いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百四十四話【SIDE:陽平】

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 昼過ぎ――俺は、ソファに眠る晶を置いて、ようやく大学へ向かった。日差しのきつい外から、空調の効いた屋内に入ると、自然と身震いする。
 三限が行われる講義室に入っていくと、試験前のせいか席が殆ど埋まっていた。仕方なく前の方に席を取り、バッグを置いた。タブレットを取り出し、授業の準備をしていた俺は、ふと違和感に気づく。
 誰も、話しかけてこない。いつも、講義に出れば城山におべっかを使いに、煩く話しかけられるのに。
 
「……なあ」
 
 怪訝に思いながらも、俺は隣の席の奴に声をかけた。
 
「な、なに? 城山くん」
 
 そいつは、びくりと肩を震わせた。
 
「政治B、履修してるよな。俺、昨日出れなかったから、データの配布があったら、貸してくれないか」
 
 昨日、出られなかった講義の講師は、試験前にテストに有用なデータを配布する。仕方ない事情で講義に出られなくとも再配布は行わず、泣く学生が後を絶たない、と近藤がべらべら話していた。
 
 ――「いざとなりゃ、俺の試験データみせてやる」とか偉そうに言ってたけど。あんな奴、頼るのはごめんだ。
 
 ……とはいえ。
 その程度が侮れなく、テストの一点を左右するものだし、ちゃんと把握しておきたい。この学生は、俺と殆どの講義が被っているから、よく助け合いをするうちの一人だ。
 手を差し出すと、その学生はおろおろと目をさ迷わせた。
 
「あ……そ、その。僕、ちょっとデータとかは、よくわかんなくて……」
「は? わかんないって……」
「ご、ごめん。試験が近いから! ごめんなさい」
 
 そいつは、顔から汗を噴きながら、タブレットにかじりつき出す。「放っておいてくれ」と横顔が物語っており、これ以上話しかけることは躊躇われた。
 
「チッ……」
 
 んだよ、と内心で不愉快に思う。
 俺は、こいつが課題のときに手助けしてやったってのに……こんなに薄情な奴だとは。当てが外れて、苛々する。
 
 ――……まあいい。データくらい少し足りなくても、点数を出してやる。
 
 気分を切り替えて、頬杖をつく。
 そのとき、ふと講義室の空気がおかしい気がした。
 
 ――なんだ? 
 
 室内にある目が、こちらを窺っているような気がする。かといって、話しかけてくる様子もない。不可解で、ぐるりと室内を見回せば、さっと目を逸らしていく。
 
「……?」
 
 胸の奥が、ちりと焼き付く。なにかが、変わったような……嫌な予感だった。
 その正体を見破るべく、席を立とうとした瞬間――ドアが開く。教授が入ってきて、講義を始める。タイミングが悪い。
 仕方なく、前を向いた俺だったが……胸にモヤつくものを抱える羽目になった。
 
 




 
「……ふう」
 
 コーヒーを飲み干し、カップをテーブルに置く。
 講義の間中、見られている気がして、あまり集中できなかった。
 
 ――ただでさえ、面白くねえことばっかなのに。くそッ。
 
 苛々し、前髪をくしゃりとかき乱す。
 不愉快でも、試験勉強をしなければならない。――晶が家に居る間は、勉強ができないからな。
 学生ホールは歓談する学生たちの声で、かしましい。不愉快は募るが、空き教室も気乗りしなかった。タブレットで、試験範囲を呼び出し、ノートに暗記する項目を書き出していく。
 
「……」
 
 黙々と、ペンを動かす。
 便利なアプリや、効率の良い勉強法があるのはわかっているが、結局アナログなやり方が性に合っている。家庭教師に矯正を促され、晶にもさんざん揶揄われたが、治らなかった。恐らく、俺は要領が悪いのだ。
 今でこそ気にしないが、高校までは恥ずかしかった。だから、人前ではアプリを使って。こっそりと勉強していた。
 
 ――でも、俺は城山だから、どこでも追い回された。一人になりたくて、図書室に行ったんだ。それで……
 
 高校の図書室は、三階まであった。
 三階は資料庫。古びた専門書ばかりで、人気がなく……たまに、司書が出入りするくらいだった。つまり、隠れて勉強するにはうってつけの場所で、俺はそこを隠れ家にしていた。だから、驚いた――
 
 古びた壁に凭れて、文庫本を読みふける同級生を見つけて。
 そいつのことを知っていた。俺と違って、遠巻きにされていて。そのくせ、いつもどこか幸せそうに歩いているのを、何度も見かけたことがあったから……
 
 ――ぼき、とペンの芯が折れる。
 力の入れ過ぎで、書き損じたノートが、ぐしゃりと皺になる。
 
「……くそ」
 
 何を、どうでもいいこと考えてんだよ。――内心で悪態を吐き、ノートを破るとぐしゃぐしゃに丸めた。もう一度、ペンを握り直すが、一度途切れた集中は戻らない。
 
 ――何か、飲むか。
 
 諦めて、ペンを放りだしたときだった。
 賑やかに話す集団が、ホールに入って来たのは。
 
「やっぱりキッチン用品じゃないかな。最新のホットプレートとか、どう?」
「いいけど、定番過ぎじゃない? そうね、お酒はどう。あの子、二十歳になったんでしょう」
「あー、確かにねー」
 
 先頭の二人を見て、気まずくなる。――西野さんと、佐田だった。二人はスマホの画面を見せ合いながら、ああだこうだと話している。その後ろに続くのは、西野さんのグループと……晶のゼミの奴らだ。
 たしか、岩瀬と渡辺。成己と、ベタベタしていたことを思い出し、気分が悪くなる。俺は集団から目を逸らし、ノートに向き直った。
 しかし――
 
「せっかくの結婚祝いなんだしさ。消えものも良いけど、形になって残るものが良い気がする!」
「ああ、そう言われると。成己くん、乙女だもんねえ」
 
 突如、聞こえて来た成己の名に、息を飲む。
 ドクドクと、心臓が不穏に脈打つ。
 
――結婚祝いって、言ったか? 西野さん達も、すでに知っているのか。成己が嫁いだことを……
 
 そんな、不愉快な話題は聞きたくない。なのに、耳が勝手にその話題にフォーカスしてしまう。
 渡辺が、おずおずと口を挟む。
 
「てか、良かったん? あんま面識ない、俺らまで噛ませてもらって」
「そりゃいいでしょ。こういうのは気持ちだし。たくさんの人がお祝いしてるって、知らせてあげたいの」
「そうだよね! 色々あったんだもん」
 
 西野さんの言葉に続くよう、楽し気な笑い声が上がった。
 その一瞬――連中の視線がこちらに向いた。刺すような目で、こちらを睨む奴さえいる。
 俺がここに居ることに、気づいていたのか。それなのに……まるで、当て擦るような態度に、カッとなる。
 
 ――馬鹿にしやがって……!
 
 荷物をまとめ、席を立つ。
 ホールを出る時まで、やつらの笑い声は止まなかった。
 
 
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