いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

三十八話 

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 ――チュン、チュン……
 
 鳥のさえずりが聞こえて、ぼくは目を覚ました。
 
「あ……朝……?」
 
 のろのろと顔を上げる。寝ぼけ眼に、カーテンから差し込む光に照らされる、ダイニングの風景が見える。
 どうやら、食卓に突っ伏したまま、眠ってしまっていたらしい。ぼくはぼんやりする頭で、昨夜のことを思い起こした。
 
「……そっか。昨夜は、お掃除してたんやっけ……」
 
 
 
 陽平に、部屋から追い出されてから――
 ぼくは、のろのろと重い体を引きずって、リビングへ戻ったん。
 もう一度ドアを開けるのも、二人が出てくるのを待ってるのも、怖かったし。たぶん、あそこで蹲ってても、なんか好転するわけやないって、分かってたから。
 お酒の匂いの充満する、無人のリビングを眺め――ぼくは、ぺちんと頬を叩く。
 
「よしっ……お掃除しよう」
 
 こんなときこそ、自分のやるべきことをしていれば、気がまぎれるはず。
 だって――めちゃくちゃになったお部屋は、片付ければ綺麗になるんやもん。
 ぼくは、砕けた食器の破片やゴミを片付けて、あちこちを綺麗に拭いて。……汚れと一緒に、やり場のない気持ちをやっつけてやろうって。気合を込めて、一心不乱に体を動かした。
 
「はぁ……やっと終わったぁ」
 
 最後に、染み抜きしたカーペットをお風呂場で丸洗いにして、干した頃には――とうに深夜をまわってて。リビングは、いささか殺風景になったのと――ゴミ袋がいくつも置いてあること以外は、元通りになったん。
 流石にどっとくたびれて、よろよろとダイニングのテーブルに突っ伏したんや。
 
 
「ほんのちょっと、休むつもりやったのに……」
 
 まさか、朝まで眠っちゃうなんて。
 不自然な体勢でいたせいか、体のあちこちが強張っていた。肘を持って、腕を伸ばしていると――カタン、と物音がした。
 そっちを振り返り、ぎくりとした。
 
「あ……成己くん」
「……蓑崎さん」
 
 ダイニングに入って来たのは、蓑崎さんやった。陽平のスエットを着て、気だるそうに目をこすりながら、近づいてくる。
 少し、胸の奥がざわっとしたのに見ないふりして、笑顔を作る。
 
「おはようございます。あの、気分は……」
「ふぁ……もう、最悪。ぜんぜん眠れなかった」
 
 欠伸混じりに呟くと、蓑崎さんはダイニングの椅子を引き、どかりと腰を下ろした。長い両腕をテーブルに投げ出して、顔を突っ伏している。
 
「あの、大丈夫ですか? お水、飲みますか」
「んー。ペットボトル」
 
 冷蔵庫からミネラルウォーターを一本出して、蓑崎さんに渡す。
 
「はぁ……冷たい」
 
 蓑崎さんは三分の一ほど一気に呷り、濡れた唇を舐める。
 ぼくは、なんとなく居心地の悪い気持ちで、その場に立っていた。すると、幾分さっぱりした様子で、テーブルに頬杖をついた彼が、上目がちにこっちを見た。
 
「あのさ、昨夜は何にもないからね?」
「え?」
 
 わけがわからず、きょとんと目を丸くすると、蓑崎さんはふうと息を吐いた。
 
「陽・平・のコト。成己くん、なんか誤解してそうだったからさ。あの後は、普通に着替えて寝ただけ、心配しないで」
「……!」
 
 かっ、と頬が熱くなる。
 
 ――そんなんっ……あなたの口からは、聞きたくないよ……!
 
 昨夜の陽平との諍いを、蓑崎さんの前でしたことを、今さらながらに後悔する。
 恥ずかしさと悔しさで唇を噛み締めていると、蓑崎さんが「あーあ」と呟く。酷く憂鬱そうな声やった。
 
「オメガって、めんどくせぇ。ちょっと仲良くすりゃ、色目使われるし。普通の友達付き合いを、いちいち疑われてさー……俺はそんな、やらしい生き物じゃねーっての」
「……蓑崎さん」
 
