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第一章~婚約破棄~
十一話
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桜庭宏樹先生は、本名も写真も公開していない。わかっているのは年齢ぐらいで、「いったいどんな人なんだろう?」とファンの間で謎に思われてる作家さん。
やから――その正体は、ぼくの幼馴染の宏兄だってことは、僅かな人しかしらない秘密。
「成、今日から『ひいろの研究』だぞー」
「うんっ」
宏兄は子どもの頃から小説が大好きで、ぼくにもたくさんの本を読み聞かせてくれた。
とくに、ミステリーは数えきれないくらい。ホームズにいたっては、ぜんぶ宏兄の声で再生されちゃうくらい、くり返し読んでもらったと思う。おかげで、ぼくも立派なミステリー好きになったんよね。
でもね。
ぼくが一番好きやったのは――宏兄のお兄さんたちも、先生たちもそばにおらん、二人だけのとき……宏兄が、ナイショでお話してくれる、オリジナルの物語やった。
「ひろにいちゃん! 前話してた続き、きかせて」
「ちょっと待ってな。学校で、ノートに書いてきたから!」
ぼくは、宏兄のつむぐ物語が、本当に大好きで。宏兄が寂しがるくらい、「続き・続き」って言っちゃうこともあったっけ。
――成! 賞とったぞ!
宏兄が十七歳のころ、応募した小説が賞を取ってデビューが決まったとき、本当に嬉しかった。
自分の夢をかなえて、立派につづけてる宏兄。本当にすごいよね……!
ぼくは幼馴染として、いちファンとしても、尊敬してるんだ。
――カタカタ……
キーの叩く乾いた音が、休憩室に響いていた。綺麗に揃え直した原稿用紙の山は、すでにのこり半分くらいに減っている。
「出来たっ……次!」
出来上がりの方に積みなおし、新たに一枚引き寄せた。そこに記される内容を読んで、ハッと息をのむ。
「……えっ、そんなとこにアレが!? ど、どういう? はよ続き……!」
ぼくは物語に興奮しながらも、せっせとキーを叩き、小説を清書していく。
大切な原稿に誤字・脱字をしないように、細心の注意を払わなきゃ。――ああ、でも。続きが気になって、どうしても気が逸るのをとめられへん。
――いちばんに桜庭先生のおはなしが読めるなんて、ありがたすぎるんやもん……!
ひょんなことから、宏兄の原稿の清書を任せて貰えるようになって、はや数年。物語が磨き抜かれていく過程に触れられる僥倖には、いまだに慣れない。もしかしたら、ずっと無理かも。
「成ー、晩メシできたぞ。ちょっと休まないか」
「あっ……宏兄!」
ふと降ってきた声に、はじかれたように顔を上げる。休憩室の入り口に、湯気の立つお盆をたずさえた宏兄が立っていた。
宏兄、ごはんしてくれてたんや。いつの間に――っていうか、おらんくなってたことにも気づかんかった。
「わあ、ごめん……! 晩ごはんまでお世話になっちゃうなんて」
慌てて原稿をぜんぶ抱えて、机に広いスペースを作る。
「そりゃ俺の台詞だろ。遅くまでありがとな?」
宏兄は、表情を和ませる。
おいしそうなおうどんと、野菜の煮物が机に並んだ。お出汁のいいにおいに頬が緩む。宏兄も対面に座ったのを見計らい、そろって手を合わせた。
「じゃ、いただきます」
「いただきますっ」
あいさつの声が重なると、ほっこりと胸が温かくなる。
ぼく、親しいひとと食べるごはんほど、美味しいものはないって思う。――センターでは、一人でご飯を食べる習慣だったから、小説やテレビで見る「だんらん」ってものに、すごく憧れていたんだ。
「ふぅ……」
うどんを箸ですくって、軽く吹いて啜る。お出汁がきいてて、美味しい。宏兄は食べるのがはやくて、ひと啜りでうどんが半分も消えていた。どんな頬の筋肉してんのやろ……?
