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第一章~婚約破棄~
三十六話
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それから、一時間ほど経ち――
予想通りというか、潰れたり眠ったりする人も出始めて。避難所にした廊下には、酔っぱらいの皆さんが、ごろんごろんと横たわっている。
「おえええ……成己さん、すんません……」
「大丈夫ですよ。すっきりしたら、横になってくださいね」
ビニル袋を張ったバケツに顔をつっこんで、げぼを吐いているお客さんの背を擦る。
飲み会のときは、ミニバケツ(袋つき)をいっぱい用意しとくん。去年、初めての飲み会で家の中が酷いことになったから、その教訓やねん。
「奥さん。俺、そいつ寝かせますね」
「あ、岩瀬さん。ありがとうございますっ」
腕まくりした岩瀬さんが、お客さんを廊下に寝かせてくれる。渡辺さんが、新しい屍……もといお客さんを引きずってきはった。
ぼくはげぼ袋を始末し、お二人に頭を下げる。
「岩瀬さん、渡辺さん。すみません、ほんまに助かります」
「いやいや! これくらい当然すよ。むしろ奥さんひとりで、大変でしょ」
岩瀬さんが、ぶんぶんと首を振る。渡辺さんは、リビングを指さして苦笑した。
「気にせんでください。あっち居ても、俺らすること無いですから」
「岩瀬さん、渡辺さん……」
お二人の親切が心にしみて、ジーンとする。にっこり笑い合っていると――リビングの方から、どっ! と賑やかな歓声が上がった。
岩瀬さんが、眉を顰める。
「そろそろ、落ち着いてくれたらいいんすけどねえ……」
お二人が、廊下の酔客たちの介抱を引き受けてくれたので、ぼくはいったんリビングへ戻った。
「いいぞー!」
「飲め飲め!」
部屋の中は、お酒の匂いと人の熱気が渦巻いてた。
みんなの中心で、蓑崎さんが景気よくカクテルを呷っている。
「……ぷはっ! 美味しい」
グラスをあけた蓑崎さんが、口元を拭う。きゅっと目を細めて笑うと、白皙の美貌が幼く見えた。
やんや、と囃し立てる声のなか、近藤さんが嬉しそうに笑う。
「蓑崎、美味そうに飲むよなあ。そんだけ強いと、どうも潰してみたくなるわ」
「あはは、勝負します? 返り討ちにしてやりますよ」
勝ち気に笑う蓑崎さんに、近藤さんは面白そうに目を丸める。陽平が呆れ声で言う。
「馬鹿、そろそろ飲み過ぎだろ」
「は? 全然だっつーの」
言い合う二人に、近藤さんが自分のグラスをずいと差し出した。
「なら、こっちも飲んでみるか?」
「え、なんですか?」
「ジンベースのカクテルだよ。さすがにキツイか?」
からかうような言葉に、蓑崎さんはムッと眉を顰めた。あっ、と思う間もなく、グラスを引ったくり口をつける。
「おい、晶!?」
「ん……なんだ、大したことないですね」
一息に、近藤さんのグラスを空にした蓑崎さんに、陽平が焦った声を上げる。
蓑崎さんは、余裕そうに笑っているものの……真っ赤になって、目が潤んでいる。
ほんまは、かなり酔ってそうや。
――だ、大丈夫なんかな……ジンって、強いお酒やんな?
とりあえず、水の準備しよう。
キッチンにぱたぱた向かう最中、近藤さんの上機嫌な声が聞こえてきた。
「ははは! マジでいいわ、お前」
「ふふ、そうでしょう?」
「馬鹿、晶……! お前、ジンなんて飲んだことねーだろ。熱くなりすぎだ」
コップに水を注いでいると、得意げな蓑崎さんを陽平が窘めているのが聞こえた。……すごく心配そうな、優しい声や。
――陽平は、友達思いやから……でも今は、ちょっと胸が痛いかも……
「……って、そんな場合とちゃうっ」
グジグジした気持ちを振り切るように、急いで蓑崎さんのもとへ向かった。
「蓑崎さん、はい。お水どうぞ」
「えー、いらない」
グラスを差し出すと、ぷいと顔を背けられた。子どものような態度に、呆気にとられてまう。
陽平が眉根を寄せた。
「痩せ我慢してないで飲めよ。顔、真っ赤だぞ」
「は? 暑いだけだし……こうすりゃいいだろ?」
不機嫌そうに吐き捨てた蓑崎さんは、いきなり上着を脱いでしまった。黒いタンクトップだけになって、白い肩や滑らかなデコルテが露になる。
ぼくも陽平も、ぎょっとした。
「み、蓑崎さん!」
「馬ッ鹿、晶!」
「ひゅーっ!」
隣の近藤さんが、口笛を吹いた。他のお客さんも、蓑崎さんの姿に釘付けになってる。
心なしか――酔いのせいだけでなく、目がぎらぎらしてるようや。
――ま、まずい……!