 ぼくは、ハッとする。
 
「俺も、成己くんみたいだったら楽だったのになぁ……」
 
 蓑崎さんはそう言って、寂し気に微笑んだ。
 ぼくは、さっきとは違う理由で恥ずかしくなった。なんだか返す言葉がなくて……「そうですか」と頷く。
 ――もし、オメガじゃなかったら。
 これを考えないオメガは、あまりいないはず。もちろん、ぼくも思ったことはある。……けど、ぼくはオメガじゃない自分を想像できないとも、思ってるん。
 
「愛する人の子を産み、家族をつくる」
 
 幼いころからずっと変わらない、ぼくの夢。それがオメガの本能だとしても――ぼくは自分を嫌いになんかならない。
 
 ――蓑崎さんは、もともと後継者になるために育ったて。陽平、言うてたもんな……
 
 この人は、オメガとして生きることにギャップがあるのかもしれない。それやったら……陽平への態度も、ぼくが気にするのは失礼なんやろうか……?
 少ししんみりしていると、再びダイニングのドアが開く。
 
「晶!」
 
 不機嫌そうな陽平が、入ってきた。
 
「あ、陽平っ」
 
 ぎくりとしたぼくに反し、蓑崎さんがパッと明るい声を上げる。
 陽平は蓑崎さんを見つめて、はあと大きく息を吐いた。
 
「お前、声くらいかけてけよな……」
「はぁ? 何それ。陽平、甘えん坊かよ」
 
 蓑崎さんにからかわれ、陽平は顔をさっと赤くした。
 
「ばっ……一人で帰ったのかと思ったんだ」
 
 拗ねたような口ぶりに、蓑崎さんが目を丸くする。それから、はなやいだ笑顔で陽平の肩を抱く。
 
「何だよ、可愛いこと言いやがって! こうしてやるっ」
「おいっ、離せよ!」
 
 乱暴に髪をかき回されて、陽平は大げさに身を捩る。けど、照れてるだけなんは誰の目にも明らかで。ますます上機嫌な蓑崎さんの玩具になっていた。
 
「……」
 
 ぼくはと言うと、じゃれあう二人を見ながら唖然としていた。
 
 ――……ぼくのこと、丸っとスルーですか!? 
 
 頭の中でカーン! とゴングが鳴る。
 さっきまでのしんみりした気分は、はるか彼方へ。なんか、相手が元気そうやと遠慮する気も失せるよね。
 体の脇でぎゅっと拳を握って、「あの!」と声を上げた。
 
「陽平、話したいことがあるんやけどっ……!」
「晶。お前、今日は二限からだったよな」
 
 被せるように、陽平が言う。目を丸くした蓑崎さんは――ぼくの方をチラッと見て、頷く。
 
「うん……一回、荷物取りに帰るけど」
「ふうん。俺もついてくから、もう出ようぜ」
「……陽平っ?!」
 
 二人の会話にぎょっとして、ぼくはもう一度名前を呼ぶ。陽平は、素知らぬ顔で蓑崎さんの肩を抱き、踵をかえす。――絶対、聞こえてるはずやのに……!
 蓑崎さんは、不満げに唇を尖らせる。
 
「過保護すぎ。別に、昨夜のことくらい……」
「うるせ。俺が心配なんだっての」
「はぁ? バーカ」
 
 甘い声の悪態に、陽平が笑ったのが見えた。
 ひとを置き去りにいい雰囲気を醸す二人に、ぼくはわなわなと震えた。
 
「陽平っ、無視せんといてよ……! ちゃんと話くらいしよ?!」
 
 追いかけてって腕を掴むと、邪険に振り払われてしまう。――こっちに一瞥もしないまま、虫でもはらうみたいに。
 
「……っ」
 
 棒立ちになったぼくに、振り返った蓑崎さんが苦笑して言った。
 
「ごめんね、今はやめてやって? 陽平、すごい疲れてるからさ」
「……行くぞ、晶」
「あっ……引っ張るなよ!」
 
 蓑崎さんの手を引いて、陽平は足音荒くリビングを出て行った。
 ぼくのことは、ずっと無視したまま。
 振り払われた手を逆の手で包み……ぼくはメラメラと怒りが滾るのを感じていた。
 
「……もうっ、小学生のケンカやないんやからねっ! 陽平のアホーっ!」
 
 廊下にむかって、怒鳴る。
 けど、変わらず和気あいあいと支度をしている声が聞こえてきて――ぼくはきりきりと唇を噛み締めた。
 
 ――そっちがそういうつもりやったら……ぼくにだって、考えがあるんやからっ……!
 
 自室に飛び込んでスマホをわしづかむと――ぼくは、”ある人”へ電話をかけた。
  
 
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