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第一章~婚約破棄~
五十六話
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翌日――ぼくは一人、陽平の大学にやってきた。
陽平の通う大学は家からゆっくり歩いてニ十分くらいやから、すぐについちゃった。生徒さんの行きかう校門に立ち、ふんすと気合を入れる。
電話もダメ、家に行ってもダメ――となると、大学を急襲するしかないよね。
大学には、たまに忘れ物もってくときくらいしか、来たことない。そのぶん、向こうも油断しとるはずや。
――不意を衝いて、ぜったい捕まえたるんやから……!
闘志で、心がメラメラ燃える。力強く拳を握るぼくを、学生さんたちが、物珍しそうに見て行った。
「陽平、どこっ?」
ぼくは、せかせかとキャンパス内を歩く。
ひとの行き来も激しいし、ぶらぶら歩いてたら日が暮れちゃいそうや。
すっごい業腹やけど、蓑崎さんから送られてきた写真を参考に、足取りを追う。よく背景になっとる、食堂らしきところとか、おっきい図書館らしきところなど――あちこち覗いてみる作戦や。
「どっこも……いませんやん!」
でも、陽平の影も形も見えへんくて――ぼくは、唸った。
「ええと……月曜はどこで授業て、言うてたかな。……たしか、B館てとこやったような」
陰りを見せた作戦に焦りつつ、なんとか、記憶を手繰り寄せてみる。――周囲の建物をぐるっと回って、看板を見てみても……B館って表記はないみたい。
ぼくは、うーんと首を傾げた。
「どうしよ……そうや、どこかの事務室にでも、聞いてみて……」
「――あれ、奥さん?」
聞き覚えのある声が、背後で聞こえた。振り返って、ぼくは「あっ」と声を上げる。
「岩瀬さん! こんにちは」
「ちはっす。どうしたんすか、こんなとこで」
ぼくは、ペコリと頭を下げる。岩瀬さんは応じてくれながら、不思議そうに言った。
「陽平に、用事があって来たんです。それで、B館てとこを探してまして……!」
「そうだったんすか。良かったら俺、案内しましょうか」
「ほんとですか!?」
ぼくは、ぱあっと目の前が明るくなった。
「もちろんっす。あっでも……今の時間なら、俺たちの教室に遊びに来てるかも……」
「えっ、岩瀬さんの?」
「はい、ゼミで使ってる部屋っす。城山くん、よく遊びにくるんで……」
つい聞き返すと、岩瀬さんは「俺は寝坊して、今から行くとこで……」って照れたように頬をかいた。
ぼくはと言うと……ゼミって言葉を脳内に反芻してた。
そのゼミって確か……蓑崎さんもいるとこやんな……? 胸の中に垂れ込めかけた暗雲を、慌てて振り払う。
――あかん、今はそこでもやついてる場合やないっ。
ぼくは、岩瀬さんにぺこりと頭を下げた。
「すみませんっ。図々しいお願いなんですけど……ぼくも、そこに連れってもらえませんか?」
岩瀬さんの案内で、ぼくは陽平のいるらしき――ゼミの部屋のあるA館へたどり着いた。
「岩瀬さん、ありがとうございます。連れてきていただいて」
「いえいえ、大したことじゃ」
てくてく廊下を歩きながら、岩瀬さんに改めて感謝が湧き起こる。――あとちょっとで、陽平を捕まえられる。そう思うと、緊張と闘志で、胸がドキドキした。
階段をぐるぐる上って、八階まで行く。この階は、岩瀬さんのゼミ以外でほとんど使われへんねんて。
静かな廊下を歩いて、突き当りの「演習室」と札の掛かった部屋で、岩瀬さんが振り返る。
「奥さん、ついたっすよ」
「わあ……ありがとうございますっ」
陽平、いるかな。……いると良いな。
緊張しながら、ドアノブを掴む岩瀬さんの後ろでスタンバイする。
――まず、おはようって言って。話しをしに来たよって言おう。それから、ケンカ腰にならないように……
そう、心の中で取り決めを作る。話し合いが上手くいくように。
拳をぎゅっと握って、扉がゆっくり開くのを見ていたから――
「!」
目に飛び込んできた、部屋の中の光景に、息を飲んだ。
「ぁ……っ、んん……陽平……」
