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明鏡止水
その五
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「考え方を変えてみよう」
佐藤がこっちのディスプレイに企画書を表示させた。
ってか、何やってんだ?
どうしてこっちの電算機で勝手にデータ開示させてんだよ。
ウィルスか? ウィルスなのか、これ?
「ちょ、おい」
俺の抗議を軽く受け流し、佐藤は表示した企画書に書き込みを進めた。
「夢のカケラはそのままの状態だと、どうやってだか状態を固定化されたエネルギーということだよな」
「まぁ……そうだが」
「ならば、それ自体が蓄エネルギー物質であるということだ」
「確かに」
どうやらチーム全員のディスプレイに同じ画面が表示されているようだった。あちこちから「え? なんだこれ?」とか「ちょ、俺の作業どこいった?」とか声が聞こえる。
ちなみにうちの会社に元からこんなシステムはない。
データの共有は共有ボックスにて行っていて、そこにファイル形式で各人がそれぞれのデータの出し入れをしているだけだ。
会計課辺りはソフトの共有をしているらしいが、うちはそんなことしていない。
今佐藤がやっているのは各人の電算機自体を直接自分の電算機のデバイスとして繋いでいるっぽい。
何やってんの? こいつ。
「ならば使用するその時までその状態で『溜めて』おけばいいじゃないか」
「そりゃそうだが、使う時はどうするよ」
抗議するのもバカバカしくなったので、仕事の話を進めることにした。
「今街の防御に使っている電気的結界があるじゃないか、あれを使った密閉空間を作ってその内部で共鳴を起こして電気エネルギーに変換させる。うん、うん、そう、これ、これじゃない? ね、木村ちゃん」
佐藤がノリノリで持論を展開する。
「あの技術はブラックボックス化されてるだろうが」
文句は言うが、佐藤の考えはわかった。
要するに夢のカケラのまま容器の中に保管しておいて、使う時にそこを結界で閉じて内部でエネルギー化すればいいということなのだろう。
だが都市結界の機構は一般には流出してない技術なのだ。
使える訳がない。
「いやいや、あんな技術、考え方さえわかってしまえばさして大層な技術ではないよ。要するに電流をコイル状に流すことで磁界を発生させ、磁極間の空間を外の空間と隔離しているだけの話だろう。怪異というのは我々のような血肉を持った生物と違って不安定な存在だ。彼らは磁極に挟まれると自らの存在意味を失ってしまうからそこを越えられないのだ。それはエネルギーでも同じことだろう」
「佐藤さん、確かに理論上はそうですが、実際に使用出来る物として商品化するにはとんでもない回数の実験が必要となりますよ。それこそ年単位の話です。さすがに厳しいんじゃないでしょうか」
期待の新人中谷君がすかさずツッコむ。
彼は地道な実験が嫌いなのだ。
「いいじゃないか、実験。心が震えるワードだね」
しかし佐藤は他人に譲るということを知らない男だ。
新人君など相手にされるはずもない。
「だがまぁ、中谷君の言う通り、現実味の薄いやり方ではある」
そこに口を挟んだのが、我らがお隣の偉い人、一之宮流博士である。
さすがに相手が天才なら聞く気にもなるのか、佐藤は流を促すように見た。
「考え方としては間違ってはいないとは思うんだけどね。あと一歩という所か」
流の言葉に全員がうーむとそれぞれの考えに沈んだ。
仕事が一段落した後、佐藤が課長から勝手に共有アプリを仕込んだことを怒られているのを眺めていると、流が近づいて来て何やら訳知り顔で俺を見る。
「なんだ?」
「二足のわらじを履くのはいいが、もう一つの仕事をこっちでも引き摺っているようでは困るんじゃないか?」
「!」
「酷い顔をしているぞ」
図星を指されて反論も出来ない。
俺はしばし唸った挙句に謝った。
「すまん」
「別に俺に謝る必要はないさ。ヒーローってのは大事な存在だ。人々は自分たちが守られていると感じているからこそ平和を享受出来る。しかし、仕事という物はどの仕事もみな、かけがえのない物だと俺は思っている」
「ああ、その通りだ」
「やると決めたからにはどちらも全力で、だろ?」
政界を影で操る仕事と家電の開発という仕事を天秤に掛けてこっちを選んだ奴の言うことはさすがに違うな。
「OK、ティーチャー。おおせのままに」
