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停滞は滅びへの道

その一

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 長期の出張が終わり、元の職場に復帰すると課長や同僚達からの熱烈歓迎を受けた。……主に伊藤さんが。
 いや、まぁわかっていたさ。
 どうやら伊藤さん不在の間、資料チェックやら備品の在庫やらの管理がスムーズに行かなくなっていたらしい。
 もちろんシステム的にはいなくても大丈夫な状態になっているのだが、こまめに整理している人がいなくなると基本のシステムがあっても上手く利用出来ていないという感じになってしまうのだろう。

 だがうちはまだいいほうだ。
 お隣なんか責任者である室長が丸々二週間程いなくなっていたんだからそりゃあ大変だったらしい。
 開発室の実験やテストに必要な要望やら提案やらをそのまま直接部長に上げることになったのだが、その専門性の高すぎる内容に部長からストップが掛かってしまい、結局開発業務を一度止めて製品テスト一本に絞って業務を続けていたのだそうだ。
 休憩時間に隣の部署の連中から愚痴られた。

 とは言え、二課合同の慰労会を開いて飲み食いした後は、何事もなかったように通常業務が回り始めた。
 会社という組織は日常を同じように回転させ続けることに特化している。
 ちょっとした異変があってもそれはすぐに日常に飲み込まれる場所なのだ。

 異変と言えば、特区で色々と怪しい動きのあった冒険者カンパニーとの業務提携も滞りなく進行して、我が社の製品の特区での売上は順調だ。
 俺たちの報告書を受けて、会社は既に製造を減らしつつあった型落ち品を特区に多く置くようになった。
 複雑な機能を付け足していない出来るだけ作りが単純な物のほうが喜ばれる傾向にあると判断したためだろう。
 実際それらの商品の動きはいいようだった。

「やっぱ単なる認識違いだったってオチか」
「あの予知システムのことですか? 確かに特区法は判断があいまいな部分がありますから有り得なくは無いですけど」
「まぁ俺が考えても仕方がないって言うか、もう専門家に任せたから気にしても意味がないんだけどな」

 俺自身あまりにも勘ぐり過ぎたような気になってきていたので、冒険者カンパニーに対して罪悪感がある。
 どうも冒険者に対しては昔から注意するように厳しく言われ続けたからか偏見があるんだよな、俺も。

「私もあれから気になって調べたんですけど、予知に対する取り扱いは国際法ではかなりざっくりしていて、あのシステムが引っ掛かるかどうかは微妙かもしれないですね。問題となるのはその企業が利益を上げるために他社との競争に予知を利用しているかどうかという部分らしいですし」
「純粋に冒険者の支援に使っているなら大丈夫かもしれないって言うことか」
「純粋というのはどうかと思うのですけど、当然利益は追求している訳ですから」

 伊藤さんが困ったように笑う。
 とは言え企業としては利益を追求するのは別に当たり前のことだからそこが問題になるということは無いんじゃないかな。
 伊藤さんと二人、全く色気のない話をして夕食を終える。
 最近は夕食と次の日の朝食の準備をしに家に来ている伊藤さんを俺が自宅まで送るというのが日課となっていた。
 伊藤さんの力に関してはほぼ全くと言っていい程進展は無いが、俺としてはむしろそのことにほっとしている所がある。
 巫女の能力は本人にとってはあまり幸福なものではないからだ。
 きちんとした術具でセーブされている現状では暴走の心配もないし、このまま何事も無く一般人として生活が出来るのではないか? と、俺はつい考えてしまう。
 それでも彼女を夜道で一人にするのは恐ろしかった。

「おやすみなさい」
「おやすみ、また明日」
「はい、また明日」

 嬉しそうに、だが何か言いたそうに俺を見送る伊藤さんはそういう俺の臆病さをわかっているのかもしれない。

「困らせてるのかな」

 一人の人間として自立している彼女をあまりにも過保護にしているのではないか? という不安はある。
 伊藤さんはあれで自立心の強い女性だ。
 俺の過剰な心配はむしろ伊藤さんの負担になっている可能性が高い。
 だとしても家でやきもちして彼女からの帰宅したという連絡を待つよりは自分で行動してしまうほうが俺には楽だった。
 そうやってワガママを容認してくれているということに俺は甘えているのだと、伊藤さん本人だって気づいているのだろうと思う。
 それなのに一緒に住もうと言い出すことは出来ない俺の臆病さ加減にも。
 俺自身、彼女をこれ以上深くこっちの世界へと踏み込ませていいのかわからないのだ。
 もうとっくに踏み込んでいると言われてしまうかもしれないが、それでもまだ伊藤さんは向こう側だと俺は感じていたのである。

 そんなちょっと情けない悩みを抱えながら駅へと向かう道すがら、いきなり普段使いの端末が反応した。
 通常回線で俺に連絡して来る相手と言えば伊藤さんか流ぐらいのものだ。
 伊藤さんとは今しがたまで一緒にいたんだからさすがに違うと考えれば後は流しかいない。
 そう思ってチェックをしたのだが、端末には知らない番号が浮かんでいた。

「誰だこれ?」

 俺は少し緊張しながら呼び出しを解除して通話を受信する。

「もしもし?」
『お久しぶりです、人の守り手たる御方。お元気でしたでしょうか?』
「え、えーと?」

 相手の声に覚えがあるような無いようなもどかしい思いで俺は問い掛けた。
 声というよりその大仰な話しぶりになんだか既視感がある。

『まぁ私ごときをその尊い魂に刻む必要などありませんが、既に運命が幾度と無く私をあなた様の元へと誘った事実がありますので、覚えてはいていただけているかと。不肖、木下という者でございます』
「……ああ、妹の大学の」

 思い出した。
 変態だ。

「んで、なんであんたが俺の端末の番号知ってるんだ?」
『実は麗しの聖女、アンナ嬢にお聞きした次第です』
「お、おう」

 アンナ嬢はどうして俺の番号知っているのか? と尋ねるのは愚問か、家も知っていたしな。

「それでそのへんた、いや、あんたがどうして俺に連絡して来たんだ?」
『それが、ロシアの偉大なる血への不遜なる扱いを見て、憤っていたのですが、ふと、省みて我が国は至尊なる方々に相応しい国であるのか? と考えてしまったらひどく哀しい想いに捕らわれてしまいまして』

 電話口でさめざめとした泣き声が聞こえ始める。
 なにこれ? 男の泣き声とか聞きたくないんですけど。

『私に出来る限りのことをさせていただきたいと思い至った訳なのです』
「はぁ」

 すごくどうでもいい。
 通話を切っちゃダメかな?

『人類は偉大なる者達を生み出しておきながら、その血を自らのために利用しようなどとおこがましいことを考え、貴き者を永く苦しめ続けました。その傲慢さ、己のことのみを考える愚かさに罰が下らぬ訳がありません。ですが、救いはあります。まだ間に合うのです。私はロシアで確信しました。尊き魂は呪いをも至尊の輝きに変えるのです。進化の足を止めてしまった人類と尊き血との差は開くばかりとなっていますが、生き続けるつもりなら人は自らの愚かさを恥じるべき時です』
「ええっと、その話今じゃないとダメかな?」

 まぁ今は家まで帰る途中で別に何か用がある訳じゃないんだけど、これを聞き続けるのはもはや拷問に近いんだけど。
 なんで俺に掛けてきたんだ、こいつ。

『本当はもっと早く懺悔をしたかったのですが、ロシアの尊き方々の開放に時間を取られてしまいまして。いえ、それも光栄な仕事には違いなかったのですが、私も本来この国の人間である以上は、自国の尊き方々にこそ我が研究を役立てていただきたく考えてしまうのです』
「へ、へえ、しかしすごいな。アンナ嬢達を手助けして来たのか?」
『はい、無知蒙昧なる民が尊き方々を守るという本質を見失っていたので、あまりのことに何もせずにはおられませんでした! なんとあの馬鹿者達は、自らの過ちで高貴な血を失わせようとしていたのですよ? 信じられますか? あの者達は魔法という強大な力を使えるからと驕って、本当に大切な存在をないがしろにしていたのです。連中は違うと言い張りましたが、結果としてそうなっているのですからその罪は明らかです。魔法など大いなる流れの中では紛れ込んだ木の葉のようなものにすぎないと言うのに恥知らずにも!』

 うわあ、と俺はすっかり閉口して相手の言葉を聞き続けた。
 俺に対して何か変なことを言われそうだったので、ついアンナ嬢の話へと振ったんだが、思った以上の食いつきっぷりで思わず引いてしまう。
 ロシアで何やらかして来たんだろう?
 なんか喧嘩売って来たような雰囲気だが、よくもまぁ無事に帰って来たもんだ。
 閉鎖的な魔法王国と思われているその国へ行って、自分の考えを積極的に主張して来たらしいそのブレなさにはある意味恐怖に近い尊敬を感じる。

『ともかく、お待ちしておりますので、お早くお戻りください』
「へ?」
『とても大切なお話があります。実の所妹君を訪ねるべきか迷ったのですが、尊い女性の住居へ私などがお邪魔する訳にはいかないでしょう。せめて兄君の許可を取るべきだと考えたのです。いえ、実の所妹君よりも兄君と話したほうがいい。そう結論付けました』
「なるほど」

 なんという自己完結。
 その結論に至る前に俺に都合を聞いてみるという選択肢は無かったのだろうか?
 俺はため息を吐いて、途端に重くなった足を引きずりながら我が家へと向かったのであった。
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