いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
172 / 390
第三章~お披露目~

百七十一話

しおりを挟む
 ――椹木さんの婚約者が、蓑崎さん……?!
 
 ぼくは呆然として、温厚な笑みを浮かべる椹木さんの隣に立つ、蓑崎さんを凝視した。向こうも蒼白になって、目を瞠っている。
 
「蓑崎さんが……」
 
 掠れた声で、そう口にすると……そっと、肩を抱かれた。ハッとして隣を見ると、宏兄が静かな眼差しで、蓑崎さんを見ている。
 
 ――あ……宏兄……
 
 ぼくは、やっと地に足がついた心地になった。
 
「やあ、蓑崎さんじゃないですか。お久しぶりですね」
 
 宏兄は、落ち着いた声で挨拶をする。
 蓑崎さんはひっと息を飲み、肩を震わせた。この場から逃げ出したいみたいに、革靴を履いた足が、後じさっている。
 すると、椹木さんが励ますように、蓑崎さんの手を繋いだ。
 
「お二人は、晶君とお知り合いだったのですか?」
「ええ。とは言っても、僕は一度センターでお会いしたきりですが。城山さんと、妻と一緒に。ね?」  
「……っあ、」
 
 蓑崎さんは無言で小さく頷き、俯く。
 椹木さんの背中に隠れて、ぼくと宏兄の様子を、ちらちらと窺っているみたいや。――それは、人見知りの子どものような様子で、そんな彼を見たのは、初めてやった。
 椹木さんは、そんな蓑崎さんを慈しみ深い眼差しで見つめてる。
 
「晶君。……すみません、彼はあまり、私と公の場に出ることが無くて。大人しい子なんです」
 
 そう言って、かわりにぼく達に弁明しはった。
 
 ――お、大人しい? ……蓑崎さんが!?
 
 今までの彼の振る舞いを思い返しても――いちばん、ありえへん形容を聞いた気がする。いつでも、行動的に……うちにやって来ては、飲み会を開いていたのに?!
 あまりにわけがわからなくて、混乱してしまう。
 そもそも、聞いていた話と違いすぎるんやもん。 
 
『晶の婚約者は、あいつを産む道具にしか思ってない。冷えきった関係だ』
 
 って、陽平は言ってたのに。
 やから。やから……ぼくと別れて、蓑崎さんを守りたいって、言ったのに。
 でも、現実には……蓑崎さんの婚約者は、椹木さんで。彼はとても……陽平や蓑崎さんから聞いていた、冷たい人物とは思えなかった。
 ぼくは、目前の光景を見る。
 
「晶君、大丈夫です。私がついていますからね」
「……っ」
 
 蓑崎さんと手を繋ぎ、優しく励ます椹木さんに、いとけない子どものように頷く蓑崎さん。どう見ても……聞いていた話とかけ離れすぎている。
 
 ――じゃあ……この人が陽平に話したことは、何やったん? どうして……
 
「……う」
「成」
 
 キン、と耳鳴りがする。
 おなかの奥がじくじくと疼くように痛んできて、唇を噛み締めた。
 
 ――まずい……ちゃんとしなくちゃ……宏兄のご友人に失礼は……。
 
 すると、ぼくの背を抱く宏兄の腕に、強い力がこもる。切れ長の目が心配そうにのぞき込んでいて、ぼくは目を瞠った。
 耳元に、そっと囁かれる。 
 
「……もう行こう。顔色が悪い」
「……!」
 
 静かな目は、ぼくの「痛み」に、気づいてくれてるみたいやった。
 くしゃりと顔が歪む。――どうして、わかってくれるんやろう? 恥ずかしすぎて……宏兄には、陽平との別れ際にひどい愁嘆場を演じたことを、話せていないのに。
 
「貴彦さん、すみません。妻の具合が良くないようなので……」
「ああ、これは……! 気づかず、申し訳ありません。成己さん、お大事になさって下さいね」
 
 椹木さんは善良そのものに、ぼくを案じてくれた。その親切に、またキリキリとお腹が痛む。ぼくは、頬の筋肉を総動員して笑うと、頭を下げた。
 
「お気遣い、ありがとうございます。今日は、お会いできてうれしかったです」
「ええ、こちらこそ。そうだ――よろしければまた、お二人で当家に遊びに来て下さい」
「……!」
 
