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第一章~婚約破棄~
五十話
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頬に、あたたかな感触があった。
微睡のなか――意識が、わずかに浮上する。ふわふわと、輪郭をなぞるように……何かが、優しくぼくにタッチする。耳に、額に……慈しむような、存在を確かめるような動き。
むかし、こんな風にちっちゃな子犬を撫でたかも。――そんな記憶が、ふと掠めるほど。
「……ふふ」
くすぐったくて、唇がほころんでしまう。――すると、ほど近いところで、低く笑う声が聞こえてきた。
ころりと身じろぐと、また眠くなって……ぼくはまた、とろとろと眠り込んでしまった。
次に気が付くと、ぼくは休憩室のソファに横たわっていた。
「……ん?」
たっぷりのブランケットに包まれていて、ほこほこと体があったかい。――一度、起きた気がするけど、夢やろうか……
「――成。起きたのか?」
「宏兄……」
宏兄が、穏やかな声で言う。――ソファの脇に座り込んで、様子を見ててくれたみたい。膝の上に開いていたノートを放り、ぼくの顔をひょいと覗き込む。
「ああ……ずい分、顔色が良くなった」
嬉しそうに頬を撫でられて、まだ、ぼんやりしながら頷いた。……ええと。急に具合が悪くなったのを、宏兄が介抱してくれて。それから、眠りこけちゃったんやっけ……?
そこで、ハッとする。
「ひ、宏兄っ……! 今、何時くらい?」
「ん? 八時ぐらいかな」
「わああ」
もう、そんな時間になっちゃってるの……!? 宏兄に申し訳なさすぎて、青ざめた。慌てて、身を起こそうともがくと、宏兄がぎょっとしたように、覆いかぶさってきた。
「こら、急に起きるんじゃないっ。危ないだろう」
「で……でも、もう、良くなったから。起きなくちゃ」
「だーめーだ」
有無を言わさない調子で、ブランケットをぐるぐる巻きにされちゃった。まんま、赤ちゃんのおくるみ状態で、流石に恥ずかしい。
オロオロするぼくに、宏兄は言う。
「いいから、大人しく休んでくれ。体調不良に油断は禁物だって、立花先生も言ってるんだろう?」
「そ、それは……」
「頼む、成。心配なんだよ」
真剣な面持ちで、じっと見つめられる。ぼくも、すごく心配をかけた自覚はあるから……ぐっと詰まっちゃう。観念して頷くと、宏兄はほっと表情を緩めた。
「よし、よし」
ぽんぽん、と子供をあやすように、おくるみを叩かれる。さすがに、もう寝れっこないと思ったのに。一定のリズムが心地よくって、またウトウトし始めてしまう。
――うそ……ねむ……
促されるまま、おっかなびっくり意識が遠のいていった。
結局、ぼくが起きることができたのは――さらに、一時間眠ったあとやってん。
宏兄とぼくは、お店のテーブルに向かい合わせに座って、お茶を啜っていた。
「ふぅ……美味しい……」
熱い緑茶を飲むと、ふやけた体にぽっと火が点るみたい。ほうと息を吐くと、宏兄は目を和ませた。
「熱いから、気をつけろよ」
「うん」
ふうふうと香ばしい湯気を吹いていると、宏兄が切り出した。
「……どうだ、体調は?」
「うん、大丈夫。いっぱい寝れたし、もう元気になったよっ」
宏兄がずっと居てくれたから、不安が無くなってん。いまこうしてても、目眩は治っているみたいやし、宏兄さまさまです。
にっこり笑って言うと、宏兄は頷いた。
「なあ、成。――センターで診てもらおう」
「えっ……」
「さっきの目眩……俺は、ちゃんと診てもらったほうがいいと思う。体が辛いなら、今日じゃなくてもいいから」
すごい真剣な顔に、声に――ごくんとお茶を飲みこむ。宏兄の心配が伝わってきて、胸がじいんと震えてしまう。
実のところ、体はもう辛くなかったけれど……ぼくは、こくりと頷いた。
「わかった……そうする!」
「成」
宏兄の眉根が、パッと開く。
「えと、中谷先生、もうお仕事終わりやと思うから……明日、行ってみようと思う」
「そうか。じゃあ明日、迎えに行くからな」
「うんっ……ありがとう、宏兄」
ほっとしたように笑う宏兄に、ぼくも笑い返した。
心配してくれる人がいるって、ありがたいことやねえ。あったかい湯飲みを手に包んで、ほっこりする。
まだ十分に熱いお茶を飲むと、するすると喉からおなかまでが温かくなった。――何気なくおなかに触れても、具合が悪いときの不思議な感覚はない。
――あれは、疲れとか。寝不足のせい、なんかなあ……?
