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第一章~婚約破棄~
二十四話
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「あら、成己くん! こないだはどうも」
「あっ……涼子先生。こんにちは」
玄関ロビーに出たところ、涼子先生と鉢合わせしてしまい、ぼくはぎくりとした。
先生は、せかせかと歩み寄ってきて、ぼくの顔をあちこちから覗き込んだ。
「どうしたん? 今日は健診やないよね。どっか、具合悪いんか?」
「あっ、えと、大丈夫! ちょっとだけ、中谷先生にご相談があって、来ただけなん」
「え、そう? ……でも、えらい不安そうな顔しとるよ。なんかあったんちゃう?」
「うぅ……」
頬にぴたりと手を当て、目を見つめられて、ぼくは弱った。先生の目は、「正直に話せ」と如実に語ってる。
――しまったぁ……心配かけたくないから、さっと帰ろう思ってたのに……
ぼくの教育係やった涼子先生は鋭くて、ぼくの不安とか、すぐ見抜いちゃうんやもん。
とほほ……と思いながら、ぼくは事情を話した。――抑制剤をやめて、フェロモンが増えていること。不安で、なんとかならないかと思って、ここへ来たこと。先生は、何度もうなずきながら、聞いてくれた。
「そうやったん……辛かったねぇ」
「せんせい……」
ふっくらした温かい手に、手を取られる。いたわりの言葉が身に染みて、ぼくは言葉に詰まった。
すると、涼子先生は、きっと眉をつり上げた。
「それにしても……こんな成己くんを、一人で来させるなんて。城山さんは、何考えてんの?」
「あっ……その、陽平には言うてへんねん。忙しいし、心配かけたくなくて」
「なんで、二人のことやろ?! 心配くらいさせたらええの!」
慌てて弁明したものの、火に油を注いでしもた。ぼくはおろおろとしながら、ぎゅっと手を握りかえす。
「ごめんなさい、心配かけて……」
「あ……成己くんに怒ってるんやないんよ。……そうや、落ち着くまでセンターにおるのはどう? そしたら、どこへでも送迎も出せるし。うちら職員は、フェロモンの遮断薬飲んどるから、安全やしね」
先生は明るい声をあげて、いろいろ提案してくれて……涙が出るほどありがたいと思った。でも……
「先生、ほんまにありがとう! でも、大丈夫っ」
「……そうなん? 無理せんでもええんやで?」
「ううん。先生の言う通り、二人のことやもんね。もっと陽平と話し合って、頑張ってみるっ」
一回話したくらいで諦めたらあかんよね。よう考えたら、ぼくと陽平は今までもいっぱいケンカして――いっぱい、仲直りしてきたんやもん。にっこり笑うと、涼子先生は声を滲ませた。
「成ちゃん……大きなったなあ」
「えへ。涼子先生と、みんなのおかげです」
中谷先生、涼子先生たち……宏兄。
ぼくのことを、見守って来てくれた人たちがいるから、ぼくは陽平に出会えたんやもん。
「成己くん、送迎車で帰ったら?」
涼子先生は心配そうに言う。ぼくは、申し訳なく思いつつ、首を振った。
「うーん……大丈夫。今やったら、バスも混んでないやろうから」
送迎車で帰れたら……と思わなくはないねんけど。お義母さん、通院以外でセンターに頼るの、あんまりええ顔せんのね。
『成己さん。センター、センターって……うちの人の顔、潰しちゃイヤよ?』
陽平の婚約者なんやから、城山家をないがしろにしちゃ駄目って。
そんなつもりなかったから、めっちゃ驚いて……よっぽど行動は気をつけなくちゃって、思ったん。
だって先生たちは、小さい頃からぼくを育ててくれた、大切な人たちやから。会えなくなったら嫌やもん。
「……そっかあ。ほな、ちょっと待ってて! うち、安全・安心なドライバーを知ってるさかい、電話してくる」
「えっ、涼子せんせい?」
涼子先生は、にかっと笑って事務室へ入っていった。
安心・安全のドライバーって、誰やろ? ぼくは、首を傾げつつ――大人しく待つことにする。
すると……入り口のゲートを通って、誰かロビーへ入ってきた。
その男の人は――大柄で、鷹みたいな鋭い目をしていて、宏兄より十歳くらい年上に見える。
「椹木さま。本日は、どのようなご用件でしょう」
「ええ。私の婚約者が検診のはずで……」
男の人は受付につくと、背広の胸を探り始めた。
「あっ」
ぼくは、目を丸くする。彼が、身分証をポケットから出した拍子に、ペンが転がりでたん。
そして、それはカチャンと硬い音を立てて、床を滑って――ぼくの足元へ来た。
慌ててペンを探す素振りをしている人に、ぼくは咄嗟に声をかける。
「どうぞ」
「……ああ、ありがとうございます」
一瞬、目を見開いたその人から――丁寧な会釈がかえる。ぼくはペンを渡し、ぺこりと頭を下げた。
「あっ……涼子先生。こんにちは」
玄関ロビーに出たところ、涼子先生と鉢合わせしてしまい、ぼくはぎくりとした。
先生は、せかせかと歩み寄ってきて、ぼくの顔をあちこちから覗き込んだ。
「どうしたん? 今日は健診やないよね。どっか、具合悪いんか?」
「あっ、えと、大丈夫! ちょっとだけ、中谷先生にご相談があって、来ただけなん」
「え、そう? ……でも、えらい不安そうな顔しとるよ。なんかあったんちゃう?」
「うぅ……」
頬にぴたりと手を当て、目を見つめられて、ぼくは弱った。先生の目は、「正直に話せ」と如実に語ってる。
――しまったぁ……心配かけたくないから、さっと帰ろう思ってたのに……
ぼくの教育係やった涼子先生は鋭くて、ぼくの不安とか、すぐ見抜いちゃうんやもん。
とほほ……と思いながら、ぼくは事情を話した。――抑制剤をやめて、フェロモンが増えていること。不安で、なんとかならないかと思って、ここへ来たこと。先生は、何度もうなずきながら、聞いてくれた。
「そうやったん……辛かったねぇ」
「せんせい……」
ふっくらした温かい手に、手を取られる。いたわりの言葉が身に染みて、ぼくは言葉に詰まった。
すると、涼子先生は、きっと眉をつり上げた。
「それにしても……こんな成己くんを、一人で来させるなんて。城山さんは、何考えてんの?」
「あっ……その、陽平には言うてへんねん。忙しいし、心配かけたくなくて」
「なんで、二人のことやろ?! 心配くらいさせたらええの!」
慌てて弁明したものの、火に油を注いでしもた。ぼくはおろおろとしながら、ぎゅっと手を握りかえす。
「ごめんなさい、心配かけて……」
「あ……成己くんに怒ってるんやないんよ。……そうや、落ち着くまでセンターにおるのはどう? そしたら、どこへでも送迎も出せるし。うちら職員は、フェロモンの遮断薬飲んどるから、安全やしね」
先生は明るい声をあげて、いろいろ提案してくれて……涙が出るほどありがたいと思った。でも……
「先生、ほんまにありがとう! でも、大丈夫っ」
「……そうなん? 無理せんでもええんやで?」
「ううん。先生の言う通り、二人のことやもんね。もっと陽平と話し合って、頑張ってみるっ」
一回話したくらいで諦めたらあかんよね。よう考えたら、ぼくと陽平は今までもいっぱいケンカして――いっぱい、仲直りしてきたんやもん。にっこり笑うと、涼子先生は声を滲ませた。
「成ちゃん……大きなったなあ」
「えへ。涼子先生と、みんなのおかげです」
中谷先生、涼子先生たち……宏兄。
ぼくのことを、見守って来てくれた人たちがいるから、ぼくは陽平に出会えたんやもん。
「成己くん、送迎車で帰ったら?」
涼子先生は心配そうに言う。ぼくは、申し訳なく思いつつ、首を振った。
「うーん……大丈夫。今やったら、バスも混んでないやろうから」
送迎車で帰れたら……と思わなくはないねんけど。お義母さん、通院以外でセンターに頼るの、あんまりええ顔せんのね。
『成己さん。センター、センターって……うちの人の顔、潰しちゃイヤよ?』
陽平の婚約者なんやから、城山家をないがしろにしちゃ駄目って。
そんなつもりなかったから、めっちゃ驚いて……よっぽど行動は気をつけなくちゃって、思ったん。
だって先生たちは、小さい頃からぼくを育ててくれた、大切な人たちやから。会えなくなったら嫌やもん。
「……そっかあ。ほな、ちょっと待ってて! うち、安全・安心なドライバーを知ってるさかい、電話してくる」
「えっ、涼子せんせい?」
涼子先生は、にかっと笑って事務室へ入っていった。
安心・安全のドライバーって、誰やろ? ぼくは、首を傾げつつ――大人しく待つことにする。
すると……入り口のゲートを通って、誰かロビーへ入ってきた。
その男の人は――大柄で、鷹みたいな鋭い目をしていて、宏兄より十歳くらい年上に見える。
「椹木さま。本日は、どのようなご用件でしょう」
「ええ。私の婚約者が検診のはずで……」
男の人は受付につくと、背広の胸を探り始めた。
「あっ」
ぼくは、目を丸くする。彼が、身分証をポケットから出した拍子に、ペンが転がりでたん。
そして、それはカチャンと硬い音を立てて、床を滑って――ぼくの足元へ来た。
慌ててペンを探す素振りをしている人に、ぼくは咄嗟に声をかける。
「どうぞ」
「……ああ、ありがとうございます」
一瞬、目を見開いたその人から――丁寧な会釈がかえる。ぼくはペンを渡し、ぺこりと頭を下げた。
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