20 / 456
第一章~婚約破棄~
十九話
しおりを挟む
「なるほど……牛肉を赤ワインで煮込んで……」
お昼すぎ、買い物のついでに立ち寄った本屋さんで、ぼくは料理本を読みふけっていた。
昨夜の、ブッフ・ブルギニョンってどういうお料理なんかなぁって、気になって。ほしたら、フランス料理やったみたいで、「そら知らんわーい」ってひっくり返りたくなった。
「フレンチって、ご家庭で作れるもんなんや……お義母さんも、蓑崎さんもすごいなぁ……」
ぼくは、ほうと息を吐く。……でも、そういえば。初めての顔合わせのとき、フレンチレストランやった。ぼく、フレンチ自体初めてで、死ぬほど緊張してたから、味わうどころと違ったけど。
陽平が、「家族で行きつけのお店」やって言うてたのは、すごい嬉しかったから覚えてる。
「つまり……城山家――陽平にとってフレンチは、それくらい馴染みぶかいもの、ってことなんやね」
言葉にして、きゅっと唇を引き結ぶ。
ぼくにとってのご家庭の味って言うのは、センターのごはんやと思う。小さいころから食べてる味って、美味しいのもそうやけど、食べると安心するよね。やから、どこへ行っても思い出せるように、家庭科の先生にごはん習ったんよ。
でも、陽平はこの先、ぼくのごはん食べていくんやし……城山家の味が、恋しくなることもあるよね。
「よしっ……! ぼくもフレンチ作れるようになって、陽平のこと驚かせたろ!」
ふんすと気合をこめ、フレンチ料理の指南書を物色することにする。初心者向けで、ブッフブルギニョンの作り方が載ってる本が良い。あんまり、最初っから難しいのにすると挫折しそうやし。
あれこれ手に取って、真剣にページをめくる。
「うーん、デにするって何……あっ、すみません」
何冊目かの本を開いて、専門用語に首を傾げたとき――後ろを人が通った。帽子を深くかぶった、背の高い男の人。その人の鞄がお尻をつっかえたんで、慌てて体を避けた。
――いけない、いけない。夢中になって、邪魔になっちゃってたのかな。
さっきよりも棚に身を寄せて、本を見ていると……また、お尻にトン、と何か当たる。「あれ?」と思って振り返ると、さっきの人が隣で本を見ていた。肘も触れそうな近さに、ちょっとぎょっとする。
「……わっ」
び、びっくりしたぁ。あんまり近くに人がおると、落ち着かんよね。
さりげなく距離を置いて、本を見ていると――とんって、お尻に軽い衝撃。すると、さっきの人がまた、隣にいる。
――え……何この人。なんでまた、横に来るん?
ぼくは、さすがに怪訝に思う。
恐る恐る目線を下にやると、その人の鞄が当たってる。……偶然かもしれへんけど、なんかすごい嫌な感じがして。ぼくは本を抱えたまま、慌ててその場を離れた。
「……な、何なんやろ」
早足に歩いて、文庫本の並ぶ棚の辺りに出て、やっと足を止める。
平日の昼間のせいか、あんまりお客さんがおらんみたい。あたりを見回しても人影はなくて――ほっと息を吐く。
「ふう……勢いで、こんなとこまで来てしもた。お料理の本、いっぱい持ってるのに……」
戻しに行かなあかんけど、さっきの人いたら嫌やしなあ。
うーんと悩んで、目前の棚を見れば、ちょうど推理文庫の並びやと気づく。ぱっ、と気分が明るくなった。
「あーっ、カバー変わってるっ」
全章シリーズの新装版が並んでて、歓声を上げる。そういえば、漫画家さんとのコラボでカバーが変わるって、宏兄が話してたような。少年漫画風のイラストに惹かれて、思わず手に取った。
「わあ~、全章若い! でも、かっこいい……!」
この本持ってるけど、欲しくなっちゃうっ。
陽平にも見せてあげたいし、ここはひとつ奮発しちゃおうかな。腕に抱えて、笑顔で踵を返して――ぎくりとした。
「……ひっ!」
さ……さっきの人が……いる。茫洋とした顔がこっちを見ていて、喉で吐息が凝った。
何この人、なんで……まさか、追っかけてきた? 心からゾ~ッとして、ぼくはともかく、距離を取ろうとした。でも、
どんっ。
「あっ!」
男は、ぼくを棚の間に閉じ込めるように、立ちふさがってきた。おなかも触れそうな距離で、上から覆いかぶさるように迫られて、パニックになる。
「なっ? ちょっ……どいてくださいっ!」
「……」
男は荒い息を吐きながら、なんかぶつぶつ呟いてる。不明瞭な声やったけど、「オメガ」とか「お前が誘った」とか、かろうじて聞こえた。
――こ、怖……なにこの人っ!
