4 / 9
第一章
2.やわらかな女神
しおりを挟む
「紙、紙がありません!」
いつも傍にあるはずの物が、必要なときに限って手近にない。焦ると余計に見つからない。
「ペン! インク!」
「何でもいいから、さっさとおし!」
サバ猫に叱られ、アリルは木製の花瓶敷きに消し炭でメッセージをしたためた。宛先は庵の常連、デニーさん。面倒見のよい初老のご婦人だ。
「これを届けりゃいいんだね」
アリルから板をひったくり、シャトンは駆けた。
それからほどなく。アリルにとっては長い長い時間が経ったころ。
「四代目、大丈夫かい?」
―――赤ちゃん いる
たった二語のメッセージで呼び出された気の良いご婦人は、片手でシャトンを抱き、もう片方の手に籠を提げてやって来た。
「ああ、よかった。もうどうしていいか分からなくて」
アリルがほっと息を吐き、弱々しい笑みを浮かべる。
「はいはい」
デニーさんは籠をテーブルの上に置くと、このひと冬でぐんと背の伸びた少年の頭をぽんぽんとあやすように叩いた。その腕からシャトンがするりと飛び降り、「にゃあ」と一声鳴いて客人を促す。
「ふにゃあ」
シャトンの声に応えるように、部屋の奥で猫に似た声がした。
「ああ、さっき泣き止んだばかりなのに」
「そんなにおろおろしなくても」
うろたえるアリルを尻目に、デニーさんはずかずかと声の主に近づき、覗き込んだ。そうして目を細めてにっこりと笑う。
「おや、可愛らしいこと」
ベッドの上にハシバミの枝で編んだ籠が置かれている。その中に、鹿の革を掛け布団にして、人間の赤子がすっぽりと収まっていた。
革をめくると、赤子の胸から下は元の色も分からないほど染みつき色褪せた古布でぐるぐる巻きにされていた。その内側から何やら芳ばしいにおいが漂ってくる。
「四代目、お湯はあるかい」
デニーさんは背後を振り返り、心細げに部屋の片隅にたたずむ庵の主に向けて声を張った。
「はい。さっき沸かしたばかりです」
「それじゃ、そいつを桶に。風呂くらいの熱さにしておくれ」
「はい!」
弾かれたようにアリルが竈に向かう。
「よしよし、良い子だ」
呪文を唱えるように、低い声で子守歌を歌いながら、デニーさんはてきぱきと赤子の世話を始めた。
「女の子だね。生まれて二月から三月ってところか」
体を包んでいたぼろ布は、汚れを内側にくるみ、丸めて床に。持参した古布を湯でぎゅっと絞り、全身をくまなく拭いてゆく。
シャトンが興味津々、初めて見る人間の赤ん坊にじっと見入っている。
赤子はおとなしい。「くくっ」、「くう」と、喉の奥でくぐもった音を立てて、されるがままになっている。
「ほうら、きれいになった。ご機嫌だねえ」
やわらかな白い肌、ほわほわと頭頂部を覆う髪。頬はふっくらとして赤く、自由になった手足をぴょこぴょこと動かす姿は、思わず笑みを誘われるほど愛らしい。
「抱っこしてみるかい?」
背後でうろうろと落ちつかなげに歩き回っているアリルに、デニーさんが声をかけた。
「とんでもない!」
アリルはびくっとして、慌てて首を振った。
「無理ですよ、無理。僕にはできません」
「とは言ってもねえ。これから面倒を見なきゃいけないんだし」
「……は?」
思いもよらない言葉に、アリルは固まった。
面倒を見る。
誰が? 何の?