ぼくは慌てて、蓑崎さんの腕を引いた。
「蓑崎さん、だいぶ酔ってるでしょ! あっち行きましょ!」
「うるさいなあ、放っといてよー」
「あっ」
ぶん、と腕を払われて、後ろに倒れ込んだ。勢いが強くて、ころんとでんぐり返ってまう。
どっ、と笑われて、恥ずかしさに頬が熱くなった。
「ほら、晶。行くぞ!」
「やだって。まだ飲む」
陽平がなんど促しても、蓑崎さんはテーブルにしがみついて動かない。完全に、挙動が酔っぱらいのそれや。
陽平を助太刀しなきゃ――慌てて近づいて、ハッとする。
「陽平……」
陽平は、見たことが無いほど怖い顔をしていた。蓑崎さんを見る人から、庇うように――睨みつけて威嚇している。
――守ろうと、必死みたいや。
陽平の変化に、そら恐ろしいナニカを感じ、固まってしまう。
すると、近藤さんが笑った。
「おい城山、無理強いすんなよ! 蓑崎は飲みたいつってんじゃん」
「そうだ、そうだっ」
応援が現れ、蓑崎さんは近藤さんにニコニコと身を寄せる。陽平の米神に青筋が立ったのを見て、ぼくは我にかえる。
けど、次の瞬間――近藤さんが予想もしない行動にでたんや。
「可愛いなあ、蓑崎! ぎゅー!」
「……っ?!」
背後から、蓑崎さんに抱きついた。
がっしりした腕が、華奢な胸とお腹に回り――蓑崎さんの目が、見開かれる。
「……やっ……!」
蓑崎さんの唇が、怯えのこもった悲鳴を漏らした。と、思ったら、ぼくの隣の影が凄まじいスピードで動く。
――バキッ!
鈍い音が響き、近藤さんが吹っ飛んだ。
陽平や。
陽平が、拳を振り抜いていた。
近藤さんは、テーブルの上に倒れ込み、すごい破壊音が鳴り響く。
「陽平……!!!」
予想通りというか、潰れたり眠ったりする人も出始めて。避難所にした廊下には、酔っぱらいの皆さんが、ごろんごろんと横たわっている。
「おえええ……成己さん、すんません……」
「大丈夫ですよ。すっきりしたら、横になってくださいね」
ビニル袋を張ったバケツに顔をつっこんで、げぼを吐いているお客さんの背を擦る。
飲み会のときは、ミニバケツ(袋つき)をいっぱい用意しとくん。去年、初めての飲み会で家の中が酷いことになったから、その教訓やねん。
「奥さん。俺、そいつ寝かせますね」
「あ、岩瀬さん。ありがとうございますっ」
腕まくりした岩瀬さんが、お客さんを廊下に寝かせてくれる。渡辺さんが、新しい屍……もといお客さんを引きずってきはった。
ぼくはげぼ袋を始末し、お二人に頭を下げる。
「岩瀬さん、渡辺さん。すみません、ほんまに助かります」
「いやいや! これくらい当然すよ。むしろ奥さんひとりで、大変でしょ」
岩瀬さんが、ぶんぶんと首を振る。渡辺さんは、リビングを指さして苦笑した。
「気にせんでください。あっち居ても、俺らすること無いですから」
「岩瀬さん、渡辺さん……」
お二人の親切が心にしみて、ジーンとする。にっこり笑い合っていると――リビングの方から、どっ! と賑やかな歓声が上がった。
岩瀬さんが、眉を顰める。
「そろそろ、落ち着いてくれたらいいんすけどねえ……」
お二人が、廊下の酔客たちの介抱を引き受けてくれたので、ぼくはいったんリビングへ戻った。
「いいぞー!」
「飲め飲め!」
部屋の中は、お酒の匂いと人の熱気が渦巻いてた。
みんなの中心で、蓑崎さんが景気よくカクテルを呷っている。
「……ぷはっ! 美味しい」
グラスをあけた蓑崎さんが、口元を拭う。きゅっと目を細めて笑うと、白皙の美貌が幼く見えた。
やんや、と囃し立てる声のなか、近藤さんが嬉しそうに笑う。
「蓑崎、美味そうに飲むよなあ。そんだけ強いと、どうも潰してみたくなるわ」
「あはは、勝負します? 返り討ちにしてやりますよ」
勝ち気に笑う蓑崎さんに、近藤さんは面白そうに目を丸める。陽平が呆れ声で言う。
「馬鹿、そろそろ飲み過ぎだろ」
「は? 全然だっつーの」
言い合う二人に、近藤さんが自分のグラスをずいと差し出した。
「なら、こっちも飲んでみるか?」
「え、なんですか?」
「ジンベースのカクテルだよ。さすがにキツイか?」
からかうような言葉に、蓑崎さんはムッと眉を顰めた。あっ、と思う間もなく、グラスを引ったくり口をつける。
「おい、晶!?」
「ん……なんだ、大したことないですね」
一息に、近藤さんのグラスを空にした蓑崎さんに、陽平が焦った声を上げる。
蓑崎さんは、余裕そうに笑っているものの……真っ赤になって、目が潤んでいる。
ほんまは、かなり酔ってそうや。
――だ、大丈夫なんかな……ジンって、強いお酒やんな?
