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停滞は滅びへの道

その四

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 変態が押しかけて来てから数日は平和な日常が続いたが、問題は週末に訪れた。

 プロジェクトが差し迫ってない時はうちの会社は週休二日にシフトする。
 そこでその余剰時間である最近の土曜日は、伊藤さんに請われて彼女の能力制御のイメージを掴むための訓練時間に充てていた。
 とは言え、なにか特別なことをする訳ではなくミーティングルームに設けられた祭壇で伊藤さんが瞑想を行って、それを由美子がサポートするだけの話だ。
 まぁ俺はこの手の術や精神修行などについてはあまりよくわからないのでほぼ由美子に丸投げとなっている。
 俺は単に伊藤さんを修行の合間にリラックスさせるべく話をするだけの枯れ木も山の賑わい的な応援要員のようなものだ。

 そんな時間に俺の部屋のインターホンが来客を告げた。
 ミーティングルームではそれぞれの部屋のインターホンや通話機などの受信の様子がモニタリング出来るようになっているので、来客や通信などが急に来ても対応出来る。

 俺は修行中の伊藤さんの邪魔をしないように別室でインターホンに応えた。

「はい」
「Привет」
「ん?」
「あ、術式を挟むのを忘れていたわ。お久しぶりね、タカシ」
「う? アンナさん?」

 先日変態が来て今回アンナ嬢が押しかけて来る。
 これはどう考えても関連した出来事と考えるべきだろう。
 面倒の予感しかしない。

「ええっと、何か用事でしょうか?」
「用事があったから来たのよ。正確に言えばもう帰国をするのでお別れを言いに来たのだけど」

 その言葉に心底ほっとする。
 どうやら前に迫られたようなことは必要無くなったようだ。
 俺がダメなら浩二というのを実行しようとして来たのならどうしようかと思ったからな。

「それで最後にお詫びを兼ねて話を聞いて欲しくって」

 言われて、俺はちらりと伊藤さんが修行しているはずの壁の向こうに目をやった。
 伊藤さんががんばっている時に他の女性と話をするっていうのは付き合っている相手としてどうなんだろう。
 なにかすごく不実なことをするような気持ちになる。
 とは言え、国に帰るらしいアンナ嬢を無碍に追い返すということもしたくなかった。

「ええっと、わかりました。降りていくので待っていていただけますか?」
「わかったわ」

 さすがに部屋へ上げるというのは無いと思ったので、下で待ってもらって、俺は元の部屋に戻る。
 そして白い着物を纏った伊藤さんが結界の中で目を閉じて瞑想している姿をじっと見た。
 最初はこの瞑想状態を維持することも大変だったのだが、最近はその辺は問題なく出来るようになっている。
 それどころかトランス状態に自分の意思で移行することも出来るようになっていた。
 俺は複雑な気持ちで伊藤さんの修行を見守っている状態だ。

「兄さん、お客様?」

 由美子がじっと厳しい視線を向けて来る。
 いやいや、来客ってだけでその責めるような視線はどういうことなんだ?

「ああ、うん。ちょっと行って来るけど、下に降りるだけだから彼女には心配しないように言っておいて。あ、ついでに何か買い出しして来ようか?」
「いい、買い物はゆかりんと私で昨夜済ませた。兄さん……浮気は駄目だから」
「な!」

 いやいや、何言ってるの? わが愛する妹よ!

「浮気とか無いから! 有り得ないから!」
「慌ててる。相手の女に好意が無いわけではない証拠」
「ちょっとまて、嫌いじゃないのと好きとは違うからね? てか彼女は戦友みたいなものだから」
「やっぱり女だった」
「うおう」

 カマをかけられたと気づいたが、それで引いていたら後でどんな告げ口をされるかわからない。
 ちゃんと釘を差しておかないと。

「本当になんでもないからな。オープンな場所で話をするだけだから!」
「兄さん慌てすぎ」

 由美子に冷静にツッコミを入れられて頭を冷やした俺はコホンと似合わないとわかっている咳払いをした。

「ちょっと行って来るから伊藤さんに心配しないように言っておいてくれ」
「……ゆ・か」
「え?」
「苗字呼びは止める約束だったはず」
「……なぜ、お前がそれを……」
「ゆかりんに吹き込んだのは私」
「なん……だ、と?」

 恐るべき事実にふらふらしながらも、俺はエレベーターを降りてエントランスに向かった。
 二重扉をくぐって入り口に佇むアンナ嬢を見つけて声を掛ける。

「久しぶりですね」
「ええ、それで、またファミレスに行くの?」
「いえ、エントランスロビーにカフェエリアがあるんでそこで話しましょう」
「……そう」

 あれ? ちょっとがっかりした?
 もしかしてファミレス行きたかったのかな?
 でも俺としても彼女が訪ねて来ている時に他の女性と外出するというのはちょっと避けたいことだったので我慢してもらうしかない。
 そのまま入り口で生体チェックを済ませてアンナ嬢を中へと招き入れた。

 このマンションは中から見ると円筒形に近い形状に見える。
 真ん中に広々とした吹き抜けの空間があるからだ。
 ここは単純に緑で心を癒やすためだけにあるのではなく、淀みを溜めないための循環システムの一環となっている。
 木と土と水を使って淀みを溜めずに流すことでマンション内で怪異が発生することが無いように設計されているのだ。
 その空間を利用してカフェエリアが設けられている。
 ドリンクは紙コップで出て来るものの割りと本格的で美味しい。
 料金は居住者登録カードで自動的に計算されるシステムだった。

 俺はそのドリンクバーからホットチョコレートを二人分選んでテーブルに持って行く。
 相変わらず豪華な美女であるアンナ嬢は日本庭園風のガーデンを眺めながらその席に座っていた。
 その様子は一幅の名画のようだ。

「どうぞ」
「ありがとう」

 俺が差し出した紙コップを受け取って、アンナ嬢は物思いから覚めたような顔でホットチョコレートをすすった。
 ちょっと熱かったのかびくっと口を離す様はその美貌とのギャップで可愛らしさが感じられる。
 美人は何をやっても様になるんだな。
 彼女は俺が席に着いたのを確認すると周囲を見回して指を掲げ、空中で小さく円を描いた。

「ちょ、魔法は……」
「国家機密にあたるから認識阻害を掛けるだけ」

 アンナ嬢が指で辿った所には光の線が浮かび上がり、小さく簡単な文様が出来上がると、それは回転しながら光の粉を散らすように薄れて消える。

「国家機密ってなんだ?」
「最後に話しておこうと思って。あの、マコト? には一応感謝しているし、ちょっと変な人だったけど」

 一瞬マコトって誰だ? と思ったが、話の流れ的にあの変態に他ならない。
 そうかあの変態そんな名前だったのかと、俺が逆に驚かされることとなった。

「しかし、あの変態をよく無事に帰してくれたな。個人的には嫌なやつだが、あいつもうちの国民だし、感謝する」
「いえ、私が何かした訳ではないの。彼が自分で自分が危険ではないことを示したのよ。彼、精神精査を受けたの」
「おい! それは国際条約違反じゃないか?」

 精神精査とは言うなれば読心のことだ。
 個々人の能力者が使うならともかく公的に行われることは禁じられている。
 ましてや国家が外国人に対して行うとか国際問題になってもおかしくない話だ。
 もちろんこれは表向きの話で、どこの国も犯罪者相手に精神精査をある程度使っている。
 この個人の精神への働き掛けを禁ずるという国債条例は国連にありがちな罰則規定のない単なる申し合わせのような決まり事なのだ。
 だが、だからこそ、この行いを公式に認めてしまうと国としての信頼を失う話でもあった。

「彼が申し出たのよ。自分の心をサーチしろ、そうすれば自分が我が国に必要な人間だとわかるからって。それで管理官を説得してしまったの」
「呆れていいやら感心していいやら驚きの話だな」
「私だってびっくりしたわ」

 誰だって自分の心の中を他人に覗かれたくはないだろう。
 ましてや精神精査は狙った内容だけを読み取るようなものではない。
 妄想やもやもやとした感情、欲望などの赤裸々な部分が垂れ流されてしまうのだ。
 言うなれば他人の前ですっぱだかで踊ってみせるようなものである。
 まぁ、うん、やるかもな、あいつなら。

「それで信頼を得たんだ」
「そりゃあ、心の中をさらけ出されて疑うことは出来ないでしょう?」
「まぁそうだよな」
「それで、彼は私達の収容施設を訪れて、異形化した仲間を抱きしめて泣き出したの……。そして猛然と管理官に抗議して、何か上と交渉したみたい。それから私の思い出を聞いて、それを記録して何か一人で納得していたわ」

 異形化した仲間か。
 俺はもし村の仲間がそんなことになったらどうしただろうと考えた。
 理性があるなら村で普通に生活することは出来る。
 そもそもハンターとして独り立ちした者以外はあまり外に出ない村だしな。
 ただ、本人は辛いだろうしそいつの気持ちを考えると俺たちも辛い。
 そして、もし理性が無くなったら、……考えたくもないが、最悪俺たちの手で死なせるという可能性もあるのだ。
 なにしろ村のほとんどの人間が異能者だ。
 理性を失い怪物化した仲間が万が一外に出たら大変なことになってしまう。
 ちょっと考えただけで胃が痛くなって来た。

「貴女の思い出って?」
「本来、私達が怪異を退治する間はその範囲に普通の人間は立ち入り禁止になるの。でも、私は仕事を始めた頃に普通の人と会ったことがあるわ。マコトがそういったことがなかったか? と聞いてきて、その経験を話したの」
「そうなんだ」
「ええ。小さな兄妹でね、かくれんぼをしていて取り残されたって言ってたけど。本当は戦いを見物に来たんだと思う」
「ああ、いるよな。子どもは特に」

 俺もそんな経験がある。
 あれほどひやりとしたことは無かった。

「その子どもがね、ありがとうって言って飴玉をくれたの。あの甘い飴玉の味を何かにつけて思い出すって話をしたらマコトはうんうん一人でうなずいて興奮したように飛び上がっていたわ」
「まぁ奴はいつでも興奮状態のようなもんだけどな」
「それで、いつの間にか、国の方針が変わっていたの。怪異退治の時の前後にそこの住人と顔合わせをすることになるって。……正直なんだかよくわからなかったけど、これからいっぺんにたくさんの人に会うようになるって、不思議な感じってみんな言ってる。でもやりがいがあるって」
「やりがいか、そうだよな。誰かが喜んでくれると嬉しいよな」
「そう、よね」

 アンナ嬢は不思議そうに俺を見ると、微笑んだ。
 それでやっと俺は気づいた。
 どうも以前会った時と違和感があると思っていたが、これだった。
 アンナ嬢は以前は見せたことのないやわらかい笑顔を見せるようになっていたのだ。
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