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露天風呂で

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「1か月見ないうちにデカくなったなぁ、、、」

瀬口がニコッと笑いながら、直人の肩をポンと叩く。

直人は照れる。

「伸び盛りということでしょうね」

沖田が頼もしそうに直人を見る。

直人はこの地方で1番の都市に来ている。

この地で沖田が主催する団体が開催する若者のスポーツ支援のためのイベントの見学のためだ。

演目の目玉であるパネルディスカッションに、瀬口が登壇する。 

“良かったら、直人も見学に来てくれないか?客席に味方がいないと心細いんだ”

瀬口から、そんな冗談めかした誘いのショートメールが届いた。

沖田からも招待状が届いた。

瀬口や沖田に再会できるのが嬉しくて直人は速攻で参加を決めた。

土曜日、朝イチの特急で直人は会場に駆けつける。

夜は沖田がホテルを取ってくれているので一泊する。

恐縮する直人に、沖田は、その代わりに君の友達が出演するという『オンディーヌ』のチケットを手配してくれないか?もちろんお金は払うよ、、、と告げた。

なんでも、『オンディーヌ』は、沖田が大好きな演目らしい。

それなら、日曜日の千穐楽の公演を観る予定なので一緒にいかがですか?と誘うと、千穐楽に行くとは直人くんもツウだね、、、と言われた。

千穐楽に来て欲しいと言ったのは百合香だった。

“観に来るなら千穐楽に来て、、、初日はイヤ。まだ出来上がってないもの。幕が開いて、お客さんの反応をみながらダメ出しを受けて舞台は成長するの。だから、成長しきった千穐楽に、直人には観て欲しいの、、、”

非常灯だけが広い空間を照らす闇の中、直人の肩に頭を乗せて百合香は言った。

始業式の夜から何度も2人は夜中に総合体育館に忍び込み、プールで泳いだ。

最新のセキュリティをかい潜るのは簡単だった。

夜間はロックされる通用口の解除パスワードが、管理室の壁にデカデカと貼られているのだから。

扉を開けて忍び込んだら、あとは管理室の中にいる警備員さんの様子を伺うだけ。

あっけない程簡単にプールに忍び込めた。

もっとも、先週の金曜日に百合香の公演が始まり、その2日前から深夜の泳ぎは止めていた。

公演を観に行ったクラスメートの話によると、百合香がド迫力だったらしい。

会場の県民ホールを訪れると控え室に通され、瀬口と沖田に久々に再会した。

が、会うと久々という感じがせず、すぐに合同練習の頃に戻った気がした。

県や市のお偉いさん達がやって来て沖田や瀬口に挨拶をし出したので、直人は控室から出て会場に向かおうとした。

すると会場の係員がスッと横に現れ、会場への案内を始めた。

直人は、不慣れな場で居眠りしてしまってはマズいので後ろの方の席に座ろうと思っていたのだが、係員はそんな直人の内心にはお構いなしに会場への扉を開けるとドンドン進む。

“どうぞっ、、、足元にお気を付けて、、、”

何度も直人の方を振り返り言う。

気配りだろうがそれが直人には若干、鬱陶しい。

どうやら新星と呼ばれる直人を案内するのが誇らしいようだ。

だがその丁寧な案内が静かな会場では目立ってしまう。

“ほら、あの子、、、”

“あぁ、瀬口選手を破った、、、”

“瀬口さんが後継者として可愛がっているらしい、、、”

