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二つの世界
遠雷響く新盆
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「全くどこから嗅ぎつけてきたのかしらっ!」
甲高いヒステリックな声。
菩提寺から帰り、玄関の引き戸を閉めるなり母親が同時に吐き捨てるように言った。
かなり不満が溜まっていたのだろう。
「ただでさえ気温が高いのに、暑苦しいったらありゃしない」
イラつきを撒き散らす母親に、父親が言う。
「まぁ、いいじゃないか。ばあさんの納骨も済んだんだ。これで奴らとの縁も切れる」
両親の村の人たちを見下す言葉がリクの心を尖らせる。
ばあちゃんや源さん達の顔を思い出すと、両親に言ってやりたいことは沢山ある。
けれど両親の価値観はリクのモノとは全く違う。
ばあちゃんが亡くなってから、リクはそれを思い知った。
何度も繰り返した両親との不毛な言い争い。
まったく歩み寄ることはなく、最後は、誰の稼いだ金で育ててもらっているんだ!お前も大人になれば分かるっ!と言う決め台詞をまくし立てられて終わりだ。
リクは諦めの境地に達していた。
今日は、新盆に合わせ、49日を待たずに行われたばあちゃんの納骨式。
その式は、お骨が置かれた仏壇の間での読経が始まる前から、ギスギスした雰囲気に包まれた。
両親は家族3人と住職でさっと終わらせるつもりだったようだが、納骨前に最後の別れをしたいと源さん達が玄関前で待っており、さらにリク達の到着を知ってさらにご近所からワラワラと弔問の客が現れ、一部の人達は菩提寺まで一緒に来た。
白木家の墓は菩提寺の裏手、山の斜面を切り拓いた墓地の一番高いところにある。
住職を先頭に一行は刺すような夏の日差しに照らされながら墓石の合間の狭い勾配のある道を進む。
「住職さん、あれは、虫の駆除かね」
「あぁ、とうとうこの辺まで虫が来よったようで、草だけでなく、松まで根腐れを始めてしまったんで、業者を頼んだ。倒れたり、枝が折れたりして檀家さんが怪我をしたら一大事だからな」
村人達が話しながら道を登る。
リクはばあちゃんの骨壷が入った木箱を胸に抱き、住職の後に続く。
「高遠さんのミカン畑、壊滅らしい、可哀想なこった。ウチも他人事じゃいられないかもしれん」
「この暑さのせいかねぇ」
「松食い虫とかでなく、地虫なんじゃろ。なんでも除虫剤がほとんど効いてないらしいじゃないか。新種なんか?」
「皆目、分からんそうだ。地虫のくせにすばしっこく、土を掘るとすぐに散って逃げるらしい。業者も嘆いておった。捕まえて正体が分かればよく効く薬も分かるらしいが。むやみに強い薬を撒くといい虫まで殺してしまうからお手上げらしい」
何十年に一度の猛暑に、突然の大雨もあり、変な虫が沸き、村の木々の根を食い荒らしているらしい。
両親はそんな会話をしている村人達から少し距離を置いて不機嫌そうな顔を隠さず最後尾を歩いている。
都会の墓地に比べれば広い土地だけれど、それでも墓石と墓石の間の歩くスペースは狭い。
そこに住職を中心に10人以上がひしめき、ようやく白木家の墓の前にくる。
暑い。
雲もない青天の下、日差しを遮るものもない。
唯一、見晴らしが良いのだけが救いだ。
牧歌的な村が一望に見渡せる。
住職が読経を始め、ばあちゃんの納骨が始まった。
その瞬間、厳しい声がした。
「あんた、そんなもん差しちゃ手を合わせられないだろっ!何を考えてんさる」
日傘を差し続けている母親を、源さんが叱責したのだ。
不満げな表情で母親は日傘を閉じ、渋々と手を合わせた。
突き刺すような日差しの中、風もなく、黒い喪服の一行の周りを熱が澱むように包む。
