いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

五十三話 

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 翌日、ぼくは再び城山家にお邪魔していた。
 それで、一昨日と同じようにリビングに通されて、陽平が来るのを待ってるのやけど。
 
「……」
 
 壁時計を、チラッと見る。――お手伝いさんが呼びに行ってくれてから、もうすぐ三十分。
 
 ――どうしたんやろう……? 昨日、「明日伺います」て連絡してんけどなぁ……
 
 ちょっと不安に思いつつ、螺旋階段を見上げる。二階からは賑やかな物音が響いてきて、ときどき陽平っぽい声も聞こえた。いるのは間違いないはずやねん。
 
「うー、なんで来ないんやろ?」
 
 おうちに来といて、陽平に電話するわけにもいかへんし。
 じっと待つこと、さらにニ十分――螺旋階段から、お義母さんが降りてきた。
 
「あら、成己さん。こんにちは」
「お義母さん、こんにちは。お邪魔してます」
 
 ぺこりと頭を下げると、お義母さんはふうとため息をついた。「休みなのにねぇ」と低く呟いたのが聞こえて、ぼくは身を小さくする。やっぱ、家族団らんの日に良くなかったかなぁ。
 
 ――いや、でも! 陽平が、ぜーんぜん電話に出えへんからやん!
 
 責任の一端は、話し合いを逃げる陽平にもあるもん。お義母さんには悪いけど、ここはきっぱりと居直っちゃおう。
 ぼくは、しゃんと胸を張った。
 
「お休みの日に、申し訳ありません。陽平さんと、どうしても話したいことがあるんです」
「……ああそう」
 
 ぼくの正面のソファに腰かけると、お義母さんは足を組んだ。
 
「仕方ないわね。じゃあ、私が話を聞くわ」
「えっ」
 
 目を丸くすると、お義母さんは眉を跳ね上げた。
 
「あら、私じゃ不満?」
「いえっ、不満やなんて。お義母さんとも話したいですけどっ……ぼく、陽平さんと」
「あのねえ、成己さん」
 
 ぼくの言葉に、お義母さんがぴしゃりとかぶせた。
 
「私は、陽平ちゃんの母親なの。私に話せないことを、あの子に言うつもりなら……絶っ対に、会わせないわよ?」
 
 お義母さんは可憐な顔に、冷たい笑みを浮かべる。
 
「そんな……」
 
 正直、めちゃめちゃやって思った。
 でも、陽平に「会わせない」って気持ちの本気さだけは、伝わってきて……ぼくは途方に暮れてしまう。
 お義母さんは、つんと顎を突き上げる。
 
「さあ、早く話して。――それとも、もうお引き取り?」
「ま、待ってください! 話します……!」
 
 お手伝いさんを呼ばれそうになり、ぼくは慌てた。
 ここで帰らされたら、陽平と会わせてもらえないかもしれない。――それだけは避けたかった。
 ぼくは、しくりとする下腹に手を当て……陽平に話したいことを、お義母さんに伝える。近藤さんと揉めたことでケンカして、話し合いたいこと。そして、ぼくの体調の変化について。不調があるから、傍にいて欲しいこと――
 
「陽平さんも、ぼくに言いたいことがあると思います。だから、ちゃんと話したいんです。……陽平さんと、会わせてください。お願いします」
 
 深く頭を下げる。――すると、「はっ」と乾いた笑い声が降ってきた。
 
「まったく、嫌になるわね」
「あの……?」
 
 どん、と背もたれに乱暴に体を預け、お義母さんは唸る。不機嫌そうな様子に、ぼくは戸惑った。
 
「またなの、成己さん。あなた、どれだけ陽平ちゃんから搾取する気?」
「えっ」
 
 キッと鋭い目で睨まれて、息を飲む。
 
「あの……どういうことですか?」 
「自覚ないの!? あなたの体が悪いせいで、陽平ちゃんはずっとガマンしてたんでしょ。やっと抑制剤を止めるかと思ったら、今度は「具合が悪い」ですって。甘えるのも大概になさい!」
 
 お義母さんはかっかとして、捲し立てる。激しい怒りのせいか、頬が紅潮していた。
 ぼくは、ぶつけられた言葉の強さに、絶句してしまう。
 でも……体の事情を持ち出されると、反論できなかった。

 ――お義母さんの言う通り……陽平は、ぼくのために我慢してくれたから。

 婚約を決めたとき、子宮が未熟だという事情を、陽平に話したんよ。申し出は嬉しかったけど、子作りの問題は互いに大切なことやから。
 
『別にガキと結婚するんじゃねーから、いいよ。いくらでも待つ』
 
 陽平は、そう言って許してくれた。泣いちゃうくらい、本当に嬉しくて。ぼくは、陽平と出会えてよかったなって、心から思ったん。
 やから……陽平に我慢してもらってる自覚はあった。はやく、体を治そうと頑張ってきたけれど。――いざ、こうして陽平を思う人の口から聞かされると、辛いものがある。
 