不思議やったけど、明日診てもらうことやし、「ま、いいか」と思い直した。
と、おなかを擦ってるんを誤解したんか、宏兄が首を傾げる。
「どした、成。痛いのか?」
「あ……ううん! 何にもないよ。強いて言うなら、おなかへったなーって」
「なんだ、そうか」
慌てて笑うと、宏兄も笑ってくれた。
――ぼくは、自分のからだの「変化」に、まるで気づいてなくて。
やから、翌日。
「成己くん、このままじゃ……ちゃんと発情できないかもしれない」
中谷先生から告げられたことに、ひどい衝撃を受けた。
微睡のなか――意識が、わずかに浮上する。ふわふわと、輪郭をなぞるように……何かが、優しくぼくにタッチする。耳に、額に……慈しむような、存在を確かめるような動き。
むかし、こんな風にちっちゃな子犬を撫でたかも。――そんな記憶が、ふと掠めるほど。
「……ふふ」
くすぐったくて、唇がほころんでしまう。――すると、ほど近いところで、低く笑う声が聞こえてきた。
ころりと身じろぐと、また眠くなって……ぼくはまた、とろとろと眠り込んでしまった。
次に気が付くと、ぼくは休憩室のソファに横たわっていた。
「……ん?」
たっぷりのブランケットに包まれていて、ほこほこと体があったかい。――一度、起きた気がするけど、夢やろうか……
「――成。起きたのか?」
「宏兄……」
宏兄が、穏やかな声で言う。――ソファの脇に座り込んで、様子を見ててくれたみたい。膝の上に開いていたノートを放り、ぼくの顔をひょいと覗き込む。
「ああ……ずい分、顔色が良くなった」
嬉しそうに頬を撫でられて、まだ、ぼんやりしながら頷いた。……ええと。急に具合が悪くなったのを、宏兄が介抱してくれて。それから、眠りこけちゃったんやっけ……?
そこで、ハッとする。
「ひ、宏兄っ……! 今、何時くらい?」
「ん? 八時ぐらいかな」
「わああ」
もう、そんな時間になっちゃってるの……!? 宏兄に申し訳なさすぎて、青ざめた。慌てて、身を起こそうともがくと、宏兄がぎょっとしたように、覆いかぶさってきた。
「こら、急に起きるんじゃないっ。危ないだろう」
「で……でも、もう、良くなったから。起きなくちゃ」
「だーめーだ」
有無を言わさない調子で、ブランケットをぐるぐる巻きにされちゃった。まんま、赤ちゃんのおくるみ状態で、流石に恥ずかしい。
オロオロするぼくに、宏兄は言う。
「いいから、大人しく休んでくれ。体調不良に油断は禁物だって、立花先生も言ってるんだろう?」
「そ、それは……」
「頼む、成。心配なんだよ」
真剣な面持ちで、じっと見つめられる。ぼくも、すごく心配をかけた自覚はあるから……ぐっと詰まっちゃう。観念して頷くと、宏兄はほっと表情を緩めた。
「よし、よし」
ぽんぽん、と子供をあやすように、おくるみを叩かれる。さすがに、もう寝れっこないと思ったのに。一定のリズムが心地よくって、またウトウトし始めてしまう。
――うそ……ねむ……
促されるまま、おっかなびっくり意識が遠のいていった。
結局、ぼくが起きることができたのは――さらに、一時間眠ったあとやってん。
宏兄とぼくは、お店のテーブルに向かい合わせに座って、お茶を啜っていた。
「ふぅ……美味しい……」
熱い緑茶を飲むと、ふやけた体にぽっと火が点るみたい。ほうと息を吐くと、宏兄は目を和ませた。
「熱いから、気をつけろよ」
「うん」
ふうふうと香ばしい湯気を吹いていると、宏兄が切り出した。
「……どうだ、体調は?」
「うん、大丈夫。いっぱい寝れたし、もう元気になったよっ」
宏兄がずっと居てくれたから、不安が無くなってん。いまこうしてても、目眩は治っているみたいやし、宏兄さまさまです。
にっこり笑って言うと、宏兄は頷いた。
「なあ、成。――センターで診てもらおう」
「えっ……」
「さっきの目眩……俺は、ちゃんと診てもらったほうがいいと思う。体が辛いなら、今日じゃなくてもいいから」
すごい真剣な顔に、声に――ごくんとお茶を飲みこむ。宏兄の心配が伝わってきて、胸がじいんと震えてしまう。
実のところ、体はもう辛くなかったけれど……ぼくは、こくりと頷いた。
「わかった……そうする!」
「成」
宏兄の眉根が、パッと開く。
「えと、中谷先生、もうお仕事終わりやと思うから……明日、行ってみようと思う」
「そうか。じゃあ明日、迎えに行くからな」
「うんっ……ありがとう、宏兄」
ほっとしたように笑う宏兄に、ぼくも笑い返した。
心配してくれる人がいるって、ありがたいことやねえ。あったかい湯飲みを手に包んで、ほっこりする。
まだ十分に熱いお茶を飲むと、するすると喉からおなかまでが温かくなった。――何気なくおなかに触れても、具合が悪いときの不思議な感覚はない。
――あれは、疲れとか。寝不足のせい、なんかなあ……?
不思議やったけど、明日診てもらうことやし、「ま、いいか」と思い直した。
と、おなかを擦ってるんを誤解したんか、宏兄が首を傾げる。
「どした、成。痛いのか?」
「あ……ううん! 何にもないよ。強いて言うなら、おなかへったなーって」
「なんだ、そうか」
慌てて笑うと、宏兄も笑ってくれた。
――ぼくは、自分のからだの「変化」に、まるで気づいてなくて。
やから、翌日。
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