いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
上 下
12 / 406
第一章~婚約破棄~

十一話

しおりを挟む
 桜庭宏樹先生は、本名も写真も公開していない。わかっているのは年齢ぐらいで、「いったいどんな人なんだろう?」とファンの間で謎に思われてる作家さん。
 やから――その正体は、ぼくの幼馴染の宏兄だってことは、僅かな人しかしらない秘密。
 
「成、今日から『ひいろの研究』だぞー」
「うんっ」
 
 宏兄は子どもの頃から小説が大好きで、ぼくにもたくさんの本を読み聞かせてくれた。 
 とくに、ミステリーは数えきれないくらい。ホームズにいたっては、ぜんぶ宏兄の声で再生されちゃうくらい、くり返し読んでもらったと思う。おかげで、ぼくも立派なミステリー好きになったんよね。
 でもね。
 ぼくが一番好きやったのは――宏兄のお兄さんたちも、先生たちもそばにおらん、二人だけのとき……宏兄が、ナイショでお話してくれる、オリジナルの物語やった。
 
「ひろにいちゃん! 前話してた続き、きかせて」
「ちょっと待ってな。学校で、ノートに書いてきたから!」
 
 ぼくは、宏兄のつむぐ物語が、本当に大好きで。宏兄が寂しがるくらい、「続き・続き」って言っちゃうこともあったっけ。
 
――成! 賞とったぞ!
 
 宏兄が十七歳のころ、応募した小説が賞を取ってデビューが決まったとき、本当に嬉しかった。
 自分の夢をかなえて、立派につづけてる宏兄。本当にすごいよね……!
 ぼくは幼馴染として、いちファンとしても、尊敬してるんだ。
 


 
 
 ――カタカタ……
 キーの叩く乾いた音が、休憩室に響いていた。綺麗に揃え直した原稿用紙の山は、すでにのこり半分くらいに減っている。
 
「出来たっ……次!」
 
 出来上がりの方に積みなおし、新たに一枚引き寄せた。そこに記される内容を読んで、ハッと息をのむ。 
 
「……えっ、そんなとこにアレが!? ど、どういう? はよ続き……!」
 
 ぼくは物語に興奮しながらも、せっせとキーを叩き、小説を清書していく。
 大切な原稿に誤字・脱字をしないように、細心の注意を払わなきゃ。――ああ、でも。続きが気になって、どうしても気が逸るのをとめられへん。
 
 ――いちばんに桜庭先生のおはなしが読めるなんて、ありがたすぎるんやもん……!
 
 ひょんなことから、宏兄の原稿の清書を任せて貰えるようになって、はや数年。物語が磨き抜かれていく過程に触れられる僥倖には、いまだに慣れない。もしかしたら、ずっと無理かも。
 
「成ー、晩メシできたぞ。ちょっと休まないか」
「あっ……宏兄!」
 
 ふと降ってきた声に、はじかれたように顔を上げる。休憩室の入り口に、湯気の立つお盆をたずさえた宏兄が立っていた。
 宏兄、ごはんしてくれてたんや。いつの間に――っていうか、おらんくなってたことにも気づかんかった。
 
「わあ、ごめん……! 晩ごはんまでお世話になっちゃうなんて」
 
 慌てて原稿をぜんぶ抱えて、机に広いスペースを作る。
 
「そりゃ俺の台詞だろ。遅くまでありがとな?」
 
 宏兄は、表情を和ませる。
 おいしそうなおうどんと、野菜の煮物が机に並んだ。お出汁のいいにおいに頬が緩む。宏兄も対面に座ったのを見計らい、そろって手を合わせた。
 
「じゃ、いただきます」
「いただきますっ」
 
 あいさつの声が重なると、ほっこりと胸が温かくなる。
 ぼく、親しいひとと食べるごはんほど、美味しいものはないって思う。――センターでは、一人でご飯を食べる習慣だったから、小説やテレビで見る「だんらん」ってものに、すごく憧れていたんだ。
 
「ふぅ……」
 
 うどんを箸ですくって、軽く吹いて啜る。お出汁がきいてて、美味しい。宏兄は食べるのがはやくて、ひと啜りでうどんが半分も消えていた。どんな頬の筋肉してんのやろ……?
 