「それは、本当に申し訳ありません……」
 
 何も言えずに項垂れると、お義母さんはフンと鼻を鳴らす。
 
「本当よ。――成己さんねえ、もっとしっかりしてくれない? こんなあなたと結婚したら、陽平ちゃんは損ばかりだわ」
「すみません……」
 
 ぼくといると、陽平は損ばかり……ぐさりとやられた胸が痛んで、俯いた。
 そのとき――螺旋階段から、軽快な足取りで誰か降りてくる。
 
「陽平ママ、なんで戻ってこないの……あれっ、成己くん!」
「蓑崎さん……?」
 
 現れたのは、蓑崎さんやった。彼は、陽気な笑みを浮かべて、リビングに足を踏み入れてくる。

――また、蓑崎さん来てたんや。

 ずきっ、と頭が痛む。
 
「晶ちゃぁん! 迎えに来てくれたのっ?」
 
 すると――お義母さんが、可憐な顔一杯に笑みをうかべて、蓑崎さんに抱きついた。
 
「うわっ、もう! 飛びついたら危ないってば」
「うふふ。そんなこと言って、いつも受け止めてくれるでしょう。だから好きよ」
 
 危なげなく抱き留めて、蓑崎さんがほほ笑む。お義母さんは、そんな彼を頼れる息子であるように、うっとりした瞳で見つめてた。
 
 ――え……仲良過ぎとちゃう?
 
 幼馴染のお母さんって、こういうものなの? あんまり親密な空気にぽかんとしてたら、蓑崎さんがこっちを振り返る。
 
「いらっしゃい、成己くん。何しに来たの?」
「……はいっ?」
 
 ぼくの婚家やのに、「いらっしゃい」て何やの?! ムッとすると、お義母さんが声を張り上げた。
 
「いいのよぉ! 晶ちゃんは気にしないで。もう話は終わったし、帰るそうだから」
「えっ」
 
 思わず、目を見開く。蓑崎さんはちらっとぼくを見て、お義母さんにほほ笑む。
 
「ああ、そうなの?」
「私もすぐ戻るから。陽平ちゃんに、飲み物のおかわりだけ、お願いしていい?」
「はーい、ママの仰せのままに」
 
 とんとん拍子で、話しが進んでってしまう。蓑崎さんは、ぼくに殆ど注意を払わず、家の奥に消えて行ってしまった。
 ぼくは大慌てで、声を上げた。
 
「ちょ、ちょっと待ってください。陽平に会いたいんですっ。どうか少しでも……」
 
 すると、お義母さんは打って変わって、面倒そうな顔になる。肩を怒らせて――ふかくふかく、ため息をついた。
 
「な・る・み・さ・ん。あなた、見てなかったの。今から遊ぶの。割って入って、陽平ちゃんの交友関係に水を差すつもり?」
「そ、そういうつもりじゃ……ただ」
 
 食い下がろうとすると、お義母さんは床をどん! と足で踏みならした。
 
「ああもう、五月蠅ーい! あんたもオメガなら、アルファを支えようって気がないわけぇ? これだから、センター育ちは甘やかされてて、世間知らずで嫌なのよ!」
「……!」
 
 ぐい、とマニキュアの輝く長い爪で、胸を押される。
 お義母さんとぼくは、殆ど身長が変わらないから……息が唇にかかりそうな距離に、後じさる。
 
「センターでは、社交ってものは学ばないんでしょ。だから、何もできないのよ――知ってる? あんたが言ってた、近藤さん。次期幹部候補から、外れるそうよ」
「え……!? あの近藤さんが……!?」
  
 目を見開いたぼくに、お義母さんは、満足そうに笑う。
 
「晶ちゃんがね、蓑崎のお父様に頼んで、近藤家に圧力をかけてくれたの。陽平ちゃんのために、ね」
「うそ……!?」
 
 圧力って、どうしてそんな強引なことを。お互いに謝って、解決できるはずやったのに……!
 友菜さんの笑顔が浮かんで、血の気が引いた。
 
「待ってください。あの件は、殴った陽平にも非があって……」
「黙りなさい。正義の行いをした陽平ちゃんに、頭を下げさせるなんて、あんたどうかしてるわよ! その点、晶ちゃんは違うわ。持って生まれた社交の力で、陽平ちゃんを守ってくれたんだから」
 
 お義母さんは、夢見るように頬に手を当てる。ぼくは、どうにも間違っている気がしてならなくて――話を聞くごとに、頭がくらくらしてきた。
 
「ああ、本当に……どうして、晶ちゃんみたいな子が、うちのオメガじゃないのかしら」
「!」

 うっとりと呟かれた言葉に、胸が潰される。ざあ、と耳の奥で風が渦巻いて、ぐらぐらと視界が揺れた。

――…だめ…もう、無理……

 このまま居たら、また醜態をさらしちゃう。
 ぼくは、しくしくと痛むおなかを抱えて……城山家をあとにした。 

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