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羽化
その八
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「妄想汚染の話だったな。これは別段口止めされているような秘密の話ではないが、ハンター達の間ではこの話をすることは忌み嫌われている。冒険者は神頼みや運頼みを大真面目に行うからこれは一種のゲン担ぎのようなものだな。要するに不吉な話という訳だ」
「なるほど」
確かに仲間が突然化け物になるのは不吉なことだろう。
あまり話したくないというのもわからなくはない。
「理解していないようなので説明するが、この話が不吉なのは原因がわかっていないからだ。冒険者は案外と理詰めで物を考える。原因がわからない物ほど恐ろしい物はないということだ」
「原因がわからないんですか」
ジェームズ氏はコツンとテーブルを人差し指で叩く。
「そうだ。冒険者も初心者の頃なら怪異を理由もなく怖れたり、絶対的な強さを持つ特別な怪異に畏怖したりもする。そういう連中が精神に変調をきたして思春期の妄想よろしく怪物化するというならわからないでもない。だが、このイマージュを引き起こすのは必ず中堅以上の冒険者なのだ」
「中堅以上の冒険者に怪異を特別視する者はいないと?」
「そうだな、いない訳ではない。なまじ言葉が通じる強大な怪異を信奉したり憧れたりする奴もいることはいる。だが、そういった連中はあまりこの病に罹らない」
「病なんですか?」
俺は意外に思って聞いた。
原因不明の現象を病と言い切る根拠が知りたい。
「病というのは必ず一定の症状が共通して現れるだろう? このイマージュにもそれがある。この病を発症する連中はその直前に自分の体内に自分以外の何かがいるようだと思うらしいのだ」
「自分以外の何か?」
「ああ、だから最初はこの現象は憑依の一種だろうと思われていた。しかし探知や分析で彼らから怪異の気配が感じられなかった」
自分以外の何かが自分の内に在る。
確かにそれだけを聞くと憑依か寄生を考えるだろう。
実際それらの現象は怪異を相手にしている場合頻繁に起こる現象でもあった。
肉体を持たない段階の怪異にとって、人間に入り込むのはそう難しいことではないからだ。
しかし、その場合は明確に怪異の存在がそこにあることになる。
もちろんほとんど探知を受け付けない怪異もいないことはない。
だが、それらの怪異は人体に潜り込んですぐに活動を停止してひっそりと眠りにつくか自分を自分で封じてしまうという性質を持っていた。
人間が変貌する程影響を及ぼしているのに感知出来ない怪異というのはまず考えられない。
「原因不明か……ですが、とある元冒険者の方はその人間の思い込みで変化するようなことを言ってましたけど」
「そりゃあ冒険者個々人の考え方の違いだな。そいつはつまり思春期の病の延長線上にあるようなもんだと判断したんだろう。そもそもこの病に罹ったやつが怪物に汚染されるなんて言い出すから、妄想に汚染される病、つまり存在しないものを見る病気でイマージュとか呼んでたんだしな」
「……妄想で人の体は変異するものでしょうか?」
「絶対しないとは言わないが、冒険者だけがそうなるというとそりゃあ原因は他にあると思わざるを得ないな」
ジェームズ氏の口元が皮肉に歪む。
確かに単なる妄想で体が変化するのなら冒険者以外もそうなってしかるべきだ。
しかし、実際には冒険者以外にその病気のようなものを患っている者はいない。
そうなれば当然、原因として考えられるのは彼らの仕事の相手である……。
「怪異ですよね」
「そうだな」
ところでちょっと前から光っている床が気になる。
特にこちらの体に干渉してくることはない物のようだが、放置していて大丈夫なのだろうか?
俺は魔術とか術式の類の解析は苦手なんだよな。
うちの連中の使う術式なら慣れているからある程度わかるんだけど。
この陣は既に文字からして知らない物だ。
「ところでお聞きしてよろしいでしょうか? この床は……」
「ああ」
俺の言葉を遮ってジェームズ氏がさも今思いついたとでも言うように手を叩いて声を上げた。
「はい?」
「そろそろお昼だ。娘が張り切っていたから遅くなると機嫌を損ねそうだ。話がこれまでなら昼食にしないかね?」
ジェームズ氏が手を叩いた途端、床の光っていた陣の文様は消えた。
改めて照明の下に照らされた床にはそんな物があったような痕跡すらない。
もしかしてばっくれる気なのか?
