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第三章~お披露目~
百七十五話
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「久しぶりだな、成己」
甘く、掠れた声が鼓膜を揺らす。久しぶりに名を呼ばれ、心臓が冷たい手に握られたように、痛んだ。
「……っ陽平」
あの日以来、初めて顔を会わせる陽平に、ぼくは動揺していた。
やわらかに波うつ栗色の髪も、紅茶色の目も。不機嫌そうに寄った眉も、なにも変わらない。
でも……向き合うぼくの心持だけが、圧倒的に違う。
――会いたくなかった……!
顔を合わせると――泣いて縋った日の、苦しい気持ちが蘇ってくる。じくじくと、泣き出す寸前のように胸が震えだして。
思わず、一歩後じさると――陽平は目を丸くし、唇を歪めた。
「何、ビビってんの?」
「ちが……」
「元婚約者にその態度かよ。ずい分、お高くとまってんだな、野江さん?」
「――!」
皮肉気に呼ばれて、ぼくは息を飲む。
「いいご身分だな、成己。ぎゃあぎゃあ喚いて、センターに行きたくないって泣きついて来たお前が……今は、野江家の若奥様なんて。大した貞節ぶりじゃねぇか」
陽平の声には、優しさのかけらも無かった。そのことに、ますます心が強張っていく。
「そんな言い方っ……それに、ぼくはセンターに帰るのが嫌やったんとちゃう!」
陽平が好きやから、側に居たかったのに。
あの時の、ぼくの気もちさえ通じていなかったなんて、悲しい。
両手を握りしめ、睨みつけると――陽平は、鼻で笑った。
「よく言うぜ、浮気しておいて。大事な「宏兄」と結婚出来て浮かれてんのか知らねえが……ちゃらちゃら着飾って、みっともねえんだよ」
「なに、それ。ぼく、浮気なんかしてないっ……! 浮気したのは陽平やろ!」
叫んだ途端――気色ばんだ陽平に、手首をねじり上げられた。
「痛いっ」
痛みに顔を歪めると、陽平が顔を近づけてくる。――肌がピリピリするほどの、薔薇の匂いが香った。
「俺は、晶を守りたいだけだ! お前と野江とは違う!」
陽平の目には凄まじい怒りが燃えていた。あの日、陽平と決裂した瞬間と同じ――ううん、それ以上に。
――どうして、そこまで怒るの?
陽平が、蓑崎さんのためにぼくを捨てたのに。なんで、ぼくが責められてるん?
鼻の奥がツンとして、瞼が熱くなる。
唇を噛み締め、涙を耐えていると――陽平は、ふんと嘲笑った。
「だいたい……浮気をしてない割には、ずい分早く結婚できたじゃねえか。――欠陥品のくせに。大方、俺のときみてえに、裸になって縋ったか?」
「!」
ナイフのように冷たい眼差しが、ぼくの体を這うのを感じた。着物を切り裂かれ、その内側を暴くような目に、全身が冷たくなっていく。
「やめて……!」
「ああ――それとも。今だから、やっとってことか。お前みたいな欠陥品が、婚約破棄されたんだ。商品価値なんてタダ同然だから、あいつでも買えたって?」
「……っ!」
あんまりな言い草に、ついに涙が零れてしまう。
「うう……」
胸が痛い。切り裂かれたみたい……
惨めに泣いていると、陽平は笑った。酷薄に――ぼくのことを嬲るのが、楽しくて仕方ないみたいに。
――なんで、そんなに……?
どうして……ここまで、言われないといけないんだろう。
あんな風に別れて――祝福してもらえるとは、思わないけど。こんなに、責められる理由だって、ないはずなのに。
あの日――ぼくが、どんな思いで、陽平の家を出たか……!
「……ひどいよ……!」
もう、堪えられなかった。
ぱしん!
