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陰陽は和合する
幽玄なるものたち
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自宅で恐ろしい目に遭った翌日には不安ばかりで電灯を消すことも出来ず、明るい部屋で眠ったものだが、それも数日経つと普段通りの生活に戻った。
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、実際、人はいつまでも不安を抱えて生活出来るものではないのだろう。
(僕が鈍感すぎるって訳じゃないと思う)
元気は心のなかで誰に対してでもない言い訳をしていた。
自宅で襲われ、いきなり正樹が部屋に現れたというショッキングな出来事は、今となっては夢だったのか現実だったのかあやふやだ。
その後特に変わったことが起きていないということもあって、元気のなかではもう終わったことのように処理されていた。
「中里くん」
「あ、はい」
営業とお得意先回り、そしてデータ整理という一連の作業を毎日こなしていた元気だったが、課長から直接呼出しを食らって慌てる。
最近は心ここに非ずという風ではあったが、業務で大きな失敗はしていない。
不安を胸に課長のデスクへと向かう。
「少々守りに入るのが早すぎないか? 君はまだまだ新人だ。失敗をしても当然だし、何かあれば私たちでフォローも出来る。少しは冒険をしないと、営業の経験は積めないぞ」
「申し訳ありません」
さすが営業のベテラン。
元気がすっかり守りに入っていることを見抜かれていたようだ。
初めて正樹と出会った古木の件以来、元気は行ったことのない場所に入り込むことを恐れるようになってしまっていたのである。
飛び込み営業というものは昨今流行らないとは言われているが、新規開拓を目指すなら、コツコツと新しい営業先を足で探すということは、現在でも有効だ。
「別に叱っている訳じゃない。若いうちに小さくまとまらないほうがいいという話さ。失敗を恐れるようになってしまうと、何も出来なくなってしまうからな」
「はい」
失敗を恐れる……か。
元気は、自分の心を俯瞰した。
彼はずっと考えていたのだ。
あの夜、自分の苛立ちを正樹にぶつけてしまったのは間違いだったのではないか。
助けてもらったくせに、相手を信じることもせずに、ただただ反発するばかり。
いい大人のやることではない。
「わかりました。もう少し冒険してみます」
元気は、惰性に流されかけていた自分に喝を入れたのだった。
とは言え、反省したとしても、特に何が出来るという訳でもない。
正樹の言う、怪し気な話を真に受けるのも恐ろしいし、そもそも自分からどう行動すればいいのかわからない。
「ちゃんと、調べてみるか」
元気は自分の担当となっている数少ないお得意先を回った後、書店に立ち寄った。
「巫覡……もう一つの世界……幽玄なる心と歴史……うーん、怪し気な宗教本と、空想ノベル本みたいな奴しかないぞ」
なかには真面目な歴史研究本もあったが、やはり宗教観が強く、元気にはあまり理解出来ないものだった。
しかも全体的に値段が高めな本が多い。
「ん?」
そんななか、伝承関係のコーナーの片隅に気になる一冊の本を発見した。
「『幽玄なるものたち』……か」
厚みがかなりある、立派なハードカバーの本だ。
どっちかというと辞書に近い感じがする。
だが、手に取ってみると、思ったよりも重くはない。
紙質のせいだろうか?
パラパラとめくると、序文にこんな文章があった。
『古来より、現の世界と幽玄世界は隣り合い、ときには遠く、ときには近く重なりあって来た……』
元気は、あの謎の多い青年正樹が、似たようなことを言っていたのを思い出す。
裏表紙で値段を確認すると、千円そこそこで高すぎるということはない。
そのままレジで会計してもらい、バックのなかに収めた。
その後、個人が開いている健康志向のパーラーに立ち寄り、自社製品の話をしてみると、意外な好感触を得られた。
製品の性質から薬局や食料品店での取り扱いを考えていたが、そういう路線もあるのだと逆に教えられたような気持ちになりながら、会社に戻って報告を上げた。
課長にも、そういった路線も面白いと褒められる。
元気はその日、気分も軽く帰宅した。
自宅に戻って、カバンを置き、着替えて食事と風呂を済ませてテレビをつける。
この一連の流れはもはやルーチンワークと化していて、特に何も考えずに行ってしまう。
そうして、ひと息ついたときに、ふと、昼間に購入した本のことを思い出した。
元気はカバンから書店の袋に入った本を取り出す。
今風ではない、文字だけの表紙。
いや、表紙の紙自体に何か透かし模様のようなものは見えるが、はっきりとした形は判別出来ない。
持った感じとしては、妙な話だが、桐箱に似ていると思えた。
古い貴重なものを収めるのに使う桐箱は意外と軽いものだが、本とは全く別物である。
元気は首をかしげつつも、本を読み始めた。
「何々、我が国では太古の昔から、現の世界と幽玄世界の穏やかなる共存を図って来た。幽玄世界が荒れると、現の世界でも災害が起きる。二つの世界は互いに影響し合っているのである……」
本の最初のほうは二つの世界が歴史的にどう関わって来たか、調停者の存在などがほのめかされ、次に幽玄世界がどのような存在なのかの話へと切り替わる。
中盤からは辞典のように古代から現代までに確認されている幽玄世界の生き物(?)達が紹介され、後半にはいかに二つの世界を調和に導くかという具体的な方法論が語られていた。
「なんか、あれだな、架空の神話みたいな感じ? 真剣に詳細に描かれているけど、現実的じゃないみたいな……」
元気はこれまで幽玄世界の存在と思われるものに何度か襲われているのだが、それでもこの本の内容を現実として感じることは難しかった。
とは言え、嫌悪感や忌避感はそれほどない。
日本書紀とかギリシャ神話とかああいったものと似た感じだ。
「こういうのを真面目に研究している人がいるんだな。郷守さんも、そういう人なのかも?」
郷守正樹の真剣な顔を思い出し、少しだけ罪悪感を覚えた。
自分には理解出来ないからと言って、真面目に頑張っている人を茶化すのはいいこととは思えない。
元気は、未だ自分が巫覡だとかいう話は眉唾ものだと考えていたが、現実として、正樹に助けられたことは認めるべきだ、とも感じてはいた。
ざっと読み終えた本を、ビジネス書と一緒に机の上の簡易的なブックスタンドに並べる。
背表紙には螺鈿による細工が施されているようで、LEDライトの光を受けて、美しい虹色の光を浮かべていた。
「インテリアとしてもなかなかカッコイイな」
なんとなく満足して、元気はその本を眺めたのだった。
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、実際、人はいつまでも不安を抱えて生活出来るものではないのだろう。
(僕が鈍感すぎるって訳じゃないと思う)
元気は心のなかで誰に対してでもない言い訳をしていた。
自宅で襲われ、いきなり正樹が部屋に現れたというショッキングな出来事は、今となっては夢だったのか現実だったのかあやふやだ。
その後特に変わったことが起きていないということもあって、元気のなかではもう終わったことのように処理されていた。
「中里くん」
「あ、はい」
営業とお得意先回り、そしてデータ整理という一連の作業を毎日こなしていた元気だったが、課長から直接呼出しを食らって慌てる。
最近は心ここに非ずという風ではあったが、業務で大きな失敗はしていない。
不安を胸に課長のデスクへと向かう。
「少々守りに入るのが早すぎないか? 君はまだまだ新人だ。失敗をしても当然だし、何かあれば私たちでフォローも出来る。少しは冒険をしないと、営業の経験は積めないぞ」
「申し訳ありません」
さすが営業のベテラン。
元気がすっかり守りに入っていることを見抜かれていたようだ。
初めて正樹と出会った古木の件以来、元気は行ったことのない場所に入り込むことを恐れるようになってしまっていたのである。
飛び込み営業というものは昨今流行らないとは言われているが、新規開拓を目指すなら、コツコツと新しい営業先を足で探すということは、現在でも有効だ。
「別に叱っている訳じゃない。若いうちに小さくまとまらないほうがいいという話さ。失敗を恐れるようになってしまうと、何も出来なくなってしまうからな」
「はい」
失敗を恐れる……か。
元気は、自分の心を俯瞰した。
彼はずっと考えていたのだ。
あの夜、自分の苛立ちを正樹にぶつけてしまったのは間違いだったのではないか。
助けてもらったくせに、相手を信じることもせずに、ただただ反発するばかり。
いい大人のやることではない。
「わかりました。もう少し冒険してみます」
元気は、惰性に流されかけていた自分に喝を入れたのだった。
とは言え、反省したとしても、特に何が出来るという訳でもない。
正樹の言う、怪し気な話を真に受けるのも恐ろしいし、そもそも自分からどう行動すればいいのかわからない。
「ちゃんと、調べてみるか」
元気は自分の担当となっている数少ないお得意先を回った後、書店に立ち寄った。
「巫覡……もう一つの世界……幽玄なる心と歴史……うーん、怪し気な宗教本と、空想ノベル本みたいな奴しかないぞ」
なかには真面目な歴史研究本もあったが、やはり宗教観が強く、元気にはあまり理解出来ないものだった。
しかも全体的に値段が高めな本が多い。
「ん?」
そんななか、伝承関係のコーナーの片隅に気になる一冊の本を発見した。
「『幽玄なるものたち』……か」
厚みがかなりある、立派なハードカバーの本だ。
どっちかというと辞書に近い感じがする。
だが、手に取ってみると、思ったよりも重くはない。
紙質のせいだろうか?