俺がやっこさんの上から目線をからかってそう言うと、流はふんっとばかりにそれを鼻で笑った。
俺もニヤッと笑うと、拳を突き出してそれを迎え撃った流の拳と軽くぶつけ合う。
「近頃はこの都市も物騒になってきたな」
「ああ。ヒーローを必要とする近代文明とか、ちょっと残念だよな」
由美子の警戒網と浩二の情報収集の両方に、とんでもない情報が上がって来ていた。
どうやらこの街のどこかに強大な怪異が巣を作ったらしいのだ。
そしてかなりの数の行方不明者が出ている。
つまり強大な怪異が人知れず狩りを行っていて、まだ誰も気づいていないという状態だったのだ。
既に終天の作った迷宮があるというのに、そのごく間近にテリトリーを接触させるとなると、終天に匹敵するような奴だと思ったほうがいい。
正直に言って、この都市を放棄して避難したほうがいいぐらいの大事件だ。
さっそくお上に報告したんだが、詳しい調査を行うというお返事が来ただけだった。
調査って、犠牲者を増やすだけだろ、それよりハンター組織に大々的に依頼するべきだと抗議したんだが、依頼するにも調査してからじゃないと出来ないということだった。
いや、言ってることは正しいんだけどな。
魔神クラスに常識で対応していたらヤバイだろ。
敵が狡猾なのか、一切尻尾を掴ませないのが問題なんだろうな。
酒匂さんは忙しいのか全く連絡付かないし、人混みを見ると大声で避難を呼び掛けたくなってしまって困る。
「木村さん?」
仕事帰りまで悶々としていたら一緒に歩いていた伊藤さんが不思議そうに顔を覗き込んで来た。
綺麗な透き通った煙水晶のような瞳で、上目遣いに俺を見詰める姿は恐ろしい程に可愛らしい。
おおう油断してた。
「あ、すみませんぼーっとしてて」
やべえ顔赤くなってるかもしれん。
「いえ、あまり無理をして根を詰めないようにしてくださいね。最近あんまり寝ていないみたいですし」
うわあ、俺の周囲の人間って鋭いな。
会社じゃあ普段通りにしているつもりだったんだけどな。
少し立ち止まってしまった俺たちを、駅前の雑踏が押すように圧力を掛けてくる。
仕事帰りの人混みの隙間を縫うように改札口へと続くエスカレーター近くまで移動した。
「なるべくちゃんと寝るようにします。休養不足は色々と危ないですからね。伊藤さんも寄り道せずに帰ってくださいね」
「子供じゃないですよ私。そりゃあ木村さんに比べれば年下ですけど」
ちょっと膨れた頬が可愛いな。
伊藤さんの家は壁外だ。
本来は壁内より危険の多い地域だが、今は逆にそっちのほうが安全になっている。
事実壁外の住宅区からの行方不明者は極端に少ない。
「じゃあ、ことが落ち着いたら、その……」
俺は口篭った。
落ち着いたらどうするんだ? 伊藤さんのご家族に挨拶に行くのか?
行ってどうするんだ?
お宅のお嬢さんと付き合いたいんですけどと言えるのか?
まだまだ俺自身が踏ん切りが付いてない状態で。
「無理は無しですよ。言ったじゃないですか。私達は我が儘に正直になりましょうって」
伊藤さんが笑って手を振った。
いやいや、俺を甘やかし過ぎてると思うんですよ、アナタは。
「じゃあ、また明日」
溜め息が出る。
駄目だな俺は、なんかつくづく思ってしまう。
自分の情けなさを一つ首を振って追い出そうとして、ふと、風に乗って漂ってきた匂いに気づく。
腐った血が発酵して甘い香りを発し始めたような、独特の匂い。
「食人鬼?」
駅の下りエスカレーターの先の地下街から吹き上がって来た淀んだ風が内包する、死をも侮辱する存在の気配に鳥肌が立つ。
おいおい冗談じゃないぞ。ここはオフィス街にも近いし乗り換え線も多いからこの時間は人が集中している場所だ。
こんな所に人喰いの化け物が出たら洒落にならない。
最近はある程度の武装を職場にも持ち込んでいるんだが、本格的な戦闘となったら手が足りないかもしれない。
俺は即座に判断すると、ハンター証にてコールを掛ける。
とりあえずこれでうちの二人には招集が掛かるし、俺の居場所は二人のハンター証に随時送られるから合流可能なはずだ。
「ったく、彼女の行動範囲に化け物とか、許す訳ないだろ」
人の多い時間帯、地下は食べ物屋が多い。
もしパニックが起こったら対処出来る自信はない。
しかし、ここで見逃す訳にはいかなかった。
光量の違いから暗くくすんで見える地下へと向かうエスカレーターを一段飛ばしに下りながら、俺は自分の意識をハンターの物へと切り替えた。
佐藤がこっちのディスプレイに企画書を表示させた。
ってか、何やってんだ?