「成。油あげ、熱いから気をつけるんだぞ」
「はーい」
大きいおあげに息を吹いていると、からかうように宏兄が言う。
「子どもとちゃうのに」と思う反面、そういうのが嬉しい気もするから、幼馴染って不思議やねえ。
ぼくは、「そうだ」と気になっていたことを聞く。
「ねえ、宏兄。この小説、いま貰った分で最後まで行く?」
「いや……三合目くらいかな」
「わ、そうなんや!」
ぼくはお箸を握ったまま、軽くのけ反った。
――す、すでに犯人と思しき人物が出てるのに、まだそんなに。ってことは、これから何かあるんだ。うわあ、最初の方、もっぺん読み返させてもらってもええかなあ……?
さすが桜庭先生の小説は一筋縄じゃいかない、と胸が躍る。
ぼく、宏兄の小説で犯人当てれたことないの。陽平は「伏線見落としすぎ」って笑ってくるけど、そういうあいつもちょこちょこ間違ってるから、イーブンやんねえ。
すると、宏兄が申し訳なさそうに肩を竦める。
「わるい、また長編だ。うち直してもらう分、お前の負担もでかいのに……」
「宏兄ってば、何言うてんの! むしろ、たくさん読めるなんて、最高やからね」
ぼくは、あははと笑って手を振った。――大好きな作家の話が長くて、いやがるファンがいるはずない。
「そ、そうか?」
「そうなの!」
「毎度、上中下~とかだと、「かったりいな」とか思わないか?」
「思わへんって。ふつうに、たくさんあった方が嬉しいやん」
ぼく、腹八分目とかないし、舌切り雀やと大きいつづら選ぶタイプやし……と指を折って言う。宏兄は目を丸くして、ぷっとふきだした。
「成らしいなあ」
「えへ。でも、絶対ぼくだけと違うよ。楽しみにしてるから、頑張って」
「うん……ありがとう」
どこか面映ゆそうな笑顔に、ぼくもにっこりする。
宏兄は、お出汁を一気に飲み干すと、どんぶりをトン! と置いた。
「よしっ! そうと決まれば……どんどん書いて、成を困らせてやるとするか」
「わあ、やった!」
宏兄の清々しい笑顔に創作意欲が漲っていて、嬉しくなる。
ぼくも急いで食べ終わるべく、どんぶりに向き合った。
やから――その正体は、ぼくの幼馴染の宏兄だってことは、僅かな人しかしらない秘密。
「成、今日から『ひいろの研究』だぞー」
「うんっ」
宏兄は子どもの頃から小説が大好きで、ぼくにもたくさんの本を読み聞かせてくれた。
とくに、ミステリーは数えきれないくらい。ホームズにいたっては、ぜんぶ宏兄の声で再生されちゃうくらい、くり返し読んでもらったと思う。おかげで、ぼくも立派なミステリー好きになったんよね。
でもね。
ぼくが一番好きやったのは――宏兄のお兄さんたちも、先生たちもそばにおらん、二人だけのとき……宏兄が、ナイショでお話してくれる、オリジナルの物語やった。
「ひろにいちゃん! 前話してた続き、きかせて」
「ちょっと待ってな。学校で、ノートに書いてきたから!」
ぼくは、宏兄のつむぐ物語が、本当に大好きで。宏兄が寂しがるくらい、「続き・続き」って言っちゃうこともあったっけ。
――成! 賞とったぞ!
宏兄が十七歳のころ、応募した小説が賞を取ってデビューが決まったとき、本当に嬉しかった。
自分の夢をかなえて、立派につづけてる宏兄。本当にすごいよね……!
ぼくは幼馴染として、いちファンとしても、尊敬してるんだ。
――カタカタ……
キーの叩く乾いた音が、休憩室に響いていた。綺麗に揃え直した原稿用紙の山は、すでにのこり半分くらいに減っている。
「出来たっ……次!」
出来上がりの方に積みなおし、新たに一枚引き寄せた。そこに記される内容を読んで、ハッと息をのむ。
「……えっ、そんなとこにアレが!? ど、どういう? はよ続き……!」
ぼくは物語に興奮しながらも、せっせとキーを叩き、小説を清書していく。
大切な原稿に誤字・脱字をしないように、細心の注意を払わなきゃ。――ああ、でも。続きが気になって、どうしても気が逸るのをとめられへん。
――いちばんに桜庭先生のおはなしが読めるなんて、ありがたすぎるんやもん……!
ひょんなことから、宏兄の原稿の清書を任せて貰えるようになって、はや数年。物語が磨き抜かれていく過程に触れられる僥倖には、いまだに慣れない。もしかしたら、ずっと無理かも。
「成ー、晩メシできたぞ。ちょっと休まないか」
「あっ……宏兄!」
ふと降ってきた声に、はじかれたように顔を上げる。休憩室の入り口に、湯気の立つお盆をたずさえた宏兄が立っていた。
宏兄、ごはんしてくれてたんや。いつの間に――っていうか、おらんくなってたことにも気づかんかった。
「わあ、ごめん……! 晩ごはんまでお世話になっちゃうなんて」
慌てて原稿をぜんぶ抱えて、机に広いスペースを作る。
「そりゃ俺の台詞だろ。遅くまでありがとな?」
宏兄は、表情を和ませる。
おいしそうなおうどんと、野菜の煮物が机に並んだ。お出汁のいいにおいに頬が緩む。宏兄も対面に座ったのを見計らい、そろって手を合わせた。
「じゃ、いただきます」
「いただきますっ」
あいさつの声が重なると、ほっこりと胸が温かくなる。
ぼく、親しいひとと食べるごはんほど、美味しいものはないって思う。――センターでは、一人でご飯を食べる習慣だったから、小説やテレビで見る「だんらん」ってものに、すごく憧れていたんだ。
「ふぅ……」
うどんを箸ですくって、軽く吹いて啜る。お出汁がきいてて、美味しい。宏兄は食べるのがはやくて、ひと啜りでうどんが半分も消えていた。どんな頬の筋肉してんのやろ……?
「成。油あげ、熱いから気をつけるんだぞ」
「はーい」
大きいおあげに息を吹いていると、からかうように宏兄が言う。
「子どもとちゃうのに」と思う反面、そういうのが嬉しい気もするから、幼馴染って不思議やねえ。
ぼくは、「そうだ」と気になっていたことを聞く。
「ねえ、宏兄。この小説、いま貰った分で最後まで行く?」
「いや……三合目くらいかな」
「わ、そうなんや!」
ぼくはお箸を握ったまま、軽くのけ反った。
――す、すでに犯人と思しき人物が出てるのに、まだそんなに。ってことは、これから何かあるんだ。うわあ、最初の方、もっぺん読み返させてもらってもええかなあ……?
さすが桜庭先生の小説は一筋縄じゃいかない、と胸が躍る。
ぼく、宏兄の小説で犯人当てれたことないの。陽平は「伏線見落としすぎ」って笑ってくるけど、そういうあいつもちょこちょこ間違ってるから、イーブンやんねえ。
すると、宏兄が申し訳なさそうに肩を竦める。
「わるい、また長編だ。うち直してもらう分、お前の負担もでかいのに……」
「宏兄ってば、何言うてんの! むしろ、たくさん読めるなんて、最高やからね」
ぼくは、あははと笑って手を振った。――大好きな作家の話が長くて、いやがるファンがいるはずない。
「そ、そうか?」
「そうなの!」
「毎度、上中下~とかだと、「かったりいな」とか思わないか?」
「思わへんって。ふつうに、たくさんあった方が嬉しいやん」
ぼく、腹八分目とかないし、舌切り雀やと大きいつづら選ぶタイプやし……と指を折って言う。宏兄は目を丸くして、ぷっとふきだした。
「成らしいなあ」
「えへ。でも、絶対ぼくだけと違うよ。楽しみにしてるから、頑張って」
「うん……ありがとう」
どこか面映ゆそうな笑顔に、ぼくもにっこりする。
宏兄は、お出汁を一気に飲み干すと、どんぶりをトン! と置いた。
「よしっ! そうと決まれば……どんどん書いて、成を困らせてやるとするか」
「わあ、やった!」
宏兄の清々しい笑顔に創作意欲が漲っていて、嬉しくなる。
ぼくも急いで食べ終わるべく、どんぶりに向き合った。
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