いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
51 / 406
第一章~婚約破棄~

五十話

しおりを挟む
 頬に、あたたかな感触があった。
 微睡のなか――意識が、わずかに浮上する。ふわふわと、輪郭をなぞるように……何かが、優しくぼくにタッチする。耳に、額に……慈しむような、存在を確かめるような動き。
 むかし、こんな風にちっちゃな子犬を撫でたかも。――そんな記憶が、ふと掠めるほど。
 
「……ふふ」
 
 くすぐったくて、唇がほころんでしまう。――すると、ほど近いところで、低く笑う声が聞こえてきた。
 ころりと身じろぐと、また眠くなって……ぼくはまた、とろとろと眠り込んでしまった。
 
 
 
 次に気が付くと、ぼくは休憩室のソファに横たわっていた。
 
「……ん?」
 
 たっぷりのブランケットに包まれていて、ほこほこと体があったかい。――一度、起きた気がするけど、夢やろうか……
 
「――成。起きたのか?」
「宏兄……」
 
 宏兄が、穏やかな声で言う。――ソファの脇に座り込んで、様子を見ててくれたみたい。膝の上に開いていたノートを放り、ぼくの顔をひょいと覗き込む。
 
「ああ……ずい分、顔色が良くなった」
 
 嬉しそうに頬を撫でられて、まだ、ぼんやりしながら頷いた。……ええと。急に具合が悪くなったのを、宏兄が介抱してくれて。それから、眠りこけちゃったんやっけ……?
 そこで、ハッとする。
 
「ひ、宏兄っ……! 今、何時くらい?」
「ん? 八時ぐらいかな」
「わああ」
 
 もう、そんな時間になっちゃってるの……!? 宏兄に申し訳なさすぎて、青ざめた。慌てて、身を起こそうともがくと、宏兄がぎょっとしたように、覆いかぶさってきた。
 
「こら、急に起きるんじゃないっ。危ないだろう」
「で……でも、もう、良くなったから。起きなくちゃ」
「だーめーだ」
 
 有無を言わさない調子で、ブランケットをぐるぐる巻きにされちゃった。まんま、赤ちゃんのおくるみ状態で、流石に恥ずかしい。
 オロオロするぼくに、宏兄は言う。
 
「いいから、大人しく休んでくれ。体調不良に油断は禁物だって、立花先生も言ってるんだろう?」
「そ、それは……」
「頼む、成。心配なんだよ」
 
 真剣な面持ちで、じっと見つめられる。ぼくも、すごく心配をかけた自覚はあるから……ぐっと詰まっちゃう。観念して頷くと、宏兄はほっと表情を緩めた。
 
「よし、よし」
 
 ぽんぽん、と子供をあやすように、おくるみを叩かれる。さすがに、もう寝れっこないと思ったのに。一定のリズムが心地よくって、またウトウトし始めてしまう。
 
 ――うそ……ねむ……
 
 促されるまま、おっかなびっくり意識が遠のいていった。
 
 
 
 
 結局、ぼくが起きることができたのは――さらに、一時間眠ったあとやってん。
 宏兄とぼくは、お店のテーブルに向かい合わせに座って、お茶を啜っていた。
 
「ふぅ……美味しい……」
 
 熱い緑茶を飲むと、ふやけた体にぽっと火が点るみたい。ほうと息を吐くと、宏兄は目を和ませた。
 
「熱いから、気をつけろよ」
「うん」
 
 ふうふうと香ばしい湯気を吹いていると、宏兄が切り出した。
 
「……どうだ、体調は?」
「うん、大丈夫。いっぱい寝れたし、もう元気になったよっ」
 
 宏兄がずっと居てくれたから、不安が無くなってん。いまこうしてても、目眩は治っているみたいやし、宏兄さまさまです。
 にっこり笑って言うと、宏兄は頷いた。
 
「なあ、成。――センターで診てもらおう」
「えっ……」
「さっきの目眩……俺は、ちゃんと診てもらったほうがいいと思う。体が辛いなら、今日じゃなくてもいいから」
 
 すごい真剣な顔に、声に――ごくんとお茶を飲みこむ。宏兄の心配が伝わってきて、胸がじいんと震えてしまう。
 実のところ、体はもう辛くなかったけれど……ぼくは、こくりと頷いた。
 
「わかった……そうする!」
「成」
 
 宏兄の眉根が、パッと開く。
 
「えと、中谷先生、もうお仕事終わりやと思うから……明日、行ってみようと思う」
「そうか。じゃあ明日、迎えに行くからな」
「うんっ……ありがとう、宏兄」
 
 ほっとしたように笑う宏兄に、ぼくも笑い返した。
 心配してくれる人がいるって、ありがたいことやねえ。あったかい湯飲みを手に包んで、ほっこりする。
 まだ十分に熱いお茶を飲むと、するすると喉からおなかまでが温かくなった。――何気なくおなかに触れても、具合が悪いときの不思議な感覚はない。
 
 ――あれは、疲れとか。寝不足のせい、なんかなあ……?
 
 不思議やったけど、明日診てもらうことやし、「ま、いいか」と思い直した。
 と、おなかを擦ってるんを誤解したんか、宏兄が首を傾げる。

「どした、成。痛いのか?」
「あ……ううん! 何にもないよ。強いて言うなら、おなかへったなーって」
「なんだ、そうか」

 慌てて笑うと、宏兄も笑ってくれた。
 ――ぼくは、自分のからだの「変化」に、まるで気づいてなくて。
 やから、翌日。
 
「成己くん、このままじゃ……ちゃんと発情できないかもしれない」
 
 中谷先生から告げられたことに、ひどい衝撃を受けた。
 
 
しおりを挟む
感想 213

あなたにおすすめの小説

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

【完結】幼馴染と恋人は別だと言われました

迦陵 れん
恋愛
「幼馴染みは良いぞ。あんなに便利で使いやすいものはない」  大好きだった幼馴染の彼が、友人にそう言っているのを聞いてしまった。  毎日一緒に通学して、お弁当も欠かさず作ってあげていたのに。  幼馴染と恋人は別なのだとも言っていた。  そして、ある日突然、私は全てを奪われた。  幼馴染としての役割まで奪われたら、私はどうしたらいいの?    サクッと終わる短編を目指しました。  内容的に薄い部分があるかもしれませんが、短く纏めることを重視したので、物足りなかったらすみませんm(_ _)m    

オメガの復讐

riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。 しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。 とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

運命の番なのに別れちゃったんですか?

雷尾
BL
いくら運命の番でも、相手に恋人やパートナーがいる人を奪うのは違うんじゃないですかね。と言う話。 途中美形の方がそうじゃなくなりますが、また美形に戻りますのでご容赦ください。 最後まで頑張って読んでもらえたら、それなりに救いはある話だと思います。

捨てられオメガの幸せは

ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。 幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...