 椹木さんの提案に息を飲んだのは、ぼくやったのか。蓑崎さんやったのか……恐らく両方で。
 
「あッ……!」
 
 次の瞬間、蒼白になった蓑崎さんが、小さな悲鳴を上げて倒れた。わあっ! と周囲が驚きにどよめいた。
 
「晶君!」
 
 床に瘦身がぶつかる前に――椹木さんが、しっかりと抱き留める。床に膝まづいた彼は、腕に抱えた蓑崎さんの頬を撫で、何度も呼びかけていた。
 
「晶君、晶君……しっかりしてください!」
「う……っ、俺……」
 
 蓑崎さんは苦し気に呻くと、椹木さんの胸に頬を埋めた。――甘える様な仕草に、ぼくはぞっと総毛だつ。椹木さんは、痛みをこらえる様に眉を寄せ、口の中で何かつぶやいた。
 
「やはり無理をしていたんですね……私が止めるべきでした」
「貴彦さん。すぐに医師の手配をしますので、彼を静かな所へ」
「宏章さん、申しわけない。どうかお願いします!」
 
 宏兄が、支配人の男性を呼び、事情を説明する。迅速な動きで、支配人さんが椹木さんを「こちらへ」と先導していかはった。
 
「お騒がせして、申し訳ありません。通してください」
 
 蓑崎さんを腕に抱きかかえ、椹木さんが集まって来たお客さんたちの間を歩いていく。恋人を好奇の視線から守るように、しっかりと腕に抱える様に、女性のお客様から感嘆のため息が漏れた。
 
「……!」
 
 ふいに――蓑崎さんの長い腕が、縋るように椹木さんの首に回された。背中越しに見ても、椹木さんの抱擁が深くなったのがわかって……お昼ご飯を全部もどしそうになる。
 
「ううっ……」
 
 何なん、あの人。
 きらい。
 大っ嫌いや……!
 
 ぼくは、口を手で押さえ呻く。すると……近くの給仕さんの持っていたグラスの中に、ぼくの顔が映ってるのが見えた。
 
「え……」
 
 ひゅっと、息を飲む。
 ぼくの顔は、ばけものみたいに醜かった。蓑崎さんへの憎しみに歪んで……。
 どっと冷や汗が出る。ぼく、こんな顔をしていた? 
 
 ――いつから……?
 
 すると、集まって来たお客様に事情を説明していた宏兄が、ぼくを振り返りかけた。
 
「……!」
「――成!?」
 
 ぱっと身をひるがえしたぼくに、宏兄が驚いた声を上げる。
 
 ――ごめん、宏兄。ごめん……いま、傍にいられない……!
 
 ぼくは、集まったお客様の波に飛び込んで、逃げ出していた。
 
しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。 しかし、仲が良かったのも今は昔。 レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。 いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。 それでも、フィーは信じていた。 レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。 しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。 そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。 国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

僕はお別れしたつもりでした

まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!! 親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。 ⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。 大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

婚約破棄?しませんよ、そんなもの

おしゃべりマドレーヌ
BL
王太子の卒業パーティーで、王太子・フェリクスと婚約をしていた、侯爵家のアンリは突然「婚約を破棄する」と言い渡される。どうやら真実の愛を見つけたらしいが、それにアンリは「しませんよ、そんなもの」と返す。 アンリと婚約破棄をしないほうが良い理由は山ほどある。 けれどアンリは段々と、そんなメリット・デメリットを考えるよりも、フェリクスが幸せになるほうが良いと考えるようになり…… 「………………それなら、こうしましょう。私が、第一王妃になって仕事をこなします。彼女には、第二王妃になって頂いて、貴方は彼女と暮らすのです」 それでフェリクスが幸せになるなら、それが良い。 <嚙み痕で愛を語るシリーズというシリーズで書いていきます/これはスピンオフのような話です>

処理中です...