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第三章~お披露目~
百七十六話
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キス、される。
なんで、陽平がそんなことをしようと思ったか、わからない。呆然としながら、ぼくの心にあったのは、宏兄の笑顔だけやった。「成、好きだよ」って、なんども慈しまれたときのこと……
――いやや!
強く思ったとき、ぐいと後ろに引き寄せられた。
「……!」
唇を、あたたかなものに覆われていた。そう気づいた途端、涙が溢れる。――怖かったからとちゃうの。
背中をつつむ温もりと、優しい森の香りに気がついたから。
「何をしてるんだ、城山くん」
「……お前!」
低い、静かな声で問う宏兄に……陽平が息を飲んだ気配。
宏兄の手のひらの中で、ぼくは震える息を吐いた。
「ひろにい……」
「ごめんな、成。遅くなっちまった」
宏兄はそう言って、ぼくを抱きしめてくれる。背中越しに、宏兄の激しい鼓動と、湿り気を帯びた熱を感じた。こんなになって――どれだけ、探し回ってくれたんやろう?
きゅう、と胸が甘く痛んだ。
「ううっ……」
「成。大丈夫だよ」
唇を覆う大きな手に、ぼくの涙が伝う。
――宏兄……来てくれた……!
胸の前に回った腕にしがみつくと、宏兄は抱き返してくれた。
胸の奥から、ほわほわと安心感が溢れて……子どもみたいに涙が止まらない。
「……ちっ」
陽平が、忌々しそうに舌打ちする。そのまま、去って行こうとするのに――宏兄が「待て」と制止した。
「城山くん。俺は言ったよな? 成を苦しめるのは止めてくれと」
「……うるせぇな。"僭越な真似は止せ"とも言ったはずだぜ。俺がどうしようが、あんたに止める権利はない」
冷たい声で、陽平は吐き捨てた。
「成は、俺の妻だ。二度と君に触れさせない」
宏兄の声には、静かな怒りがあった。
ぼくの夫として、怒ってくれているんや。真剣な横顔を、感激の思いで見つめていると……
「……あっ」
突然――肌がぴり、と痛んだ。静電気を浴びたような感覚に、驚く。
――陽平……?
陽平は火のような眼で、ぼくを睨みつけている。――紅茶色の瞳の、瞳孔が縦に切れていた。
聞いたことがある。アルファが激怒するとそうなるって。
こんなに怒った陽平は、初めてや。
「――痛っ……!」
肌が切れそうなほど、空気が痛い。宏兄が抱きしめてくれていなければ、気絶していたかもしれない。
宏兄は、厳しい声で言った。
「まったく……成がいるのにやめないか」
ふわり。――宏兄から溢れ出した森の香りが、ぼくを包みこむ。
喉を焼くほどの薔薇の香りが遠のいていき……ほう、と息をついた。
「大丈夫か? かわいそうにな……」
「う、うん……」
よしよし、と頭を撫でられる。
「城山くん、俺は乗らないよ。それより大切なものがあるからな」
「宏兄……?」
「行こう、成」
さっぱりと言い切ると、宏兄はぼくの肩を抱き、踵を返した。ぼくは、おろおろしながらも、宏兄についていく。
「……」
――陽平、めちゃくちゃ怒ってた。どうして……
背後が気になって、肩越しに、一度だけ陽平を振り返る。
すると偶然か、目が合ってしまう。唇が、獰猛にしなった――次の瞬間、
「とことん、お目出度いやつだな、あんた。そいつが自分のものだと思ってんのか」
火を吐くように、陽平が怒鳴った。宏兄は足を止めない。
陽平は、怒鳴り続ける。
「そいつはなぁ、俺に泣いて縋ったんだよ!「何でもするから捨てないで」って、裸になってな……!」
陽平の言葉は、鋼鉄のように鋭く胸を貫いた。
「……ぁ……」
――宏兄が、ぴたりと足を止めた。
「は……ざまあねえ。お前がそいつの何を知ってる? 俺は知ってるぜ……お前が知らないトコロもな」
勝ち誇ったように、陽平が笑っている。
