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明鏡止水
その十一
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マンション前でいつまでも言い合いをしている訳にはいかないが、だからと言って部屋に入れるのは危険すぎる。
俺は、半ば無理矢理アンナ嬢をファミレスに誘った。
遅い時間に周囲にオープンな状態で話し合える場所で思い付いたのがファミレスだけだったのだ。
喫茶店とかバーは閉鎖空間に限りなく近い。
そういう場所で何かが起こった場合、一も二もなく男である俺の方の立場が悪くなるだろう。
たとえ実際の攻撃力的なものが彼女のほうが上だとしてもだ。
神経質過ぎるかもしれないが、子種がどうこうなどと屋外で平然と言い放つような相手とそんな場所に行きたく無かったのである。
ファミレスの席に座ったアンナ嬢は、どこか落ち着かない様子で周囲を見回す。
幸い一番混む時間は過ぎたのか、満席ということはなく、それなりに空席もあったが、正直、あまり目立つ行動は止めて欲しかった。
黙っていてもこの国で薄い金髪や青い目は目立ちまくる。
お客の何組かと店員さん数人がこちらを見ながら何事か囁いているのは、多分俺の自意識過剰ではあるまい。
アンナ嬢はメニューをちらっと見て後は俺を睨みつけている。
おいおい勘弁してくれ。
と言うか今思ったけど、こんな人の多い所であの話の続きをするのってまずくないか? 主に俺のメンタル的な意味で。
話し合いが始まってから店員さんに寄って来られても拙い。
俺はこちらに視線を向けている店員さんに頷いてみせた。
「グリルソーセージとポテトとドリンクバーで」
店員さんは俺のオーダーを繰り返すと端末を操作するピッピッという音を軽快に鳴らす。
何気にファミレスって先進的だよな。
アンナ嬢はメニューを見ないままボソリと「紅茶」と呟くように言った。
店員さんは少し驚いた顔をしたが、「ドリンクバーですね、他に軽食やデザートをご注文いただくとお安くなりますけどよろしいですか?」と確認を入れる。
この時点で俺は気づいた。
アンナ嬢はおそらくメニューが読めないのだ。
「あ、それならパンケーキを付けたらどうかな? ここのパンケーキなかなか美味しいんだぜ」
出来るだけさり気なくフォローを入れた。
それに人間腹がへると怒りっぽくなるという真理もある。
ダイエットをしているなら逆効果かもしれないが、何か食べていただいたほうがいいだろうと俺は気を回したのだ。
アンナ嬢は不思議そうに俺を見る。
その視線には先ほどまでの尖った感じはなく、どちらかというと純粋な好奇心があるようだった。
「あ、俺が奢りますよ」
勝手に頼むんだからと、そう言った言葉にさして感心を示すことなく、アンナ嬢は頷く。
店員さんは笑顔で「パンケーキとドリンクバーですね」とオーダーを完了した。
「じゃ、俺が紅茶取ってきますね。ホットでいいですか? 確かここ、ハーブティーも何かあった気がするんですが、そういうのには興味ありません?」
俺の言葉にアンナ嬢は眉間にシワを寄せる。
「さっきからよくわからないのだけど、ここはレストランでしょう? ドリンクバーが別に設置されているの?」
あ、ロシアにドリンクバーはないのかな?
というか翻訳の問題か?
