いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
51 / 371
第一章~婚約破棄~

五十話

しおりを挟む
 頬に、あたたかな感触があった。
 微睡のなか――意識が、わずかに浮上する。ふわふわと、輪郭をなぞるように……何かが、優しくぼくにタッチする。耳に、額に……慈しむような、存在を確かめるような動き。
 むかし、こんな風にちっちゃな子犬を撫でたかも。――そんな記憶が、ふと掠めるほど。
 
「……ふふ」
 
 くすぐったくて、唇がほころんでしまう。――すると、ほど近いところで、低く笑う声が聞こえてきた。
 ころりと身じろぐと、また眠くなって……ぼくはまた、とろとろと眠り込んでしまった。
 
 
 
 次に気が付くと、ぼくは休憩室のソファに横たわっていた。
 
「……ん?」
 
 たっぷりのブランケットに包まれていて、ほこほこと体があったかい。――一度、起きた気がするけど、夢やろうか……
 
「――成。起きたのか?」
「宏兄……」
 
 宏兄が、穏やかな声で言う。――ソファの脇に座り込んで、様子を見ててくれたみたい。膝の上に開いていたノートを放り、ぼくの顔をひょいと覗き込む。
 
「ああ……ずい分、顔色が良くなった」
 
 嬉しそうに頬を撫でられて、まだ、ぼんやりしながら頷いた。……ええと。急に具合が悪くなったのを、宏兄が介抱してくれて。それから、眠りこけちゃったんやっけ……?
 そこで、ハッとする。
 
「ひ、宏兄っ……! 今、何時くらい?」
「ん? 八時ぐらいかな」
「わああ」
 
 もう、そんな時間になっちゃってるの……!? 宏兄に申し訳なさすぎて、青ざめた。慌てて、身を起こそうともがくと、宏兄がぎょっとしたように、覆いかぶさってきた。
 
「こら、急に起きるんじゃないっ。危ないだろう」
「で……でも、もう、良くなったから。起きなくちゃ」
「だーめーだ」
 
 有無を言わさない調子で、ブランケットをぐるぐる巻きにされちゃった。まんま、赤ちゃんのおくるみ状態で、流石に恥ずかしい。
 オロオロするぼくに、宏兄は言う。
 
「いいから、大人しく休んでくれ。体調不良に油断は禁物だって、立花先生も言ってるんだろう?」
「そ、それは……」
「頼む、成。心配なんだよ」
 
 真剣な面持ちで、じっと見つめられる。ぼくも、すごく心配をかけた自覚はあるから……ぐっと詰まっちゃう。観念して頷くと、宏兄はほっと表情を緩めた。
 
「よし、よし」
 
 ぽんぽん、と子供をあやすように、おくるみを叩かれる。さすがに、もう寝れっこないと思ったのに。一定のリズムが心地よくって、またウトウトし始めてしまう。
 
 ――うそ……ねむ……
 
 促されるまま、おっかなびっくり意識が遠のいていった。
 
 
 
 
 結局、ぼくが起きることができたのは――さらに、一時間眠ったあとやってん。
 宏兄とぼくは、お店のテーブルに向かい合わせに座って、お茶を啜っていた。
 
「ふぅ……美味しい……」
 
 熱い緑茶を飲むと、ふやけた体にぽっと火が点るみたい。ほうと息を吐くと、宏兄は目を和ませた。
 
「熱いから、気をつけろよ」
「うん」
 
 ふうふうと香ばしい湯気を吹いていると、宏兄が切り出した。
 
「……どうだ、体調は?」
「うん、大丈夫。いっぱい寝れたし、もう元気になったよっ」
 
 宏兄がずっと居てくれたから、不安が無くなってん。いまこうしてても、目眩は治っているみたいやし、宏兄さまさまです。
 にっこり笑って言うと、宏兄は頷いた。
 
「なあ、成。――センターで診てもらおう」
「えっ……」
「さっきの目眩……俺は、ちゃんと診てもらったほうがいいと思う。体が辛いなら、今日じゃなくてもいいから」
 
 すごい真剣な顔に、声に――ごくんとお茶を飲みこむ。宏兄の心配が伝わってきて、胸がじいんと震えてしまう。
 実のところ、体はもう辛くなかったけれど……ぼくは、こくりと頷いた。
 
「わかった……そうする!」
「成」
 
 宏兄の眉根が、パッと開く。
 
「えと、中谷先生、もうお仕事終わりやと思うから……明日、行ってみようと思う」
「そうか。じゃあ明日、迎えに行くからな」
「うんっ……ありがとう、宏兄」
 
 ほっとしたように笑う宏兄に、ぼくも笑い返した。
 心配してくれる人がいるって、ありがたいことやねえ。あったかい湯飲みを手に包んで、ほっこりする。
 まだ十分に熱いお茶を飲むと、するすると喉からおなかまでが温かくなった。――何気なくおなかに触れても、具合が悪いときの不思議な感覚はない。
 
 ――あれは、疲れとか。寝不足のせい、なんかなあ……?
 
 不思議やったけど、明日診てもらうことやし、「ま、いいか」と思い直した。
 と、おなかを擦ってるんを誤解したんか、宏兄が首を傾げる。

「どした、成。痛いのか?」
「あ……ううん! 何にもないよ。強いて言うなら、おなかへったなーって」
「なんだ、そうか」

 慌てて笑うと、宏兄も笑ってくれた。
 ――ぼくは、自分のからだの「変化」に、まるで気づいてなくて。
 やから、翌日。
 
「成己くん、このままじゃ……ちゃんと発情できないかもしれない」
 
 中谷先生から告げられたことに、ひどい衝撃を受けた。
 
 
しおりを挟む
感想 208

あなたにおすすめの小説

捨てられオメガの幸せは

ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。 幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

偽りの僕を愛したのは

ぽんた
BL
自分にはもったいないと思えるほどの人と恋人のレイ。 彼はこの国の騎士団長、しかも侯爵家の三男で。 対して自分は親がいない平民。そしてある事情があって彼に隠し事をしていた。 それがバレたら彼のそばには居られなくなってしまう。 隠し事をする自分が卑しくて憎くて仕方ないけれど、彼を愛したからそれを突き通さなければ。 騎士団長✕訳あり平民

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

悪役令息の死ぬ前に

やぬい
BL
「あんたら全員最高の馬鹿だ」  ある日、高貴な血筋に生まれた公爵令息であるラインハルト・ニーチェ・デ・サヴォイアが突如として婚約者によって破棄されるという衝撃的な出来事が起こった。  彼が愛し、心から信じていた相手の裏切りに、しかもその新たな相手が自分の義弟だということに彼の心は深く傷ついた。  さらに冤罪をかけられたラインハルトは公爵家の自室に幽閉され、数日後、シーツで作った縄で首を吊っているのを発見された。  青年たちは、ラインハルトの遺体を抱きしめる男からその話を聞いた。その青年たちこそ、マークの元婚約者と義弟とその友人である。 「真実も分からないクセに分かった風になっているガキがいたからラインは死んだんだ」  男によって過去に戻された青年たちは「真実」を見つけられるのか。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

処理中です...