ぼくは、自由な手を振り上げて――陽平の頬を引っ叩いていた。
「!」
陽平は一瞬、目を丸くし……すぐに怒りに頬を染め、ぼくの髪を掴んでくる。
「てめえ、何を……!」
「うるさいっ。陽平のばかー!」
でも、もうどうでもよかった。ぼくは怒鳴り返し、陽平を睨みつけてやる。
「さっきから、やいやい、うるさいんよ……! なんで、ひどいことばっかり言うん……?! 陽平が、ぼくを捨てたんやろ。ぼくの結婚、お前に文句言われる筋合いないっ!」
「な……?」
あっけに取られている顔に、もう一発お見舞いしてやろうと、手を振り上げた。――今度は、かるがる受け止められてしまう。やから、足を振り上げて、脛を思い切り蹴っ飛ばしてやった。
陽平は「うっ」と呻いて、ぼくを睨む。
「ガキか、お前! それでも、二十歳かよ?!」
「知ったかすんなっ。ぼくの誕生日とか、スルーしたくせに……! あの日、ぼくがどんな気持ちで……! 宏兄が、どれだけ苦労して、ぼくを守ってくれたか……!」
ひっ、と喉が引き攣った。
死にそうに怒ってるのに、涙の塊がせり上げてきて――言いたい言葉の邪魔をする。
悔しくて、仕方なかった。
「陽平の、ばか……! ぼくは、センターに行ってたほうがいいんや。蓑崎さんは、守るのにっ…………!」
思いきり叫ぶと、陽平が目を見開いた。
「うう~っ」
ぼくは、しゃくりあげる。ぼろぼろと零れる涙を拭う事さえ忘れて、泣いた。
ひどいよ、陽平。
結婚したこと、なんでそんなに気に入らへんの。ぼくは誰とも結婚せず、ひとりでセンターへ行けばいいって、思ってたってこと?
――ぼくは、陽平にそこまで憎まれてたん……?!
お腹が、きりきりと痛む。
一度は、一緒に生きてくって決めた人に……憎まれるのは、苦しくて。
「……」
陽平は、さっきまでの勢いはどこへやら……ただ、黙ってた。
――こんなに言うても、否定もしてくれないんやね。
惨めやった。空しさに耐えかねて……ぼくは思い切るように、掴まれた手を振り払う。
「もういいっ……もう、ぼくのことは放っといて。陽平と、ぼくは関係ないんやから……!」
そう言い捨てて、陽平の隣をすり抜けていく。
「――成己!」
「!」
すると、突然――体を抱き寄せられた。強いばらの香りに包まれて、息を飲む。
「なにするんっ! 離して……!」
「成己、俺は――」
必死に胸を押すと、後頭部を掴まれて、強引に仰向かされてしまう。紅茶色の目が迫ってくるのが見え、目を瞠った。
「……!」
宏兄――そう叫んだ声は、音にならなかった。
甘く、掠れた声が鼓膜を揺らす。久しぶりに名を呼ばれ、心臓が冷たい手に握られたように、痛んだ。
「……っ陽平」
あの日以来、初めて顔を会わせる陽平に、ぼくは動揺していた。
やわらかに波うつ栗色の髪も、紅茶色の目も。不機嫌そうに寄った眉も、なにも変わらない。
でも……向き合うぼくの心持だけが、圧倒的に違う。
――会いたくなかった……!
顔を合わせると――泣いて縋った日の、苦しい気持ちが蘇ってくる。じくじくと、泣き出す寸前のように胸が震えだして。
思わず、一歩後じさると――陽平は目を丸くし、唇を歪めた。
「何、ビビってんの?」
「ちが……」
「元婚約者にその態度かよ。ずい分、お高くとまってんだな、野江さん?」
「――!」
皮肉気に呼ばれて、ぼくは息を飲む。
「いいご身分だな、成己。ぎゃあぎゃあ喚いて、センターに行きたくないって泣きついて来たお前が……今は、野江家の若奥様なんて。大した貞節ぶりじゃねぇか」
陽平の声には、優しさのかけらも無かった。そのことに、ますます心が強張っていく。
「そんな言い方っ……それに、ぼくはセンターに帰るのが嫌やったんとちゃう!」
陽平が好きやから、側に居たかったのに。
あの時の、ぼくの気もちさえ通じていなかったなんて、悲しい。
両手を握りしめ、睨みつけると――陽平は、鼻で笑った。
「よく言うぜ、浮気しておいて。大事な「宏兄」と結婚出来て浮かれてんのか知らねえが……ちゃらちゃら着飾って、みっともねえんだよ」
「なに、それ。ぼく、浮気なんかしてないっ……! 浮気したのは陽平やろ!」
叫んだ途端――気色ばんだ陽平に、手首をねじり上げられた。
「痛いっ」
痛みに顔を歪めると、陽平が顔を近づけてくる。――肌がピリピリするほどの、薔薇の匂いが香った。
「俺は、晶を守りたいだけだ! お前と野江とは違う!」
陽平の目には凄まじい怒りが燃えていた。あの日、陽平と決裂した瞬間と同じ――ううん、それ以上に。
――どうして、そこまで怒るの?