説明をしとこう。
「あ、こういうファミリータイプのレストランの場合、日本では一般的にドリンクバーという制度があってですね。数種類あるドリンクの中から好きな物を選んで飲めて、それがおかわり自由なんですよ」
「え?」
お、びっくりしてる。
ああいう顔していると、思ったより若く見えるんだけど、この方確か俺より年上なんだよな。
普通年齢を重ねた女性って一種の凄みというか世慣れた感じがするんだけど、この人ってそういうのが無い分若く見える。
なんというか良い意味でも悪い意味でも学生のような感じだ。
「見てみたい」
凄くストレートな要求が来た。
「じゃ、一緒に行きましょうか? バッグは席の目印に残しておくといいですよ」
「駄目よ。それ程大事な物は入れてきていないとは言え、カードが入っているわ」
「大丈夫です。ドリンクバーから席は見えますから盗られたりしませんよ」
俺の説明に疑わしそうにしながらも、アンナ嬢は好奇心に負けたのか、いそいそとドリンクバーについて来る。
何か最初の頃の印象より、この人は可愛い人なのかもしれない。
物珍しげにドリンクバーを堪能した後、結局紅茶と砂糖のスティックを沢山持って彼女は席に戻った。
俺は普通にコーヒーとついでに水も持ち帰る。
「ドリンクバーってワンカップじゃないの?」
アンナ嬢が俺に対して疑わしげな目を向けて来た。
いや、そんな今までドリンクバーの存在も知らなかった人から、こいつマナー違反をしているっぽい視線を向けられるとすっごいへこむんですけど。
「日本の大体のレストランでは水はメニュー外のフリードリンクなんです」
俺の説明に尚も懐疑的だったアンナ嬢だが、料理を運んできた店員さんが何も言わなかったことで納得したらしい。
どんだけ信用無いんだ、俺。
「それで本題なんですけど、俺は貴女の提案を受け入れるつもりはありませんから。速やかにお国にお帰りいただけると助かります」
「そういう訳にはいかないわ。アナタが駄目なら弟の浩二? だったかしら、彼に頼むまでよ。と言っても大体同じ時間に移動しているアナタと違って、彼は捕まえにくいけど」
ああ、なるほど。
俺が狙われたのはサラリーマン時間で行動しているせいだったのか。
確かに浩二は大概家にいないし、何やってるかわからないもんな。
「真面目な話ですが、母国的にどうなんですか? 他所の血統を混ぜたりしたら何が起こるかわからないでしょうに」
俺の言葉にアンナ嬢はふと遠い目をすると、どこかシニカルな笑みを唇に刻んだ。
「もうこれ以上悪くはならないわ」
こぼれ落ちた彼女の言葉に、俺は絶句する。
彼女の母国でいったい何が起こっているというのだろう。
魔法の大家であり、圧倒的な技術と資源で悠々とした大国であり続けた帝国ロシア、その秘蔵っ子であるはずの勇者血統の彼女がここまで憂う何があるんだ?
そう考えて、俺は慌てて頭を振ってその疑問を振り払った。
他国の事情に首を突っ込み過ぎるのは拙い。
特にロシアは自国に他国が干渉することを極端に嫌うお国柄である。
「浩二がどう考えるかは浩二の自由ですから俺がどうこう言うことはありませんが、でもきっとあいつも断ると思いますよ。あいつは俺以上にロマンチストで、その上実利主義者だ。矛盾しているように聞こえるでしょうが、そのどちらの考え方であっても貴女の提案は受け入れ難いでしょう」
「弟さんを差し出すのが嫌なら、やはりアナタが受け入れるべきね。恋人に対して罪悪感があるのなら、その時の記憶を消してあげることだって出来るのよ。もし必要以上に頭の中をいじられるのではないかという不安があるのなら誓約の術を私に科せばいいでしょう」
ううむ、話が平行線だ。
というか、彼女の提案は冷静に考えればこちらに有利な条件ばかりのような気がする。