「晶……晶……」
部屋の真ん中にあるソファで、陽平と蓑崎さんが抱き合っていた。
蓑崎さんは、こっちに背を向けて……陽平は彼の首筋に頬を擦り付けている。大きくからげたシャツの中で、骨ばった手が白い背中を撫でていた。
――『ばーか、成己』
ぼくの頭を小突いてくる、あの手が……
そして、鋭く脳を刺したのは――むせかえるほどの、薔薇の匂い。
甘酸っぱい血みたいな……熱を発してるような、濃厚な匂い。良く知ってるのに、全然知らない匂いみたいやった。
「陽平……」
ぼくは、呆然とする。
何なん、この匂い……ぼく、かいだことないよ。
「はぁ……っ……お前の匂い、好き……」
「ばか、煽んなよっ……」
陽平の膝で、蓑崎さんが猫みたいに体をしならせ、うっとりと声を上げている。大きく開いた膝で陽平の腰をはさむように、前後に揺れていた。
「あ……ふぁ……んっ……」
その度、ギシッギシッてソファの軋む音と……甘く掠れた吐息が、部屋に響く。
「……うぇっ」
ぼくは、うっと胃がひっくり返りそうになる。視界がギューって狭くなって、耳の奥で嵐が起きた。
――なにこれ、どうして? このひとたち、何をして……
話し合いに来たはずやのに、なんでこんなことが。
目の前で起きてることを、認められない。
「晶っ……」
陽平は、熱っぽい声で蓑崎さんの名前を呼ぶ。白い痩身をかき抱いて、体を弾ませていた。――正面に立つ、ぼくの目にも気づかずに。
崩れ落ちそうな気持で立ち尽くしていると、
「お、おくさ……」
岩瀬さんの、泣きそうに掠れた声が耳に届く。真っ青で、気づかわし気な顔がぼくを見下ろしていた。
「……!」
その瞬間、ぼくの頭にかっと爆発が起きる。力が戻った脚が、猛然と二人に突進した。
「――あんたら、何してんの……!!」
思いきり怒鳴りつける。
部屋中を震わす程の大声に、二人が流石に気づいた。
「……成己ッ!?」
「ぇ……成己く……?」
振り返った蓑崎さんは、惚けた真っ赤な顔をしている。それがどういう気持なんか知らんけど……ひとのアルファで味わっていい感覚やないことは、ぼくにもわかる。
――この男、許さへんっ……!
ぼくは、怒りのままに手を振りかぶった。
陽平の通う大学は家からゆっくり歩いてニ十分くらいやから、すぐについちゃった。生徒さんの行きかう校門に立ち、ふんすと気合を入れる。
電話もダメ、家に行ってもダメ――となると、大学を急襲するしかないよね。
大学には、たまに忘れ物もってくときくらいしか、来たことない。そのぶん、向こうも油断しとるはずや。
――不意を衝いて、ぜったい捕まえたるんやから……!
闘志で、心がメラメラ燃える。力強く拳を握るぼくを、学生さんたちが、物珍しそうに見て行った。
「陽平、どこっ?」
ぼくは、せかせかとキャンパス内を歩く。
ひとの行き来も激しいし、ぶらぶら歩いてたら日が暮れちゃいそうや。
すっごい業腹やけど、蓑崎さんから送られてきた写真を参考に、足取りを追う。よく背景になっとる、食堂らしきところとか、おっきい図書館らしきところなど――あちこち覗いてみる作戦や。
「どっこも……いませんやん!」
でも、陽平の影も形も見えへんくて――ぼくは、唸った。
「ええと……月曜はどこで授業て、言うてたかな。……たしか、B館てとこやったような」
陰りを見せた作戦に焦りつつ、なんとか、記憶を手繰り寄せてみる。――周囲の建物をぐるっと回って、看板を見てみても……B館って表記はないみたい。
ぼくは、うーんと首を傾げた。
「どうしよ……そうや、どこかの事務室にでも、聞いてみて……」
「――あれ、奥さん?」
聞き覚えのある声が、背後で聞こえた。振り返って、ぼくは「あっ」と声を上げる。
「岩瀬さん! こんにちは」
「ちはっす。どうしたんすか、こんなとこで」
ぼくは、ペコリと頭を下げる。岩瀬さんは応じてくれながら、不思議そうに言った。
「陽平に、用事があって来たんです。それで、B館てとこを探してまして……!」
「そうだったんすか。良かったら俺、案内しましょうか」
「ほんとですか!?」
ぼくは、ぱあっと目の前が明るくなった。
