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第四章~新たな門出~
百九十話
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実際、夢のような生活やと思う。
おはようからお休みまで、宏ちゃんと一緒にいられる。
宏ちゃんの家のことをして、お仕事のお手伝いをして。
余暇にはふたりで映画を見たり、美味しいものを食べに行ったり。宏ちゃんがお仕事で外出するときは、のんびり読書をしたりもする。
「成、おいで」
宏ちゃんは、どれだけ忙しくても、ぼくのことを毎日愛してくれた。「これが俺の活力だから」って、優しく笑って。
……夢みたいやった。
たった一月前……ううん、今まで考えもしなかった生活やから。
夜中に目が覚めたときとか、センターのお部屋に寝ているような錯覚をしたりする。隣で眠っている宏ちゃんを見て、「現実」やって、安心するん。
「宏ちゃん……」
間接照明に照らされた、綺麗な顔を見つめていると、ふいに泣きたくなった。
――幸せで怖いなんて。ぼく、弱虫やね……
広い胸に顔を寄せると、眠ったまま、抱き寄せてくれる。
幸せで胸が痛かった。
宏ちゃんとのひと月が終わり、八月が始まる。
その日、ぼくと宏ちゃんは、食料品の買い出しに出かけていた。
「宏ちゃん、車出してくれてありがとう」
「何言ってんだ、当たり前だろ。俺こそ、いつもありがとうな」
宏ちゃんはハンドルを操りながら、大らかに言う。
後部座席に、一週間分の食材と、日用品が積まれてた。
ぼくは今、抑制剤を止めているので、外出には宏ちゃんが付いてきてくれるん。宏ちゃんは「俺が行くよ」と言ってくれるけど、全部お任せするのは、心苦しくて。
――とはいえ、ぼくが行くのでも、お仕事の手を止めてしまうのに、違いはないよね……
むん、と唸る。
お買い物じたいは、好きなんやけど。配達サービスの利用とか、考えたほうがいいのかな……?
そういえば、綾人のご実家は配達サービスを使ってたって聞いた。
今度教えてもらおうかな、と考えていたその日の午後――
綾人が、うさぎやに訪ねてきてくれたんよ。
悲しいことに……のんびりお話するような状況やなかってんけど。
「オレはもう限界だ!」
顔を合わせるなり、わっと叫んだ綾人に飛びつかれ、ぼくは目を白黒した。
ともかく、ぽんぽんと背中を叩く。
「ど、どうしたん? なにがあったん、綾人」
「聞いてくれよ、朝匡のやつが!」
がばっと顔を上げた綾人は、かっかしてる。猫のように勝ち気な瞳には、涙が滲んでいた。
――こ、これはただ事やなさそう……
ごくり、と唾を飲んだとき、背後から「まあまあ」と声がした。
「綾人君。コーヒーを入れるから落ち着いて。座って、ゆっくり話そう」
成り行きを見守っていた宏ちゃんが、苦笑して椅子を勧めた。
「……何があったん? 綾人」
お店のテーブルに向かい合って、さっそくぼくは尋ねた。
「うう……オレ、もう朝匡とやってけねえよ」
「へ?!」
綾人は、悲壮な顔で叫ぶ。ぼくはぎょっとして、身を乗り出した。
「ど、どういうこと?! どうして?」
「どうもこうも! あいつ、勝手すぎんだ。オレのバイト、勝手に辞めさせやがったんだぞっ」
「えぇっ」
綾人は、悔しそうに拳を握ってる。――バイトしてたん、初耳や……と言うのは置いといて。
「お、お兄さんが勝手に、綾人をクビにしたってこと?」
「そう! どこから知ったのか、オレのバイト先に勝手に電話してさ。もう二度と行くなって」
「ひええ」
な、なんて強引な。
絶句していると、綾人はさらに続けた。
「せっかく、店長さんのご厚意だったのに。あんな一方的に、失礼だろ。せめて代わりが見つかるまでって言ったら、オレのこと「浮気者」だって言うんだぞ。――何だそりゃ?!」
「うわ……兄貴……」
宏ちゃんが呆れ声で、ぼそりと呟く。ぼくは、綾人の手を握った。
「……辛かったね。大丈夫?」
「成己ぃ……」
大好きなお兄さんに、そんな風に言われて。すごく悲しかったに違いない。
背中を擦ると、綾人の瞳に涙が盛り上がる。
「……オレ、あいつのとこに帰りたくねえ。……しばらく、泊めてくんねえかな」
「綾人」
「頼む! 新婚の二人には悪いと思う。でも、オレの実家はあいつのテリトリーだし……恩は返すから!」
ぺこぺこと頭を下げられ、慌ててしまう。
ぼくとしては、綾人のお願いを聞いてあげたい。宏ちゃんを見つめると、そっと肩を抱かれた。
「宏ちゃん」
「客間に風を入れてくるよ。成、綾人くんの話を聞いてあげてくれるか」
「あ……!」
頼もしい笑みを浮かべる宏ちゃんに、ぱっと心が明るくなる。
「宏章さん、成己。ありがとう……!」
綾人がやっと、明るい顔で笑った。
おはようからお休みまで、宏ちゃんと一緒にいられる。
宏ちゃんの家のことをして、お仕事のお手伝いをして。
余暇にはふたりで映画を見たり、美味しいものを食べに行ったり。宏ちゃんがお仕事で外出するときは、のんびり読書をしたりもする。
「成、おいで」
宏ちゃんは、どれだけ忙しくても、ぼくのことを毎日愛してくれた。「これが俺の活力だから」って、優しく笑って。
……夢みたいやった。
たった一月前……ううん、今まで考えもしなかった生活やから。
夜中に目が覚めたときとか、センターのお部屋に寝ているような錯覚をしたりする。隣で眠っている宏ちゃんを見て、「現実」やって、安心するん。
「宏ちゃん……」
間接照明に照らされた、綺麗な顔を見つめていると、ふいに泣きたくなった。
――幸せで怖いなんて。ぼく、弱虫やね……
広い胸に顔を寄せると、眠ったまま、抱き寄せてくれる。
幸せで胸が痛かった。
宏ちゃんとのひと月が終わり、八月が始まる。
その日、ぼくと宏ちゃんは、食料品の買い出しに出かけていた。
「宏ちゃん、車出してくれてありがとう」
「何言ってんだ、当たり前だろ。俺こそ、いつもありがとうな」
宏ちゃんはハンドルを操りながら、大らかに言う。
後部座席に、一週間分の食材と、日用品が積まれてた。
ぼくは今、抑制剤を止めているので、外出には宏ちゃんが付いてきてくれるん。宏ちゃんは「俺が行くよ」と言ってくれるけど、全部お任せするのは、心苦しくて。
――とはいえ、ぼくが行くのでも、お仕事の手を止めてしまうのに、違いはないよね……
むん、と唸る。
お買い物じたいは、好きなんやけど。配達サービスの利用とか、考えたほうがいいのかな……?
そういえば、綾人のご実家は配達サービスを使ってたって聞いた。
今度教えてもらおうかな、と考えていたその日の午後――
綾人が、うさぎやに訪ねてきてくれたんよ。
悲しいことに……のんびりお話するような状況やなかってんけど。
「オレはもう限界だ!」
顔を合わせるなり、わっと叫んだ綾人に飛びつかれ、ぼくは目を白黒した。
ともかく、ぽんぽんと背中を叩く。
「ど、どうしたん? なにがあったん、綾人」
「聞いてくれよ、朝匡のやつが!」
がばっと顔を上げた綾人は、かっかしてる。猫のように勝ち気な瞳には、涙が滲んでいた。
――こ、これはただ事やなさそう……
ごくり、と唾を飲んだとき、背後から「まあまあ」と声がした。
「綾人君。コーヒーを入れるから落ち着いて。座って、ゆっくり話そう」
成り行きを見守っていた宏ちゃんが、苦笑して椅子を勧めた。
「……何があったん? 綾人」
お店のテーブルに向かい合って、さっそくぼくは尋ねた。
「うう……オレ、もう朝匡とやってけねえよ」
「へ?!」
綾人は、悲壮な顔で叫ぶ。ぼくはぎょっとして、身を乗り出した。
「ど、どういうこと?! どうして?」
「どうもこうも! あいつ、勝手すぎんだ。オレのバイト、勝手に辞めさせやがったんだぞっ」
「えぇっ」
綾人は、悔しそうに拳を握ってる。――バイトしてたん、初耳や……と言うのは置いといて。
「お、お兄さんが勝手に、綾人をクビにしたってこと?」
「そう! どこから知ったのか、オレのバイト先に勝手に電話してさ。もう二度と行くなって」
「ひええ」
な、なんて強引な。
絶句していると、綾人はさらに続けた。
「せっかく、店長さんのご厚意だったのに。あんな一方的に、失礼だろ。せめて代わりが見つかるまでって言ったら、オレのこと「浮気者」だって言うんだぞ。――何だそりゃ?!」
「うわ……兄貴……」
宏ちゃんが呆れ声で、ぼそりと呟く。ぼくは、綾人の手を握った。
「……辛かったね。大丈夫?」
「成己ぃ……」
大好きなお兄さんに、そんな風に言われて。すごく悲しかったに違いない。
背中を擦ると、綾人の瞳に涙が盛り上がる。
「……オレ、あいつのとこに帰りたくねえ。……しばらく、泊めてくんねえかな」
「綾人」
「頼む! 新婚の二人には悪いと思う。でも、オレの実家はあいつのテリトリーだし……恩は返すから!」
ぺこぺこと頭を下げられ、慌ててしまう。
ぼくとしては、綾人のお願いを聞いてあげたい。宏ちゃんを見つめると、そっと肩を抱かれた。
「宏ちゃん」
「客間に風を入れてくるよ。成、綾人くんの話を聞いてあげてくれるか」
「あ……!」
頼もしい笑みを浮かべる宏ちゃんに、ぱっと心が明るくなる。
「宏章さん、成己。ありがとう……!」
綾人がやっと、明るい顔で笑った。
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