ぼくは……足の爪先から、揺さぶられるような震えが起るのを感じた。
――『お願いだから、側にいて……!』
惨めな自分の声が、甦ってくる。
うっと喉がひしゃげた。冷たい涙が、頬を伝う。
……どうしよう。
――知られちゃった。宏兄に。
惨めで、みっともない。ふしだらな真似をしたぼくを……。
知られたくなかったのに。
「うっ……」
燃えるような羞恥に引き裂かれ、涙が止まらない。全身の血が、目から流れ出してくみたいやった。
「そいつは、そういう奴なんだ。覚えとけ、あんたにすることは、俺との"繰り返し"なんだってな!!」
呪詛のような言葉が、響く。陽平の声は刃物みたいに、ぼくをずたずたにする。
――消えたい。
呆然と泣きながら、ぼくは背を丸めた。
すると……ふわり、と体が軽くなる。
「……!?」
宏兄に抱き上げられていた。灰色がかった瞳が、間近にある。
「……んっ」
唇が触れあった。しょっぱい涙を吸うように……宏兄は、ぼくにキスをする。
優しく包まれるうちに――陽平の声さえ、遠くなってく。
「ひろにい……?」
「成。好きだよ」
目を見開いていると、宏兄は優しくほほ笑んだ。ぎゅ、と宝物のように抱きしめられる。
「俺の奥さん。本当に大好きだ……」
「……っ」
甘い囁きに、心が溶けてく。
大きな胸の温もりに、じわりと涙が溢れる。――今度は、あったかい。ぼくは、宏兄に飛びついた。
「わあ……!」
「成。よしよし……」
わあわあ泣くぼくを、宏兄は抱きとめてくれる。森の香りのする胸に顔を埋め、泣いていると――宏兄が言った。
「……残念だよ、城山くん」
「てめえ……」
静かで、低い……今まで聞いたことがないくらい、怒った声。
「君は――成が、どれだけの勇気と愛情を、君に捧げようとしたか。わかりもせず、俺を殴る材料にしたんだな」
「……!」
陽平が、息を飲む。宏兄は、ふと息を吐いた。――笑ったように。
「俺は殴らない。ガキを殴る趣味はないんでね」
それだけ言い、ぼくを抱きしめると、歩き出す。
二度と足を止めなかった。
なんで、陽平がそんなことをしようと思ったか、わからない。呆然としながら、ぼくの心にあったのは、宏兄の笑顔だけやった。「成、好きだよ」って、なんども慈しまれたときのこと……
――いやや!
強く思ったとき、ぐいと後ろに引き寄せられた。
「……!」
唇を、あたたかなものに覆われていた。そう気づいた途端、涙が溢れる。――怖かったからとちゃうの。
背中をつつむ温もりと、優しい森の香りに気がついたから。
「何をしてるんだ、城山くん」
「……お前!」
低い、静かな声で問う宏兄に……陽平が息を飲んだ気配。
宏兄の手のひらの中で、ぼくは震える息を吐いた。
「ひろにい……」
「ごめんな、成。遅くなっちまった」
宏兄はそう言って、ぼくを抱きしめてくれる。背中越しに、宏兄の激しい鼓動と、湿り気を帯びた熱を感じた。こんなになって――どれだけ、探し回ってくれたんやろう?
きゅう、と胸が甘く痛んだ。
「ううっ……」
「成。大丈夫だよ」
唇を覆う大きな手に、ぼくの涙が伝う。
――宏兄……来てくれた……!
胸の前に回った腕にしがみつくと、宏兄は抱き返してくれた。
胸の奥から、ほわほわと安心感が溢れて……子どもみたいに涙が止まらない。
「……ちっ」
陽平が、忌々しそうに舌打ちする。そのまま、去って行こうとするのに――宏兄が「待て」と制止した。
「城山くん。俺は言ったよな? 成を苦しめるのは止めてくれと」
「……うるせぇな。"僭越な真似は止せ"とも言ったはずだぜ。俺がどうしようが、あんたに止める権利はない」
冷たい声で、陽平は吐き捨てた。
「成は、俺の妻だ。二度と君に触れさせない」
宏兄の声には、静かな怒りがあった。
ぼくの夫として、怒ってくれているんや。真剣な横顔を、感激の思いで見つめていると……
「……あっ」
突然――肌がぴり、と痛んだ。静電気を浴びたような感覚に、驚く。
――陽平……?
陽平は火のような眼で、ぼくを睨みつけている。――紅茶色の瞳の、瞳孔が縦に切れていた。
聞いたことがある。アルファが激怒するとそうなるって。
こんなに怒った陽平は、初めてや。
「――痛っ……!」
肌が切れそうなほど、空気が痛い。宏兄が抱きしめてくれていなければ、気絶していたかもしれない。
宏兄は、厳しい声で言った。
「まったく……成がいるのにやめないか」
ふわり。――宏兄から溢れ出した森の香りが、ぼくを包みこむ。
喉を焼くほどの薔薇の香りが遠のいていき……ほう、と息をついた。
「大丈夫か? かわいそうにな……」
「う、うん……」
よしよし、と頭を撫でられる。
「城山くん、俺は乗らないよ。それより大切なものがあるからな」
「宏兄……?」
「行こう、成」
さっぱりと言い切ると、宏兄はぼくの肩を抱き、踵を返した。ぼくは、おろおろしながらも、宏兄についていく。
「……」
――陽平、めちゃくちゃ怒ってた。どうして……
背後が気になって、肩越しに、一度だけ陽平を振り返る。
すると偶然か、目が合ってしまう。唇が、獰猛にしなった――次の瞬間、
「とことん、お目出度いやつだな、あんた。そいつが自分のものだと思ってんのか」
火を吐くように、陽平が怒鳴った。宏兄は足を止めない。
陽平は、怒鳴り続ける。
「そいつはなぁ、俺に泣いて縋ったんだよ!「何でもするから捨てないで」って、裸になってな……!」
陽平の言葉は、鋼鉄のように鋭く胸を貫いた。
「……ぁ……」
――宏兄が、ぴたりと足を止めた。
「は……ざまあねえ。お前がそいつの何を知ってる? 俺は知ってるぜ……お前が知らないトコロもな」
勝ち誇ったように、陽平が笑っている。
ぼくは……足の爪先から、揺さぶられるような震えが起るのを感じた。
――『お願いだから、側にいて……!』
惨めな自分の声が、甦ってくる。
うっと喉がひしゃげた。冷たい涙が、頬を伝う。
……どうしよう。
――知られちゃった。宏兄に。
惨めで、みっともない。ふしだらな真似をしたぼくを……。
知られたくなかったのに。
「うっ……」
燃えるような羞恥に引き裂かれ、涙が止まらない。全身の血が、目から流れ出してくみたいやった。
「そいつは、そういう奴なんだ。覚えとけ、あんたにすることは、俺との"繰り返し"なんだってな!!」
呪詛のような言葉が、響く。陽平の声は刃物みたいに、ぼくをずたずたにする。
――消えたい。
呆然と泣きながら、ぼくは背を丸めた。
すると……ふわり、と体が軽くなる。
「……!?」
宏兄に抱き上げられていた。灰色がかった瞳が、間近にある。
「……んっ」
唇が触れあった。しょっぱい涙を吸うように……宏兄は、ぼくにキスをする。
優しく包まれるうちに――陽平の声さえ、遠くなってく。
「ひろにい……?」
「成。好きだよ」
目を見開いていると、宏兄は優しくほほ笑んだ。ぎゅ、と宝物のように抱きしめられる。
「俺の奥さん。本当に大好きだ……」
「……っ」
甘い囁きに、心が溶けてく。
大きな胸の温もりに、じわりと涙が溢れる。――今度は、あったかい。ぼくは、宏兄に飛びついた。
「わあ……!」
「成。よしよし……」
わあわあ泣くぼくを、宏兄は抱きとめてくれる。森の香りのする胸に顔を埋め、泣いていると――宏兄が言った。
「……残念だよ、城山くん」
「てめえ……」
静かで、低い……今まで聞いたことがないくらい、怒った声。
「君は――成が、どれだけの勇気と愛情を、君に捧げようとしたか。わかりもせず、俺を殴る材料にしたんだな」
「……!」
陽平が、息を飲む。宏兄は、ふと息を吐いた。――笑ったように。
「俺は殴らない。ガキを殴る趣味はないんでね」
それだけ言い、ぼくを抱きしめると、歩き出す。
二度と足を止めなかった。
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