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第一章~婚約破棄~
五十二話
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「成!」
ロビーに戻ると、宏兄がソファからパッと立ち上がった。
「宏兄、ごめんね。長い時間、待っててもらって……!」
ぼくは、宏兄に駆け寄った。
今朝、ぼくをセンターまで送って来てくれて、それからずっと待ってくれてたん。有難さと申し訳なさで、眉がへにゃりと下がる。
「なにを。お前の大事に、当然だろう」
「宏兄」
力強い言葉に、じんと胸が熱くなる。
「で――どうだった」
宏兄は、ぼくの肩に大きな手を置いて、ソファに座らせると――静かに問う。灰色がかった目が、怖いくらい真剣や。
ぼくは、中谷先生の診断を、どう伝えようって悩みながら……まごまごと口を開いた。
「あの……いっぱい、検査してもらってね? まず、病気とかではないんやって。ちょっと色々疲れがたまってて……それで、ホルモンが乱れて、体調悪くなったんちゃうかって」
さすがに、フェロモン値のことまでは言えなかった。いくら、お兄ちゃんみたいな宏兄であっても、そういう部分を話すのは恥ずかしいもん。
「そうか……」
宏兄は、真剣な顔で何度も頷いて。病気じゃないことに安堵しつつ、体調不良を心配してくれた。
「成、ずい分無理してたんだな……悪かった、気づけなくて」
「そんな、何言うてんのっ。ぼくだって気づいてなかったし。宏兄、ずっと助けてくれてるもん」
心苦しそうな宏兄に、ぎょっとしてしまう。
宏兄がいなかったら、一人で途方に暮れてたかもしれへんのに。感謝の気持ちを込めて、宏兄の瞳を見上げた。
「……成」
にっこり笑うと、そっと肩を引き寄せられる。シャツにくっついた片頬が、ほわりとあったかくなった。
――宏兄は、穏やかな声で囁く。
「足りないよ、成。お前は、一人で抱え込みすぎてるくらいだ」
「えっ、でも……」
思わず、ぱちりと目を見開く。宏兄は、大らかにほほ笑んだ。
「もっと俺を頼ってくれ。俺は、お前のためなら何でもする」
「宏兄……!」
余りにも、あったかい言葉に、瞼が熱くなる。
ぼくは、宏兄の温かい腕に凭れて、鼻を小さく啜った。
――優しい、宏兄……ずっと、かわらへん。
そっとシャツを握ったとき、ふわりと森の香りが鼻先を掠めた。
ぼくは、はっとする。
――『アルファのフェロモンで、オメガは安定するから……』
突然、弾かれたように身を離したぼくに、宏兄は驚いていた。
「どうした?」
「う、ううん。何でもないねん……!」
ぼくは、笑顔で首を振った。――どくどくと、不穏に鼓動する心臓が、ばれへんように祈りながら。
帰り着いたマンションの部屋で、ぼくはため息を吐く。
――宏兄、へんに思ってたかも……
しゅんと肩を落とす。
あの後――ごはんを食べて帰ろうってなったんやけど、ぼくがつい、上の空になってしまって。心配した宏兄が、「早く帰って寝た方がいい」って、送り届けてくれたんよ。
「ほんまは、お仕事のお手伝いの打ち合わせ、したかったのに……」
今日も一日、お世話になって。宏兄の大切な時間をもらってるから――何か、返したかった。
新作のお手伝いも、改稿の打ち直しも。たぶん、始まってるはずやと思う。でも、宏兄は、ぼくの体調のことばかり気遣ってくれて……
「――えい! しっかりせなっ」
ぱちん、と頬を叩く。
ぐじぐじ悩んだって、仕方ない。元気にならなくちゃ、宏兄は心配してお仕事に関わらせてくれへんやろうし。
「やからこそ……元気になるために、出来ることをするっ!」
そうと決めたら、さっそく動き出す。
勝手知ったる陽平の部屋に入ると、クローゼットを開けた。
「ええと……なにか、まだ洗ってない服、なかったっけ……?」
ごそごそと洋服を物色するものの、なかなか「香りの強い」衣服が見つからない。
「うーん、どれも洗剤のかおりやわあ……」
着っぱなしの服、置いておくことってないもんね。
唯一、クリーニングに出す予定の春コートを発見したけど……それさえ、臭い消しのフレグランスがほのかに香るのみ。
困り果てたとき――天啓が降りる。
「あ、そうやっ」
寝室に駆け込んで、お布団を持ち上げた。――ふわ、と薔薇のような香りが香る。ぼくは、ぱあっと顔を輝かせる。
「よかった……! これさえあれば、大丈夫!」
ばふ、と顔を埋めると――薔薇のような陽平のフェロモンが香る。おなかがほっこりして、安堵感に息を吐く。
――陽平が帰ってきてくれるまで。具合が悪くなっても、これでしのげる……!
