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第1章 オルドウ編
夕連亭 5
しおりを挟む長時間道具屋にいることもできないので、買い物をして店を出る。
「ふぅ~」
さあ、夕連亭に入るか。
意を決して、夕連亭の門をくぐり食堂へ。
何も考えず、一気に食堂内の席に着く。
「……」
食堂の中のあの場所、あそこにウィルさんが横たわっていた。
そして、その後……。
情景がよみがえってくる。
「うっ」
やはり、気分が悪くなる。
「お客さん、顔色良くないですけど、大丈夫ですか?」
ウィルさんではない店員。
よかった、今はまだ顔を合わせたくない。
「問題ないです。ちょっと急いでいたもので」
「そうですか? では、ご注文は?」
「日替わりのスープとパンを下さい。それと、まず水をお願いします」
「承りました」
水を飲みこみ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
そうすると、かなり楽になってきた。
そう。
こんなものはただの心の反応にすぎない。
脳と心が勝手に反応しているだけ。
俺の身体には何ら異状はない。
まったく何も問題はない。
目を閉じ、心を落ち着かせる。
「……」
目を開きウィルさんが倒れていた場所を再び眺める。
あの日の情景を思い浮かべる。
……。
良い気分ではない。
が、大丈夫だ。
これくらいなら、問題なく行動できる。
それに、すぐに慣れるだろう。
「パンとスープです」
「……ありがとう」
あまり食欲はないが。
いただこうかな。
少し余裕ができてきたところで、周囲を見渡してみる。
この中に俺を殺した犯人がいるかもしれない。
そう思うと、また嫌な気分に襲われるが。
……。
あらためて周囲を見渡す。
客はそれなりに入っているが、今のところ怪しい素振りを見せる者はいない。
ウィルさんも奥にいるのか、姿が見えない。
店内には特に問題もないし、食事客もいたって普通。
まだ、ここにはいないのかもしれないな。
この時点では宿に宿泊していないと。
まあ、そもそも宿泊客が犯人だと断定はできないが。
外からの侵入者という線もある。
そんなことを考えている内に、何とか食事を終えることができた。
少しだけ席で休んで店を出る。
犯人特定のための収穫はなかった。
それでも、無事に夕連亭で時間を過ごすことができたのが何よりの収穫だな。
その後、夕連亭の前を歩いたり離れた場所から眺めたりして時間を過ごしたのだが、やはり、全く成果はなかった……。
鼠色の帽子と外套を身につけた女性が重い荷物を抱えて歩いている。ヨマリさんだ。
ここでいきなり声をかけるのもどうかと思いながら傍らに歩み寄ると、前回同様によろめき座り込んでしまった。
時間と場所を選んでいたとはいえ、そのタイミングの良さに、つい驚いてしまう。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう、でも大丈夫です。ちょっと疲れてしまっただけですので」
「とても辛そうですよ。目的地まで荷物をお持ちしますよ」
「いえ、本当に平気です。あっ」
そう言って立ち上がろうとするが、足もとがおぼつかない。
恐ろしいくらい前回と同じだ。
手を差し伸べる。
「すみません」
やっぱり美しい女性だな。
ここでもまた同じ感想を抱いてしまう。
「いえ、問題ないですから」
「あの、荷物?」
「良ければお持ちしますよ。遠慮なさらないでください」
「……ほんとにいいのですか?」
「気になさらないで下さい。では行きましょう」
荷物を持って一緒に歩き出そうとすると。
「あの……すみません。道が分からないんです」
「ああ……」
そうだったな。
前回はここで道行く人に尋ねたんだった。
「行先はどちらですか?」
「夕連亭という宿ですが、ご存知ですか?」
「夕連亭でしたら、分かります。行きましょうか」
「本当ですか。それは助かります」
問題なくヨマリさんと合流し夕連亭に到着することができた。
ここまでは順調だが……。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえ、無事に到着できて良かったです」
ここで俺だけ帰るという選択肢はない。
ないのだけど、ウィルさんが出て来てくれない。
早く着き過ぎたようだ。
どうしたものか。
「あの、よろしければ、夕食を御馳走させていただけませんか?」
これは、助かる。
「よろしいのですか」
「あれ? 母さん!?」
ウィルさん。
夕連亭の入り口からウィルさんが出てきた。
「ウィル、元気にやっていましたか?」
「母さん、急にどうしたんですか?」
元気なウィルさん!
よかった。
当然だけど、まだ生きてくれている。
安堵と懐かしさが込み上げてくる。
「ウィル、こちらは大通りで迷っていた私を案内してくれたコウキさん」
「そうでしたか、母がお世話になり、ありがとうございました」
「コウキさん、こちら息子のウィルです」
「あっ、はじめまして、コウキと申します。今回のことは気になさらないで下さい」
「そんな訳にはまいりません。お礼をさせていただかなければ」
「そうですよ、コウキさん。私からもお礼をしないと」
「いえ、少し案内しただけですので」
「それがありがたいのです」
「そうですよ。お礼させてください」
にっこりと微笑むウィルさんとヨマリさん。
「ありがとうございます」
ウィルさんを助けてみせる。
ヨマリさんを悲しませたりしない。
結局、その夜は夕食を御馳走してもらうことになった。
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