「あんたの他に、誰がこの子の世話をするというんだい」
半ば呆れたように、おかしそうに、デニーさんは笑った。そうして、
「ほい」
とアリルの胸元に全裸の赤ん坊を押しつけた。
「うわ……」
やわやわ、すべすべ。
初めての感触にアリルは慌てふためいた。
「首の後ろを支えて。落とすんじゃないよ」
すぐさま警告が飛んでくる。抱く手に力がこもる。赤ん坊はアリルの腕の中で窮屈そうに手足をもごもごと動かした。
この世に生をうけて約十七年。
王子として身につけた教養に「育児」は含まれない。乳飲み子とこんな間近で接するのは初めてだ。
(オルフェンが赤ちゃんだったときは……)
記憶を掘り起こしても有益な情報は出てこなかった。乳母に抱かれている姿くらいしか浮かばない。アリルもまだ幼かったのだ。
「やり方を教えてやるから、やってみな」
優秀な教師の手ほどきで、ダナンの王子は生まれて初めて乳児の世話を経験した。
ぎこちない手つきで人肌に温めたミルクを飲ませる。これもデニーさんが持ってきてくれた羊の乳だ。赤ん坊が満足すると、恐る恐る肩にのせてゲップをさせる。世話をする側の未熟さを補うかのように、世話をされる側はお利口だった。
「そうそう、その調子」
うとうとし始めるまで話しかけ、あやし続け。どうにかベッドの上に寝かしつけると、アリルは床にへたり込んだ。
「上等、上等。よくやったね」
裸の上に鹿の革をかけて、赤子はくうくうと安らかな寝息を立てている。
シャトンがベッドに上がり込み、頭のすぐ傍に陣取った。
ようやく人心地がつくと、アリルは恩人のためにお茶を淹れ、赤子を保護した経緯を語った。
「最初に頭に浮かんだのは、妖精の取り替え子です」
アリルが自分の見解を述べる。
取り替え子。チェンジリング。
妖精の中には、人間の赤子を欲しがる種族がいる。生まれたばかりの赤子を攫い、代わりに自分の子を置いてくる。自分の子は愛おしくないのか。そのあたりの心理は人間には分からない。
「でも、しっくりこないんです」
妖精の仕業なら、籠ごと麻袋に詰めて運ぶ、などというまどろっこしいことはするまい。赤子だけを連れていくだろう。
「それに、彼らは生まれたばかりの子を好むと聞きます。さっき世話をして思ったんですけれど、この子は少し育ちすぎているかな、と」
それまでお茶をすすりながら話を聞いていたデニーさんは、ことんとカップを置くと、テーブルに肘をついて左手で頬を支えた。
「なら、人間の仕業ってことになるね」
「はい」
アリルはどこかが痛むかのようにぎゅっと眉根を寄せた。あまり考えたくはないが、一度考え始めてしまうと、どんどん悪い方向に想像が|膨らんでいく。
「捨て子か」
三代目も拾われっ子だったと聞いた。墓盗人の夫婦に育てられ、十歳になる頃には大人に交じっていっぱしに稼いでいたという。
「あるいは、子攫い」
幼子は子に恵まれない者に、そこそこ育ち上がった少年少女は安価な働き手を求める者に。物と同じように金品で取り引きされる。もっと恐ろしい話としては、生まれたばかりの赤ん坊の肝を薬種として商う者がいるらしい。肝は新鮮でないと効き目がないため、赤子は生かしたまま市に出されるという。
闇市、沈黙の市。
そこでは、まっとうな品に混じって人の道から外れるようなものも売買される。誰もその場所を口にしない。その場にあっては誰も声を発しない。ゆえに『だんまり市』。
それは大陸にもあるし、ダナンにもあると聞く。ケイドンの森のどこかにあるとも噂される。実際に見た者から話を聞くことはできない。飽くまで噂でしかないのだが。
「もしかしたら、この子も売り物として市に出されるところだったのでは、と」
自分の想像が胸を締め付ける。息が詰まる。言葉の続きをデニーさんが引き取った。
「そうして、そこへ向かう途中の売り主が初代の結界に引っかかって置いていった、っていうのかい」
王子は頷いた。テーブルの上で握られたこぶしが微かに震えているのを見て、デニーさんは軽く肩をすくめた。
「あたしは、どちらでもないと思うけどね」
はっと、アリルが青ざめた顔を上げる。
「何故ですか?」
「それは自分の頭で考えな」
ぴしゃりとそう言ってから、デニーさんは口調を和らげた。
「何にせよ、この子は運が良い」
アリルは「えっ」と目を見開いた。
「少なくともこの子は生きてここにいる。ケガもしちゃいない。あんたに見つけてもらえて、本当にこの子は運が良い」
赤ん坊は無心に眠っている。傍らでシャトンが身じろぎもせずに見守っている。
「……はい」
アリルの肩からすうっと力が抜けた。そうだ。下手な想像を巡らせるより、この子のためにで
きることを考える方がずっといい。
「しかし、赤ん坊と贈り物が同時にやってくるなんてねえ」
デニーさんは頬杖をついたまま、右手の人さし指でこつこつとテーブルを小突いている。
「人じゃないものが一枚噛んでいるのは間違いないと思うんだが……」
「はい。松ぼっくりの方は絶対に人間の仕業じゃありません」
そんな手間をかける理由がない。だが、ふたつの事柄が無関係であるとは考えづらい。
「それなんだよねえ」
ぼんやりと宙を眺めていたデニーさんが、ふと気づいたようにアリルに視線を戻した。
「ところで、四代目」
「なんですか?」
「一応、念のために聞くけれど。あんたの子ってことはないのかい?」
きょとんとアリルが首をかしげる。その言葉の意味を飲み込むと、さっきまで青白かった少年の顔はみるみる赤く染まった。
「な、ななな……っ!」
「祭りの夜に、どこぞの娘と臥所を―――」
「違いますよ! 絶対に!」
向きになって否定するアリルに、デニーさんが真剣な眼差しで念を押す。
「本当に、心当たりはないんだね」
「ありません!」
恋人もいないし、心惹かれる女性もいない。お近づきになる機会もまるでない。
そうアリルが主張すると、デニーさんはがっくりと頭を垂れて深い溜め息をついた。それはそれで問題がある。
「十五で結婚する者だっているのに。十七にもなって」
王の長子がこれでは、ダナンの行く末が少々心配になってくる。
「僕のことは、どうだっていいです!」
顔を真っ赤にしたまま、アリルが語気を強めて言う。
「今探さなければならないのは、まだ見ぬ僕の伴侶よりこの子の家族です!」
「そうだね」
デニーさんは目を細めて頷いた。
「風の力を借りようか。ついでに三代目にも協力してもらおう」
「師匠に、ですか?」
所在も分からない者に、どうやって。
「そこはあたしに任せておきな」
怪訝そうな面持ちの少年に、経験豊かなご婦人はにこりと笑った。
「それよりあの赤ん坊。いつまでも名がないままでは不便だし、なにより不憫だ。本当の名が分かるまでの仮の名を、あんたがつけてやりな。仮親としてさ」
「僕が、仮親……」
ベッドの方に目を向けると、銀色の猫に見守られながらすうすうと気持ち良さげに眠る赤子の姿がある。淡い赤みがかった髪に、窓から入り込む日の光が映ってゆらゆらと揺れている。
「では、イオストレ、と」
春の女神の名を、アリルは選んだ。
いつも傍にあるはずの物が、必要なときに限って手近にない。焦ると余計に見つからない。
「ペン! インク!」
「何でもいいから、さっさとおし!」
サバ猫に叱られ、アリルは木製の花瓶敷きに消し炭でメッセージをしたためた。宛先は庵の常連、デニーさん。面倒見のよい初老のご婦人だ。
「これを届けりゃいいんだね」
アリルから板をひったくり、シャトンは駆けた。
それからほどなく。アリルにとっては長い長い時間が経ったころ。
「四代目、大丈夫かい?」
―――赤ちゃん いる
たった二語のメッセージで呼び出された気の良いご婦人は、片手でシャトンを抱き、もう片方の手に籠を提げてやって来た。