「もちろんっす。あっでも……今の時間なら、俺たちの教室に遊びに来てるかも……」
「えっ、岩瀬さんの?」
「はい、ゼミで使ってる部屋っす。城山くん、よく遊びにくるんで……」
つい聞き返すと、岩瀬さんは「俺は寝坊して、今から行くとこで……」って照れたように頬をかいた。
ぼくはと言うと……ゼミって言葉を脳内に反芻してた。
そのゼミって確か……蓑崎さんもいるとこやんな……? 胸の中に垂れ込めかけた暗雲を、慌てて振り払う。
――あかん、今はそこでもやついてる場合やないっ。
ぼくは、岩瀬さんにぺこりと頭を下げた。
「すみませんっ。図々しいお願いなんですけど……ぼくも、そこに連れってもらえませんか?」
岩瀬さんの案内で、ぼくは陽平のいるらしき――ゼミの部屋のあるA館へたどり着いた。
「岩瀬さん、ありがとうございます。連れてきていただいて」
「いえいえ、大したことじゃ」
てくてく廊下を歩きながら、岩瀬さんに改めて感謝が湧き起こる。――あとちょっとで、陽平を捕まえられる。そう思うと、緊張と闘志で、胸がドキドキした。
階段をぐるぐる上って、八階まで行く。この階は、岩瀬さんのゼミ以外でほとんど使われへんねんて。
静かな廊下を歩いて、突き当りの「演習室」と札の掛かった部屋で、岩瀬さんが振り返る。
「奥さん、ついたっすよ」
「わあ……ありがとうございますっ」
陽平、いるかな。……いると良いな。
緊張しながら、ドアノブを掴む岩瀬さんの後ろでスタンバイする。
――まず、おはようって言って。話しをしに来たよって言おう。それから、ケンカ腰にならないように……
そう、心の中で取り決めを作る。話し合いが上手くいくように。
拳をぎゅっと握って、扉がゆっくり開くのを見ていたから――
「!」
目に飛び込んできた、部屋の中の光景に、息を飲んだ。
「ぁ……っ、んん……陽平……」
「晶……晶……」
部屋の真ん中にあるソファで、陽平と蓑崎さんが抱き合っていた。
蓑崎さんは、こっちに背を向けて……陽平は彼の首筋に頬を擦り付けている。大きくからげたシャツの中で、骨ばった手が白い背中を撫でていた。
――『ばーか、成己』
ぼくの頭を小突いてくる、あの手が……
そして、鋭く脳を刺したのは――むせかえるほどの、薔薇の匂い。
甘酸っぱい血みたいな……熱を発してるような、濃厚な匂い。良く知ってるのに、全然知らない匂いみたいやった。
「陽平……」
ぼくは、呆然とする。
何なん、この匂い……ぼく、かいだことないよ。
「はぁ……っ……お前の匂い、好き……」
「ばか、煽んなよっ……」
陽平の膝で、蓑崎さんが猫みたいに体をしならせ、うっとりと声を上げている。大きく開いた膝で陽平の腰をはさむように、前後に揺れていた。
「あ……ふぁ……んっ……」
その度、ギシッギシッてソファの軋む音と……甘く掠れた吐息が、部屋に響く。
「……うぇっ」
ぼくは、うっと胃がひっくり返りそうになる。視界がギューって狭くなって、耳の奥で嵐が起きた。
――なにこれ、どうして? このひとたち、何をして……
話し合いに来たはずやのに、なんでこんなことが。
目の前で起きてることを、認められない。
「晶っ……」
陽平は、熱っぽい声で蓑崎さんの名前を呼ぶ。白い痩身をかき抱いて、体を弾ませていた。――正面に立つ、ぼくの目にも気づかずに。
崩れ落ちそうな気持で立ち尽くしていると、
「お、おくさ……」
岩瀬さんの、泣きそうに掠れた声が耳に届く。真っ青で、気づかわし気な顔がぼくを見下ろしていた。
「……!」
その瞬間、ぼくの頭にかっと爆発が起きる。力が戻った脚が、猛然と二人に突進した。
「――あんたら、何してんの……!!」
思いきり怒鳴りつける。
部屋中を震わす程の大声に、二人が流石に気づいた。
「……成己ッ!?」
「ぇ……成己く……?」
振り返った蓑崎さんは、惚けた真っ赤な顔をしている。それがどういう気持なんか知らんけど……ひとのアルファで味わっていい感覚やないことは、ぼくにもわかる。
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