しい。
 にこにこしながら背中を擦っていると、先生は「おおきに」と身を起こす。
 
「もう大丈夫や。――野江様、お騒がせしてしまって申し訳ないです」
「あっ、いえいえ! 全然すよ」
 
 綾人は、ぶんぶんと頭を振る。ぼくは、綾人に涼子先生を紹介した。綾人はすぐに笑顔になり、先生と握手をかわした。
 
「ああ、この方が噂の! はじめまして、田島綾人です」
「ご丁寧にありがとうございます。立花涼子と申します、成己くんがお世話になってるそうで……」
「いやいや、こちらこそ!」
 
 和やかに談笑するふたりを、ぼくは嬉しい気持ちでみくらべた。
 涼子先生は、ぼくがお世話になって来たお姉ちゃん先生で、綾人はぼくのお兄ちゃんで友達やから。大切な人に大切な人を紹介できるって、いいね。
 
「涼子先生、めっちゃ忙しいって聞いたよ~。新しい子を受け持つって」
「そうやねん! もう目がまわりそうやわ。って言うのも、成ちゃん以来の零歳児の受け持ちでな。しかも、成ちゃんときと同じ居住区やねんで」
「ええっ、そうなん! すごい偶然やねえ」
「せやろ! 私も驚いたわ」
 
 驚きに声を上げると、涼子先生は頬に目いっぱいの笑みを浮かべた。
 
「赤ちゃん来る前に、壁紙も床もみーんな張り直さなあかんやろ。そのチェックが大変で……」
「そうなんやあ。ぼくのときも、大忙しやったて言うてたもんねぇ」
「えっ」
 
 びっくりしてる綾人に、ぼくは説明する。
 親兄弟以外のオメガのフェロモンに、ストレスを感じるオメガもいる。やから、センターでは居住者が入れ替わるたびに、居住区を大改装するんやで。
 
 ――『たくさんの人が、大事なお金と時間をかけて作ってくれたお部屋やからね。大切に住むんやで』
 
 って教えてもらったときは、身も引き締まる思いでした。
 
「そうなんだ……」
「ええ、もうくたびれますわ。まあ、楽しみなんが一番ですけどね。任せてもらえるなんて、有難いことやし」
「ふふ。その子も、涼子先生が教育係でラッキーやわ。ぼく、ほんまに幸せやったなーって思うもん」
「成ちゃん……おおきに」
 
 声を滲ませた先生につられて、ぼくもちょっと目が潤んでしもた。
 
「ほな、成ちゃん。気をつけて帰りや! 綾人さん、お会いできて良かったです。失礼しますね!」
「はい、さようなら!」
「こちらこそ!」
 
 ぎゅっと手を握って、来たときと同じように慌ただしく、先生は戻っていった。弾むポニーテールを見送っていると、綾人に肩を引き寄せられた。
 
「わっ、どうしたん」
「……うん」
 
 なんだかしょんぼりしているように見えて、ぼくは目を丸くする。肩に寄せられた頭を、ぽふぽふと撫でる。
 
「ごめんね。疲れちゃった?」
「いや。なんかごめん……オレ、部屋見たいなんて言って」
「あっ、ううん。ごめんね、話しが流れてしもてて!」
 
 お家に帰ったら、アルバムがあるから見て貰えるやろか。けっこうお気に入りのインテリアやったから、興味持ってもらえてうれしい――そう言うと、がばって抱きしめられる。
 
「あ、綾人?」
「……オレ、頑張るわ!」
 
 顔を上げた綾人の瞳に炎が燃えていて、ぼくはちょっと狼狽える。
 
「なんでっ? もう頑張ってるよ」
「サンキュ! でも、もう決めた……いっぺん、朝匡と話す!」
 
 突然の、決意の籠った宣言に、ぼくは「ええっ!」と叫んでしまった。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

彼を追いかける事に疲れたので、諦める事にしました

Karamimi
恋愛
貴族学院2年、伯爵令嬢のアンリには、大好きな人がいる。それは1学年上の侯爵令息、エディソン様だ。そんな彼に振り向いて欲しくて、必死に努力してきたけれど、一向に振り向いてくれない。 どれどころか、最近では迷惑そうにあしらわれる始末。さらに同じ侯爵令嬢、ネリア様との婚約も、近々結ぶとの噂も… これはもうダメね、ここらが潮時なのかもしれない… そんな思いから彼を諦める事を決意したのだが… 5万文字ちょっとの短めのお話で、テンポも早めです。 よろしくお願いしますm(__)m

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

もう、いいのです。

千 遊雲
恋愛
婚約者の王子殿下に、好かれていないと分かっていました。 けれど、嫌われていても構わない。そう思い、放置していた私が悪かったのでしょうか?

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...