「ああ、よかった。もうどうしていいか分からなくて」
アリルがほっと息を吐き、弱々しい笑みを浮かべる。
「はいはい」
デニーさんは籠をテーブルの上に置くと、このひと冬でぐんと背の伸びた少年の頭をぽんぽんとあやすように叩いた。その腕からシャトンがするりと飛び降り、「にゃあ」と一声鳴いて客人を促す。
「ふにゃあ」
シャトンの声に応えるように、部屋の奥で猫に似た声がした。
「ああ、さっき泣き止んだばかりなのに」
「そんなにおろおろしなくても」
うろたえるアリルを尻目に、デニーさんはずかずかと声の主に近づき、覗き込んだ。そうして目を細めてにっこりと笑う。
「おや、可愛らしいこと」
ベッドの上にハシバミの枝で編んだ籠が置かれている。その中に、鹿の革を掛け布団にして、人間の赤子がすっぽりと収まっていた。
革をめくると、赤子の胸から下は元の色も分からないほど染みつき色褪せた古布でぐるぐる巻きにされていた。その内側から何やら芳ばしいにおいが漂ってくる。
「四代目、お湯はあるかい」
デニーさんは背後を振り返り、心細げに部屋の片隅にたたずむ庵の主に向けて声を張った。
「はい。さっき沸かしたばかりです」
「それじゃ、そいつを桶に。風呂くらいの熱さにしておくれ」
「はい!」
弾かれたようにアリルが竈に向かう。
「よしよし、良い子だ」
呪文を唱えるように、低い声で子守歌を歌いながら、デニーさんはてきぱきと赤子の世話を始めた。
「女の子だね。生まれて二月から三月ってところか」
体を包んでいたぼろ布は、汚れを内側にくるみ、丸めて床に。持参した古布を湯でぎゅっと絞り、全身をくまなく拭いてゆく。
シャトンが興味津々、初めて見る人間の赤ん坊にじっと見入っている。
赤子はおとなしい。「くくっ」、「くう」と、喉の奥でくぐもった音を立てて、されるがままになっている。
「ほうら、きれいになった。ご機嫌だねえ」
やわらかな白い肌、ほわほわと頭頂部を覆う髪。頬はふっくらとして赤く、自由になった手足をぴょこぴょこと動かす姿は、思わず笑みを誘われるほど愛らしい。
「抱っこしてみるかい?」
背後でうろうろと落ちつかなげに歩き回っているアリルに、デニーさんが声をかけた。
「とんでもない!」
アリルはびくっとして、慌てて首を振った。
「無理ですよ、無理。僕にはできません」
「とは言ってもねえ。これから面倒を見なきゃいけないんだし」
「……は?」
思いもよらない言葉に、アリルは固まった。
面倒を見る。
誰が? 何の?
「あんたの他に、誰がこの子の世話をするというんだい」
半ば呆れたように、おかしそうに、デニーさんは笑った。そうして、
「ほい」
とアリルの胸元に全裸の赤ん坊を押しつけた。
「うわ……」
やわやわ、すべすべ。
初めての感触にアリルは慌てふためいた。
「首の後ろを支えて。落とすんじゃないよ」
すぐさま警告が飛んでくる。抱く手に力がこもる。赤ん坊はアリルの腕の中で窮屈そうに手足をもごもごと動かした。
この世に生をうけて約十七年。
王子として身につけた教養に「育児」は含まれない。乳飲み子とこんな間近で接するのは初めてだ。
(オルフェンが赤ちゃんだったときは……)
記憶を掘り起こしても有益な情報は出てこなかった。乳母に抱かれている姿くらいしか浮かばない。アリルもまだ幼かったのだ。
「やり方を教えてやるから、やってみな」
優秀な教師の手ほどきで、ダナンの王子は生まれて初めて乳児の世話を経験した。
ぎこちない手つきで人肌に温めたミルクを飲ませる。これもデニーさんが持ってきてくれた羊の乳だ。赤ん坊が満足すると、恐る恐る肩にのせてゲップをさせる。世話をする側の未熟さを補うかのように、世話をされる側はお利口だった。
「そうそう、その調子」
うとうとし始めるまで話しかけ、あやし続け。どうにかベッドの上に寝かしつけると、アリルは床にへたり込んだ。