自分に関する言葉が次々と聞こえ、意識してしまった直人は自分の身体の動きがギクシャクしてくるのを感じる。

通されたのは前方中央、関係者席と書かれた席のうちの一つ。

直人は窮屈に思いながら、自分を取り巻く環境が今までとは確実に変わってきているのをヒシと感じた。


イベントは地域の子供達、そして、学生達のスポーツを振興させることを目的にした二部性のものだった。

一部の冒頭となった県知事の挨拶は長々と自慢話が続いただけ、続く市のスポーツ振興課の担当役員の話は原稿を念仏のように朗読するだけ。

客席で直人はじっと座って話を聞くことがこんなに辛いとは、、、と思っていた。

しかし、その後の沖田の基調講演はアツかった。

スポーツが子供達に与える影響、身体だけでなく精神的にも豊かな影響が与えられること。

他人と競い合うことが目的ではなく、自身の限界と競うことが大事なこと。

そして、スポーツを通した交流は、チーム内から始まり、グローバルな関係まで幅広く広がること。

スポーツが言語を介さず、様々な国々の人達との交流を可能にすること。

沖田の誠実さを感じさせる口調で語っていき、直人は引き込まれてしまった。

その後、県知事、市の役員、そして、沖田の短い鼎談となったが、それは、沖田の人間性の高潔さを観客に植え付けただけの内容だった。

短い休息を挟み、2部は地元のテレビ局のアナウンサーが司会となってのパネルディスカッション。

登壇者は、瀬口の他に、スポーツメンタリスト、大学教授、スポーツジムを主催する元金メダリストなどのそうそうたるメンバーだった。

瀬口がダントツで若かったが、その堂々とした立ち居振る舞いは他のメンバーに引けをとっていなかった。

水泳が大好きだった少年時代、経済的な理由からスイミングスクールに通うなんてことは考えもしなかった中学時代、けれど、市の大会で好成績を出した事をきっかけに沖田が彼を見出したことにより世界が180度変わった事。

熱意をもって瀬口を水泳界に誘って来た沖田を、最初のうちは新手の詐欺かと思い邪険にした事をジョークを交え語る瀬口。

そして、沖田と巡り合い世界への扉を開けてもらえた自分は幸運で、才能を持ちながら、経済的理由、環境的理由で、それを活かすことができない子供達がいることが辛いと会場を見渡し語る。

他のパネリストの話を邪魔することなく、子供達、若者達へのスポーツ振興は単なる健康推進の綺麗事だけではなく、子供達の未来を切り拓くことだという信念を語った瀬口は、パネルディスカッションをリードしていた。

終了後、客席から満場の熱い拍手が送られた。

直人も掌が痛くなるほど強く手を叩き続けた。



ジャボン、、、

水音がする。

瀬口の鍛えられた身体がお湯に浸かった音だ。

直人は瀬口に連れられ、市街から30分ほどの山の中腹にある露天風呂に来ていた。

イベント終了後、瀬口や沖田も参加する会食の席に同席した後だ。

ホテルの風呂は狭いからと瀬口の運転でやって来たのだ。

自然の中の無人の露天風呂。

丁度いい湯加減だ。

「瀬口さん、飲みに行かなくて良かったんですか?」

直人は、瀬口が未成年の自分に気を遣って飲みに行かなかったのではと気にしている。

「仲間との飲み会は好きだけど、肩肘張った飲み会は嫌いでね。直人を口実に断ることが出来て良かったよ」

そして、瀬口は露天風呂の中でゆっくりと大の字に四肢を伸ばす。

「気持ちいいなぁ、、、直人も端で縮こまってないでリラックスしろよ、、、」

その言葉に直人も湯の中で体を伸ばす。

空には星が瞬き、見下ろすと街の明かりが煌めいている。

「瀬口さんと沖田さんって知り合って長いんですね」

「そうだな、、、もう10年以上になるな、、、さっきのパネルディスカッションでも話したけど、いきなり現れて、君は大物になるっ!君の才能を無駄にしちゃいけないっ!て大声で言われた時には、何だ?このオッサンって思ったよ。俺にとっては泳ぐのは当たり前のことだったし、そんな凄いこととは思ってなかったからね、オヤジやお袋のところにまで直談判に来てさ、二人とも目を白黒させてたよ。何か魂胆があるんじゃないかと疑ってさ。けど、沖田さんの経歴とかを知って、本当にスポーツ振興に力を入れているってのが分かって、お世話になることにしたんだ」

