いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

六十話 

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 翌日のお昼過ぎ、ぼくは涼子先生とセンターの廊下を歩いていた。
 
「成己くん、大丈夫なん? 車いす持ってきたろか?」
「あはは……平気やで。もう、すっかり元気やし」
 
 しきりに心配してくれる先生に、ぼくは笑う。さっき、中谷先生も「もう大丈夫」って太鼓判おしてくれたもん。
 涼子先生は、不服そうに眉根を寄せた。
 
「心配やわあ……成ちゃん、昔から無理するから。倒れたって聞いて、驚いたんやで。それに……首のことも、知らんかったし……」
「う……ごめんなさい」
 
 涼子先生の視線が、項のあたりに刺さるのがわかり、ぼくはしゅんと肩を落とす。
 
 ――項の爛れ……結局、ばれちゃった……
 
 項に触れると、やわらかいガーゼが巻かれてる。起きたら、手当されてたから……何となく、そんな気はしてたんやけど。
 
「誤解せんといて、怒っとるんやないの。大事な成ちゃんに、そこまでさせて不甲斐ないだけや」
「先生……」
 
 ぽん、と肩を叩かれて、ぼくは俯く。
 優しい。涼子先生も、中谷先生も……みんな。
 中谷先生にも、黙って未認可のクリームを塗っていたことを、尋ねられたん。
 自分が、悪いことしちゃった自覚はあって。やから、怖ごわ謝ったんやけど……
 
――『一人で抱え込まないで』
 
 先生は、そう言わはっただけやったん。
 いまの涼子先生と同じ、悲しそうな優しい笑顔を見て……どれだけ、心配かけたんやろうって。責められるよりも、ずっと申し訳なかった。
 
 ――もう二度と、あのクリームは塗らへんっ。自分を傷つけるような自衛はやめよう。
 
 ぼくは心に誓い、涼子先生の手を取る。
 
「あのね。ぼく、先生たちのこと大好きやからっ」
「うん? 知っとるし、うちらも大好きやで」
 
 先生は目を丸くして、ぎゅっと握りかえしてくれた。小さなころから変わらないあったかい手に、唇がほころぶ。
 
「えへ……ありがとう」
「ふふ。って成己くん、手ぇ冷たいなあ! 上着貸したるわ」
「わーっ、大丈夫やって。いっぱい着てるし、寒くないよ」
 
 カーディガンを脱ごうとする先生を、慌てて止めた。患者衣の上にたくさん着せられてるから、これ以上は雪だるまになっちゃう。
 そう言うと、先生はしぶしぶ納得してくれた。
 
「ほんまに大丈夫?」
「うん。だって、もうすぐ七月やもん……」
 
 なにげなく口にして、はっとした。
 七月――もうじき、ぼくの誕生日が来るんや。
 
 ――どうしよう、陽平とケンカしてるのに……
 
 ずっと楽しみにしてた誕生日やけど……まさか、土壇場にこんなケンカしちゃうなんて思ってなかった。
 
「……」
 
 陽平のことを思うと……胸が苦しい。
 もちろん、このままでいいはずないし、なんとかしなくちゃって思ってる。けど……これ、本当になんとかなるのかな。今回も、いつものケンカみたいに、仲直りできるん?
 
――『欠陥品』
 
 だって……どうしても、考えちゃうよ。陽平は、ぼくのこと――本当はどう思ってるんやろうって。
 最近、ずっと怒ってるのは、ただの行き違いやって。蓑崎さんのことが心配で、冷静やないだけやって、思いたかった。
 けど、それが切欠にすぎひんかったら。ぼくの体のことで、ずっと我慢してくれてた陽平。……もう、ぼくといるのが、辛くなったんやったら?
 
「……っ」
 
 ずきり、とおなかが痛む。
 陽平と話したかった。――でも、今は……会うのが怖い。
 うじうじと考え込んでいると、つんと手を引かれる。涼子先生が、思いつめたような顔でぼくを見てた。
 
「あ……先生、どしたん?」
「なあ、成己くん。あのな、辛いなら――」
 
 すこし緊張しながら言葉を待っていると……先生は、首を振った。思い直したように、明るい声で言う。
 
「やっぱ、なんもないわ。ただ……あんまり無理したらあかんで」
「……うん! ありがとう」
 
 ぼくも、にっこり笑いかえす。先生の気遣いに、心の中でそっと手を合わせる。
 本当は……陽平からなんの連絡もないこと、みんなが心配してくれてるのわかってるねん。
 中谷先生にも、言われたん。
 
『アルファの存在で、オメガは安定する。けどね、オメガを不安定にするのもまた、アルファなんだよ』
 
 先生が言うには……気を許したアルファに与えられるストレスは、何倍にもなってオメガを苛むんやって。
 
『一度、センターに帰っておいで。大変なことは、それから考えよう』
 
 ぼくは、そっとおなかに手をやる。
 陽平と話す決心も、つかへん。それやったら、少しの間だけ……センターに居た方が良いのかな?
 迷いながら、空を見上げると、青く澄んでる。
 すっかり、夏の空やった。
 


 
 
「……宏兄!」
「おう、成」
 
 涼子先生と別れ、病室に戻ると――宏兄がいた。付き添い用の椅子に腰かけて、にっこりと笑ってる。
 
「調子はどうだ?」
「うん、もうすっかり……来てくれてありがとう」
「当たり前だろ」
 
 大きな手に、頭を撫でられる。――ずっと付いててくれたのに、今日も来てくれたんや。くすぐったくて、ほほ笑んだとき……宏兄が「あっ!」と声を上げる。
 
「ど、どうしたん?」
 
 大きい声に驚いてると、宏兄にスマホを差し出される。ベッドの上で充電してた、ぼくのスマホ。
 
「成、お前が検査にいってる間にな――城山くんから、電話があったぞ」
「――!」
 
 ぼくは、息を飲んだ。
 
 
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