納骨式が終わる頃、遠くゴロゴロと音が聞こえた。
「遠雷か、、、また、一雨くるかな、、、」
住職の読経が終わると呟くように源さんが言った。
山の向こうに灰色の雲が湧き始めている。
「雨が降り出したらまずいから、今日はこれで」
菩提寺に着くなり、父親が短く言い、さっさとばあちゃんの家に向かい歩き始めた。
母親もそれに続く。
「今日は、ばあちゃんのためにありがとうございました」
残ったリクがそう頭を下げると、村人達はリクに向かい優しく頷いた。
こんなわけで、納骨終わりの両親、特に母親には不満が溜まりまくっていたようだ。
玄関に脱いだ靴を直すこともせず、部屋に上がる。
「リッくん、ちょっと外の様子を見てちょうだい。田舎者が覗き込んでいないかどうか確認してっ」
母親の言葉にリクは眉をしかめる。
確かに干渉し過ぎではあるが、気が良く、裏表のない人達だ。
今日だって、菩提寺の住職から納骨の日を聞いて、暑い中、わざわざ出向いてきたのだろう。
それを感謝もしない両親の心根がリクには理解できなかった。
「あっ、橋本さん?白木ですぅ。お待たせしました。えぇ、無事に納骨してきました」
母親がスマホで話し出す。
相手は美術商の橋本だ。
美術商の橋本は、白木ミワ追悼展の企画をしており、そこに展示する作品を選びに来る予定だった。
当初は、母親は仏壇前の読経のみ付き合い、体調が悪いとかなんとか住職には理由をつけ、家に残り、橋本の選定に付き合う段取りだった。
が、ばあちゃんの家に着くと、橋本のことを敵視している源さんがしっかりと待ち構えており、母親は慌てて少し遅れて自動車で向かっていた橋本に計画の変更を告げたのだった。
母親が橋本を伴いこの家に来るたびに源さん達がばあちゃんの遺骨への弔いと称しやってきて、織物を物色しようとする母親と橋本を責めたてていた。
そして、とうとう源さんが告げた。
「白木のミワさんのこの家と織物を指定文化財に推薦することにしたで」
「何を勝手なことを」
父親が気色ばんだ。
「その価値はあると市の文化財担当も言っておった。あんた達は、金儲けのことしか考えておらんから、その価値は分からんだろう。それにミワさんの織物はリクくんに託されたんだろ。ワシらは知っている」
両親は怒りの形相を浮かべ、リクは源さんに感謝した。
ばあちゃんが大切にしていた織物は、リクにとっても宝だった。
それを、高額な売り物としか見ていない両親と橋本には反感しか覚えなかった。
「ねぇ、リク、橋本さんがあれだけお願いしているんだから、長持の鍵を解いてちょうだいよ。織物なんて後生大事に仕舞っておいても虫に喰われるだけよ」
母親が言っているのは、屋根裏部屋に置かれた長持のことだ。
屋根裏部屋といっても、元々は生糸を取るために蚕を飼っていたスペースで、天井は高く、広い。
ばあちゃんは織り上げた作品を屋根裏部屋に仕舞っていた。
急な階段を上がると屋根裏部屋に着く。
階段側の棚には、ばあちゃんが整形のために織り上げた作品が仕舞われている。
そして、その広い屋根裏部屋の奥、ちょうど東側に、注連縄で囲まれた頑丈な漆塗りの大きな長持と幾つもの箱が整然と置かれた棚が置かれている。
天井からは注連縄に沿うように風鈴が下がっている。
長持ちは黒の漆塗りで、側面には螺鈿で四神の見事な細工が施されている。
四神、、、朱雀、玄武、青龍、白虎の東西南北を守護する四聖獣。
長持ちには螺鈿細工以外に鍵のようなものはなく、また幾重にも塗られた漆のために開けるための切れ目も見当たらない。
寄木細工のカラクリ箱と同じ要領で、開けるためには決まった手順で操作をしなければならない仕掛けとなっている。
