いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
46 / 388
第一章~婚約破棄~

四十五話

しおりを挟む
「大丈夫か、成。何があった――それに、城山くんは?」
 
 心配そうに、宏兄はぼくの前に膝をついた。肩に乗せられた大きな手から、じんわりと温かさが沁みてくる。――それで、動揺していた心がちょっと落ち着いてきた。
 
「大丈夫」
 
 ぼくは、くしゃりと崩れそうな顔に力を込めて、なんとか笑った。
 
「陽平は、先に帰っちゃった。ちょっと言い合いになって……そんだけやねん」
「成……」
 
 宏兄は、顔を曇らせる。――そっと引き寄せられて、広い胸に抱えられてしまう。片頬で、シャツ越しのあたたかな体温を感じ、目を瞬いた。
 
「宏兄?」
「辛いなら、泣いても良いんだぞ」
「……!」
 
 ぎゅっ、と背中に腕が回る。
 幼いころのように抱きしめられた途端、心まで昔にかえっちゃいそうになった。喜びも悲しみも、ぜんぶ宏兄に委ねていたあのころに……
 
 ――いま、このときだけでも……宏兄に甘えて、泣いてしまえたら。
 
 でも――ひっく、と漏れかけた嗚咽を、なんとか飲み下す。温かな胸を押して、笑った。
 
「宏兄、ありがとう……大丈夫っ」
「成……」
「ぼく、ケンカくらいで負けへんよ。やから、宏兄……大丈夫って言うて。そしたら、頑張れるから」
「……」
 
 ぼくは、にっこり笑う。――きっと、頬の筋肉を総動員しただけの、ぶさいくな笑顔や。
 それでも笑わなきゃ、と思う。でないと、背中に回された宏兄の腕が、温かくて……それだけで、心が折れそうになるから。
 
 ――ぼくは、もう子供やない。ちゃんと、頑張らなくちゃダメ……!
 
 宏兄は、痛ましそうに眉根を寄せている。それでも、深く息を吐き――長い睫毛を伏せて「わかった」と頷いてくれた。
 
「成は、大丈夫だ――」
「……っ」
「必ず、全部うまくいく。俺が、保証する」
 
 大きな手が、ぽんぽんと背を叩いてくれる。優しいリズムに、胸の奥がほんのりと温められた。
 
「ありがとう、宏兄……」

 頬で凝っていた、涙の予感が遠くなって。ぼくは、やっと本当にほほ笑んだ。






 それから――宏兄は、ぼくを家まで送ってくれた。
 「無理しなくていい」って、心配してくれたけど。ぼくが、帰りたいって言うたんよ。

「陽平、先に帰ってるかもしれへんから。それなら、話し合いたいし。家に居たほうがええかなって……」
「そうか……偉いなあ。でも、何かあったらすぐ言うんだぞ」
「うんっ、ありがとう」

 心配そうな宏兄に、にこっと笑う。助手席におさまって、流れていく景色を見てたぼくやけど――ふいに、ハッとする。

「あ――ねえ、宏兄っ」
「ん?」
「蓑崎さんは、大丈夫かな。陽平と一緒に来てたみたいやけど……」

 色々あって、すっかりと頭を抜け落ちていた。陽平は先に帰ってしまったから……一人になってしまったんとちゃうの。
 慌てるぼくに、宏兄は「ああ」と頷いた。

「彼なら平気だよ。婚約者が来ていたみたいで、あの後合流してたから」
「婚約者?!」

 予想外の言葉に、目を見開く。

「お相手は、仕事の予定だったけど、急いで終わらせてきた――そんな感じだったな。ともかく、彼のことは心配いらない」
「そうやったんや……」

 宏兄の説明に、ほっと息を吐く。婚約者さんがいてるなら、確かに安心なんやろう。

――それにしても。お仕事を急いで終えて、駆けつけてくれるなんて……意外と、優しい人なんやろか……?

 その後、車は恙無く走り――マンションに到着する。

「宏兄……今日、本当にありがとうね」

 車を降りて、ぺこりと頭を下げる。宏兄は穏やかに言う。

「これくらい、何時でも」
「ふふ……ねえ、明日はお店、どうするん?」
「あー……明日は開けるつもりだが……しんどかったら無理するんじゃないぞ」
「ううん、行きたいっ。だめ?」

 たくさんお世話になってるから。ぼくも、なにか返したかった。意気込むぼくに、宏兄は目を細める。

「わかった。じゃあ、また迎えに来るな」
「ありがとう……! 宏兄、気を付けて帰ってね」

 笑顔で手を振ると……ふいに、宏兄が言う。

「なあ、成……あんまり我慢するなよ」
「え?」
「お前がいい子だから、俺は心配だ」
「宏兄……」

 言葉を失うぼくに、宏兄は穏やかにほほ笑む。「行きな」と促されるまま、別れを告げる。

「……あっ」

 でも、マンションに入って振り返ったとき――走り去っていく車が見えて。なんだか、すごく優しさがしみて……ぼくはしばらく立ち尽くした。

しおりを挟む
感想 211

あなたにおすすめの小説

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

【完結】記憶を失くした旦那さま

山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。 目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。 彼は愛しているのはリターナだと言った。 そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

夫が平民と不倫しているようなので、即刻離婚します

うみか
恋愛
両親が亡くなり親戚の家を転々とする私。 しかしそんな折、幼馴染が私の元へ現れて愛を叫ぶ。 彼と結婚することにした私だが、程なくして彼の裏切りが判明する。

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...