気持ち悪くて、頬まで鳥肌が立つ。
「やめて! ど、どいてってば……! ちょっと、聞いてます?!」
どうしよう……! 逃げたいのに、体が竦んでよう動かへん。ぼくは本をぎゅっと抱えて、必死に男を睨んだ。すると何故か、相手は顔を赤くして、手を伸ばしてくる。
「やっ」
思わず、ぎゅっと目をつぶった瞬間。
「――何してんだ、お前ッ!」
低い声が、鋭く耳朶を打つ。
次の瞬間、魂消るような男の悲鳴が響いた。ハッとして目を開けると、そこに居たのは――
「宏兄っ……?!」
「成、無事か!?」
怖い顔をした宏兄が、泣きわめく男の腕を、きつくねじり上げていた。
お昼すぎ、買い物のついでに立ち寄った本屋さんで、ぼくは料理本を読みふけっていた。
昨夜の、ブッフ・ブルギニョンってどういうお料理なんかなぁって、気になって。ほしたら、フランス料理やったみたいで、「そら知らんわーい」ってひっくり返りたくなった。
「フレンチって、ご家庭で作れるもんなんや……お義母さんも、蓑崎さんもすごいなぁ……」
ぼくは、ほうと息を吐く。……でも、そういえば。初めての顔合わせのとき、フレンチレストランやった。ぼく、フレンチ自体初めてで、死ぬほど緊張してたから、味わうどころと違ったけど。
陽平が、「家族で行きつけのお店」やって言うてたのは、すごい嬉しかったから覚えてる。
「つまり……城山家――陽平にとってフレンチは、それくらい馴染みぶかいもの、ってことなんやね」
言葉にして、きゅっと唇を引き結ぶ。
ぼくにとってのご家庭の味って言うのは、センターのごはんやと思う。小さいころから食べてる味って、美味しいのもそうやけど、食べると安心するよね。やから、どこへ行っても思い出せるように、家庭科の先生にごはん習ったんよ。
でも、陽平はこの先、ぼくのごはん食べていくんやし……城山家の味が、恋しくなることもあるよね。
「よしっ……! ぼくもフレンチ作れるようになって、陽平のこと驚かせたろ!」
ふんすと気合をこめ、フレンチ料理の指南書を物色することにする。初心者向けで、ブッフブルギニョンの作り方が載ってる本が良い。あんまり、最初っから難しいのにすると挫折しそうやし。
あれこれ手に取って、真剣にページをめくる。
「うーん、デにするって何……あっ、すみません」
何冊目かの本を開いて、専門用語に首を傾げたとき――後ろを人が通った。帽子を深くかぶった、背の高い男の人。その人の鞄がお尻をつっかえたんで、慌てて体を避けた。
――いけない、いけない。夢中になって、邪魔になっちゃってたのかな。
さっきよりも棚に身を寄せて、本を見ていると……また、お尻にトン、と何か当たる。「あれ?」と思って振り返ると、さっきの人が隣で本を見ていた。肘も触れそうな近さに、ちょっとぎょっとする。
「……わっ」
び、びっくりしたぁ。あんまり近くに人がおると、落ち着かんよね。
さりげなく距離を置いて、本を見ていると――とんって、お尻に軽い衝撃。すると、さっきの人がまた、隣にいる。
――え……何この人。なんでまた、横に来るん?
ぼくは、さすがに怪訝に思う。
恐る恐る目線を下にやると、その人の鞄が当たってる。……偶然かもしれへんけど、なんかすごい嫌な感じがして。ぼくは本を抱えたまま、慌ててその場を離れた。
「……な、何なんやろ」
早足に歩いて、文庫本の並ぶ棚の辺りに出て、やっと足を止める。
平日の昼間のせいか、あんまりお客さんがおらんみたい。あたりを見回しても人影はなくて――ほっと息を吐く。
「ふう……勢いで、こんなとこまで来てしもた。お料理の本、いっぱい持ってるのに……」
戻しに行かなあかんけど、さっきの人いたら嫌やしなあ。
うーんと悩んで、目前の棚を見れば、ちょうど推理文庫の並びやと気づく。ぱっ、と気分が明るくなった。
「あーっ、カバー変わってるっ」
全章シリーズの新装版が並んでて、歓声を上げる。そういえば、漫画家さんとのコラボでカバーが変わるって、宏兄が話してたような。少年漫画風のイラストに惹かれて、思わず手に取った。
「わあ~、全章若い! でも、かっこいい……!」
この本持ってるけど、欲しくなっちゃうっ。
陽平にも見せてあげたいし、ここはひとつ奮発しちゃおうかな。腕に抱えて、笑顔で踵を返して――ぎくりとした。
「……ひっ!」
さ……さっきの人が……いる。茫洋とした顔がこっちを見ていて、喉で吐息が凝った。
何この人、なんで……まさか、追っかけてきた? 心からゾ~ッとして、ぼくはともかく、距離を取ろうとした。でも、
どんっ。
「あっ!」
男は、ぼくを棚の間に閉じ込めるように、立ちふさがってきた。おなかも触れそうな距離で、上から覆いかぶさるように迫られて、パニックになる。
「なっ? ちょっ……どいてくださいっ!」
「……」
男は荒い息を吐きながら、なんかぶつぶつ呟いてる。不明瞭な声やったけど、「オメガ」とか「お前が誘った」とか、かろうじて聞こえた。
――こ、怖……なにこの人っ!
気持ち悪くて、頬まで鳥肌が立つ。
「やめて! ど、どいてってば……! ちょっと、聞いてます?!」
どうしよう……! 逃げたいのに、体が竦んでよう動かへん。ぼくは本をぎゅっと抱えて、必死に男を睨んだ。すると何故か、相手は顔を赤くして、手を伸ばしてくる。
「やっ」
思わず、ぎゅっと目をつぶった瞬間。
「――何してんだ、お前ッ!」
低い声が、鋭く耳朶を打つ。
次の瞬間、魂消るような男の悲鳴が響いた。ハッとして目を開けると、そこに居たのは――
「宏兄っ……?!」
「成、無事か!?」
怖い顔をした宏兄が、泣きわめく男の腕を、きつくねじり上げていた。
121
関連作品
「いつでも僕の帰る場所」短編集
「いつでも僕の帰る場所」短編集
お気に入りに追加
1,545
あなたにおすすめの小説
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。

初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした
わらびもち
恋愛
ガーネット侯爵、エリオットに嫁いだセシリア。
初夜の寝所にて夫が来るのを待つが、いつまで経っても現れない。
無情にも時間だけが過ぎていく中、不意に扉が開かれた。
「初夜に放置されるなんて、哀れな子……」
現れたのは夫ではなく義母だった。
長時間寝所に放置された嫁を嘲笑いに来たであろう義母にセシリアは……
妻ではなく他人ですわ
綾雅「要らない悪役令嬢2巻」6/6発売
恋愛
リヒター帝国の末姫ヴィクトーリアは、隣国アディソン王国のスチュアート伯爵に嫁いだ。彼は帝国の皇妹を妻にした恩恵で、侯爵に叙爵される。
騎士団長を務める夫は優しく、可愛い娘も生まれた。何もかもがうまく行っていたある日、ヴィクトーリアはあり得ない事実を知る。婚姻届が出ていない? ということは、私は未婚で私生児を産んだ? 驚いた彼女は、すぐに実家へ戻った。
強大な帝国は、戦争以外の方法で報復に出る!
主人公はハッピーエンド確定
【同時連載】小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、エブリスタ
2025/06/03……なろう、恋愛日間 1位、週間3位
2025/06/02……カクヨム、恋愛日間 5位、週間 8位、総合 107位
2025/05/31……エブリスタ、トレンド恋愛 6位
2025/05/31……アルファポリス、女性向けHOT 10位
2025/05/29……連載開始
夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども
神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」
と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。
大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。
文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

さようなら、わたくしの騎士様
夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。
その時を待っていたのだ。
クリスは知っていた。
騎士ローウェルは裏切ると。
だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。
【完結】このままずっと、気付かないで
遥瀬 ひな
恋愛
オフィリアはギルバートの婚約者だ。そう、生まれた時からずっと。
なのに今、その婚約を解消して欲しいと言われている。他でもないギルバート本人から、なんの前触れもなく突然に。
「すまない、オフィリア。」
「畏まりました、王太子殿下。」
そう答えるしかない、わたくし。それ以外の答えなど求められてはいないと分かっているから。
♪たくさんの、いいね❤️やエール🎉ありがとうございました♪
孤独な公女~私は死んだことにしてください
結城芙由奈@コミカライズ2巻5/29発売
恋愛
【私のことは、もう忘れて下さい】
サフィニア・エストマンはメイドから生まれた公女。その為、他の兄弟姉妹たちとは違って誰からも冷遇されていた。唯一の友達が10歳の時に侍女となったサフィニアの幼馴染の伯爵令嬢ヘスティア。やがて時が流れ、サフィニアが18歳になった年。突然父親から婚約を命じられる。相手は伯爵家の三男、ジルベール。これはエストマン家にとって邪魔なサフィニアを押し付けて追い出すための婚約だった。それでも孤独だったサフィニアにとって、婚約の話はとても嬉しいものだった。ジルベールはとても優しい青年で、サフィニアはすぐに恋をする。その後も、ヘスティアを連れてジルベールと交流を深めていくうちに2人が互いのことを好きあっていることに気付いてしまった。そこで2人の幸せを願い、サフィニアは自らの死を装って皆の前から消えることを決意し、計画を実行して公爵邸を去って行った。そしてサフィニアの新しい人生が幕を開ける――
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる