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陰陽は和合する
かそけきものは依りたもう
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「中里くん、最近雰囲気が変わった?」
仕事中に元気は会社の総務の女性に声を掛けられた。
元気の会社は健康食品を扱っているのだが、営業にも事務方にも女性が多い。
声を掛けて来た女性は元気よりも十年ほど先輩らしく、新入りの元気としては頭が上がらない相手だ。
「え? そうですか」
肯定も否定も出来ないので、あいまいな返事をしてしまう。
だが、相手はそれで話を終わらせてはくれなかった。
「なんていうか、ちょっと色っぽくなった? 男の子にこんなこと言うのは変だけど。ね、三浦さん、そう思わない?」
「いや、俺にはわかんないですよ。そういう気はありませんからね」
話を向けられた三浦はハハハと笑いながらそう言った。
(これってセクハラじゃないかな? この人女子社員に対するセクハラには厳しいくせに僕にはセクハラしてくるのかよ)
総務の女性の軽口にうんざりしながらも、相手は自分よりも遥かに先輩なので口ごたえも出来ずにあいまいに笑って流す。
簡便してくれという気分だった。
「これはアレだね、彼女でも出来た?」
「いや、そういうのは……」
もごもごと口のなかで否定して、元気はトイレを理由にその場を離脱した。
「彼女か……」
この日の予定は会社で資料作りだったので、トイレから自分のデスクに直行して、また絡まれないように細心の注意を払う。
そっと総務のほうを窺うと、女子社員が集まってお茶を飲んでいるようだ。
元気の会社は昼休憩のほかに午後3時に十五分ほどの休憩時間がある。
なんでも労働時間に対して適切な休憩時間を取るように決まっているらしい。
元気のデスクにも、同じ時期に入社した女子社員がお茶を持って来てくれる。
「どうぞ。あ、これ、おすすめのお茶菓子です。よかったら食べてください」
「ありがとう」
こういうとき、社会人になったばっかりの元気は戸惑いを隠せない。
お茶やお菓子を持ち込みで提供しているのは女子社員だ。
自分は手伝わなくていいのだろうか? と、考えてしまうのである。
とはいえ、お茶とかお菓子は仕事ではない。
元気の指導をしている先輩男性社員に聞いたことがあるが、「営業は外回りが多いから、下手に手を出してもちゃんと手伝えないだろ? それぐらいなら外で何か茶菓子買って差し入れするぐらいでいいんだよ」と言われたのだ。
そういうものかと思うしかない。
学生時代に思い描いた社会人というものと、実際の仕事は少々違っていて戸惑うことが多かった。
何よりも大きいのは、先輩に学ぶための期間が一か月で終わってしまい、その後は放り出された形になったことだ。
学生時代のように教えてもらう立場ではないのだということはわかっているつもりだが、気持ち的に漠然とした不安もある。
(いや、今はそれよりも……)
先ほど古参の女性社員に言われたことを思い出す。
なんとなく、先日の出来事を思い出してしまう言葉だった。
『お前の存在は幽玄のモノを引き寄せる』
元気は慌てて頭を振った。
普通男に対して色っぽいなどという言葉を使ったりはしないものだが、だからと言って、それをあの男の言葉と結び付けるのは早計だと自分に言い聞かせたのだ。
「僕は、そんなおかしなものになった覚えはない……」
今はそれよりも慣れない仕事をきっちりやることが大切だ。
元気は今まで以上に仕事に集中した。
◇◇◇
会社を出るときについ周囲を窺ってしまう癖がついた。
だが、幸いにも、ここ数日はあの男は現れていない。
どうやらもう、自分を変な宗教に勧誘するのは諦めたようだと、元気は思った。
元気の住んでいるアパートは、今時流行らない畳の部屋だ。
二畳ほどの台所に六畳ほどの和室、風呂とトイレもある。
トイレは和式だ。
見ただけでわかる歴史あるアパートだった。
その分家賃は安い。
