17 / 46
第三章
第5話 魔法使いの言い分
しおりを挟む
どさっ、と小さな丸テーブルの上に書物が積み上げられた。
その山の上に右手を置き、左手を腰に当てて、ぐいっとアリルが身を乗り出す。
「さあ、順を追って説明してもらいましょうか」
ドアを一つ隔てた続きの間ではエレインが眠っている。それを意識して、アリルは声を低めてフランに相対した。
「…って言われてもなあ」
一方フランは、両手を頭の後ろにやって足を組み、椅子を揺らして危ういバランスを楽しんでいる。面倒臭がっているのがありありと見て取れる。
「お前さん、何が聞きたいんだ?」
「まずはこれです」
アリルが開いたのは、クネド王から始まるダナンの国史。第一巻。
「ここに偉大なる魔法使い、マクドゥーンの姿を描いた図があります」
統一王クネド、戴冠の場面だ。
クネド王がマクドゥーンの前に跪き、王冠を授けられている。
日付はダナン暦509年5月1日、ベルティネ祭の日。
今から185年ほど前になる。
四十二歳の壮年王クネドに対し、マクドゥーンは長く豊かな顎髭をたくわえており、かなりの高齢に見えた。
「この時、彼が何歳だったのか。記録がないので分かりませんが、この後すぐ宮廷を退いてケイドンの森に庵を結んだんですよね」
「ああ、そうだな」
フランは生返事を返した。
「で、こっちです」
続いてアリルがバサバサと引っ張り出したのは、二代目の手記だ。
「この部分を読んでみてください」
「えー…なになに」
――あの方が去った。今生で、あのお姿を目にすることは二度とあるまい。
もし、幸運にも出会うことがあるとすれば、…………、
……お守りするばかりだ――
「うん? 途中がかすれちまってるな」
「あの方、というのは流れから見て初代森の隠者。つまり、大魔法使いにして賢者の長、マクドゥーンのことでしょう」
「そうだろうな」
「日付は663年2月1日。今から約三十年前になりますね」
「あー、そうだな」
「そうだな、じゃないですよ!」
アリルはわずかに語気を強めた。
「クネド王戴冠のときに、マクドゥーンはすでにご高齢。若く見積もって60歳くらいとしても、663年には軽く220歳を超えていますよ。魔法使いってのは、みんなこんなにご長寿なんですか。不老不死の秘薬でも飲んでいるんですか」
「えー? 俺に聞かれても」
ぽりぽりとフランが左耳をほじった。
「師匠」
その惚けた顔をアリルが下から覗き込む。
「あなた、今、何歳ですか」
「さあ。何歳だっけ」
「まあ、いいでしょう」
アリルはさっさと引き下がり、別の書物のページをめくり始めた。
「まだあるのかよ」
うんざりだ、という内心を思いっきり声音に込めてみたが、アリルには通じない。
(そういや、昔っから探究心旺盛で真面目なガキだったよなあ。熱意が空回りするところなんざ、まるで変わってない)
フランにはもう、アリルがこの先何を言いたいのかも見当がついている。
「それで、師匠。あなたが名乗ったヨハルという名ですが、マクドゥーンには幼いころ生き別れになった双子の兄がいて……」
「ちょっと待った」
フランは耐えきれず、手を挙げて話を遮った。
「お前さん、シャトンから何も聞いていないのか?」
「何をですか?」
きょとん、とした顔でアリルがフランを見つめる。
藍色の瞳は純真な少年のまま。このくどくど遠回しな問い方も、嫌がらせでやっているわけではない。
フランはふいと顔を背けて、
「おーい、シャトーン」
隣の部屋に続くドアの方に向けて声をかけた。
すぐに、とっとっとっ、と軽やかな足音が近づいてきた。
キィ…、と軋んだ音を立ててドアが開く。開いた狭い隙間からするんとシャトンが入ってきた。
「何だい?」
すぐ足元まで来て、二人の顔を見上げる。
