菓子つくり令嬢〜誰か忘れちゃいませんかってんだい〜

高穂もか

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第五話

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 そうこうしているうちに、決戦の日はやって来た。
 ドーム型の会場の中心に、本日の主役の二人が向き合う。

「覚悟はよろしくて、ステラ嬢」

 リメリアが、自信の漲った笑顔で声をかける。

「はいっ。私……負けません!」

 些か緊張した様子のステラ嬢が応じた。三角巾で露わになった愛嬌のある丸顔に、気合を滾らせている。
 リメリアは少し驚いた。たくさんの観客に囲まれても、ステラは怯んでいない。

(思ったより、気骨のある方ね)

 だが、それでこそ倒しがいがあるというものだ。
 両者が自分の調理スペースに向かうと、審判がさっと手を上げた。

「両者、制限時間の九十分以内に、菓子を作り上げてください。それから、アスラン殿下と先生方による審査を行い、勝敗を決します。では、始めてください!」
「おおっ!」

 開始の宣言に、観客が歓声を上げる。審査員席にいるアスランが、ステラにウインクを寄こした。むらっと怒りが湧いたリメリアだが、「メリー!」と呼ぶ声に顔を上げた。ロルフが客席で手を振っている。

「平常心でいけよ!」
「ええ!」

 リメリアは不敵に笑み、調理の下準備に取りかかった。
 調理台の上には、今日の秘策がずらりと並ぶ。公爵家特産のフレッシュな苺。生クリームに小麦粉、バターや卵なども最高級品で取り揃えた。
 手際よく計量などの下準備をしながら、ちらりとステラ嬢の方を窺う。おそらく何の変哲もないクッキーを作るようだが――思いのほか、手つきがたどたどしい事に気づく。

「ああっ、また!」

 器具をひっくり返したり、卵を割るのも苦労している。見ているこちらがハラハラするような手さばきに、観客たちも唖然としていた。てっきり、料理が得意なのだと思っていたのだが。

(なんにせよ、貰った!)

 リメリアはにやりとする。

「さあ、いきますわよ!」

 秘策の泡立て器で、卵白を猛然と混ぜ始めるリメリアに、観客がどよめいた。

「なんだアレは? リメリア嬢は何をしてるんだ!」
「あの、変わった形の道具は何?!」

 メルティスの料理には、ふんわり泡立てるという発想がない。その為、泡立て器は未知の器具である。普段、魔法で火を出したりしている生徒達も、興味津々だ。

「これは泡立て器と言いまして、空気をよく含ませることが出来ますの」

 リメリアは得意になって、注釈しながらメレンゲを立てた。卵の白身が綿毛のように膨らむのに、会場中が目を奪われている。

(ごらんなさい、私の独壇場よ! 殿下だって……)

 わくわくしながら、殿下の方を見る。

「なっ!?」

 リメリアは、泡立て器を取り落としかけた。殿下は、うっとりと頬を染め、ステラ嬢の一挙手一投足に注目していた。リメリアの方に、いっさい注意を払っていない。

「あわわっ、粉をこぼしちゃったっ」
「ステラ、慌てなくていいよ。私なら、いつまででも待とう」

 ステラ嬢のどんくさい失敗にも、甘やかな声でいちいちフォローを入れている。醸し出す空気が、「異世界」の新婚夫婦の台所そのものである。

(な、なんなのこの茶番は!)

 しかし、茶番は続いた。
 リメリアが見事な手さばきでメレンゲと生地を混ぜても、めん棒を何度も取り落とすステラ嬢に翡翠色の目は固定されていた。
 かまどに完璧な炎魔法を繰り出し、オーブンのように百八十度の予熱を完了させても、菜種油をあちこちに巻き散らすステラ嬢に、殿下はうっとりと息を吐く。

「あわわわー、生地がまとまらないよう!」
「落ち着いて、ステラ。とても可愛いよ」
「え、えへへっ」

 可愛いとか味に関係あるんかい! とリメリアは叫びたかった。
 しかし、殿下の目も声も、砂糖をどろどろに煮詰めるより甘い。
 リメリアは、付き合いたてのカップルの馬鹿馬鹿しさを甘く見ていた。恋の絶頂にあるものは、自分の恋人の短所に気づかない。ゆえに、他人の長所にも全く無関心になるのだ!
 次第に、会場の紳士諸君がざわつき始めた。――殿下は、すごい男ではないのか、と。衆目で目も当てられないようなドジをする恋人に、こんな目を向けられる男がどれだけいるだろう。
 会場の淑女達も顔を見合わせる。――なんか、負けたかもしれない、と。殿下の好みがああいう女性なら、到底この恋はかないっこない。だって、好きな方の前であれほどの無様をさらすなど、自分達にはできないもの。

「ステラ嬢、がんばれ!」
「おふたりは、お似合いですわ!」

 会場のあちこちから、ステラ嬢に向けて声援が飛ぶ。

「み、皆さぁん! ありがとうございますう!」

 ステラ嬢がぴょんぴょん、と飛び跳ねて観客に礼を言う。殿下も尻で椅子を打ち倒し、熱く潤んだ声で「ありがとう!」と叫んでいた。

「アスラン殿下、ステラ嬢、万歳!」

 審判が感涙にむせびながら拍手をすると、会場中がそれにならい、大きな熱気の渦が沸き起こる。
 菓子作り勝負のことなど、皆忘れてしまったかのようだ。

「な、何なのよ、これは。勝負はどうなるの!」

 リメリアが叫ぶと、殿下はようやく振り返った。

「リメリア、もういいじゃないか」
「え」
「御覧、私とステラのことを皆が認めてくれている。この上争って、何になろう?」
「はい?!」

 あまりに都合のいい言葉に、リメリアは目をむいた。

「皆の者、勝負は引き分けだ! なぜなら、恋は勝ち負けでは無いのだから」

 殿下がうまいこと言った風に纏めると、会場がどっと沸騰した。全てが滅茶苦茶だが、誰も気にしていない。なぜなら、貴族の子女である前に、彼らは浮かれた若者である。わかり切った勝負の行方などより、「わあわあ」叫ぶ方が若者には重要なのだ。
 殿下とステラ嬢は笑顔で会場を練り歩き、観客は燦然と輝く銀のテープを投げる。焼かれもせずに放置されたクッキーは、調理台の上でひび割れ始めていた。

「こ、こんなのって……」

 リメリアは呻いた。こんな展開を誰が予想しただろう。百歩譲って、普通に勝負に負けるならわかる。勝負自体が無かったことになるなんて、誰が予測できるのだ。

(私の頑張りって、何!? 全部が無意味ってこと?)

 悔しさに、拳を調理台に叩きつけた。

「メリー! かまどだ!」

 そのとき、ロルフの焦った声が聞こえた。
 リメリアはハッとして、かまどを振り返る。

「しまったっ!」

 炎の魔法で制御していたかまどの火が、目を離した隙に大きく燃え上がっていた。真紅の火の向こう、ケーキの型が黒ぐろとした影になっている。
 リメリアは慌てて、魔法を行使した。
 
「わが身に宿る炎のエレメント、かまどの炎を制御せよ!」

 しかし、運が悪かった。
 リメリアの出した炎が、床に零れていた菜種油に引火してしまったのだ。炎は返って大きく巻き上がり、かまどに殺到した。

 ボンッ!

 凄まじい爆発音を立て、かまどがはじけ飛ぶ。爆風で煽られて、特設キッチンが吹き飛ばされた。

「きゃあああっ!」

 リメリアは爆風にさらされ、悲鳴を上げた。

(飛ばされる!)

 すると、胴体を強い力で引っ張られる。リメリアは、どさりと床に倒れ込んだ。

「メリー、怪我は無いか!?」
「――ロルフ!?」

 ロルフが、リメリアを庇うように覆いかぶさっていた。あの一瞬に、客席から飛び込んできたのだろうか。呆然と頷いたリメリアに、ロルフはほっと息を吐いた。

「そっか……あー、焦った」
「ロ、ロルフ。貴方こそ、服が燃えていてよ!」
「ああ、こんなん何でもないって」

 ロルフは、火のついたローブを脱ぐと、靴で踏みにじって消火した。
 会場には消防隊が一斉になだれ込んできて、パニックになった生徒達が殴り合っている。

「た、大変だわ! どうしましょう!」

 大騒動だ。リメリアは、さあっと青ざめた。

(私が、怒りで我を忘れたせいよ……!)

 かまどの火を魔法で制御することで、オーブンの代用をした。しかし、それには細心の注意と魔力のコントロールが必要だったのに。

(いいえ……そもそも、「転生」の知識なんかに頼ったからだわ)

 これでは、功名心に負け騒動を起こす「転生者」そのものではないか。
 リメリアは自分が情けなくて、青い目に涙を滲ませた。
 すると――大きな手に、乱暴に頭を撫でられた。顔を上げると、ロルフの笑顔がある。

「ロルフ……」
「馬鹿、気にすんな。これくらい何とでもなるさ」

 言うが早いか、ロルフはパニックの中心に駆けこんでいった。消火活動を行うかたわら、パニックを起こす生徒達に避難経路を誘導している。
 リメリアは呆然と突っ立ったまま、その勇ましい姿を見守る。

(何よ。ロルフのくせに、頼りになるじゃないの……)

 見慣れた背が大きく見えて、リメリアは戸惑った。 
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