いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第四章~新たな門出~

二百十二話【SIDE:陽平】

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 婚約破棄を言い渡した日のことだ。 
 
――『行き違いがあるのかもしれへんよ? 蓑崎さんも、結婚したいとまで、思った人なんやし……』
 
 成己は身投げでもするように、必死な顔で話していた。――どうか考え直して欲しい、晶のことは婚約者に任せるべきだと。
 当時は、自己保身にしか思えなくて、ただ煩かった。今さら何を言われても、俺は心を変えるつもりはなかったし。耳を貸さないことが、決意の表れだとさえ思っていたから。
 
「……あ」
 
 はっ、と目を見開いた。
 ……ひょっとして、成己は何か解っていたのだろうか。
 何か、オメガの勘で、俺に見抜けない晶の嘘を、感じ取っていたのか。
 思えば、成己はいつも、晶のことを気遣っていたじゃねえか。――泊まりに来ても、いつも嫌な顔ひとつしなかった。快く飯を作り、洗濯をして、大学に送り出してくれた。
 そんなあいつが、「晶を許せない」と言ったことを、もっと重く受け止めてやるべきだったんじゃないか。
 
 ――『陽平、考え直して。別れたくないよ……』
 
 ひたすらに悲しそうな顔が、甦ってくる。あの日成己は、晶と俺の関係を疑っていながら――必死に、俺に縋りついてきた。プライドを捨てても、俺を失いたくない、と。
 
「成己……」
 
 胸がぎゅっ、と締め付けられる。
 
 ――成己は、なにも変わっていなかったんだ。
 
 晶が嘘だったと分かった今、ねじ曲がっていた成己の像が、もう一度クリアになっていく。薄情に思えていたあいつの言葉が、真っすぐに胸に届いた。
 晶に騙されて、あいつのことを信じなかったことが、痛いほど悔やまれた。あいつは、きっと……晶の欺瞞に気づいて、俺のことを心配していたんだろうに。
 俺は、ノイズに振り回されて、信じなかった。
 
 ――そうだ、野江とのことを疑っていたから。お前こそ、自分を棚に上げて何言ってんだって……
 
 ごろ、と寝返りをうつ。膝を抱えて、呻いた。
 本当はもう、わかっている。
 あのとき成己は……野江に指一本、触れられていなかったって。
 
 ――『陽平、恥ずかしいよ……』
 
 羞恥に震え、今にも逃げ出したそうにしていた。あの日、俺の下で震えていた成己のカラダ――
 
「……っ」
 
 どこもかしこも綺麗で、触れられた痕なんて見当たらなかった。足を開かせて、丹念に確かめた秘所も……無垢そのもので。
 あの体が、他者の蹂躙を受けているはずがなかった。
 俺はアルファだ。どれだけ丹念に、痕跡を消しても――体内に他人を受け入れたかどうかくらい、簡単に嗅ぎ取ってしまうんだから。
 
「……俺は……」
 
 間接が白くなるほど、手を握りしめる。
 成己は怯えて、震えながら――従順に、俺に身を差し出していた。奥手でお堅いあいつが、どれだけ勇気を絞ったのか……今さらながらに、思い知る。 
 なのに俺は、怯えを拒絶だと思い、あいつを跳ねのけてしまった。
 
 ――……馬鹿だな、俺は……
 
 成己の泣き顔が浮かんで、胸が締め付けられる。
 野江と関係を持っていると、思いたかったのは……晶を信じたかったからかもしれない。成己が悪いと思わなければ、晶を信じ切ることは出来なかった。
 まして――成己を憎んで、突き放す事なんて出来なかったはずだ。
 
「……はは」
 
 今さら、気づいたって遅えよ。
 体から力が抜けていき、床にだらんと伸びた。
 成己はもう、野江と結婚しちまったんだ。
 
 ――そういや、センターに行ったほうがいいのかって、成己に泣かれたな……
 
 そんなことは、考えてなかった。成己に不幸になれなんて、思ってないけれど――あいつが、他の男のものになることが、耐えられなかっただけだ。
 
『陽平、おはよう』
 
 俺の隣で嬉しそうに目覚めるときの……笑顔。あれが、野江のものになるなんて、今でも信じられない。 
 ……手放すんじゃなかった。
 後悔で胸が苦しくなって、寝返りをうつ。すると――クローゼットが目に入った。
 成己への誕生日プレゼントがある。
 
――『ひどいよ、陽平……!』
 
 ぼろぼろと涙をこぼして、怒っていた成己を思い出す。
 あの時のあいつは。野江の妻らしく上品な絽を纏いながら……俺に必死に訴えていた気がする。――「どうして、わかってくれないんだ」って。
 野江の元に居て、なお……あいつの心には俺の影がある。
 
「……!」
 
 俺は、がばりと身を起こした。
 成己のプレゼントをつかみ取り、部屋を飛び出した。
 
 ――行かないと……!
 
 がむしゃらに走り、成己のもとへ向かう。
 ずっと、成己のことを誤解していた。今更、どうにもならねえかもしれねえけど……あいつに、きちんと想いを伝えたかった。
 俺だって、誕生日を楽しみにしていた。お前と、結婚するつもりで……伝えたい言葉があったことを――
 
「成己……!」
 

 あいつが野江の元にいるのは、解っていた。
 何度か連れて行ってもらった、あの男の店まで走り続け――着いた頃には、閑静な住宅街に夕焼けが差していた。

「あいつの店は……」

 道筋を辿ってゆくと、笑い声が聞こえてきた。

「じゃあ、また来るよ」
「ありがとうございますっ」

 はっと息を飲む。あの柔らかな声は………会いたかった奴の顔がすぐに浮かんだ。

――成己!

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