陽平が、蓑崎さんのためにぼくを捨てたのに。なんで、ぼくが責められてるん?
鼻の奥がツンとして、瞼が熱くなる。
唇を噛み締め、涙を耐えていると――陽平は、ふんと嘲笑った。
「だいたい……浮気をしてない割には、ずい分早く結婚できたじゃねえか。――欠陥品のくせに。大方、俺のときみてえに、裸になって縋ったか?」
「!」
ナイフのように冷たい眼差しが、ぼくの体を這うのを感じた。着物を切り裂かれ、その内側を暴くような目に、全身が冷たくなっていく。
「やめて……!」
「ああ――それとも。今だから、やっとってことか。お前みたいな欠陥品が、婚約破棄されたんだ。商品価値なんてタダ同然だから、あいつでも買えたって?」
「……っ!」
あんまりな言い草に、ついに涙が零れてしまう。
「うう……」
胸が痛い。切り裂かれたみたい……
惨めに泣いていると、陽平は笑った。酷薄に――ぼくのことを嬲るのが、楽しくて仕方ないみたいに。
――なんで、そんなに……?
どうして……ここまで、言われないといけないんだろう。
あんな風に別れて――祝福してもらえるとは、思わないけど。こんなに、責められる理由だって、ないはずなのに。
あの日――ぼくが、どんな思いで、陽平の家を出たか……!
「……ひどいよ……!」
もう、堪えられなかった。
ぱしん!
ぼくは、自由な手を振り上げて――陽平の頬を引っ叩いていた。
「!」
陽平は一瞬、目を丸くし……すぐに怒りに頬を染め、ぼくの髪を掴んでくる。
「てめえ、何を……!」
「うるさいっ。陽平のばかー!」
でも、もうどうでもよかった。ぼくは怒鳴り返し、陽平を睨みつけてやる。
「さっきから、やいやい、うるさいんよ……! なんで、ひどいことばっかり言うん……?! 陽平が、ぼくを捨てたんやろ。ぼくの結婚、お前に文句言われる筋合いないっ!」
「な……?」
あっけに取られている顔に、もう一発お見舞いしてやろうと、手を振り上げた。――今度は、かるがる受け止められてしまう。やから、足を振り上げて、脛を思い切り蹴っ飛ばしてやった。
陽平は「うっ」と呻いて、ぼくを睨む。
「ガキか、お前! それでも、二十歳かよ?!」
「知ったかすんなっ。ぼくの誕生日とか、スルーしたくせに……! あの日、ぼくがどんな気持ちで……! 宏兄が、どれだけ苦労して、ぼくを守ってくれたか……!」
ひっ、と喉が引き攣った。
死にそうに怒ってるのに、涙の塊がせり上げてきて――言いたい言葉の邪魔をする。
悔しくて、仕方なかった。
「陽平の、ばか……! ぼくは、センターに行ってたほうがいいんや。蓑崎さんは、守るのにっ…………!」
思いきり叫ぶと、陽平が目を見開いた。
「うう~っ」
ぼくは、しゃくりあげる。ぼろぼろと零れる涙を拭う事さえ忘れて、泣いた。
ひどいよ、陽平。
結婚したこと、なんでそんなに気に入らへんの。ぼくは誰とも結婚せず、ひとりでセンターへ行けばいいって、思ってたってこと?
――ぼくは、陽平にそこまで憎まれてたん……?!
お腹が、きりきりと痛む。
一度は、一緒に生きてくって決めた人に……憎まれるのは、苦しくて。
「……」
陽平は、さっきまでの勢いはどこへやら……ただ、黙ってた。
――こんなに言うても、否定もしてくれないんやね。
惨めやった。空しさに耐えかねて……ぼくは思い切るように、掴まれた手を振り払う。
「もういいっ……もう、ぼくのことは放っといて。陽平と、ぼくは関係ないんやから……!」
そう言い捨てて、陽平の隣をすり抜けていく。
「――成己!」
「!」
すると、突然――体を抱き寄せられた。強いばらの香りに包まれて、息を飲む。
「なにするんっ! 離して……!」
「成己、俺は――」
必死に胸を押すと、後頭部を掴まれて、強引に仰向かされてしまう。紅茶色の目が迫ってくるのが見え、目を瞠った。
「……!」
宏兄――そう叫んだ声は、音にならなかった。
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