どうしてこっちの電算機で勝手にデータ開示させてんだよ。
ウィルスか? ウィルスなのか、これ?
「ちょ、おい」
俺の抗議を軽く受け流し、佐藤は表示した企画書に書き込みを進めた。
「夢のカケラはそのままの状態だと、どうやってだか状態を固定化されたエネルギーということだよな」
「まぁ……そうだが」
「ならば、それ自体が蓄エネルギー物質であるということだ」
「確かに」
どうやらチーム全員のディスプレイに同じ画面が表示されているようだった。あちこちから「え? なんだこれ?」とか「ちょ、俺の作業どこいった?」とか声が聞こえる。
ちなみにうちの会社に元からこんなシステムはない。
データの共有は共有ボックスにて行っていて、そこにファイル形式で各人がそれぞれのデータの出し入れをしているだけだ。
会計課辺りはソフトの共有をしているらしいが、うちはそんなことしていない。
今佐藤がやっているのは各人の電算機自体を直接自分の電算機のデバイスとして繋いでいるっぽい。
何やってんの? こいつ。
「ならば使用するその時までその状態で『溜めて』おけばいいじゃないか」
「そりゃそうだが、使う時はどうするよ」
抗議するのもバカバカしくなったので、仕事の話を進めることにした。
「今街の防御に使っている電気的結界があるじゃないか、あれを使った密閉空間を作ってその内部で共鳴を起こして電気エネルギーに変換させる。うん、うん、そう、これ、これじゃない? ね、木村ちゃん」
佐藤がノリノリで持論を展開する。
「あの技術はブラックボックス化されてるだろうが」
文句は言うが、佐藤の考えはわかった。
要するに夢のカケラのまま容器の中に保管しておいて、使う時にそこを結界で閉じて内部でエネルギー化すればいいということなのだろう。
だが都市結界の機構は一般には流出してない技術なのだ。
使える訳がない。
「いやいや、あんな技術、考え方さえわかってしまえばさして大層な技術ではないよ。要するに電流をコイル状に流すことで磁界を発生させ、磁極間の空間を外の空間と隔離しているだけの話だろう。怪異というのは我々のような血肉を持った生物と違って不安定な存在だ。彼らは磁極に挟まれると自らの存在意味を失ってしまうからそこを越えられないのだ。それはエネルギーでも同じことだろう」
「佐藤さん、確かに理論上はそうですが、実際に使用出来る物として商品化するにはとんでもない回数の実験が必要となりますよ。それこそ年単位の話です。さすがに厳しいんじゃないでしょうか」
期待の新人中谷君がすかさずツッコむ。
彼は地道な実験が嫌いなのだ。
「いいじゃないか、実験。心が震えるワードだね」
しかし佐藤は他人に譲るということを知らない男だ。
新人君など相手にされるはずもない。
「だがまぁ、中谷君の言う通り、現実味の薄いやり方ではある」
そこに口を挟んだのが、我らがお隣の偉い人、一之宮流博士である。
さすがに相手が天才なら聞く気にもなるのか、佐藤は流を促すように見た。
「考え方としては間違ってはいないとは思うんだけどね。あと一歩という所か」
流の言葉に全員がうーむとそれぞれの考えに沈んだ。
仕事が一段落した後、佐藤が課長から勝手に共有アプリを仕込んだことを怒られているのを眺めていると、流が近づいて来て何やら訳知り顔で俺を見る。
「なんだ?」
「二足のわらじを履くのはいいが、もう一つの仕事をこっちでも引き摺っているようでは困るんじゃないか?」
「!」
「酷い顔をしているぞ」
図星を指されて反論も出来ない。
俺はしばし唸った挙句に謝った。
「すまん」
「別に俺に謝る必要はないさ。ヒーローってのは大事な存在だ。人々は自分たちが守られていると感じているからこそ平和を享受出来る。しかし、仕事という物はどの仕事もみな、かけがえのない物だと俺は思っている」
「ああ、その通りだ」
「やると決めたからにはどちらも全力で、だろ?」
政界を影で操る仕事と家電の開発という仕事を天秤に掛けてこっちを選んだ奴の言うことはさすがに違うな。
「OK、ティーチャー。おおせのままに」
俺がやっこさんの上から目線をからかってそう言うと、流はふんっとばかりにそれを鼻で笑った。
俺もニヤッと笑うと、拳を突き出してそれを迎え撃った流の拳と軽くぶつけ合う。
「近頃はこの都市も物騒になってきたな」