誓約の術を自ら受け入れるなどと、普通言えることではないのだ。
誓約の術は、その取り決めを破れば、その割合に応じて自らを失う術式である。
つまり完全に違反した場合、その術を掛けられた人間は消滅するのだ。
結局話し合いは上手くいかないまま、ファミレスに居座り続けるのに俺が耐えられなくなり、出てきてしまったのだが、このまま家に向かってもどうにもならないよな。
アンナ嬢は付いて来るし。
大きく溜め息を吐いた俺は、ふと、マンションの入り口に誰かが立っているのに気付いた。
シルエットからして大人の男だ。
一瞬浩二かと思ったが、気配が全く違う。
なんとなく知り合いのような感じがするんだが、ざわざわと胸の奥に悪寒を感じるのだ。
「おおっ! なんと今宵は素晴らしき夜でしょうか! 世界の奇跡、この世の至宝、異なる国の人類の生み出した最も貴重なる存在であるお二方にこうして巡り会うことが出来るなんて!」
「げえっ! 変態野郎!」
そこにいたのは、かの変態、英雄フリークの残念な男だった。
俺は、半ば無理矢理アンナ嬢をファミレスに誘った。
遅い時間に周囲にオープンな状態で話し合える場所で思い付いたのがファミレスだけだったのだ。
喫茶店とかバーは閉鎖空間に限りなく近い。
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幸い一番混む時間は過ぎたのか、満席ということはなく、それなりに空席もあったが、正直、あまり目立つ行動は止めて欲しかった。
黙っていてもこの国で薄い金髪や青い目は目立ちまくる。
お客の何組かと店員さん数人がこちらを見ながら何事か囁いているのは、多分俺の自意識過剰ではあるまい。
アンナ嬢はメニューをちらっと見て後は俺を睨みつけている。
おいおい勘弁してくれ。
と言うか今思ったけど、こんな人の多い所であの話の続きをするのってまずくないか? 主に俺のメンタル的な意味で。
話し合いが始まってから店員さんに寄って来られても拙い。
俺はこちらに視線を向けている店員さんに頷いてみせた。
「グリルソーセージとポテトとドリンクバーで」
店員さんは俺のオーダーを繰り返すと端末を操作するピッピッという音を軽快に鳴らす。
何気にファミレスって先進的だよな。
アンナ嬢はメニューを見ないままボソリと「紅茶」と呟くように言った。
店員さんは少し驚いた顔をしたが、「ドリンクバーですね、他に軽食やデザートをご注文いただくとお安くなりますけどよろしいですか?」と確認を入れる。
この時点で俺は気づいた。
アンナ嬢はおそらくメニューが読めないのだ。
「あ、それならパンケーキを付けたらどうかな? ここのパンケーキなかなか美味しいんだぜ」
出来るだけさり気なくフォローを入れた。
それに人間腹がへると怒りっぽくなるという真理もある。
ダイエットをしているなら逆効果かもしれないが、何か食べていただいたほうがいいだろうと俺は気を回したのだ。
アンナ嬢は不思議そうに俺を見る。
その視線には先ほどまでの尖った感じはなく、どちらかというと純粋な好奇心があるようだった。
「あ、俺が奢りますよ」
勝手に頼むんだからと、そう言った言葉にさして感心を示すことなく、アンナ嬢は頷く。
店員さんは笑顔で「パンケーキとドリンクバーですね」とオーダーを完了した。
「じゃ、俺が紅茶取ってきますね。ホットでいいですか? 確かここ、ハーブティーも何かあった気がするんですが、そういうのには興味ありません?」
俺の言葉にアンナ嬢は眉間にシワを寄せる。
「さっきからよくわからないのだけど、ここはレストランでしょう? ドリンクバーが別に設置されているの?」
あ、ロシアにドリンクバーはないのかな?
というか翻訳の問題か?
