エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼

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宵闇の唄

その十五

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 触れられないのなら触れられないなりの戦い方がある。
 俺は散らばっている机と椅子の脚をナイフで切断した。

「へえ、器用だな」

 その脚を男に向けて投げ付ける。
 具体的に言えば顔に向かって。
 人は目前に何かが飛んで来ると反射的に叩き落とすものだ。ただ躱してやり過ごすことはなかなか出来ない。
 合計で三本の金属の筒となった元椅子の足を時間差で投げ付けられ、男は苛立たしそうに変形させたコートでそれを防いだ。
 その瞬間、俺はまた男との距離を詰める。
 俺が本日かろうじて持っていた武器はナイフだけだ。
 他は日常で身に着けている物しか無い。
 心もとないが、手持ちでなんとかやりくりするしかなかった。
 払われた金属筒から最も価値の低い小銭が飛び出す。
 奴は驚いたが、すぐにそれが脅威にはならないと認識してコートを慌てて戻すことはない。
 戦いに慣れているからこそ、男はそれを囮と見て、俺への対処を優先したのだ。

「破っ!」

 俺は男の手前でその小銭に向かって破壊の気を放つ。
 粉砕され、金属の粉末となったそれへ、ヒートナイフを一閃させた。

「つっ!」

 白光が閃き、男が思わず目を押さえてよろめいた。

「うお!」
「きゃあ!」

 同時に男の後ろにいた少年少女の悲鳴も聞こえる。
 う、悪い、ごめんな。
 いわば即席の閃光弾だ。
 一時的に相手の視界を奪った俺は、もう一本、長めに切り取った鉄パイプで奴の足を殴り付けた。
 バギリ! と、嫌な感触と音が響く。

「ぐがっ!」

 目を庇っていた男が転倒した。
 よし、これでコートの術式を破壊すれば、この男はほぼ無力化出来るはずだ。

「なんてな」

 そう思い、コートの襟部分の記述《タグ》を破壊しようとしていた俺の耳に奴の声が届く。
 不味い!
 俺は咄嗟の勘で文字通り転がり離れた。が、またくらりと来るあの目眩が俺を襲う。
 ちぃ、油断してたか、ざまあないな、俺も。

「ちっ、運のいい野郎だ」

 不満は相手もだったらしく、顔を歪めてそう吐き捨てる。
 男は折れたはずの足をまっすぐ伸ばして立ち、目にも何の問題もないようだった。

「おまえ」
「言ったろう? 俺は他人の命を使えるんだよ。つまり怪我や痛みを他人の命で埋めることが出来る。どうだ? 俺って無敵じゃね? 凄くね?」
「そういうのを俺の国じゃ他人の褌で相撲を取ると言うんだよ」
「は? フンドウシとかスモーとかわかんねーこと言う奴だな」
「別にわかって貰わなくてもいいけどな」

 くそっ、ってことはこいつを攻撃すると今までの被害者にダメージが及ぶのか。やり辛いどころの騒ぎじゃないな。
 触れることも出来ない、遠隔攻撃も駄目となると、軍隊の能力封じジャマーが欲しい所だ。
 外に来ててくれるといいが。

「じゃあ、まぁ、立場がわかった所で、死ねや」

 男がコートを剣のように振るう。
 俺はそれを躱して鉄パイプで軌道を逸らす。
 もうちょっとなにか道具があればよかったんだが、やり辛い。
 せめて術士の一人もここにいればなぁ。
 
「そんなリクエストは受け付けてないんでね」

 連撃、息をもつかせず撃ち出されて来る攻撃を躱して付かず離れずの距離での攻防を繰り返す。
 攻防と言っても攻撃が出来ないのだから痛い。
 やばい、これはヘタすると千日手か? 俺の体力勝負といった所か。
 増援を頼むにもこの狭い場所では逆に増援分の命が吸われて危険だ。
 せめて開けた場所ならやりようもあるんだが、くそ、後ろや足元の子供たちを傷つけるようなむちゃな攻撃も出来ない。

 この時、男との戦いに集中していた俺にはあずかり知らぬ大変な事態が伊藤さんの身に進行していたことを俺はこの事件が終わった後に知ることになる。
 だから俺はこの後何が起きたのか、はっきり言ってわからなかったのだが、後に伊藤さんに確認した所によると、彼女は夢か現かわからない体験をしたと、そう語ったのだった。

 ―― ◇ ◇ ◇ ――

 伊藤優香はひたすらハラハラと自分の大切な相手の戦いを見守っていた。
 その感覚に彼女は覚えがある。
 以前、駅の地下街で危険に陥っている隆志を見つけた時の心臓を握り潰されるような恐怖だ。
 
「私、どうして何も出来ないんだろう」

 それを当の隆志が聞けばとんでもない、さんざん助けてもらったと返すのだろうが、今は戦いの最中で、隆志は彼女の傍にはいなかった。
 それゆえに、優香は唇を噛みしめてその戦いを見守る。
 外に行って、警官に中の様子を伝えないと、せめて無駄に踏み込まないように言わないと、優香は犯人の能力を知ってそう考えたのだが、その場を動くことが出来なかった。
 今この場を離れたら、もう二度と生きている隆志に会えないかもしれないという恐怖が彼女の足を竦ませていたのだ。

『いいえ、出来るわ』
「えっ?」

 突然聞こえてきた声に優香は振り向いた。
 今までそんな気配も無かったのに、いつの間にか彼女の隣には一人の少女が佇んでいた。
 優香はその少女に見覚えがあった。
 以前、公園で会った少女だ。
 あの時と同じように、どこか場違いな着物姿の彼女は浮世離れした雰囲気を持っていた。
 夕暮れの時間にはあまり違和感を感じられなかったが、人工の灯りの下で見る彼女の髪と瞳は、薄紅の不思議な色合いを持って、更に内から輝いているように見える。
 だが、不思議なことにそのときの優香はその神秘的な姿をおかしいと思うことはなかった。
 それどころか、親しい友人に会ったようにほっとしたのだ。

「出来るって、なにが?」
『唄を唱ってあげて』
「歌?」

 あまりに場違いな発言に、優香は首を傾げた。
 少女はにこりと微笑む。
 儚げで美しいその笑顔は、優香を励ますようでもあった。

『そう、出来ればあなたにとって馴染んだ唄がいいわ、小さい頃よく唱っていた馴染み深い唄。そんな唄に想いを込めて唱うの』
「そんな、隆志さんが戦っているのに、歌なんか歌えるはずがないわ」
『でも、それであの子を助けられるのよ』
「隆志さんを助けられる?」
『そう』

 少女の言葉は魅力的だった。
 そして、何より優香にとって今まさに必要なものでもあった。
 愛しい相手を助けたい、助けられる、これほど心揺さぶられる言葉は他にない。
 優香は考えた。
 彼女が小さい頃によく歌っていた歌がある。
 そう、幼い頃、一人遊びをしていた時に歌っていた歌だ。
 歌を歌うと寂しくなくなった。
 沢山のキラキラ光る何かが彼女の中に流れ込み、そして彼女自身も沢山の物の中に宿っていた。あの頃は世界がとても近く、輝いていた。
 どうしてそのことを忘れていたのだろう? と優香は不思議に思ったが、そのことについてはすぐに気にならなくなった。
 今大事なのは目前の隆志である。
 自分が歌うと隆志を助けられるというのは優香にはピンと来なかった。
 だが、この少女は嘘は言わないだろう。
 なぜだかわずかに二度しか会っていない少女がまるで自分の姉ででもあるかのように信頼出来た。

「歌わなきゃ」
『ええ』

 優香を口を開いた。
 彼女の歌ったのは小さい頃に自分で作った歌だ。
 歌詞などめちゃくちゃで、意味は通らない。
 でも不思議と、その真言ことばは彼女の中でカチリカチリとパズルの欠片を組み合わせるように一つの形を成して行った。

 ―― ◇ ◇ ◇ ――

 当然歌が聞こえた。
 細く透き通った、水晶同士をぶつけた時に響くような声が、どこか素朴で、それでいて印象的な歌を紡いでいる。

「なん……だ?」

 ふっと、俺は何かに包まれるような感覚に襲われて、バランスを崩してたたらを踏む。
 体のバランスが変わった?
 ちらりと目の端で背後を見る。

「優香?」

 そこには伊藤さんが両手を胸の前で組み合わせ、まるで祈るように歌を歌っている姿があった。
 いや、歌、ではない。
 あれは巫女の唱いではないのか?
 俺はふいに浮かんだその直感に慄いた。
 伊藤さんの何かが決定的に変わったということが酷く恐ろしかったのだ。
 そんな俺の想いとは裏腹に体の周りが暖かくなる。
 それはまるで伊藤さんが寄り添っている時の暖かさのようだった。

「よそ見してると、終わっちまうぜ!」

 一瞬の驚きが油断となって、冒険者の男に間合いに入り込まれてしまう。

「ちっ」

 避けようとしたが一瞬間に合わず、男の手が俺の首に掛かった。

「俺に命を捧げて逝けや!」

 精神的に身構えたが、あの急激な喪失感は襲って来なかった。
 そのことを考える前に、俺は男の腕を逆手にぐるりと回す。

「ぎゃあ!」

 折ると他人に被害が及ぶので、痛みを強く与えるように関節をひねったのみだ。

「てめえ、やりやがったな!」

 どうやらやつの命を吸う力が俺に及ばなくなっているらしい。
 理屈を考えるより先に、俺は男に突進するとその腹部に頭突きを食らわした。

「ぐふっ!」

 腕を逆手に取って背後に回り込み、背中に掌底打ちを叩き込む。
 こいつは衝撃や痛みは感じていた。
 自分の怪我は他人に背負わせることが出来るが、痛みは自分が受けるのだろう。
 だから、痛みを強く感じる場所を打つ。
 おとなしくなったので体を返して見ると、どうやら男は気絶しているようだった。
 まぁ特別痛い場所を打ったからな。

「ふう」

 ひとまず安心して振り返る。
 伊藤さんはまだ歌っていた。
 目は開けているが焦点が合っていない。
 いわゆるトランス状態というやつだ。

「優香、終わったよ」

 そっと握りしめた拳に触れる。
 ふっと俺の周囲から優しい暖かさが消えた。
 それが酷く寂しく感じる。

「まさか、こんなことになるなんて、な」

 零したため息が少々重く感じられたのだった。
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