アルファのフェロモンで、オメガが安定するって先生は言ってた。
それで……昨日、体調が悪くなったとき――宏兄のおかげで、助かったってわかってん。
――でも、もう宏兄のフェロモンには、頼ったらあかん。
ぼくのアルファは、陽平やもん。
そういうの、宏兄にも……陽平にも、申し訳ないことやって思うから。
「……明日、陽平に会いに行ってみよう」
そして、お互いの思ってること言い合って。誤解もきちんと解いて……もう一回、笑い合いたい。
「体調のことも、話さなきゃやもんね。二人のことやもん」
ぼくは、ぎゅっと布団を抱えた。
ロビーに戻ると、宏兄がソファからパッと立ち上がった。
「宏兄、ごめんね。長い時間、待っててもらって……!」
ぼくは、宏兄に駆け寄った。
今朝、ぼくをセンターまで送って来てくれて、それからずっと待ってくれてたん。有難さと申し訳なさで、眉がへにゃりと下がる。
「なにを。お前の大事に、当然だろう」
「宏兄」
力強い言葉に、じんと胸が熱くなる。
「で――どうだった」
宏兄は、ぼくの肩に大きな手を置いて、ソファに座らせると――静かに問う。灰色がかった目が、怖いくらい真剣や。
ぼくは、中谷先生の診断を、どう伝えようって悩みながら……まごまごと口を開いた。
「あの……いっぱい、検査してもらってね? まず、病気とかではないんやって。ちょっと色々疲れがたまってて……それで、ホルモンが乱れて、体調悪くなったんちゃうかって」
さすがに、フェロモン値のことまでは言えなかった。いくら、お兄ちゃんみたいな宏兄であっても、そういう部分を話すのは恥ずかしいもん。
「そうか……」
宏兄は、真剣な顔で何度も頷いて。病気じゃないことに安堵しつつ、体調不良を心配してくれた。
「成、ずい分無理してたんだな……悪かった、気づけなくて」
「そんな、何言うてんのっ。ぼくだって気づいてなかったし。宏兄、ずっと助けてくれてるもん」
心苦しそうな宏兄に、ぎょっとしてしまう。
宏兄がいなかったら、一人で途方に暮れてたかもしれへんのに。感謝の気持ちを込めて、宏兄の瞳を見上げた。
「……成」
にっこり笑うと、そっと肩を引き寄せられる。シャツにくっついた片頬が、ほわりとあったかくなった。
――宏兄は、穏やかな声で囁く。
「足りないよ、成。お前は、一人で抱え込みすぎてるくらいだ」
「えっ、でも……」
思わず、ぱちりと目を見開く。宏兄は、大らかにほほ笑んだ。
「もっと俺を頼ってくれ。俺は、お前のためなら何でもする」
「宏兄……!」
余りにも、あったかい言葉に、瞼が熱くなる。
ぼくは、宏兄の温かい腕に凭れて、鼻を小さく啜った。
――優しい、宏兄……ずっと、かわらへん。
そっとシャツを握ったとき、ふわりと森の香りが鼻先を掠めた。
ぼくは、はっとする。
――『アルファのフェロモンで、オメガは安定するから……』
突然、弾かれたように身を離したぼくに、宏兄は驚いていた。
「どうした?」
「う、ううん。何でもないねん……!」
ぼくは、笑顔で首を振った。――どくどくと、不穏に鼓動する心臓が、ばれへんように祈りながら。
帰り着いたマンションの部屋で、ぼくはため息を吐く。
――宏兄、へんに思ってたかも……
しゅんと肩を落とす。
あの後――ごはんを食べて帰ろうってなったんやけど、ぼくがつい、上の空になってしまって。心配した宏兄が、「早く帰って寝た方がいい」って、送り届けてくれたんよ。
「ほんまは、お仕事のお手伝いの打ち合わせ、したかったのに……」
今日も一日、お世話になって。宏兄の大切な時間をもらってるから――何か、返したかった。
新作のお手伝いも、改稿の打ち直しも。たぶん、始まってるはずやと思う。でも、宏兄は、ぼくの体調のことばかり気遣ってくれて……
「――えい! しっかりせなっ」
ぱちん、と頬を叩く。
ぐじぐじ悩んだって、仕方ない。元気にならなくちゃ、宏兄は心配してお仕事に関わらせてくれへんやろうし。
「やからこそ……元気になるために、出来ることをするっ!」
そうと決めたら、さっそく動き出す。
勝手知ったる陽平の部屋に入ると、クローゼットを開けた。
「ええと……なにか、まだ洗ってない服、なかったっけ……?」
ごそごそと洋服を物色するものの、なかなか「香りの強い」衣服が見つからない。
「うーん、どれも洗剤のかおりやわあ……」
着っぱなしの服、置いておくことってないもんね。
唯一、クリーニングに出す予定の春コートを発見したけど……それさえ、臭い消しのフレグランスがほのかに香るのみ。
困り果てたとき――天啓が降りる。
「あ、そうやっ」
寝室に駆け込んで、お布団を持ち上げた。――ふわ、と薔薇のような香りが香る。ぼくは、ぱあっと顔を輝かせる。
「よかった……! これさえあれば、大丈夫!」
ばふ、と顔を埋めると――薔薇のような陽平のフェロモンが香る。おなかがほっこりして、安堵感に息を吐く。
――陽平が帰ってきてくれるまで。具合が悪くなっても、これでしのげる……!
アルファのフェロモンで、オメガが安定するって先生は言ってた。
それで……昨日、体調が悪くなったとき――宏兄のおかげで、助かったってわかってん。
――でも、もう宏兄のフェロモンには、頼ったらあかん。
ぼくのアルファは、陽平やもん。
そういうの、宏兄にも……陽平にも、申し訳ないことやって思うから。
「……明日、陽平に会いに行ってみよう」
そして、お互いの思ってること言い合って。誤解もきちんと解いて……もう一回、笑い合いたい。
「体調のことも、話さなきゃやもんね。二人のことやもん」
ぼくは、ぎゅっと布団を抱えた。
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