説明をしとこう。
「あ、こういうファミリータイプのレストランの場合、日本では一般的にドリンクバーという制度があってですね。数種類あるドリンクの中から好きな物を選んで飲めて、それがおかわり自由なんですよ」
「え?」
お、びっくりしてる。
ああいう顔していると、思ったより若く見えるんだけど、この方確か俺より年上なんだよな。
普通年齢を重ねた女性って一種の凄みというか世慣れた感じがするんだけど、この人ってそういうのが無い分若く見える。
なんというか良い意味でも悪い意味でも学生のような感じだ。
「見てみたい」
凄くストレートな要求が来た。
「じゃ、一緒に行きましょうか? バッグは席の目印に残しておくといいですよ」
「駄目よ。それ程大事な物は入れてきていないとは言え、カードが入っているわ」
「大丈夫です。ドリンクバーから席は見えますから盗られたりしませんよ」
俺の説明に疑わしそうにしながらも、アンナ嬢は好奇心に負けたのか、いそいそとドリンクバーについて来る。
何か最初の頃の印象より、この人は可愛い人なのかもしれない。
物珍しげにドリンクバーを堪能した後、結局紅茶と砂糖のスティックを沢山持って彼女は席に戻った。
俺は普通にコーヒーとついでに水も持ち帰る。
「ドリンクバーってワンカップじゃないの?」
アンナ嬢が俺に対して疑わしげな目を向けて来た。
いや、そんな今までドリンクバーの存在も知らなかった人から、こいつマナー違反をしているっぽい視線を向けられるとすっごいへこむんですけど。
「日本の大体のレストランでは水はメニュー外のフリードリンクなんです」
俺の説明に尚も懐疑的だったアンナ嬢だが、料理を運んできた店員さんが何も言わなかったことで納得したらしい。
どんだけ信用無いんだ、俺。
「それで本題なんですけど、俺は貴女の提案を受け入れるつもりはありませんから。速やかにお国にお帰りいただけると助かります」
「そういう訳にはいかないわ。アナタが駄目なら弟の浩二? だったかしら、彼に頼むまでよ。と言っても大体同じ時間に移動しているアナタと違って、彼は捕まえにくいけど」
ああ、なるほど。
俺が狙われたのはサラリーマン時間で行動しているせいだったのか。
確かに浩二は大概家にいないし、何やってるかわからないもんな。
「真面目な話ですが、母国的にどうなんですか? 他所の血統を混ぜたりしたら何が起こるかわからないでしょうに」
俺の言葉にアンナ嬢はふと遠い目をすると、どこかシニカルな笑みを唇に刻んだ。
「もうこれ以上悪くはならないわ」
こぼれ落ちた彼女の言葉に、俺は絶句する。
彼女の母国でいったい何が起こっているというのだろう。
魔法の大家であり、圧倒的な技術と資源で悠々とした大国であり続けた帝国ロシア、その秘蔵っ子であるはずの勇者血統の彼女がここまで憂う何があるんだ?
そう考えて、俺は慌てて頭を振ってその疑問を振り払った。
他国の事情に首を突っ込み過ぎるのは拙い。
特にロシアは自国に他国が干渉することを極端に嫌うお国柄である。
「浩二がどう考えるかは浩二の自由ですから俺がどうこう言うことはありませんが、でもきっとあいつも断ると思いますよ。あいつは俺以上にロマンチストで、その上実利主義者だ。矛盾しているように聞こえるでしょうが、そのどちらの考え方であっても貴女の提案は受け入れ難いでしょう」
「弟さんを差し出すのが嫌なら、やはりアナタが受け入れるべきね。恋人に対して罪悪感があるのなら、その時の記憶を消してあげることだって出来るのよ。もし必要以上に頭の中をいじられるのではないかという不安があるのなら誓約の術を私に科せばいいでしょう」
ううむ、話が平行線だ。
というか、彼女の提案は冷静に考えればこちらに有利な条件ばかりのような気がする。
誓約の術を自ら受け入れるなどと、普通言えることではないのだ。
誓約の術は、その取り決めを破れば、その割合に応じて自らを失う術式である。
つまり完全に違反した場合、その術を掛けられた人間は消滅するのだ。
結局話し合いは上手くいかないまま、ファミレスに居座り続けるのに俺が耐えられなくなり、出てきてしまったのだが、このまま家に向かってもどうにもならないよな。
アンナ嬢は付いて来るし。
大きく溜め息を吐いた俺は、ふと、マンションの入り口に誰かが立っているのに気付いた。
シルエットからして大人の男だ。
一瞬浩二かと思ったが、気配が全く違う。
なんとなく知り合いのような感じがするんだが、ざわざわと胸の奥に悪寒を感じるのだ。
「おおっ! なんと今宵は素晴らしき夜でしょうか! 世界の奇跡、この世の至宝、異なる国の人類の生み出した最も貴重なる存在であるお二方にこうして巡り会うことが出来るなんて!」
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