聖女と隠者のクロニクル

楓屋ナギ

文字の大きさ
上 下
5 / 46
第一章

第3話 聖女の守護者

しおりを挟む
 アンセルス、エリンの町。
 エリウの丘に建つ聖エレイン大聖堂は、今日も多くの信者を迎えてにぎわっている。
 だが、限られた者しか立ち入ることを許されぬその深奥部しんおうぶは、期待を含んだ静かな緊張感に満ちていた。

 乙女の塔の地下、聖なる墓所。
 ひたひたと裸足の足が石の床を踏む。
「エリウさま」
 老神官は、せわしなく行ったり来たりを繰り返す背の高い女性を目で追いながら、ひっそりと声をかけた。
「もう少し落ち着いてくださいませ」
「これが落ち着いていられるか、グエン」
 エリウと呼ばれた女性は、きっ、とその神官を振り返った。長い黒髪がふわりと流れる。
「あの子が帰ってくるのだぞ。ああ、何年振りだろう」
「そうですなあ。かれこれ十年以上…いや、もう二十年近くになるでしょうかな」
「十八年だ」
 指折り数えるグエン神官に声を被せ、きっぱりと訂正する。
 今日は待ち人が到着する予定の日だった。
 待ち人は『湖の島』からやってくる。
「かわいそうに。あのようなじめじめとした辛気しんき臭いところに十八年だぞ。よくぞ我慢したものだ」
 エリウの遠慮のない言いざまに、神官は苦笑した。
「またそのようなことを。閑静かんせいで心地よく、住みよいところでございますよ」
 エリウは軽く鼻にしわを寄せた。
「お前もあそこで修行をしたのだったな。世捨て人と変人しかいなかっただろう。若い娘が暮らすところじゃない」

 *

 その湖を空をゆく鳥の目で見たならば、巨大な銀色の蛇が深緑の宝玉を抱いているように見えるであろう。ただし、晴れていれば、の話である。
 『貴婦人の湖』と呼ばれるその湖は、一年を通じて霧がかかっている。湖の主はニムという。水の精霊たちをべる妖精女王だ。
 湖の中央にある緑玉ジェイドの島はいにしえより修行地として名高く、この地に満ちるエネルギーと遙か遠い世から蓄積される豊かな智を求めて、各地から多くの宗教者が訪れる。
 ダナン全土、そして大陸からも。
 しかし、ニムの許しが無くば、何人なんぴとたりともこの魔法の地に立ち入ることはかなわない。
 あがめる神は問わない。資格ありと認められた者の前にだけ、島から迎えの船が現われる。
 外界からの訪問者たちはお互いに交流を持たず、各々おのおのが志のままに師を得、それぞれの場所で課せられた勤めに励む。師と仰ぐ者は人とは限らない。人でないものであったり、自然そのものであったりすることもある。
 そもそも、の島には天を突く尖塔せんとうを持つ神殿も、大勢の人間を収容する礼拝堂もない。祭壇は必要な場合にのみ森の木立の間に作られ、用が済めばすぐに取り払われる。多くの人間を抱え、それでも島の静寂が破られることはなかった。

 一方エリンは、若々しい活気に満ちた町である。
 ただし、人が住むようになったのはせいぜい百年かそこら。聖ヨハネスによって大陸から新しい宗教がもたらされ、丘の上に聖女のための霊廟れいびょうが置かれてからのことである。
 エリウの丘も太古から妖精たちがり所とする土地であったが、ヨハネスは妖精たちを追い出すような真似まねはしなかった。一説によるとイニスダナエの出身であったという彼は、新しい宗教を布教するために既存きぞんの神々を排斥はいせきするより、共存の道を選んだ。
 人が増え、聖堂の周囲に次々と宗教施設が建てられ、町ができ、小さな丘がすっぽりと人間の営みにおおわれても、妖精たちの住処すみかは残った。

 丘の上から東の方を望むと海が見える。なだらかな半円を描く湾にダナンで最も大きな港があり、そこから丘のふもとまで馬車が三台は並んで走れるほどの広い道が伸びている。その道は海の向こうからやってきた人や物を運んでくる。港の賑わいはそのままこの町に持ち込まれた。人の営みが生み出すエネルギーは、人には預かり知れぬことではあったが、人ならぬものたちの力となった。
 
 *

「あの馬鹿が――」
 エリウが小さく舌打ちをらした。
「あの馬鹿が、あんなことをしでかさなければ。あの子はもっとおだやかに目覚め、ここで娘らしく楽しい時を過ごすことができたであろうに」
「それは……」
 老いた神官は続く言葉を持たなかった。彼女の『時』に対する感じ方は人とは違う。あの一件がなければ、自分が『目覚め』に立ち会うことはできなかったはずである。
 エリウの言う『穏やかな目覚め』はいつ訪れるとも知れない未来にあり、そのときすでに自分は落日の彼方に旅立っているであろう。