その開け方はばあちゃんが死んだ今、リクしか知らない。
年に一度、ちょうど今、お盆にばあちゃんは長持ち、そして、周りの棚の箱を開けて中身を外に出し、虫干しをした。
黒塗りの側面に散らすように嵌め込まれた螺鈿。
優美な曲線を描く蔓の先に開く花弁を順番に押していく。
すると別の側面に描かれた月が回転するようになる。
寄木細工のカラクリ箱の要領だ。
複雑な操作を経て、長持の蓋が開く。
プンと甘い薬草に似た匂いが立ち上る。
中には丁寧に和紙で包まれた織物が仕舞われている。
それを一枚づつ開き、陰干しをする。
夏休みはほとんどばあちゃんの家で過ごしていたリクは、いつもその様子を見ていた。
不思議な紋様が描き出された織物ばかりだった。
鳥、動物、植物、、、
だが、皆、図鑑で見るものとは異なる意匠だった。
そして、猛々しい鬼、空を舞う龍、複数の足を持つ黒鳥などの異形の生物達。
複雑な図形を組み合わせた織物(後に曼荼羅と呼ばれる紋様に似ていることを知った)もいくつかあった。
屋根裏部屋の窓を開け放ち風通しを良くしたために吊るされた風鈴がリンリンと涼しげな音を立てる。
その音が心地良かった。
「あれ?こんなのあったっけ?」
広げられた布を見て、小学生のリクが聞いたことがある。
薄緑の地に長いヒレを泳がせる薄桃色の魚の群れと渋い灰色の亀の紋様が描かれただけだったはずの織物に染みのような濃い紫の模様が浮き出ている。
その禍々しい紫の染みはよくよく見ると糸ミミズのような細い線虫の塊だった。
前に見た時にはこんな塊はなかったはず、、、
ばあちゃんは悲しそうな目でその布を見ていた。
「こんな所まで、、、まだまだ織り続けなければならないね、、、」
リクにはその意味が分からなかった。
その後、ばあちゃんは機織りに向かい、コンコンと一心不乱に布を織った。
リクが横から見ていると、次第に黄色の鋭い爪と牙を持つ猿が浮き上がっていった。
その織物も、香で燻された後に箱に仕舞われた。
「この箱は大事なものだから、ばあちゃんの次はリッくんが守ってね」
何度もばあちゃんはリクに言った。
その箱を開けて中身を見せることを両親はリクに強いようとしている。
ふざけるなと、リクは思う。
橋本がその長持ちを見た時に浮かべた舌舐めずりするような表情をリクは忘れられない。
金儲けのことしか考えていないのがありありとしていた。
庭に面した廊下に吊るされていた風鈴は鑑定を理由に橋本が持ち帰っていた。
そして、ばあちゃんの功績を讃え、追悼するための白木ミワ追悼展を銀座の画廊で開くことを決めてしまった。
リクがそれを知り反対しようとした時には全てが決まってしまっていた。
橋本が手を回し、蒐集家や、美術館からばあちゃんの作品を借り出していた。
持ち主がばあちゃんの追悼のために作品を貸し出すのに、遺族の私たちが何も提供しないのはおかしいだろう、販売のための展示会ではなく、ちゃんとした展覧会なのだから、、、
反対しようとしたが、両親は正論を突きつけ、リクは黙らざるを得なかった。
ばあちゃんは注連縄で囲まれた長持ちと棚に置かれていた箱を大切にしており、階段近くに置かれていた作品に関しては、さほど執着せず、気に入った人にはただ同然の値段で譲ったりしていた。
それも、両親の気に障っていたのだが。
だから、リクは階段近くに置かれた作品について追悼展に持ち出すことについては妥協したが、長持ちの中身を見せることだけはガンとして突っぱねた。
ばあちゃんを悼みもせず、金儲けに走る両親、そして、橋本への抵抗だった。
スマホを介した母親と橋本の会話が続く。
「それで?、、、え、、、はぁ、、、良かったです。じゃぁ、お打合せ通りに、、、」
お打合せ通りに、、、?
リクは嫌な予感がし、母親を見た。
すると母親も上目遣いにリクの様子を探るように見ていた。
二人の視線が合う。
ハッと玄関に着いた時、誰も鍵を開けずに扉が開けられたことを思い出す。
ま、まさか、、、
リクは身を翻し細い階段を駆け上り、屋根裏部屋へ行く。
手前の棚はほとんど空になっていた。
そして、東側の奥に駆け寄る。
長持ちが鎮座している。
ホッとした。
背後の階段のから上半身だけを覗かせた母親が意味ありげに見ている。
ゴロゴロと長く重い遠雷が響く。
薄暗い屋根裏部屋。
リクは棚の箱がダミーとすり替えられていることには気付かなかった。
雷鳴がさらに重く轟き、近付いてくる。
甲高いヒステリックな声。
菩提寺から帰り、玄関の引き戸を閉めるなり母親が同時に吐き捨てるように言った。
かなり不満が溜まっていたのだろう。
「ただでさえ気温が高いのに、暑苦しいったらありゃしない」
イラつきを撒き散らす母親に、父親が言う。
「まぁ、いいじゃないか。ばあさんの納骨も済んだんだ。これで奴らとの縁も切れる」
両親の村の人たちを見下す言葉がリクの心を尖らせる。
ばあちゃんや源さん達の顔を思い出すと、両親に言ってやりたいことは沢山ある。
けれど両親の価値観はリクのモノとは全く違う。
ばあちゃんが亡くなってから、リクはそれを思い知った。
何度も繰り返した両親との不毛な言い争い。
まったく歩み寄ることはなく、最後は、誰の稼いだ金で育ててもらっているんだ!お前も大人になれば分かるっ!と言う決め台詞をまくし立てられて終わりだ。
リクは諦めの境地に達していた。
今日は、新盆に合わせ、49日を待たずに行われたばあちゃんの納骨式。
その式は、お骨が置かれた仏壇の間での読経が始まる前から、ギスギスした雰囲気に包まれた。
両親は家族3人と住職でさっと終わらせるつもりだったようだが、納骨前に最後の別れをしたいと源さん達が玄関前で待っており、さらにリク達の到着を知ってさらにご近所からワラワラと弔問の客が現れ、一部の人達は菩提寺まで一緒に来た。
白木家の墓は菩提寺の裏手、山の斜面を切り拓いた墓地の一番高いところにある。
住職を先頭に一行は刺すような夏の日差しに照らされながら墓石の合間の狭い勾配のある道を進む。
「住職さん、あれは、虫の駆除かね」
「あぁ、とうとうこの辺まで虫が来よったようで、草だけでなく、松まで根腐れを始めてしまったんで、業者を頼んだ。倒れたり、枝が折れたりして檀家さんが怪我をしたら一大事だからな」
村人達が話しながら道を登る。
リクはばあちゃんの骨壷が入った木箱を胸に抱き、住職の後に続く。
「高遠さんのミカン畑、壊滅らしい、可哀想なこった。ウチも他人事じゃいられないかもしれん」
「この暑さのせいかねぇ」
「松食い虫とかでなく、地虫なんじゃろ。なんでも除虫剤がほとんど効いてないらしいじゃないか。新種なんか?」
「皆目、分からんそうだ。地虫のくせにすばしっこく、土を掘るとすぐに散って逃げるらしい。業者も嘆いておった。捕まえて正体が分かればよく効く薬も分かるらしいが。むやみに強い薬を撒くといい虫まで殺してしまうからお手上げらしい」
何十年に一度の猛暑に、突然の大雨もあり、変な虫が沸き、村の木々の根を食い荒らしているらしい。
両親はそんな会話をしている村人達から少し距離を置いて不機嫌そうな顔を隠さず最後尾を歩いている。
都会の墓地に比べれば広い土地だけれど、それでも墓石と墓石の間の歩くスペースは狭い。
そこに住職を中心に10人以上がひしめき、ようやく白木家の墓の前にくる。
暑い。
雲もない青天の下、日差しを遮るものもない。
唯一、見晴らしが良いのだけが救いだ。
牧歌的な村が一望に見渡せる。
住職が読経を始め、ばあちゃんの納骨が始まった。
その瞬間、厳しい声がした。
「あんた、そんなもん差しちゃ手を合わせられないだろっ!何を考えてんさる」
日傘を差し続けている母親を、源さんが叱責したのだ。
不満げな表情で母親は日傘を閉じ、渋々と手を合わせた。
突き刺すような日差しの中、風もなく、黒い喪服の一行の周りを熱が澱むように包む。
