【完結】社畜が満員電車で「溺愛」されて救われる話

回路メグル

文字の大きさ
上 下
21 / 39

第21話 引っ越し

しおりを挟む
 溜まっていた有休は七日しか消化できなかったけど、退職金が多少出たし、その後一回も会社に行かずに辞めることができた。
 必要書類や連絡は全部課長が間に入って送ってくれたし、借り上げ社宅からの引っ越しは、有休消化中に引っ越し先が見つかった。
 長年できなかったことなのに、やる気になればこんなにも簡単だったのか。



 引っ越し当日は浅野さんと浅野さんの事務所で働いているデザイナーの男性が手伝ってくれた。
 元々寝るために帰るだけの家だったから家具も家電も少なくて、借り上げ社宅だったからエアコンや冷蔵庫、洗濯機、ベッドは会社の物。持っていかない。
 仕事が忙しくて買い物もあまりしないし料理もあまりしないような生活で、物が増えることは無かったから、業者に頼まなくても軽トラと男三人で余裕の引っ越しだった。

「桜田さん、荷物はこれで全部です」
「ありがとうございます」

 午前中だけで荷物の移動が完了した新しい家は、前より狭い1Kのマンション。家賃は浅野さんの事務所が半分出してくれるから、俺の負担額で言うと今までの三分の一。
 浅野さんは「家賃補助もっと出しますし、もう少し広いところを選んでいいんですよ?」と言ってくれたけど、前より狭いと言っても1Kの中では広い方だし、収納は大きいし、「やった、掃除が楽だ」としか思わない。
 しかも通勤が徒歩三分! 最高だろ?

「じゃあ俺は、廃品回収業者に寄ってからトラック返して……直帰でいい?」

 レンタカーのキーを指先にぶら下げたデザイナーの野崎さんは、浅野さんと似た体格で同い年ということだけど……青っぽいメッシュやインナーカラーが入ったアシンメトリーの髪型に黒ぶちメガネ、派手なスカジャン姿で一見近寄りがたかった。
 でも、話し出すと明るくてノリがよく、これから一緒に仕事をしていくのにやりやすそうな人だ。

「いいよ。ありがとう!」
「休日なのに助かりました、ありがとうございます」
「午前出社扱いにしてくれているし全然いいよ~。桜田さん、来週からよろしく!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 野崎さんが部屋を出ていくと1Kの狭い部屋の中は俺と浅野さんの二人きり。
 まだまだ段ボールの中身を開けたり、役所や銀行での手続きをしたり、明日届く予定の家電を設置したり、やることはたくさんある。
 でも……
 
「ふぅ……」

 前の会社を辞めて、会社に宛がわれていた家も出て、物理的に会社と距離を置けたことで気が緩んだ。

「桜田さん……」

 倒れるほどではないけど、力が抜けたのが解ったのか、ラフなTシャツパーカー姿の浅野さんが後ろから軽く抱きとめてくれた。

「大丈夫ですか? ここ数日、家探しや引っ越しの準備で大変でしたよね……お疲れ様です」
「仕事よりは大変じゃないですよ。疲れもあるけど……ほっとして気が緩んだかな……」
「今までずっと気が張っていたんですね……お疲れ様です。桜田さんの頑張り、尊敬します」

 会社を辞めることが決まってから、仕事のこと、引っ越しのこと、浅野さんと顔を合わせることは多かった。
 ほぼ毎日会っていた。
 でも……。
 抱きしめられるのは、初めて顔を見た日以来で……。

「ん……」

 うん。
 やっぱりこれ、ほっとする。
 すっぽり体が包まれる感覚。
 肩のあたりをぽんぽんと優しく叩く大きな掌。
 俺もスーツじゃなくて今日はTシャツ姿だから、体温をすごく感じる。
 ここ数日の緊張が癒されていく。
 落ち着く。
 ほっとする。
 癒し……。
 ……。
 …………。
 ………………。
 ……………………。



「あ……れ……?」
「あぁ、起きました?」

 浅野さんに抱きしめられて、ほっとするな~……と思ってから、まさかの寝落ちしてしまっていたらしい。
 まだカーペットも何も敷いていないフローリングの床に座った浅野さんに膝枕をしてもらって、体には浅野さんが羽織っていた薄手のパーカーが掛けてあった。

「やっぱりお疲れなんですよ。今までの疲れも残っているだろうし、退職や引っ越しなんて、仕事とは違う神経を使うでしょう? 無理せずに、ゆっくりしてくださいね。事務所への出社も遅らせても良いですし」

 浅野さんは優しい双眸を穏やかに細めて俺を見下ろしながら、伸ばしっぱなしの俺の髪を梳く。
 その指がまた気持ちよくて……。
 
「ごめんなさい、俺……まだ寝そう……」
「大丈夫ですよ。寝てください」

 結局、そのまま一時間ほど浅野さんの膝で寝てしまった。

しおりを挟む
感想 53

あなたにおすすめの小説

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

からかわれていると思ってたら本気だった?!

雨宮里玖
BL
御曹司カリスマ冷静沈着クール美形高校生×貧乏で平凡な高校生 《あらすじ》 ヒカルに告白をされ、まさか俺なんかを好きになるはずないだろと疑いながらも付き合うことにした。 ある日、「あいつ間に受けてやんの」「身の程知らずだな」とヒカルが友人と話しているところを聞いてしまい、やっぱりからかわれていただけだったと知り、ショックを受ける弦。騙された怒りをヒカルにぶつけて、ヒカルに別れを告げる——。 葛葉ヒカル(18)高校三年生。財閥次男。完璧。カリスマ。 弦(18)高校三年生。父子家庭。貧乏。 葛葉一真(20)財閥長男。爽やかイケメン。

嫁さんのいる俺はハイスペ男とヤレるジムに通うけど恋愛対象は女です

ルシーアンナ
BL
会員制ハッテンバ スポーツジムでハイスペ攻め漁りする既婚受けの話。 DD×リーマン リーマン×リーマン

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

気付いたらストーカーに外堀を埋められて溺愛包囲網が出来上がっていた話

上総啓
BL
何をするにもゆっくりになってしまうスローペースな会社員、マオ。小柄でぽわぽわしているマオは、最近できたストーカーに頭を悩ませていた。 と言っても何か悪いことがあるわけでもなく、ご飯を作ってくれたり掃除してくれたりという、割とありがたい被害ばかり。 動きが遅く家事に余裕がないマオにとっては、この上なく優しいストーカーだった。 通報する理由もないので全て受け入れていたら、あれ?と思う間もなく外堀を埋められていた。そんなぽややんスローペース受けの話

ド陰キャが海外スパダリに溺愛される話

NANiMO
BL
人生に疲れた有宮ハイネは、日本に滞在中のアメリカ人、トーマスに助けられる。しかもなんたる偶然か、トーマスはハイネと交流を続けてきたネット友達で……? 「きみさえよければ、ここに住まない?」 トーマスの提案で、奇妙な同居生活がスタートするが……… 距離が近い! 甘やかしが過ぎる! 自己肯定感低すぎ男、ハイネは、この溺愛を耐え抜くことができるのか!?

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話

gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、 立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。 タイトルそのままですみません。

処理中です...