「上等、上等。よくやったね」
裸の上に鹿の革をかけて、赤子はくうくうと安らかな寝息を立てている。
シャトンがベッドに上がり込み、頭のすぐ傍に陣取った。
ようやく人心地がつくと、アリルは恩人のためにお茶を淹れ、赤子を保護した経緯を語った。
「最初に頭に浮かんだのは、妖精の取り替え子です」
アリルが自分の見解を述べる。
取り替え子。チェンジリング。
妖精の中には、人間の赤子を欲しがる種族がいる。生まれたばかりの赤子を攫い、代わりに自分の子を置いてくる。自分の子は愛おしくないのか。そのあたりの心理は人間には分からない。
「でも、しっくりこないんです」
妖精の仕業なら、籠ごと麻袋に詰めて運ぶ、などというまどろっこしいことはするまい。赤子だけを連れていくだろう。
「それに、彼らは生まれたばかりの子を好むと聞きます。さっき世話をして思ったんですけれど、この子は少し育ちすぎているかな、と」
それまでお茶をすすりながら話を聞いていたデニーさんは、ことんとカップを置くと、テーブルに肘をついて左手で頬を支えた。
「なら、人間の仕業ってことになるね」
「はい」
アリルはどこかが痛むかのようにぎゅっと眉根を寄せた。あまり考えたくはないが、一度考え始めてしまうと、どんどん悪い方向に想像が|膨らんでいく。
「捨て子か」
三代目も拾われっ子だったと聞いた。墓盗人の夫婦に育てられ、十歳になる頃には大人に交じっていっぱしに稼いでいたという。
「あるいは、子攫い」
幼子は子に恵まれない者に、そこそこ育ち上がった少年少女は安価な働き手を求める者に。物と同じように金品で取り引きされる。もっと恐ろしい話としては、生まれたばかりの赤ん坊の肝を薬種として商う者がいるらしい。肝は新鮮でないと効き目がないため、赤子は生かしたまま市に出されるという。
闇市、沈黙の市。
そこでは、まっとうな品に混じって人の道から外れるようなものも売買される。誰もその場所を口にしない。その場にあっては誰も声を発しない。ゆえに『だんまり市』。
それは大陸にもあるし、ダナンにもあると聞く。ケイドンの森のどこかにあるとも噂される。実際に見た者から話を聞くことはできない。飽くまで噂でしかないのだが。
「もしかしたら、この子も売り物として市に出されるところだったのでは、と」
自分の想像が胸を締め付ける。息が詰まる。言葉の続きをデニーさんが引き取った。
「そうして、そこへ向かう途中の売り主が初代の結界に引っかかって置いていった、っていうのかい」
王子は頷いた。テーブルの上で握られたこぶしが微かに震えているのを見て、デニーさんは軽く肩をすくめた。
「あたしは、どちらでもないと思うけどね」
はっと、アリルが青ざめた顔を上げる。
「何故ですか?」
「それは自分の頭で考えな」
ぴしゃりとそう言ってから、デニーさんは口調を和らげた。
「何にせよ、この子は運が良い」
アリルは「えっ」と目を見開いた。
「少なくともこの子は生きてここにいる。ケガもしちゃいない。あんたに見つけてもらえて、本当にこの子は運が良い」
赤ん坊は無心に眠っている。傍らでシャトンが身じろぎもせずに見守っている。
「……はい」
アリルの肩からすうっと力が抜けた。そうだ。下手な想像を巡らせるより、この子のためにで
きることを考える方がずっといい。
「しかし、赤ん坊と贈り物が同時にやってくるなんてねえ」
デニーさんは頬杖をついたまま、右手の人さし指でこつこつとテーブルを小突いている。
「人じゃないものが一枚噛んでいるのは間違いないと思うんだが……」
「はい。松ぼっくりの方は絶対に人間の仕業じゃありません」
そんな手間をかける理由がない。だが、ふたつの事柄が無関係であるとは考えづらい。
「それなんだよねえ」
ぼんやりと宙を眺めていたデニーさんが、ふと気づいたようにアリルに視線を戻した。