パラパラとめくると、序文にこんな文章があった。
『古来より、現の世界と幽玄世界は隣り合い、ときには遠く、ときには近く重なりあって来た……』
元気は、あの謎の多い青年正樹が、似たようなことを言っていたのを思い出す。
裏表紙で値段を確認すると、千円そこそこで高すぎるということはない。
そのままレジで会計してもらい、バックのなかに収めた。
その後、個人が開いている健康志向のパーラーに立ち寄り、自社製品の話をしてみると、意外な好感触を得られた。
製品の性質から薬局や食料品店での取り扱いを考えていたが、そういう路線もあるのだと逆に教えられたような気持ちになりながら、会社に戻って報告を上げた。
課長にも、そういった路線も面白いと褒められる。
元気はその日、気分も軽く帰宅した。
自宅に戻って、カバンを置き、着替えて食事と風呂を済ませてテレビをつける。
この一連の流れはもはやルーチンワークと化していて、特に何も考えずに行ってしまう。
そうして、ひと息ついたときに、ふと、昼間に購入した本のことを思い出した。
元気はカバンから書店の袋に入った本を取り出す。
今風ではない、文字だけの表紙。
いや、表紙の紙自体に何か透かし模様のようなものは見えるが、はっきりとした形は判別出来ない。
持った感じとしては、妙な話だが、桐箱に似ていると思えた。
古い貴重なものを収めるのに使う桐箱は意外と軽いものだが、本とは全く別物である。
元気は首をかしげつつも、本を読み始めた。
「何々、我が国では太古の昔から、現の世界と幽玄世界の穏やかなる共存を図って来た。幽玄世界が荒れると、現の世界でも災害が起きる。二つの世界は互いに影響し合っているのである……」
本の最初のほうは二つの世界が歴史的にどう関わって来たか、調停者の存在などがほのめかされ、次に幽玄世界がどのような存在なのかの話へと切り替わる。
中盤からは辞典のように古代から現代までに確認されている幽玄世界の生き物(?)達が紹介され、後半にはいかに二つの世界を調和に導くかという具体的な方法論が語られていた。
「なんか、あれだな、架空の神話みたいな感じ? 真剣に詳細に描かれているけど、現実的じゃないみたいな……」
元気はこれまで幽玄世界の存在と思われるものに何度か襲われているのだが、それでもこの本の内容を現実として感じることは難しかった。
とは言え、嫌悪感や忌避感はそれほどない。
日本書紀とかギリシャ神話とかああいったものと似た感じだ。
「こういうのを真面目に研究している人がいるんだな。郷守さんも、そういう人なのかも?」
郷守正樹の真剣な顔を思い出し、少しだけ罪悪感を覚えた。
自分には理解出来ないからと言って、真面目に頑張っている人を茶化すのはいいこととは思えない。
元気は、未だ自分が巫覡だとかいう話は眉唾ものだと考えていたが、現実として、正樹に助けられたことは認めるべきだ、とも感じてはいた。
ざっと読み終えた本を、ビジネス書と一緒に机の上の簡易的なブックスタンドに並べる。
背表紙には螺鈿による細工が施されているようで、LEDライトの光を受けて、美しい虹色の光を浮かべていた。
「インテリアとしてもなかなかカッコイイな」
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いいですねオフィスで触手BL(; ・`д・´)何か新しい!
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感想ありがとうございます。