くそっ、ツッコミたいが下手すると藪をつついて蛇を出すパターンになりそうで怖い。
「そう……です、ね」
かくして俺は追求を諦めたのだった。
無事に上に戻ると、家の中にいい匂いが立ち込めていた。
バターとかパンとかガーリックとか、俺が普段あまり嗅ぐことのない洋風の食べ物の匂いだ。
全体的に古民家風のこの家だとなんとなくそぐわない感じがするが、囲炉裏のある居間とは違い、その隣のダイニングキッチンは北欧風家具で揃えた洋風の板敷きの間になっている。
凄く和洋折衷だが、俺の知っている伝統的な古民家の家も、実は畳部分よりも板敷きの場所が多い印象があった。
台所は元々土間で、そこから上がった囲炉裏端は板敷き、廊下はもちろん板敷きだ。
畳の部屋は個々の部屋と客間だけなのだ。
家族は起きている時のほとんどは囲炉裏端で過ごすからいつもいるのは板間となる。
人が動く場所は板敷きで、くつろぐ場所が畳というのが古い家に多いスタイルだった。
もちろん武家や地主のような裕福な者の屋敷はまた事情が違ったが、一般の古民家はそんな感じだ。
とは言え、だからと言って古民家に北欧家具が相応しいかどうかはまた別の話だが。
まぁでも、この家族には似合ってるかな?
おやじさんが和装のコテコテの外国人、お母さんはおっとりした日本人的おふくろさん、そして娘の伊藤さんはいかにもハーフっぽい淡い色合いの可愛らしい女性である。
完璧な和室のほうがむしろ合わないかもしれない。
俺を見つけると伊藤さんは一瞬ふわっと嬉しそうに微笑んだ。
俺も思わずにやけてしまい、通り過ぎたジェームズ氏にさり気なく脇腹に一撃を食らう。
ちょ、一瞬息が詰まったぞ! なんなの? 今のいかにも玄人じみた早業は? 日常の一コマで繰り出していいもんじゃないだろ?
「お……」
ちょっとふらついた俺に驚いた顔をした伊藤さんに笑い返してなんでもない事をアピールする。
そうだよな、一人娘だもんな、かっさらっていく男は父親に嫌われても仕方あるまい。
伊藤さんに導かれてテーブルの一画に着く。
ジェームズ氏は斜め前の席のようだ。
伊藤さんとお母さんはまだキッチンにいて料理を運ぶ準備をしているようだった。
なんだろう、さっきまでとはまた別の緊張が俺を襲った。
こう、飯を食う雰囲気じゃない。
というか、何をしていいかわからない。
ここは手伝うべきなのだろうか?
密かに焦り出した俺の前に水の入ったグラスが置かれた。
「ありがとう」
見ると伊藤さんがそれぞれの席にグラスを置き、最後にピッチャーをテーブルの真ん中に据えた所だった。
俺の言葉にこくりと頷いた伊藤さんだが、どこか余裕がないように見える。
大丈夫か?
運ばれて来た料理に、俺は呆然となった。
茶色く香ばしい香りをさせたパイ生地に包まれた何かの料理と、フランスパンをスライスしてガーリックで焼いたっぽい物、それとクリームシチューが並んでいる。
どこのレストランの料理? という感じだ。
言っておくが、俺はナイフとフォークの使い方は自己流だぞ。
いや、心の中で誰に言ったのか知らんがな。
料理を全て配膳し終わったらしく、伊藤さんのお母さんは俺の正面に、伊藤さんが俺の隣に腰掛けた。
伊藤さんは何かもじもじしていたが、お母さんが「料理の説明をしてあげたら?」と言ったのを受けて、俺に顔を向ける。
おお、凄く緊張しているね。
「あのっ、メインがスズキのパイ包み焼きで、これ、お父さんの故郷の料理なんです。スズキっていうのはお魚のスズキね」
「なるほど、美味しそうだね」
「パイ生地作りなんてしたことなかったのに頑張ったのよ」
お母様がにこやかにフォローをした。
いや、フォローのつもりだったのだろうが、伊藤さんは緊張していた上に恥ずかしさが加わったらしい。
たちまち目で見て分かる程顔が赤くなる。
まぁ伊藤さんは色白なので普段から顔色の変化はわかりやすいんだけどね。
「もう、お母さんは黙ってて!」
「はいはい」
楽しそうですね。
お父さんのジェームズ氏は無言だ。
無言で包み焼きにナイフを入れると、大きな塊をフォークで刺して一口で頬張る。
「ふむ。たいしたものだな」
「お父さん! 行儀が悪いでしょ、まだいただきますもしてないのに!」
「いつも言っているだろう。食事は手早く機能的に済ませるものだ。儀式めいた真似事をする必要はないと」
「もう」
「ほらほら、お父さんはいつものことでしょう? それじゃあ私達もいただきましょうか? いただきます」
お母さんはにこやかにお箸を持って両手を合わせるといただきますと口にして食事を開始する。
俺と伊藤さんもそれに倣って「いただきます」と口にして食事を始めた。
あ、お箸でいいなら俺も箸がよかったかも。
パイは俺からすればお菓子のイメージが強い。
しかしナイフを入れたそれは、バターと白身魚の独特の香りが漂って思わず唾を呑んだ。
「美味い!」
食べた瞬間驚きと感動から声が出てしまった。
マジでびっくりしたのだ。
「ほ、本当ですか? よかった」
心配そうに俺を見守っていた伊藤さんがほっとしたようにそう言って、やっと緊張が取れたように自分の食事に身を入れ始めた。
「この料理はね、本当は生誕祭とかの特別な日に出すようなごちそうなのよ」
伊藤さんのお母さんがニコニコと笑いながらそう告げた。
なるほど、確かにちょっと豪華な料理だと思ってたんだよな。
こんな料理が作れるなんて、伊藤さんは凄いな。
「ワインがないんじゃ片手落ちだがな」
ジェームズ氏がぼそりと言った。
確かにお酒が合いそうな料理だな。
俺はワインより日本酒のほうがいいけど。
魚の白身には日本酒が合うと思う。
「昼間っからお酒は出しません」
伊藤さんの断固とした声が俺の妄想を吹き払った。
そうですよね。
さて、うん、パイはいい、それにシチューもいいんだけどさ。
このパンはどうやって食べればいいのかな?
フォークで刺して食べてもいいのかな?
伊藤さんのお父さんは手掴みで食べてたけどあれでいいのか?
お母さんはお箸でそのまま食べてるけど、うーん。
伊藤さんが手を付けるまで待つか。
やっぱり慣れない洋食は気を使うな。
俺はそう思いながらなんとなく緊張する食事を続けたのであった。
「なるほど」
確かに仲間が突然化け物になるのは不吉なことだろう。
あまり話したくないというのもわからなくはない。
「理解していないようなので説明するが、この話が不吉なのは原因がわかっていないからだ。冒険者は案外と理詰めで物を考える。原因がわからない物ほど恐ろしい物はないということだ」
「原因がわからないんですか」
ジェームズ氏はコツンとテーブルを人差し指で叩く。
「そうだ。冒険者も初心者の頃なら怪異を理由もなく怖れたり、絶対的な強さを持つ特別な怪異に畏怖したりもする。そういう連中が精神に変調をきたして思春期の妄想よろしく怪物化するというならわからないでもない。だが、このイマージュを引き起こすのは必ず中堅以上の冒険者なのだ」
「中堅以上の冒険者に怪異を特別視する者はいないと?」
「そうだな、いない訳ではない。なまじ言葉が通じる強大な怪異を信奉したり憧れたりする奴もいることはいる。だが、そういった連中はあまりこの病に罹らない」
「病なんですか?」
俺は意外に思って聞いた。
原因不明の現象を病と言い切る根拠が知りたい。
「病というのは必ず一定の症状が共通して現れるだろう? このイマージュにもそれがある。この病を発症する連中はその直前に自分の体内に自分以外の何かがいるようだと思うらしいのだ」
「自分以外の何か?」
「ああ、だから最初はこの現象は憑依の一種だろうと思われていた。しかし探知や分析で彼らから怪異の気配が感じられなかった」
自分以外の何かが自分の内に在る。
確かにそれだけを聞くと憑依か寄生を考えるだろう。
実際それらの現象は怪異を相手にしている場合頻繁に起こる現象でもあった。
肉体を持たない段階の怪異にとって、人間に入り込むのはそう難しいことではないからだ。
しかし、その場合は明確に怪異の存在がそこにあることになる。
もちろんほとんど探知を受け付けない怪異もいないことはない。
だが、それらの怪異は人体に潜り込んですぐに活動を停止してひっそりと眠りにつくか自分を自分で封じてしまうという性質を持っていた。
人間が変貌する程影響を及ぼしているのに感知出来ない怪異というのはまず考えられない。
「原因不明か……ですが、とある元冒険者の方はその人間の思い込みで変化するようなことを言ってましたけど」
「そりゃあ冒険者個々人の考え方の違いだな。そいつはつまり思春期の病の延長線上にあるようなもんだと判断したんだろう。そもそもこの病に罹ったやつが怪物に汚染されるなんて言い出すから、妄想に汚染される病、つまり存在しないものを見る病気でイマージュとか呼んでたんだしな」
「……妄想で人の体は変異するものでしょうか?」
「絶対しないとは言わないが、冒険者だけがそうなるというとそりゃあ原因は他にあると思わざるを得ないな」
ジェームズ氏の口元が皮肉に歪む。
確かに単なる妄想で体が変化するのなら冒険者以外もそうなってしかるべきだ。
しかし、実際には冒険者以外にその病気のようなものを患っている者はいない。
そうなれば当然、原因として考えられるのは彼らの仕事の相手である……。
「怪異ですよね」
「そうだな」
ところでちょっと前から光っている床が気になる。
特にこちらの体に干渉してくることはない物のようだが、放置していて大丈夫なのだろうか?
俺は魔術とか術式の類の解析は苦手なんだよな。
うちの連中の使う術式なら慣れているからある程度わかるんだけど。
この陣は既に文字からして知らない物だ。
「ところでお聞きしてよろしいでしょうか? この床は……」
「ああ」
俺の言葉を遮ってジェームズ氏がさも今思いついたとでも言うように手を叩いて声を上げた。
「はい?」
「そろそろお昼だ。娘が張り切っていたから遅くなると機嫌を損ねそうだ。話がこれまでなら昼食にしないかね?」
ジェームズ氏が手を叩いた途端、床の光っていた陣の文様は消えた。
改めて照明の下に照らされた床にはそんな物があったような痕跡すらない。
もしかしてばっくれる気なのか?
くそっ、ツッコミたいが下手すると藪をつついて蛇を出すパターンになりそうで怖い。
「そう……です、ね」
かくして俺は追求を諦めたのだった。
無事に上に戻ると、家の中にいい匂いが立ち込めていた。
バターとかパンとかガーリックとか、俺が普段あまり嗅ぐことのない洋風の食べ物の匂いだ。
全体的に古民家風のこの家だとなんとなくそぐわない感じがするが、囲炉裏のある居間とは違い、その隣のダイニングキッチンは北欧風家具で揃えた洋風の板敷きの間になっている。
凄く和洋折衷だが、俺の知っている伝統的な古民家の家も、実は畳部分よりも板敷きの場所が多い印象があった。
台所は元々土間で、そこから上がった囲炉裏端は板敷き、廊下はもちろん板敷きだ。
畳の部屋は個々の部屋と客間だけなのだ。
家族は起きている時のほとんどは囲炉裏端で過ごすからいつもいるのは板間となる。
人が動く場所は板敷きで、くつろぐ場所が畳というのが古い家に多いスタイルだった。
もちろん武家や地主のような裕福な者の屋敷はまた事情が違ったが、一般の古民家はそんな感じだ。
とは言え、だからと言って古民家に北欧家具が相応しいかどうかはまた別の話だが。
まぁでも、この家族には似合ってるかな?
おやじさんが和装のコテコテの外国人、お母さんはおっとりした日本人的おふくろさん、そして娘の伊藤さんはいかにもハーフっぽい淡い色合いの可愛らしい女性である。
完璧な和室のほうがむしろ合わないかもしれない。
俺を見つけると伊藤さんは一瞬ふわっと嬉しそうに微笑んだ。
俺も思わずにやけてしまい、通り過ぎたジェームズ氏にさり気なく脇腹に一撃を食らう。
ちょ、一瞬息が詰まったぞ! なんなの? 今のいかにも玄人じみた早業は? 日常の一コマで繰り出していいもんじゃないだろ?
「お……」
ちょっとふらついた俺に驚いた顔をした伊藤さんに笑い返してなんでもない事をアピールする。
そうだよな、一人娘だもんな、かっさらっていく男は父親に嫌われても仕方あるまい。
伊藤さんに導かれてテーブルの一画に着く。
ジェームズ氏は斜め前の席のようだ。
伊藤さんとお母さんはまだキッチンにいて料理を運ぶ準備をしているようだった。
なんだろう、さっきまでとはまた別の緊張が俺を襲った。
こう、飯を食う雰囲気じゃない。
というか、何をしていいかわからない。
ここは手伝うべきなのだろうか?