 会話が途切れ、二人の間に奇妙な沈黙が落ちる。
 と、静かな足音がして
「ご到着です」
 けわしい表情をした尼僧がその沈黙を破った。
「来たか!」
 エリウの表情がぱあっと明るくなる。身をひるがえしてそのまま駆けて行こうとする背中へ、尼僧が声をかけた。
「せめてくつをおきくださいませよ。あなた様には必要なくとも、人の女子おなごは裸足でそこらを歩き回るものではないのです」
「分かっている!」
 遠くから返事が返ってきた。神官は苦笑し、尼僧はやれやれといったふうに首を振った。そうして二人は顔を見合わせて頷くと、ゆったりとした足取りで後を追った。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

異世界に召喚されたぼっちはフェードアウトして農村に住み着く〜農耕神の手は救世主だった件〜

ルーシャオ
ファンタジー
林間学校の最中突然異世界に召喚された中学生の少年少女三十二人。沼間カツキもその一人だが、自分に与えられた祝福がまるで非戦闘職だと分かるとすみやかにフェードアウトした。『農耕神の手』でどうやって魔王を倒せと言うのか、クラスメイトの士気を挫く前に兵士の手引きで抜け出し、農村に匿われることに。 ところが、異世界について知っていくうちに、カツキは『農耕神の手』の力で目に見えない危機を発見して、対処せざるを得ないことに。一方でクラスメイトたちは意気揚々と魔王討伐に向かっていた。

見習い動物看護師最強ビーストテイマーになる

盛平
ファンタジー
新米動物看護師の飯野あかりは、車にひかれそうになった猫を助けて死んでしまう。異世界に転生したあかりは、動物とお話ができる力を授かった。動物とお話ができる力で霊獣やドラゴンを助けてお友達になり、冒険の旅に出た。ハンサムだけど弱虫な勇者アスランと、カッコいいけどうさん臭い魔法使いグリフも仲間に加わり旅を続ける。小説家になろうさまにもあげています。

おっさん商人、仲間を気ままに最強SSランクパーティーへ育てる

シンギョウ ガク
ファンタジー
※2019年7月下旬に第二巻発売しました。 ※12/11書籍化のため『Sランクパーティーから追放されたおっさん商人、真の仲間を気ままに最強SSランクハーレムパーティーへ育てる。』から『おっさん商人、仲間を気ままに最強SSランクパーティーへ育てる』に改題を実施しました。 ※第十一回アルファポリスファンタジー大賞において優秀賞を頂きました。 俺の名はグレイズ。 鳶色の眼と茶色い髪、ちょっとした無精ひげがワイルドさを醸し出す、四十路の(自称ワイルド系イケオジ)おっさん。 ジョブは商人だ。 そう、戦闘スキルを全く習得しない商人なんだ。おかげで戦えない俺はパーティーの雑用係。 だが、ステータスはMAX。これは呪いのせいだが、仲間には黙っていた。 そんな俺がメンバーと探索から戻ると、リーダーのムエルから『パーティー追放』を言い渡された。 理由は『巷で流行している』かららしい。 そんなこと言いつつ、次のメンバー候補が可愛い魔術士の子だって知ってるんだぜ。 まぁ、言い争っても仕方ないので、装備品全部返して、パーティーを脱退し、次の仲間を探して暇していた。 まぁ、ステータスMAXの力を以ってすれば、Sランク冒険者は余裕だが、あくまで俺は『商人』なんだ。前衛に立って戦うなんて野蛮なことはしたくない。 表向き戦力にならない『商人』の俺を受け入れてくれるメンバーを探していたが、火力重視の冒険者たちからは相手にされない。 そんな、ある日、冒険者ギルドでは流行している、『パーティー追放』の餌食になった問題児二人とひょんなことからパーティーを組むことになった。 一人は『武闘家』ファーマ。もう一人は『精霊術士』カーラ。ともになぜか上級職から始まっていて、成長できず仲間から追放された女冒険者だ。 俺はそんな追放された二人とともに冒険者パーティー『追放者《アウトキャスト》』を結成する。 その後、前のパーティーとのひと悶着があって、『魔術師』アウリースも参加することとなった。 本当は彼女らが成長し、他のパーティーに入れるまでの暫定パーティーのつもりだったが、俺の指導でメキメキと実力を伸ばしていき、いつの間にか『追放者《アウトキャスト》』が最強のハーレムパーティーと言われるSSランクを得るまでの話。

八十神天従は魔法学園の異端児~神社の息子は異世界に行ったら特待生で特異だった

根上真気
ファンタジー
高校生活初日。神社の息子の八十神は異世界に転移してしまい危機的状況に陥るが、神使の白兎と凄腕美人魔術師に救われ、あれよあれよという間にリュケイオン魔法学園へ入学することに。期待に胸を膨らますも、彼を待ち受ける「特異クラス」は厄介な問題児だらけだった...!?日本の神様の力を魔法として行使する主人公、八十神。彼はその異質な能力で様々な苦難を乗り越えながら、新たに出会う仲間とともに成長していく。学園×魔法の青春バトルファンタジーここに開幕!

妖精族を統べる者

暇野無学
ファンタジー
目覚めた時は死の寸前であり、二人の意識が混ざり合う。母親の死後村を捨てて森に入るが、そこで出会ったのが小さな友人達。

番が見つけられなかったので諦めて婚約したら、番を見つけてしまった。←今ここ。

三谷朱花
恋愛
息が止まる。 フィオーレがその表現を理解したのは、今日が初めてだった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...