大きさはいつも通り。ごく普通の、どこにでもいる銀灰色のサバ猫に戻っている。
「お前さ」
フランが体の向きを変えて、正面からシャトンと向き合った。
「あれ、こいつに話さなかったのか?」
「あれ、って?」
シャトンが小首をかしげる。
「ちょいと前に、俺の兄貴と聖女さまの話をしただろう」
「ああ、あれね。面白い話だった」
「あの時、兄貴が聖ヨハネスで、俺が聖樹の賢者マクドゥーンだ、って。言ったよな?」
「聞いた」
「あれ、こいつに言わなかったのか?」
「言ってないよ。伝えてくれとも言われなかったし」
あっさりとした返答に、がっくりとフランが肩を落とす。
「……そうか」
「用事がそれだけなら、もう行ってもいいかい? あの子の冷たい足を温めてやらなきゃいけないんでね」
「あ、ああ。忙しいところすまなかったな」
さっさと身を返し、シャトンはいそいそと去って行った。
続きの間、温かな寝室へ。エレインが眠るベッド、そこにかけられた毛布の中へと。
ぱたん、と軽い音を立ててドアが閉まる。
二人はしばらく気の抜けたように黙っていた。
「……そういえば、猫だったな」
ぽつりとフランが洩らす。
「猫でしたね」
アリルが頷いた。
普段の言動があまりに人間臭いからつい忘れてしまう。魔法動物とはいえ、それでもやっぱり彼女はネコ族だった。ネコ族は今を生きる種族である。遠い過去も遠い未来も、その思考の中にはない。
彼女にとって一番重要なのは、今、快適であること。そして優先するのは、今したいこと。
今ここにいる者が過去に何者であったか、など、彼女にとっては何の意味もない。
「すまん。お前さんはとっくに知っていると思ってた」
「いえ、師匠は悪くありません。僕が鈍かったんです」
すっかり脱力した男二人は、なんとなく顔を見合わせてほろ苦く笑った。
「あ、そうだ。一つ言っておくことがある」
「はい?」
フランはさっきアリルが山に戻した『ダナン国史 第一巻』を引っ張り出した。クネドの戴冠式の場面を開いて、ばん、と平手で頁を叩く。
「すんごい爺さんみたいに描かれちまっているけど、俺、クネドよりずっと若いから!」
彼にとって、これだけは絶対に、何をおいても主張しておかなければならない最重要事項なのだった。
その山の上に右手を置き、左手を腰に当てて、ぐいっとアリルが身を乗り出す。
「さあ、順を追って説明してもらいましょうか」
ドアを一つ隔てた続きの間ではエレインが眠っている。それを意識して、アリルは声を低めてフランに相対した。
「…って言われてもなあ」
一方フランは、両手を頭の後ろにやって足を組み、椅子を揺らして危ういバランスを楽しんでいる。面倒臭がっているのがありありと見て取れる。
「お前さん、何が聞きたいんだ?」
「まずはこれです」
アリルが開いたのは、クネド王から始まるダナンの国史。第一巻。
「ここに偉大なる魔法使い、マクドゥーンの姿を描いた図があります」
統一王クネド、戴冠の場面だ。
クネド王がマクドゥーンの前に跪き、王冠を授けられている。
日付はダナン暦509年5月1日、ベルティネ祭の日。
今から185年ほど前になる。
四十二歳の壮年王クネドに対し、マクドゥーンは長く豊かな顎髭をたくわえており、かなりの高齢に見えた。
「この時、彼が何歳だったのか。記録がないので分かりませんが、この後すぐ宮廷を退いてケイドンの森に庵を結んだんですよね」
「ああ、そうだな」
フランは生返事を返した。
「で、こっちです」
続いてアリルがバサバサと引っ張り出したのは、二代目の手記だ。
「この部分を読んでみてください」
「えー…なになに」
――あの方が去った。今生で、あのお姿を目にすることは二度とあるまい。
もし、幸運にも出会うことがあるとすれば、…………、
……お守りするばかりだ――
「うん? 途中がかすれちまってるな」