密かに焦り出した俺の前に水の入ったグラスが置かれた。
「ありがとう」
見ると伊藤さんがそれぞれの席にグラスを置き、最後にピッチャーをテーブルの真ん中に据えた所だった。
俺の言葉にこくりと頷いた伊藤さんだが、どこか余裕がないように見える。
大丈夫か?
運ばれて来た料理に、俺は呆然となった。
茶色く香ばしい香りをさせたパイ生地に包まれた何かの料理と、フランスパンをスライスしてガーリックで焼いたっぽい物、それとクリームシチューが並んでいる。
どこのレストランの料理? という感じだ。
言っておくが、俺はナイフとフォークの使い方は自己流だぞ。
いや、心の中で誰に言ったのか知らんがな。
料理を全て配膳し終わったらしく、伊藤さんのお母さんは俺の正面に、伊藤さんが俺の隣に腰掛けた。
伊藤さんは何かもじもじしていたが、お母さんが「料理の説明をしてあげたら?」と言ったのを受けて、俺に顔を向ける。
おお、凄く緊張しているね。
「あのっ、メインがスズキのパイ包み焼きで、これ、お父さんの故郷の料理なんです。スズキっていうのはお魚のスズキね」
「なるほど、美味しそうだね」
「パイ生地作りなんてしたことなかったのに頑張ったのよ」
お母様がにこやかにフォローをした。
いや、フォローのつもりだったのだろうが、伊藤さんは緊張していた上に恥ずかしさが加わったらしい。
たちまち目で見て分かる程顔が赤くなる。
まぁ伊藤さんは色白なので普段から顔色の変化はわかりやすいんだけどね。
「もう、お母さんは黙ってて!」
「はいはい」
楽しそうですね。
お父さんのジェームズ氏は無言だ。
無言で包み焼きにナイフを入れると、大きな塊をフォークで刺して一口で頬張る。
「ふむ。たいしたものだな」
「お父さん! 行儀が悪いでしょ、まだいただきますもしてないのに!」
「いつも言っているだろう。食事は手早く機能的に済ませるものだ。儀式めいた真似事をする必要はないと」
「もう」
「ほらほら、お父さんはいつものことでしょう? それじゃあ私達もいただきましょうか? いただきます」
お母さんはにこやかにお箸を持って両手を合わせるといただきますと口にして食事を開始する。
俺と伊藤さんもそれに倣って「いただきます」と口にして食事を始めた。
あ、お箸でいいなら俺も箸がよかったかも。
パイは俺からすればお菓子のイメージが強い。
しかしナイフを入れたそれは、バターと白身魚の独特の香りが漂って思わず唾を呑んだ。
「美味い!」
食べた瞬間驚きと感動から声が出てしまった。
マジでびっくりしたのだ。
「ほ、本当ですか? よかった」
心配そうに俺を見守っていた伊藤さんがほっとしたようにそう言って、やっと緊張が取れたように自分の食事に身を入れ始めた。
「この料理はね、本当は生誕祭とかの特別な日に出すようなごちそうなのよ」
伊藤さんのお母さんがニコニコと笑いながらそう告げた。
なるほど、確かにちょっと豪華な料理だと思ってたんだよな。
こんな料理が作れるなんて、伊藤さんは凄いな。
「ワインがないんじゃ片手落ちだがな」
ジェームズ氏がぼそりと言った。
確かにお酒が合いそうな料理だな。
俺はワインより日本酒のほうがいいけど。
魚の白身には日本酒が合うと思う。
「昼間っからお酒は出しません」
伊藤さんの断固とした声が俺の妄想を吹き払った。
そうですよね。
さて、うん、パイはいい、それにシチューもいいんだけどさ。
このパンはどうやって食べればいいのかな?
フォークで刺して食べてもいいのかな?
伊藤さんのお父さんは手掴みで食べてたけどあれでいいのか?
お母さんはお箸でそのまま食べてるけど、うーん。
伊藤さんが手を付けるまで待つか。
やっぱり慣れない洋食は気を使うな。
俺はそう思いながらなんとなく緊張する食事を続けたのであった。
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