「ああ。ヒーローを必要とする近代文明とか、ちょっと残念だよな」
由美子の警戒網と浩二の情報収集の両方に、とんでもない情報が上がって来ていた。
どうやらこの街のどこかに強大な怪異が巣を作ったらしいのだ。
そしてかなりの数の行方不明者が出ている。
つまり強大な怪異が人知れず狩りを行っていて、まだ誰も気づいていないという状態だったのだ。
既に終天の作った迷宮があるというのに、そのごく間近にテリトリーを接触させるとなると、終天に匹敵するような奴だと思ったほうがいい。
正直に言って、この都市を放棄して避難したほうがいいぐらいの大事件だ。
さっそくお上に報告したんだが、詳しい調査を行うというお返事が来ただけだった。
調査って、犠牲者を増やすだけだろ、それよりハンター組織に大々的に依頼するべきだと抗議したんだが、依頼するにも調査してからじゃないと出来ないということだった。
いや、言ってることは正しいんだけどな。
魔神クラスに常識で対応していたらヤバイだろ。
敵が狡猾なのか、一切尻尾を掴ませないのが問題なんだろうな。
酒匂さんは忙しいのか全く連絡付かないし、人混みを見ると大声で避難を呼び掛けたくなってしまって困る。
「木村さん?」
仕事帰りまで悶々としていたら一緒に歩いていた伊藤さんが不思議そうに顔を覗き込んで来た。
綺麗な透き通った煙水晶のような瞳で、上目遣いに俺を見詰める姿は恐ろしい程に可愛らしい。
おおう油断してた。
「あ、すみませんぼーっとしてて」
やべえ顔赤くなってるかもしれん。
「いえ、あまり無理をして根を詰めないようにしてくださいね。最近あんまり寝ていないみたいですし」
うわあ、俺の周囲の人間って鋭いな。
会社じゃあ普段通りにしているつもりだったんだけどな。
少し立ち止まってしまった俺たちを、駅前の雑踏が押すように圧力を掛けてくる。
仕事帰りの人混みの隙間を縫うように改札口へと続くエスカレーター近くまで移動した。
「なるべくちゃんと寝るようにします。休養不足は色々と危ないですからね。伊藤さんも寄り道せずに帰ってくださいね」
「子供じゃないですよ私。そりゃあ木村さんに比べれば年下ですけど」
ちょっと膨れた頬が可愛いな。
伊藤さんの家は壁外だ。
本来は壁内より危険の多い地域だが、今は逆にそっちのほうが安全になっている。
事実壁外の住宅区からの行方不明者は極端に少ない。
「じゃあ、ことが落ち着いたら、その……」
俺は口篭った。
落ち着いたらどうするんだ? 伊藤さんのご家族に挨拶に行くのか?
行ってどうするんだ?
お宅のお嬢さんと付き合いたいんですけどと言えるのか?
まだまだ俺自身が踏ん切りが付いてない状態で。
「無理は無しですよ。言ったじゃないですか。私達は我が儘に正直になりましょうって」
伊藤さんが笑って手を振った。
いやいや、俺を甘やかし過ぎてると思うんですよ、アナタは。
「じゃあ、また明日」
溜め息が出る。
駄目だな俺は、なんかつくづく思ってしまう。
自分の情けなさを一つ首を振って追い出そうとして、ふと、風に乗って漂ってきた匂いに気づく。
腐った血が発酵して甘い香りを発し始めたような、独特の匂い。
「食人鬼?」
駅の下りエスカレーターの先の地下街から吹き上がって来た淀んだ風が内包する、死をも侮辱する存在の気配に鳥肌が立つ。
おいおい冗談じゃないぞ。ここはオフィス街にも近いし乗り換え線も多いからこの時間は人が集中している場所だ。
こんな所に人喰いの化け物が出たら洒落にならない。
最近はある程度の武装を職場にも持ち込んでいるんだが、本格的な戦闘となったら手が足りないかもしれない。
俺は即座に判断すると、ハンター証にてコールを掛ける。
とりあえずこれでうちの二人には招集が掛かるし、俺の居場所は二人のハンター証に随時送られるから合流可能なはずだ。
「ったく、彼女の行動範囲に化け物とか、許す訳ないだろ」
人の多い時間帯、地下は食べ物屋が多い。
もしパニックが起こったら対処出来る自信はない。
しかし、ここで見逃す訳にはいかなかった。
光量の違いから暗くくすんで見える地下へと向かうエスカレーターを一段飛ばしに下りながら、俺は自分の意識をハンターの物へと切り替えた。
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