惰眠と堕落と下心と

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惰眠と堕落と下心と

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ヂリリリリリリ


無機質で騒がしい金属音が耳に響く。昨晩設定した目覚まし時計の音だ。
その高く短い間隔でなる音は人によっては殺意を抱かせるものだろう。健やかな朝を妨げるその音は過去の自分からの悪戯ではない。
勿論意味はある。今日は高校のテスト当日。
普段の登校が遅刻間際になっている彼はテストの勉強を兼ねて初めて目覚まし時計を使用した。
効果は絶大で意識はすぐに現実に引き戻される。眠い目を擦りながら過去の自分の目的を思い出し、時計を止め、体を起こそうとした。

しかし、体が思ったように動かない。意識は半分以上覚醒ししている。動こうという意思も生まれた。それなのに体が言うことを聞かない。彼は小さく唸り声を上げながら片手で布団を捲り上げた。布団の中の光景は目を見張るものだった。

薄暗く、そして巨大な手が自分の体を掴んでいる。これだけでも非現実的なものだがさらに奇妙なことが起こった。

「何故己の欲を抑える。何故本能を否定する。」

耳から声が入ってきたわけではない。覚醒しかけていた頭に直接言葉が入ってきているようだった。その頭を混乱させながら当然かつありきたりな質問を投げかける。

「お前は何者だ。何故俺の邪魔をする。」

巨大な手は体を掴んだままだが、頭には言葉が入ってくる。

「我は衾(フスマ)の怪。夢と惰眠を好む者だ。」

怪?妖?何が何だか分からないが人ではないと彼は理解した。

「我を呼んだのは他でもないお主だ。お主も感じるのだろう?『まだ寝足りない』と。」

確かに眠気が完全に去ったわけではない。あくまで無理矢理目を覚ましている状況だ。頭の半分は眠いと訴えているが、それでもやらなければならないことがある。

「引っ込んでいろ……!俺は学校に行くんだ……。
今回のテストで良い点をとって………、ちょっと良い思いをしたいんだ……!」

気になるあの子にいい顔をしたい。家族に褒められたい。ついでに褒美としてお小遣いを増やして欲しい。そう、彼の頭の半分を支配していたのは生理的な本能ではなく積み重ねられた煩悩であった。

「本能に逆らうとは愚かな奴だ。では我もこうさせてもらう。」

その直後自分の腕と頭がベットに落ち、全身がベットにもたれかかった状態になった。今まで布団を捲りその中を覗き込んでいたのだ。疲れるのも当然である。そして此処から特異なことが起こった。全身がベットに沈み込んでいくかのような感覚に襲われたのだ。自分の体重が何倍も重くなったかのように下に沈んでいく。頭も体も包み込まれ、なんとも言えない心地よさが生まれた。

「どうだ?これが堕ちていく感覚だ。堕落すると言うことだ。古くから人類を蝕んだ甘美な毒だ。」

快楽に沈んでいく中で必死に争う術を探した。何度も消えかける意識の中で動かせる部位は動くように命令を送る。しかし、その命令に従うものはいなかった。薄れる意識の中で考えが巡る。別に遅刻するわけではない。再試験になるわけでもない。死ぬわけでもない。それなら今回は快楽に身を落とすのも良いだろうと。

しかし、そこで一つだけ。疑問を思い浮かべ、口に出していた。

「『今回だけ』………か?」

今回の原動力となった煩悩は別に特別なものではない。人間ならば常に考えていてもいいものだ。そしてうっすらと思い出す。過去の自分の敗北を。予定だけ立てて堕落した昔の自分の失態を。頭ではわかっているのだ。「今」動かない限り限り永遠に来ることは無いと。
彼は自分で自分の舌を噛み再度力を入れる。今回は辛うじて片腕が動いた。

「まだ堕ちぬか。さっさと楽になれ!」

衾の怪の言葉を無視して少しづつ動かせる片腕を目覚まし時計に近づけていく。手が届くと裏に付いているいくつかのダイヤルを操作していく。アラーム時計の短針の位置を横目に確認しながらアラームの時間を設定した。

「良いのかお主!?今二度寝すれば最高に心地よいのだぞ!次は無いのかもしれぬのだぞ!誰にも責められず、誰の迷惑にもならぬのだぞ!?考え直せ!」

衾の怪は感情的に言い立てるが手が止まることは無い。彼は知ったのだ。この堕落と快楽は放っておいてもまた次が機会が来る。いや、来たのだ。

それなら未知なる物のために彼はこの機会を使うだろう。止めようと更に手を伸ばす衾の怪に目を向けず、彼は目覚まし時計のアラーム設定ボタンを押した。

ヂリリリリリリリリリリリー

ボタンを押してから程なくして二度目の金属音が鳴り響く。そしてそれは確実に眠気を取り払っていった。

「オノレ……!オノレェェェ!!!!グワァァァァァァァァ!!!!!」

 音が鳴るのと同時に衾の怪の体は煙のように
散っていった。残ったのは僅かな倦怠感だけであり、頭の中は完全に覚醒している。今は普段起きる時間よりも何時間も早い。まだテストまでにかなりの時間を勉強に充てることが出来るだろう。

彼は体に「おはよう」と言い聞かせる代わりに大きく伸びをし、朝食の準備をする。勉強の為の教材は前日に用意してある。
手早く食事と洗顔、歯磨き、そして着替えを終わらせ、彼は学校に駆け出していった。 

 

しかし、彼は知らなかった。本能を抑え込んだと言うことは何処かでその皺寄せが来るということを。彼はあくまで欲望の暴発を先延ばしにしただけということを。

 
この後、彼はテスト実施中に睡眠欲に意識を刈り取られることになるのはまた別の話。



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