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第7章 南部編

異なる世界 1

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<セレスティーヌ視点(姿は和見幸奈)>



 染みひとつない真白な壁に囲まれた清潔な病室。
 温度管理された快適な空間。
 柔らかで寝心地の良い寝具。
 信じられない性能をもった器具の数々。

 便利で安楽な生活……。

「……」

 幸奈さんの記憶は、私の中に確かに存在している。
 だから、生活するための知識に問題はない。
 支障などない。

 そう思っていたのに……。

 駄目。

 戸惑ってしまう。
 何をする時も。
 些細なことでも。

「……」

 ここは私の世界じゃない。
 私は幸奈さんじゃない。
 この世界で暮らす自信がない。

 ……帰りたい。


 コーキさんと離れ、病室に残された私。
 気づけば、私の心の中は弱音で埋め尽くされていた。

 泣き言ばかり。
 そんなことばかり、最初は考えていた。


 けど……。

 今は違う!

 幸奈さんの記憶が、自分のものとして定着して。
 色々と理解できるようになって。

 武志君に助けてもらって。
 カーンゴルムから一度戻って来たコーキさんと話をして。

 心も体も、少しずつこの世界に順応してきた。
 生活にも慣れてきたと思う。

 そして、何より。
 強い思いが私を動かしてくれる。
 震える心も怯える心もあるけれど、それでも打ち勝とうと今は思える。


「姉さん、本当に大丈夫?」

「……何のこと?」

「何って、3日後の退院だよ」

「それは、身体は大丈夫だから」

「身体が平気なのは僕も分かってるって。姉さんが目覚めてからは身体に異常はないみたいだからさ」

 幸奈さんと入れ替わったこの身体。
 当初は上手く動かせなかったけれど、今は何の問題もない。
 もちろん、健康そのものだ。

「心配なのは姉さんの頭だよ。記憶、完全には戻ってないんだろ?」

「……そうね」

 和見家に戻る日を少しでも遅らせるために、コーキさんと考えた作戦。
 それは記憶障害を装い入院を続けること。
 計画通り、私はこうして病室に残っている。

 ただ、実際のところ。
 私が受け継いだ記憶には曖昧な部分が多いのも事実。
 記憶障害も嘘ではない。

「3日後に退院するのに、記憶が不完全って」

「……」

 入院作戦も、あと3日。
 3日後には、帰ることになっている。

 あの父親が待つ和見家に。
 黒衣の女性、壬生さんが待ち受ける地下室に。

「っ!?」

 想像するだけで、吐き気と頭痛が!

 今はまだ僅かな症状ではあるけれど。
 和見家のことを考えるのを止めると、すぐに消えてしまう些細なものだけど。

 それでも、あの家を思い浮かべると……。

 私自身の思いを無視して身体が反応してしまう。
 おそらくは、幸奈さんが反応しているのだろう。

 この身体、この状態で和見家に。
 あの家に帰らなければならない。

「……」

 いいえ、違う。
 帰ってやるんだ。
 そして、幸奈さんの代わりに私が!


「ほんと、退院していいのか心配だよ」

「武志く……武志、ありがとう」

「ほら、今だっておかしな喋り方だったろ」

「……」

 これは、そういうことじゃないの。
 でも、本当のことは言えないから。

 武志君を騙すつもりはないんだけど……。
 ごめんなさい。

「まっ、口調くらい変でもいいけど。ケアもフォローも僕がするしさ」

「……うん、頼りにしてるわ」

「りょーかい」

 私が持っている幸奈さんの記憶の中には、彼女自身の話し方、仕草などはほとんど含まれていない。
 だから、手探りで彼女らしい振る舞いを探しながら毎日を過ごしてきた。
 人と話す時は相手の反応を見て、それらしい行動をとって……。


「ってことで、何でも言ってくれよな」

「ありがと」

 でも、武志君に対する話し方だけは身についたと思う。
 気を抜くと、すぐ失敗するけれど……。
 やっぱり、まだまだかな。


「……あんなこと」

 囁きにも満たない武志君の小さな声。
 私の耳は、そんな音も拾ってしまう。

「二度とごめんだから」

「……」

 二度と経験したくないというその気持ち。
 本当によく分かる。

 私もワディナートで……。
 大切な人を……


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