会社から三駅の距離なのに四万八千円。
コンビニや食事処も近くにあり、住み心地はよかった。
和室なので押し入れがあり、収納力を発揮している。
ただ、ここのところ、元気は自分の部屋に妙な居心地の悪さを感じていた。
夜寝ているときに、台所の蛇口からしたたり落ちる水の音が気になって水を止めようと台所に行くと、蛇口はきっちりとしまっていたり、押し入れのふすまが気づくと微妙に開いていたりすることがあるのだ。
元気は幽霊などは信じないほうなので、現象を怪談に結び付けて騒ぎ立てたりしないが、少し前のこともあって気味が悪くは感じていた。
──……リリリリ……
(虫の音? まだ夏も始まったばかりなのに)
元気は上手く寝入ることが出来ないまま寝がえりを打つ。
ふと、閉じたまぶたを通して、なにやら明るさを感じた。
電灯は全て消してあり、窓にはカーテンが引かれている。
灯りの元になりそうなものは時計の文字盤の蛍光ぐらいだが、そんな感じでもない。
そもそも寝返りを打った方向に時計はないはずだった。
目を開ける。
「え?」
光だ。
ほわほわとした淡い光の球、まるで蛍の光の光部分だけのようなものが無数にあふれていた。
「ええええっ!」
思わず起き上がろうとした元気だったが、体が動かない。
体中に淡い光がたかり、それが元気の体を縫い留めているかのようにびくともしないのだ。
(目が合った)
ソレの目がどこにあるのかわからないが、確かにそんな感覚があり、その瞬間、ほわほわと光っていたソレがゆらゆらと動き始める。
ソレが動くたびに体に奇妙なざわめきを感じて、元気はぞくりとした。
「ん……あっ……ああっ」
皮膚の隙間、細胞と細胞のつなぎ目から何かが体に押し入って来る。
それは快楽であり、恐怖でもあった。
「ヒッ、やっ……」
これはマズいものだと、元気は本能で理解する。
入られたらヤバい。
「たす……」
思わず助けを求めようとしてしまった元気だが、ここで助けを呼んだとして誰が来るというのか。
一人暮らしの部屋だ。
自分以外誰もいない。
「見張っていれば案の定だ……」
だが、誰もいないはずの暗闇から、聞き知った声が聞こえた。
仕事中に元気は会社の総務の女性に声を掛けられた。
元気の会社は健康食品を扱っているのだが、営業にも事務方にも女性が多い。
声を掛けて来た女性は元気よりも十年ほど先輩らしく、新入りの元気としては頭が上がらない相手だ。
「え? そうですか」
肯定も否定も出来ないので、あいまいな返事をしてしまう。
だが、相手はそれで話を終わらせてはくれなかった。
「なんていうか、ちょっと色っぽくなった? 男の子にこんなこと言うのは変だけど。ね、三浦さん、そう思わない?」
「いや、俺にはわかんないですよ。そういう気はありませんからね」
話を向けられた三浦はハハハと笑いながらそう言った。
(これってセクハラじゃないかな? この人女子社員に対するセクハラには厳しいくせに僕にはセクハラしてくるのかよ)
総務の女性の軽口にうんざりしながらも、相手は自分よりも遥かに先輩なので口ごたえも出来ずにあいまいに笑って流す。
簡便してくれという気分だった。
「これはアレだね、彼女でも出来た?」
「いや、そういうのは……」
もごもごと口のなかで否定して、元気はトイレを理由にその場を離脱した。
「彼女か……」
この日の予定は会社で資料作りだったので、トイレから自分のデスクに直行して、また絡まれないように細心の注意を払う。
そっと総務のほうを窺うと、女子社員が集まってお茶を飲んでいるようだ。
元気の会社は昼休憩のほかに午後3時に十五分ほどの休憩時間がある。
なんでも労働時間に対して適切な休憩時間を取るように決まっているらしい。
元気のデスクにも、同じ時期に入社した女子社員がお茶を持って来てくれる。
「どうぞ。あ、これ、おすすめのお茶菓子です。よかったら食べてください」
「ありがとう」
こういうとき、社会人になったばっかりの元気は戸惑いを隠せない。
お茶やお菓子を持ち込みで提供しているのは女子社員だ。
自分は手伝わなくていいのだろうか? と、考えてしまうのである。
とはいえ、お茶とかお菓子は仕事ではない。
元気の指導をしている先輩男性社員に聞いたことがあるが、「営業は外回りが多いから、下手に手を出してもちゃんと手伝えないだろ? それぐらいなら外で何か茶菓子買って差し入れするぐらいでいいんだよ」と言われたのだ。
そういうものかと思うしかない。
学生時代に思い描いた社会人というものと、実際の仕事は少々違っていて戸惑うことが多かった。
何よりも大きいのは、先輩に学ぶための期間が一か月で終わってしまい、その後は放り出された形になったことだ。
学生時代のように教えてもらう立場ではないのだということはわかっているつもりだが、気持ち的に漠然とした不安もある。
(いや、今はそれよりも……)
先ほど古参の女性社員に言われたことを思い出す。
なんとなく、先日の出来事を思い出してしまう言葉だった。
『お前の存在は幽玄のモノを引き寄せる』
元気は慌てて頭を振った。
普通男に対して色っぽいなどという言葉を使ったりはしないものだが、だからと言って、それをあの男の言葉と結び付けるのは早計だと自分に言い聞かせたのだ。
「僕は、そんなおかしなものになった覚えはない……」
今はそれよりも慣れない仕事をきっちりやることが大切だ。
元気は今まで以上に仕事に集中した。
◇◇◇
会社を出るときについ周囲を窺ってしまう癖がついた。
だが、幸いにも、ここ数日はあの男は現れていない。
どうやらもう、自分を変な宗教に勧誘するのは諦めたようだと、元気は思った。
元気の住んでいるアパートは、今時流行らない畳の部屋だ。
二畳ほどの台所に六畳ほどの和室、風呂とトイレもある。
トイレは和式だ。
見ただけでわかる歴史あるアパートだった。
その分家賃は安い。
会社から三駅の距離なのに四万八千円。
コンビニや食事処も近くにあり、住み心地はよかった。
和室なので押し入れがあり、収納力を発揮している。
ただ、ここのところ、元気は自分の部屋に妙な居心地の悪さを感じていた。
夜寝ているときに、台所の蛇口からしたたり落ちる水の音が気になって水を止めようと台所に行くと、蛇口はきっちりとしまっていたり、押し入れのふすまが気づくと微妙に開いていたりすることがあるのだ。
元気は幽霊などは信じないほうなので、現象を怪談に結び付けて騒ぎ立てたりしないが、少し前のこともあって気味が悪くは感じていた。
──……リリリリ……
(虫の音? まだ夏も始まったばかりなのに)
元気は上手く寝入ることが出来ないまま寝がえりを打つ。
ふと、閉じたまぶたを通して、なにやら明るさを感じた。
電灯は全て消してあり、窓にはカーテンが引かれている。
灯りの元になりそうなものは時計の文字盤の蛍光ぐらいだが、そんな感じでもない。
そもそも寝返りを打った方向に時計はないはずだった。
目を開ける。
「え?」
光だ。
ほわほわとした淡い光の球、まるで蛍の光の光部分だけのようなものが無数にあふれていた。
「ええええっ!」
思わず起き上がろうとした元気だったが、体が動かない。
体中に淡い光がたかり、それが元気の体を縫い留めているかのようにびくともしないのだ。
(目が合った)
ソレの目がどこにあるのかわからないが、確かにそんな感覚があり、その瞬間、ほわほわと光っていたソレがゆらゆらと動き始める。
ソレが動くたびに体に奇妙なざわめきを感じて、元気はぞくりとした。
「ん……あっ……ああっ」
皮膚の隙間、細胞と細胞のつなぎ目から何かが体に押し入って来る。
それは快楽であり、恐怖でもあった。
「ヒッ、やっ……」
これはマズいものだと、元気は本能で理解する。
入られたらヤバい。
「たす……」
思わず助けを求めようとしてしまった元気だが、ここで助けを呼んだとして誰が来るというのか。
一人暮らしの部屋だ。
自分以外誰もいない。
「見張っていれば案の定だ……」
だが、誰もいないはずの暗闇から、聞き知った声が聞こえた。
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