「成。油あげ、熱いから気をつけるんだぞ」
「はーい」
 
 大きいおあげに息を吹いていると、からかうように宏兄が言う。 
「子どもとちゃうのに」と思う反面、そういうのが嬉しい気もするから、幼馴染って不思議やねえ。
 ぼくは、「そうだ」と気になっていたことを聞く。
 
「ねえ、宏兄。この小説、いま貰った分で最後まで行く?」
「いや……三合目くらいかな」
「わ、そうなんや!」
 
 ぼくはお箸を握ったまま、軽くのけ反った。
 
 ――す、すでに犯人と思しき人物が出てるのに、まだそんなに。ってことは、これから何かあるんだ。うわあ、最初の方、もっぺん読み返させてもらってもええかなあ……?
 
 さすが桜庭先生の小説は一筋縄じゃいかない、と胸が躍る。
 ぼく、宏兄の小説で犯人当てれたことないの。陽平は「伏線見落としすぎ」って笑ってくるけど、そういうあいつもちょこちょこ間違ってるから、イーブンやんねえ。
 すると、宏兄が申し訳なさそうに肩を竦める。
 
「わるい、また長編だ。うち直してもらう分、お前の負担もでかいのに……」
「宏兄ってば、何言うてんの! むしろ、たくさん読めるなんて、最高やからね」
 
 ぼくは、あははと笑って手を振った。――大好きな作家の話が長くて、いやがるファンがいるはずない。
 
「そ、そうか?」
「そうなの!」 
「毎度、上中下~とかだと、「かったりいな」とか思わないか?」
「思わへんって。ふつうに、たくさんあった方が嬉しいやん」
 
 ぼく、腹八分目とかないし、舌切り雀やと大きいつづら選ぶタイプやし……と指を折って言う。宏兄は目を丸くして、ぷっとふきだした。
 
「成らしいなあ」
「えへ。でも、絶対ぼくだけと違うよ。楽しみにしてるから、頑張って」
「うん……ありがとう」
 
 どこか面映ゆそうな笑顔に、ぼくもにっこりする。
 宏兄は、お出汁を一気に飲み干すと、どんぶりをトン! と置いた。
 
「よしっ! そうと決まれば……どんどん書いて、成を困らせてやるとするか」
「わあ、やった!」
 
 宏兄の清々しい笑顔に創作意欲が漲っていて、嬉しくなる。
 ぼくも急いで食べ終わるべく、どんぶりに向き合った。
 
 
しおりを挟む
感想 213

あなたにおすすめの小説

偽物の僕は本物にはなれない。

15
BL
「僕は君を好きだけど、君は僕じゃない人が好きなんだね」 ネガティブ主人公。最後は分岐ルート有りのハピエン。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

運命の番なのに別れちゃったんですか?

雷尾
BL
いくら運命の番でも、相手に恋人やパートナーがいる人を奪うのは違うんじゃないですかね。と言う話。 途中美形の方がそうじゃなくなりますが、また美形に戻りますのでご容赦ください。 最後まで頑張って読んでもらえたら、それなりに救いはある話だと思います。

オメガの復讐

riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。 しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。 とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆

【完結】幼馴染と恋人は別だと言われました

迦陵 れん
恋愛
「幼馴染みは良いぞ。あんなに便利で使いやすいものはない」  大好きだった幼馴染の彼が、友人にそう言っているのを聞いてしまった。  毎日一緒に通学して、お弁当も欠かさず作ってあげていたのに。  幼馴染と恋人は別なのだとも言っていた。  そして、ある日突然、私は全てを奪われた。  幼馴染としての役割まで奪われたら、私はどうしたらいいの?    サクッと終わる短編を目指しました。  内容的に薄い部分があるかもしれませんが、短く纏めることを重視したので、物足りなかったらすみませんm(_ _)m    

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

【本編完結】αに不倫されて離婚を突き付けられているけど別れたくない男Ωの話

雷尾
BL
本人が別れたくないって言うんなら仕方ないですよね。 一旦本編完結、気力があればその後か番外編を少しだけ書こうかと思ってます。

処理中です...