「あの方、というのは流れから見て初代森の隠者。つまり、大魔法使いにして賢者の長、マクドゥーンのことでしょう」
「そうだろうな」
「日付は663年2月1日。今から約三十年前になりますね」
「あー、そうだな」
「そうだな、じゃないですよ!」
アリルはわずかに語気を強めた。
「クネド王戴冠のときに、マクドゥーンはすでにご高齢。若く見積もって60歳くらいとしても、663年には軽く220歳を超えていますよ。魔法使いってのは、みんなこんなにご長寿なんですか。不老不死の秘薬でも飲んでいるんですか」
「えー? 俺に聞かれても」
ぽりぽりとフランが左耳をほじった。
「師匠」
その惚けた顔をアリルが下から覗き込む。
「あなた、今、何歳ですか」
「さあ。何歳だっけ」
「まあ、いいでしょう」
アリルはさっさと引き下がり、別の書物のページをめくり始めた。
「まだあるのかよ」
うんざりだ、という内心を思いっきり声音に込めてみたが、アリルには通じない。
(そういや、昔っから探究心旺盛で真面目なガキだったよなあ。熱意が空回りするところなんざ、まるで変わってない)
フランにはもう、アリルがこの先何を言いたいのかも見当がついている。
「それで、師匠。あなたが名乗ったヨハルという名ですが、マクドゥーンには幼いころ生き別れになった双子の兄がいて……」
「ちょっと待った」
フランは耐えきれず、手を挙げて話を遮った。
「お前さん、シャトンから何も聞いていないのか?」
「何をですか?」
きょとん、とした顔でアリルがフランを見つめる。
藍色の瞳は純真な少年のまま。このくどくど遠回しな問い方も、嫌がらせでやっているわけではない。
フランはふいと顔を背けて、
「おーい、シャトーン」
隣の部屋に続くドアの方に向けて声をかけた。
すぐに、とっとっとっ、と軽やかな足音が近づいてきた。
キィ…、と軋んだ音を立ててドアが開く。開いた狭い隙間からするんとシャトンが入ってきた。
「何だい?」
すぐ足元まで来て、二人の顔を見上げる。
大きさはいつも通り。ごく普通の、どこにでもいる銀灰色のサバ猫に戻っている。
「お前さ」
フランが体の向きを変えて、正面からシャトンと向き合った。
「あれ、こいつに話さなかったのか?」
「あれ、って?」
シャトンが小首をかしげる。
「ちょいと前に、俺の兄貴と聖女さまの話をしただろう」
「ああ、あれね。面白い話だった」
「あの時、兄貴が聖ヨハネスで、俺が聖樹の賢者マクドゥーンだ、って。言ったよな?」
「聞いた」
「あれ、こいつに言わなかったのか?」
「言ってないよ。伝えてくれとも言われなかったし」
あっさりとした返答に、がっくりとフランが肩を落とす。
「……そうか」
「用事がそれだけなら、もう行ってもいいかい? あの子の冷たい足を温めてやらなきゃいけないんでね」
「あ、ああ。忙しいところすまなかったな」
さっさと身を返し、シャトンはいそいそと去って行った。
続きの間、温かな寝室へ。エレインが眠るベッド、そこにかけられた毛布の中へと。
ぱたん、と軽い音を立ててドアが閉まる。
二人はしばらく気の抜けたように黙っていた。
「……そういえば、猫だったな」
ぽつりとフランが洩らす。
「猫でしたね」
アリルが頷いた。
普段の言動があまりに人間臭いからつい忘れてしまう。魔法動物とはいえ、それでもやっぱり彼女はネコ族だった。ネコ族は今を生きる種族である。遠い過去も遠い未来も、その思考の中にはない。
彼女にとって一番重要なのは、今、快適であること。そして優先するのは、今したいこと。
今ここにいる者が過去に何者であったか、など、彼女にとっては何の意味もない。
「すまん。お前さんはとっくに知っていると思ってた」
「いえ、師匠は悪くありません。僕が鈍かったんです」
すっかり脱力した男二人は、なんとなく顔を見合わせてほろ苦く笑った。
「あ、そうだ。一つ言っておくことがある」
「はい?」
フランはさっきアリルが山に戻した『ダナン国史 第一巻』を引っ張り出した。クネドの戴冠式の場面を開いて、ばん、と平手で頁を叩く。
「すんごい爺さんみたいに描かれちまっているけど、俺、クネドよりずっと若いから!」
彼にとって、これだけは絶対に、何をおいても主張しておかなければならない最重要事項なのだった。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
問い・その極悪令嬢は本当に有罪だったのか。
風和ふわ
ファンタジー
三日前、とある女子生徒が通称「極悪令嬢」のアース・クリスタに毒殺されようとした。
噂によると、極悪令嬢アースはその女生徒の美貌と才能を妬んで毒殺を企んだらしい。
そこで、極悪令嬢を退学させるか否か、生徒会で決定することになった。
生徒会のほぼ全員が極悪令嬢の有罪を疑わなかった。しかし──
「ちょっといいかな。これらの証拠にはどれも矛盾があるように見えるんだけど」
一人だけ。生徒会長のウラヌスだけが、そう主張した。
そこで生徒会は改めて証拠を見直し、今回の毒殺事件についてウラヌスを中心として話し合っていく──。
死に戻り勇者は二度目の人生を穏やかに暮らしたい ~殺されたら過去に戻ったので、今度こそ失敗しない勇者の冒険~
白い彗星
ファンタジー
世界を救った勇者、彼はその力を危険視され、仲間に殺されてしまう。無念のうちに命を散らした男ロア、彼が目を覚ますと、なんと過去に戻っていた!
もうあんなヘマはしない、そう誓ったロアは、二度目の人生を穏やかに過ごすことを決意する!
とはいえ世界を救う使命からは逃れられないので、世界を救った後にひっそりと暮らすことにします。勇者としてとんでもない力を手に入れた男が、死の原因を回避するために苦心する!
ロアが死に戻りしたのは、いったいなぜなのか……一度目の人生との分岐点、その先でロアは果たして、穏やかに過ごすことが出来るのだろうか?
過去へ戻った勇者の、ひっそり冒険談
小説家になろうでも連載しています!
【完結】ヒトリぼっちの陰キャなEランク冒険者
コル
ファンタジー
人間、亜人、獣人、魔物といった様々な種族が生きる大陸『リトーレス』。
中央付近には、この大地を統べる国王デイヴィッド・ルノシラ六世が住む大きくて立派な城がたたずんでいる『ルノシラ王国』があり、王国は城を中心に城下町が広がっている。
その城下町の一角には冒険者ギルドの建物が建っていた。
ある者は名をあげようと、ある者は人助けの為、ある者は宝を求め……様々な想いを胸に冒険者達が日々ギルドを行き交っている。
そんなギルドの建物の一番奥、日が全くあたらず明かりは吊るされた蝋燭の火のみでかなり薄暗く人が寄りつかない席に、笑みを浮かべながらナイフを磨いている1人の女冒険者の姿があった。
彼女の名前はヒトリ、ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者。
ヒトリは目立たず、静かに、ひっそりとした暮らしを望んでいるが、その意思とは裏腹に時折ギルドの受付嬢ツバメが上位ランクの依頼の話を持ってくる。意志の弱いヒトリは毎回押し切られ依頼を承諾する羽目になる……。
ひとりぼっちで陰キャでEランク冒険者の彼女の秘密とは――。
※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さん、「ノベリズム」さん、「ネオページ」さんとのマルチ投稿です。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる