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閑話12

未明の花々

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 周りは全て大人で同じ年頃の友達などいなかった。
 彼らはいつも忙しそうで、時々誰かがいなくなる。
 特に若い人が来て仲良くなっても、しばらくすると急にいなくなることが多くて、少女は遊び相手に飢えていた。その飢餓をはっきりと覚えている。
 だから行ってもいいと言われているキャンプの近くの原っぱや、見通しのよい場所で一人遊びをする時に友達を探す遊びをするようになった。

 少女は器用な母が作ってくれた綺麗な色の手鞠が一番のお気に入りで、その鞠を抱えて駆けまわる姿を彼女の父とその仲間たちはよく目にして、一人でも元気だなと微笑ましく見守っていたのだ。
 だから少女がその間に稀なる才能を開花させてしまったことに気づいたのは、あまりにもはっきりとした証が示されてからだったのである。

 少女はポーンと手鞠を天高く放り投げ、タタッと走ってそれを受け止める。
 それは単純だが彼女のお気に入りの遊びだった。
 少女のか弱い力で放っているにしては高く飛びすぎると指摘する者は周りに誰もいない。なぜなら少女は一人だからだ。
 その内、勢いあまって近くの木に鞠が引っ掛かるのもお約束だった。

「ユカのまり返して!」

 少女は怒ったように仁王立ちになって木の上を睨みつけた。
 そこに何がいる訳でもない。
 誰が見てもリス一匹、鳥一羽存在しなかった。
 
「もう! 返してくれないと遊んであげないからね!」

 少女がもう一度怒ると、鞠が引っ掛かっていた枝が揺れて、鞠はふわりと少女のほうへと落ちて行く。
 それは重力に引かれてそのまま落ちるような落ち方ではなく、まるでその手鞠がシャボン玉か何かのような、重さを感じさせない落下だった。
 手鞠はそのまま少女の立つ場所までふんわりと届くと、差し出した少女の手に収まった。

「よろし、じゃあお歌をうたってあげましょう!」

 少女は、優香は、誰もいない森の入り口にある開けた場所で、一人そう宣言して歌を歌う。
 それは父に教わった歌でも、母に教わった歌でもなく、彼女だけの歌だった。
 彼女だけのリズムに彼女だけの言葉、体の奥から込み上げる渦巻く何かが世界と触れ合って激しく震える、そんな歌だ。
 歌を歌う時、彼女は自分がよく響く楽器のようだと感じていた。
 父とその仲間達は仕事が終わるとみんなでパーティを開く。
 そんな時、誰かが楽器を演奏し、歌い踊るのが恒例だった。

 爪弾かれる弦の響き、太鼓の音、空気を吸って音を鳴らす鍵盤、そんな夜のひと時が優香はとても好きで、父の仲間の年老いた男の無骨な指がかき鳴らす弦楽器の響きに特に魅せられた。
 あのように歌いたいと、幼いながら優香は感じていたのだ。
 だから優香の歌うのは言葉ではない。
 音に込められた意味を歌う。
 世界と一つになって楽器のように震えると、周りの全てと一つになれるようで、とても幸せになれたから、優香は誰に教わることもなく、ただ一人で歌を覚えた。

 歌い終わって礼儀正しくお辞儀をした優香の周りでは、ほんの少しだけ世界が変わっていた。
 その時はまだ、誰も気づかない程に、やがては誰もが気づかざるを得ない程に。
 やがて訪れたその時、彼は驚愕する。

「これはどういうことだ?」

 ある日優香を探しに来た父親がその場所を見たのだ。
 そこはあらゆる季節の花や木の実、虫などが集う、まるでお伽話の庭のように変わり果てていた。
 その中心に鞠を抱いて座り込む彼の娘は花冠を編みながら不思議な節回しの歌を歌い続けている。

「なんてこった……」

 彼が娘に歌を禁じ、キャンプを次々を移動し始めたのはその時からだった。

 ―― ◇ ◇ ◇ ――

 ふと目を覚ました優香は体の中にまだあの歌の旋律が残っているような気がしてその響きに耳を澄ませた。
 音は既に遠く、もう捉えることが出来ない。
 しかし寂しいとは感じなかった。
 傍らに温かい人肌を感じていたからだ。
 その傍らの人の胸にそっと頬を寄せる。
 自分とは何もかも違う堅い体は確かな暖かさでこの場所が現実であると教えてくれた。
 優香はまるで守るように回された腕を辿ってその指に触れる。
 堅くてゴツゴツとしていて、自分とはまるで違うその指が、繊細に動いて美しい物を創り出すのを幾度見ただろう。
 まだ暗い部屋の中で淡い金色の光を放っているベッドサイドの美しい花の姿をしたスタンドランプに二羽の蝶が留まって、まるで呼吸するかのように羽を開いたり閉じたりを、規則正しく繰り返していた。
 命のあるようなその姿は儚げでありながら力強い。
 優香にとってそれらは本物の花や蝶よりも美しいものだった。
 そこにある美しさと優しさは、彼女の愛する相手が生み出した物だからだ。

 ベッドサイドテーブルの上には他にもガラス細工の花々が彩る端末の充電器がある。
 置かれた端末に蔦を絡ませるように優しく花開く小さなガラスの花々はそれぞれ一つ一つ形も色も違い、充電具合によってその彩りを変えていく。
 彼に言わせれば、これはただ充電するだけじゃ寂しいからという理由で付けられた単なる装飾なのだそうだ。
 この部屋は彼の生み出した美しい物で満たされている。
 その部屋に果たして自分はふさわしいのだろうか? と、優香は己に問い掛けた。

 優香はこの街に移住して来て彼女が住み始めた家で実体化した怪異に遭遇するまで、幻想域に属する全ての存在と接触したことが無かった。
 いや、正確に言うならば無かったと思っていた。
 今朝の夢でも思い出したが、彼女はほんの小さな頃、妖かし、妖精と言われる者達と戯れていた時期があったのだ。
 どうやら父によって暗示のような意識の誘導をされていて、それらの経験を無かったことにしていたらしいと気づいたのはほんの最近だ。

 怪異は恐ろしいと彼女は思う。
 初めて見た怪異は本当に恐ろしかった。
 だけど、その怪異を壊す時の、専門家だという同僚の男性の顔を見た時、その恐ろしさは薄れて、胸の奥に何か違う物が生まれたのを感じた。
 彼は、その時、怪異を壊すほんの一瞬、寂しそうな、痛みを感じているような顔をしていた。
 あの時は、まだ優香は自分が感じたそれがどんな感情か分からないままだったが、今ならわかる。
 あれは感動なのだ。
 彼女はあの一瞬で一人の男に魅了されてしまった。

「私はあなたを助けることが出来ますか?」

 まだ明けぬ、しかし確かな朝の空気を吸いながら、優香は傍らの未だ目覚めぬ愛する男に囁いた。
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