「じゃ、沖田さんが居なかったら、今の瀬口さんは居ないってことですか」

「あぁ、親父が鳶職で、小学校高学年の頃から小遣い稼ぎで現場に行ってたから、多分、今頃は鳶になってただろうな。力仕事が得意だったんだ。高い所も好きで。勉強が嫌いだったから高校には行かないで鳶になりたいって言う俺と高校くらいは出ておけって両親と親子喧嘩の真っ最中だったんだよ、沖田さんが来たのは」

「へぇ、瀬口さんにもそんな頃があったんですね」

「まあな。奨学金も出すからって言葉に、まず両親が揺らいだんだよ。多分、俺の方が頑固だったな。けど、沖田さんの過去を知ってな、、、」

思わせぶりな口調に、直人は瀬口を見る。

「沖田さんは努力型の選手だったんだ。華やかさは無いけれど、コツコツと練習を重ねて実力を伸ばしていくタイプ。自費で海外留学までしてようやく世界への切符を掴んだ時だったんだ」

世界への切符、瀬口が挙げた名は、おそらく誰もが知っており、アスリートなら参加を熱望するだろう国際大会のものだった。

「紛争が起こっていたんだ。一国内の紛争に政治的な理由から、大会の主催国が軍事介入をした。それに反発した対立諸国が大会へのボイコットを表明したんだ」

「ボイコット?」

「そう。抗議のため、選手を大会に参加させないと決定したんだ。政治の駆け引きの道具にアスリートが利用された。その大会への出場権を得るために必死で己と闘ってきたアスリート達がね。いくつかの国では、ボイコットを要請する政府に反抗し、選手団を送ったのだけれど、残念ながら日本では、政府の意向に逆らえず、不参加を決め、選手団の派遣を見送った。沖田さんもその内の1人だった」

「それって、、、個人で出ることは出来なかったんですか?」

「無理だったんだろう。沖田さんは年齢的にもピークを過ぎかけていて、その大会を最後に引退すると決め、だからこそ、大会に向けて自分を追い込み、かなり無理な練習を重ねたらしい。不参加が決まってかなり精神的に落ち込み、自暴自棄になったらしい。今の穏やかな沖田さんからは想像も出来ないけど、おそらくそんな自暴自棄な日々があったからこそ今の穏やかな沖田さんが生まれたんだろうな、、、」

いつも優しい目で年の若いアスリートに対しても対等に接する沖田の様子を直人は思い出す。

「燃え尽きて生活も荒れた状態を続けたけれど、どうしてもスポーツが政治に利用されたのが理不尽に思えたらしく、それならば、自分は政治をスポーツに利用してやろうと決心したんだそうだ。アマチュアスポーツ振興のための団体の設立に加わって、ガムシャラに全国を飛び回ったらしいよ。その全国行脚の最中に僕も拾って貰えたんだ。今日のイベントで県知事が開会のスピーチをしただろ?」

直人は頷き、その長々と自慢話が続くスピーチを思い出した。

「あの県知事は、あれで沖田さんの活動に協力せざるを得なくなった。沖田さんって、ああ見えてかなりしたたかなタヌキ親父だよ。俺も、あの人のためなら客寄せパンダになってもいいって思っちゃうんだよなぁ」

「客寄せパンダ?瀬口さんが?」

「そうだよ。俺、これでも集客力高いんだぜ。普段、無愛想にしてるから、沖田さんにここって時の切り札で使われるんだ」

「フォトセッションの時、瀬口さんの前にカメラマンが集まってましたもんね。お客さんも、禁止なのにスマホを構えてましたよ」

直人の言葉に瀬口は陽気に笑うと、露天風呂の中に頭を沈めた。

そして、顔を出し、直人に言う。

「天然の温泉って、潜ると気持ちいいぜ。髪とか肌をピチピチとお湯が撫で出てくる」

「温泉の精霊ですかね」

直人の軽口に瀬口は真面目な表情を浮かべる。

「あぁ、、、ウンディーネ、、、オンディーヌ、、、水の精霊、、、温泉にも居るのかもな、、、明日の演劇が楽しみだよ」

瀬口が嘆息するように言った。













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