納骨式が終わる頃、遠くゴロゴロと音が聞こえた。
「遠雷か、、、また、一雨くるかな、、、」
住職の読経が終わると呟くように源さんが言った。
山の向こうに灰色の雲が湧き始めている。
「雨が降り出したらまずいから、今日はこれで」
菩提寺に着くなり、父親が短く言い、さっさとばあちゃんの家に向かい歩き始めた。
母親もそれに続く。
「今日は、ばあちゃんのためにありがとうございました」
残ったリクがそう頭を下げると、村人達はリクに向かい優しく頷いた。
こんなわけで、納骨終わりの両親、特に母親には不満が溜まりまくっていたようだ。
玄関に脱いだ靴を直すこともせず、部屋に上がる。
「リッくん、ちょっと外の様子を見てちょうだい。田舎者が覗き込んでいないかどうか確認してっ」
母親の言葉にリクは眉をしかめる。
確かに干渉し過ぎではあるが、気が良く、裏表のない人達だ。
今日だって、菩提寺の住職から納骨の日を聞いて、暑い中、わざわざ出向いてきたのだろう。
それを感謝もしない両親の心根がリクには理解できなかった。
「あっ、橋本さん?白木ですぅ。お待たせしました。えぇ、無事に納骨してきました」
母親がスマホで話し出す。
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美術商の橋本は、白木ミワ追悼展の企画をしており、そこに展示する作品を選びに来る予定だった。
当初は、母親は仏壇前の読経のみ付き合い、体調が悪いとかなんとか住職には理由をつけ、家に残り、橋本の選定に付き合う段取りだった。
が、ばあちゃんの家に着くと、橋本のことを敵視している源さんがしっかりと待ち構えており、母親は慌てて少し遅れて自動車で向かっていた橋本に計画の変更を告げたのだった。
母親が橋本を伴いこの家に来るたびに源さん達がばあちゃんの遺骨への弔いと称しやってきて、織物を物色しようとする母親と橋本を責めたてていた。
そして、とうとう源さんが告げた。
「白木のミワさんのこの家と織物を指定文化財に推薦することにしたで」
「何を勝手なことを」
父親が気色ばんだ。
「その価値はあると市の文化財担当も言っておった。あんた達は、金儲けのことしか考えておらんから、その価値は分からんだろう。それにミワさんの織物はリクくんに託されたんだろ。ワシらは知っている」
両親は怒りの形相を浮かべ、リクは源さんに感謝した。
ばあちゃんが大切にしていた織物は、リクにとっても宝だった。
それを、高額な売り物としか見ていない両親と橋本には反感しか覚えなかった。
「ねぇ、リク、橋本さんがあれだけお願いしているんだから、長持の鍵を解いてちょうだいよ。織物なんて後生大事に仕舞っておいても虫に喰われるだけよ」
母親が言っているのは、屋根裏部屋に置かれた長持のことだ。
屋根裏部屋といっても、元々は生糸を取るために蚕を飼っていたスペースで、天井は高く、広い。
ばあちゃんは織り上げた作品を屋根裏部屋に仕舞っていた。
急な階段を上がると屋根裏部屋に着く。
階段側の棚には、ばあちゃんが整形のために織り上げた作品が仕舞われている。
そして、その広い屋根裏部屋の奥、ちょうど東側に、注連縄で囲まれた頑丈な漆塗りの大きな長持と幾つもの箱が整然と置かれた棚が置かれている。
天井からは注連縄に沿うように風鈴が下がっている。
長持ちは黒の漆塗りで、側面には螺鈿で四神の見事な細工が施されている。
四神、、、朱雀、玄武、青龍、白虎の東西南北を守護する四聖獣。
長持ちには螺鈿細工以外に鍵のようなものはなく、また幾重にも塗られた漆のために開けるための切れ目も見当たらない。
寄木細工のカラクリ箱と同じ要領で、開けるためには決まった手順で操作をしなければならない仕掛けとなっている。
その開け方はばあちゃんが死んだ今、リクしか知らない。
年に一度、ちょうど今、お盆にばあちゃんは長持ち、そして、周りの棚の箱を開けて中身を外に出し、虫干しをした。
黒塗りの側面に散らすように嵌め込まれた螺鈿。
優美な曲線を描く蔓の先に開く花弁を順番に押していく。
すると別の側面に描かれた月が回転するようになる。
寄木細工のカラクリ箱の要領だ。
複雑な操作を経て、長持の蓋が開く。
プンと甘い薬草に似た匂いが立ち上る。
中には丁寧に和紙で包まれた織物が仕舞われている。
それを一枚づつ開き、陰干しをする。
夏休みはほとんどばあちゃんの家で過ごしていたリクは、いつもその様子を見ていた。
不思議な紋様が描き出された織物ばかりだった。
鳥、動物、植物、、、
だが、皆、図鑑で見るものとは異なる意匠だった。
そして、猛々しい鬼、空を舞う龍、複数の足を持つ黒鳥などの異形の生物達。
複雑な図形を組み合わせた織物(後に曼荼羅と呼ばれる紋様に似ていることを知った)もいくつかあった。
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その音が心地良かった。
「あれ?こんなのあったっけ?」
広げられた布を見て、小学生のリクが聞いたことがある。
薄緑の地に長いヒレを泳がせる薄桃色の魚の群れと渋い灰色の亀の紋様が描かれただけだったはずの織物に染みのような濃い紫の模様が浮き出ている。
その禍々しい紫の染みはよくよく見ると糸ミミズのような細い線虫の塊だった。
前に見た時にはこんな塊はなかったはず、、、
ばあちゃんは悲しそうな目でその布を見ていた。
「こんな所まで、、、まだまだ織り続けなければならないね、、、」
リクにはその意味が分からなかった。
その後、ばあちゃんは機織りに向かい、コンコンと一心不乱に布を織った。
リクが横から見ていると、次第に黄色の鋭い爪と牙を持つ猿が浮き上がっていった。
その織物も、香で燻された後に箱に仕舞われた。
「この箱は大事なものだから、ばあちゃんの次はリッくんが守ってね」
何度もばあちゃんはリクに言った。
その箱を開けて中身を見せることを両親はリクに強いようとしている。
ふざけるなと、リクは思う。
橋本がその長持ちを見た時に浮かべた舌舐めずりするような表情をリクは忘れられない。
金儲けのことしか考えていないのがありありとしていた。
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そして、ばあちゃんの功績を讃え、追悼するための白木ミワ追悼展を銀座の画廊で開くことを決めてしまった。
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反対しようとしたが、両親は正論を突きつけ、リクは黙らざるを得なかった。
ばあちゃんは注連縄で囲まれた長持ちと棚に置かれていた箱を大切にしており、階段近くに置かれていた作品に関しては、さほど執着せず、気に入った人にはただ同然の値段で譲ったりしていた。
それも、両親の気に障っていたのだが。
だから、リクは階段近くに置かれた作品について追悼展に持ち出すことについては妥協したが、長持ちの中身を見せることだけはガンとして突っぱねた。
ばあちゃんを悼みもせず、金儲けに走る両親、そして、橋本への抵抗だった。
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「それで?、、、え、、、はぁ、、、良かったです。じゃぁ、お打合せ通りに、、、」
お打合せ通りに、、、?
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すると母親も上目遣いにリクの様子を探るように見ていた。
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ま、まさか、、、
リクは身を翻し細い階段を駆け上り、屋根裏部屋へ行く。
手前の棚はほとんど空になっていた。
そして、東側の奥に駆け寄る。
長持ちが鎮座している。
ホッとした。
背後の階段のから上半身だけを覗かせた母親が意味ありげに見ている。
ゴロゴロと長く重い遠雷が響く。
薄暗い屋根裏部屋。
リクは棚の箱がダミーとすり替えられていることには気付かなかった。
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