とりあえず、水の準備しよう。
キッチンにぱたぱた向かう最中、近藤さんの上機嫌な声が聞こえてきた。
「ははは! マジでいいわ、お前」
「ふふ、そうでしょう?」
「馬鹿、晶……! お前、ジンなんて飲んだことねーだろ。熱くなりすぎだ」
コップに水を注いでいると、得意げな蓑崎さんを陽平が窘めているのが聞こえた。……すごく心配そうな、優しい声や。
――陽平は、友達思いやから……でも今は、ちょっと胸が痛いかも……
「……って、そんな場合とちゃうっ」
グジグジした気持ちを振り切るように、急いで蓑崎さんのもとへ向かった。
「蓑崎さん、はい。お水どうぞ」
「えー、いらない」
グラスを差し出すと、ぷいと顔を背けられた。子どものような態度に、呆気にとられてまう。
陽平が眉根を寄せた。
「痩せ我慢してないで飲めよ。顔、真っ赤だぞ」
「は? 暑いだけだし……こうすりゃいいだろ?」
不機嫌そうに吐き捨てた蓑崎さんは、いきなり上着を脱いでしまった。黒いタンクトップだけになって、白い肩や滑らかなデコルテが露になる。
ぼくも陽平も、ぎょっとした。
「み、蓑崎さん!」
「馬ッ鹿、晶!」
「ひゅーっ!」
隣の近藤さんが、口笛を吹いた。他のお客さんも、蓑崎さんの姿に釘付けになってる。
心なしか――酔いのせいだけでなく、目がぎらぎらしてるようや。
――ま、まずい……!
ぼくは慌てて、蓑崎さんの腕を引いた。
「蓑崎さん、だいぶ酔ってるでしょ! あっち行きましょ!」
「うるさいなあ、放っといてよー」
「あっ」
ぶん、と腕を払われて、後ろに倒れ込んだ。勢いが強くて、ころんとでんぐり返ってまう。
どっ、と笑われて、恥ずかしさに頬が熱くなった。
「ほら、晶。行くぞ!」
「やだって。まだ飲む」
陽平がなんど促しても、蓑崎さんはテーブルにしがみついて動かない。完全に、挙動が酔っぱらいのそれや。
陽平を助太刀しなきゃ――慌てて近づいて、ハッとする。
「陽平……」
陽平は、見たことが無いほど怖い顔をしていた。蓑崎さんを見る人から、庇うように――睨みつけて威嚇している。
――守ろうと、必死みたいや。
陽平の変化に、そら恐ろしいナニカを感じ、固まってしまう。
すると、近藤さんが笑った。
「おい城山、無理強いすんなよ! 蓑崎は飲みたいつってんじゃん」
「そうだ、そうだっ」
応援が現れ、蓑崎さんは近藤さんにニコニコと身を寄せる。陽平の米神に青筋が立ったのを見て、ぼくは我にかえる。
けど、次の瞬間――近藤さんが予想もしない行動にでたんや。
「可愛いなあ、蓑崎! ぎゅー!」
「……っ?!」
背後から、蓑崎さんに抱きついた。
がっしりした腕が、華奢な胸とお腹に回り――蓑崎さんの目が、見開かれる。
「……やっ……!」
蓑崎さんの唇が、怯えのこもった悲鳴を漏らした。と、思ったら、ぼくの隣の影が凄まじいスピードで動く。
――バキッ!
鈍い音が響き、近藤さんが吹っ飛んだ。
陽平や。
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「陽平……!!!」
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