「ところで、四代目」
「なんですか?」
「一応、念のために聞くけれど。あんたの子ってことはないのかい?」
きょとんとアリルが首をかしげる。その言葉の意味を飲み込むと、さっきまで青白かった少年の顔はみるみる赤く染まった。
「な、ななな……っ!」
「祭りの夜に、どこぞの娘と臥所を―――」
「違いますよ! 絶対に!」
向きになって否定するアリルに、デニーさんが真剣な眼差しで念を押す。
「本当に、心当たりはないんだね」
「ありません!」
恋人もいないし、心惹かれる女性もいない。お近づきになる機会もまるでない。
そうアリルが主張すると、デニーさんはがっくりと頭を垂れて深い溜め息をついた。それはそれで問題がある。
「十五で結婚する者だっているのに。十七にもなって」
王の長子がこれでは、ダナンの行く末が少々心配になってくる。
「僕のことは、どうだっていいです!」
顔を真っ赤にしたまま、アリルが語気を強めて言う。
「今探さなければならないのは、まだ見ぬ僕の伴侶よりこの子の家族です!」
「そうだね」
デニーさんは目を細めて頷いた。
「風の力を借りようか。ついでに三代目にも協力してもらおう」
「師匠に、ですか?」
所在も分からない者に、どうやって。
「そこはあたしに任せておきな」
怪訝そうな面持ちの少年に、経験豊かなご婦人はにこりと笑った。
「それよりあの赤ん坊。いつまでも名がないままでは不便だし、なにより不憫だ。本当の名が分かるまでの仮の名を、あんたがつけてやりな。仮親としてさ」
「僕が、仮親……」
ベッドの方に目を向けると、銀色の猫に見守られながらすうすうと気持ち良さげに眠る赤子の姿がある。淡い赤みがかった髪に、窓から入り込む日の光が映ってゆらゆらと揺れている。
「では、イオストレ、と」
春の女神の名を、アリルは選んだ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
けじめをつけさせられた男
杜野秋人
恋愛
「あの女は公爵家の嫁として相応しくありません!よって婚約を破棄し、新たに彼女の妹と婚約を結び直します!」
自信満々で、男は父にそう告げた。
「そうか、分かった」
父はそれだけを息子に告げた。
息子は気付かなかった。
それが取り返しのつかない過ちだったことに⸺。
◆例によって設定作ってないので固有名詞はほぼありません。思いつきでサラッと書きました。
テンプレ婚約破棄の末路なので頭カラッポで読めます。
◆しかしこれ、女性向けなのか?ていうか恋愛ジャンルなのか?
アルファポリスにもヒューマンドラマジャンルが欲しい……(笑)。
あ、久々にランクインした恋愛ランキングは113位止まりのようです。HOTランキング入りならず。残念!
◆読むにあたって覚えることはひとつだけ。
白金貨=約100万円、これだけです。
◆全5話、およそ8000字の短編ですのでお気軽にどうぞ。たくさん読んでもらえると有り難いです。
ていうかいつもほとんど読まれないし感想もほぼもらえないし、反応もらえないのはちょっと悲しいです(T∀T)
◆アルファポリスで先行公開。小説家になろうでも公開します。
◆同一作者の連載中作品
『落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる』
『熊男爵の押しかけ幼妻〜今日も姫様がグイグイ来る〜』
もよろしくお願いします。特にリンクしませんが同一世界観の物語です。
◆(24/10/22)今更ながら後日談追加しました(爆)。名前だけしか出てこなかった、婚約破棄された側の侯爵家令嬢ヒルデガルトの視点による後日談です。
後日談はひとまず、アルファポリス限定公開とします。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる