いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

二十話

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 変な男は、宏兄によって警備員さんに引き渡されてった。
 あの人な、驚いたんやけど……帽子を取ってみたら、ここで何度か見たことのある店員さんやってわかってん。
 
「本当に、申し訳ございませんでした……!」
「いえ、その……大丈夫ですから……」
 
 真っ青になった店長さんが、何度も謝ってくれた。顔見知りの店員さんが、あんなことしたのは怖かったけど……何も悪くない店長さんが、謝ってくれるのも申し訳なくて。
 やから、宏兄が「この件はまた改めて」と、腕を引いて連れ出してくれて、ホッとした。
 
「ふー……」
「大丈夫か」
 
 お店の外に出ると、まぶしい日差しに頬が温められる。思わずため息をつくと、宏兄が気づかわし気に言った。ぼくは慌てて、笑顔を作る。
 
「あっ……! ごめんね、宏兄。えっと、いろいろ助けてくれて……!」
「馬鹿、そんなこと言うな。……怖かったろう」
 
 と――宏兄は辛そうな顔で、ぼくの肩をそっと引き寄せてくれた。どこまでもあたたかで、親愛のこもった仕草に、するりと肩の力が抜ける。
 
 ――宏兄……もし、宏兄が来てくれへんかったら……
 
 ねばっこい熱のこもった視線を思い出し、ゾッとする。恐怖を受け止めて震えだした肩を、大きな手が擦ってくれた。
 
「宏兄、怖かった……っ」
「ああ、成……辛かったな、もう大丈夫だぞ」
 
 大きい胸に縋ると、子どもの頃のように抱きしめてくれる。
 ぎゅ、と宏兄のシャツを握ったら、光の零れる森林のような、大らかなフェロモンが香った。昔からずっと変わらない、ぼくを安心させてくれる香り――
 ぼくは、ほう……と深く息を吐くと――凭れていた身体を離した。
 
「ありがと……もう、大丈夫っ」
「本当か? 無理してないだろうな」
 
 宏兄は心配そうに眉根を寄せながら、ぼくの顔を見つめる。嘘をついてないか、探ろうとするように。ぼくは、にっこり笑う。
 
「うん、元気になった。宏兄ちゃんのおかげです」
「そうか……」
 
 宏兄はホッと息を吐いて、表情を和らげた。
 
 


 
 それから――「心配だから」って、宏兄が車で送ってくれることになったんよ。
 
「ありがとう、宏兄。買い物までつきあってもらっちゃって……」
 
 いつもの助手席におさまって、ペコリと頭を下げる。後部座席には、ぼくのぱんぱんになったエコバッグが置かれていた。
 宏兄は、ハンドルを操りながら「当たり前だろ」と応える。
 
「お前のことなんだから。それより、あんまり遠慮してくれるなよ。寂しくて泣くぞ」
「ええ? ……ふふ、宏兄ってば」
 
 ちょっと拗ねた声が、おかしい。……宏兄のこういうとこ、大人やなあって思う。ぼくに、気を遣わさんとこうとしてくれてるんよね。
 ほんと、世話焼きなんやから。
 
「大丈夫やで? ああいうことは、滅多にないと思うし」
 
 今回が、たまたま不運だっただけで。ぼくみたいな子供っぽいオメガに、そうそう変な気を起こす人はいないはずやもん。
 そう言うと、宏兄は苦い顔で唸った。
 
「そりゃ、それが一番だよ。でも、成は自分をわかってないから……」
「ん?」
「いや……」
 
 宏兄は、少し言葉を濁した。言いにくそうに、何度も躊躇った後……真面目な声で言う。
 
「あのさ、成……最近、なにか変わらなかったか?」
「えっ?」
「つまり、その……体調は、悪くないかってことなんだが……もしあれなら、中谷先生に診てもらった方がいいぞ」
 
 少し赤らんだ目元に、遠回しな問いかけの意味を飲みこんで――ぼくは、思わずぱっと頬を火照らせた。
 
 ――もしかして……フェロモンが出てる? ”あの”せいで……?
 
 ぼくは、大慌てで窓を開けて風を入れる。
 
「ご、ごめん……! た、体調は悪くないよ。思い当たる節もあるから、大丈夫」
「そ、そうか。ごめんな、いやなこと聞いちまって」
「うううん。ぼくこそ……」
 
 申し訳なさそうな宏兄に、ぶんぶんと首を振った。むしろ、言いにくいことを言わせちゃって、きまりが悪かった。
 ぼくは、項に手をやる。……香り止めのクリームも塗ってるのに。まさか、今日のもそれで……?
 
「……」
 
 しばし、気まずい沈黙が車内を包んだ。ステレオから流れる有線だけが、場違いに明るい声で、最新のヒットチューンを紹介している。
 活路が見えへんまま、まるまる三曲分流れたところで、ぼくの家の近くに出てしもた。このままお別れはいやだな……と思うのやけど、どうしたら。
 すると、路肩に車を寄せた宏兄が、先に口を開いた。
 
「……成。これは、お前が悪いんじゃないってことは、前提だぞ」
「う、うん」
 
 真剣な声に、思わず畏まる。
 
「これからは、一人で出歩かない方が良い。城山くんにも話して、協力してもらうんだ」
「え、けど……陽平、大学で忙しいし」
 
 予想外の切り口に、戸惑う。
 それに、陽平に「あちこちについて来て」なんて、言える気がせえへん。
 
 ――ただでさえ、蓑崎さんのことを応援するって言ってるのに。ぼくのことまで頼んだら、迷惑じゃないやろうか……
 
 躊躇って、頷けないでいると、大きな手が頭を撫でてくれる。
 
「大丈夫だよ。自分の恋人オメガを危険に曝したいアルファなんていないんだから」
「あ……」
 
 穏やかな声に励まされて、相談しない為の言い訳が霧散する。宏兄は、おどけて片目を瞑った。
 
「まあ、決心がつかなきゃ、俺に言ってくれりゃいい。いつでも飛んでく」
「うん……ありがとう、宏兄!」
 
 兄からの優しい激励に、ぼくは大きな笑顔になった。

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