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蠱毒の壷

その二十三

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 目前に蠢く排水口の口をした気持ちの悪いヒトガタスライムモドキ。
 大小さまざまで十数匹だろうか。

「で、何がしたかったの?」

 冷ややかなアンナ嬢の声が耳朶を打つ。
 まるで脳髄まで凍りつかせるかのような声だ。
 いや、俺そんな高尚なプレイは望んでませんよ。

「いてっ!」

 何かを察したらしい鳥に突っつかれた。

「いや、ほらスライムはぶつけると合体するだろ? 似たような感じだしあれもそういう風にくっつかないかな? と」
「くっつけてどうするのですか? スライムは合体するとその元の数以上の力と特殊能力を発現するはずです。厄介になるだけでしょう」
「だって纏めれば一度に倒せるだろ!」

 面倒が減るじゃん。
 俺の言葉に銀色のアンナ嬢の鳥はもう一度ついでのように俺の頭を突っつくとそのまま何も言わず上空で旋回を始めた。
 由美子の蜂は俺の鼻先を掠めるように飛んで敵の方へと飛び去る。

「すげエ! あんた天才ダな! なルほどネ、纏めればいっぺンに終わルな。俺は思い付きモしなかったぜ!」

 二人にスルーされる中、唯一ピーターがそんな言葉を放った。
 うわ、褒め言葉がすげえ腹が立つ。
 さすがあの大木と同類だな。

「……取り敢えずやるか」

 溜め息を吐いて足を踏み出した俺を追い越して銀の鳥が行く。
 ひらりと旋回した鳥は由美子の蜂と入れ替わるようにウゴウゴしてる排水口口連中の頭上でくるりと大きく輪を描いた。
 空気が音を立てて軋む感覚。
 たちまち蠢いていた排水口口の野郎共は見事に全部凍り付いた。

「おお、すげえ!」「ぐれぇえと!」

 奇しくも俺とピーターの声が重なり、おかげでまたしても嫌な気分になる。

「何をしているの。今の内に倒せばアナタが嫌いな面倒が無いでしょ!」

 またしても鳥に突っつかれながらそう言われて、なるほどと得心した。
 俺のリクエストを受けて面倒臭くないように纏めて固めてくれたんだな。
 アンナ嬢、案外良い奴かもしれん。
 俺はアンナ嬢に対する認識を新たにしながら立ち並ぶ氷の彫像と化した排水口連中をラリアートの要領で殴り飛ばしつつ走り抜けた。

「おお、なんか気持ちいいな」

 ガシャンガシャンと砕ける氷の彫像の手応えは爽快だ。
 いつもこんな風に楽になるなら魔法ってのは素晴らしいな。
 などとやや身勝手なことを思ったりしてしまう。
 口に出すとアンナ嬢が今以上に手に負えなくなる予感がするので言わないけどな。

 びっくりする程楽な作業の後、粉々に砕けた残骸が消えた跡に複数の夢のカケラが残っていた。
 大きさもそこそこだし、案外と連中は大物だったらしい。
 割と見掛けに寄らないもんだな。
 拾い集めるのは面倒だが、これを拾わないと怒られるのでちまちま拾っていると、突然、銀色の鳥の様子がおかしくなった。
 ぴくりと震えると、まるで全身の羽根を散らすように消え失せたのだ。

「おい!」

 俺が叫ぶより早く、ピーターが後方に文字通り飛んだ。
 はええ、まるで戦闘機のようだ。
 あんな負荷を生身で受けて平気なのか?
 そんな疑問が頭を過ぎったが、今はそれどころではない。
 背後に残した一団は目視出来る距離にいる。
 見失うような距離ではないし、一本道だ。だからこそ先行したのである。
 ざっと見た所襲撃を受けたという訳では無さそうだった。
 だが、装甲車を見上げる浩二の顔が堅い。
 その横顔に、驚愕というより恐怖に近い物が浮かんでいるのを見て、ゾッとする。
 あのいつも沈着冷静な弟があんな顔をするなど、普通では考えられない事態だった。
 どうした? と大声で聞きたい所だが、声を掛けて集中を乱すと一大事なので、とにかく一刻も早く合流することを優先して走る。
 と、ふいに背後にひやりとした物を感じて、考える前に体が動いた。

 ドガッ!と鈍い音と共に足元が揺れる。

「なんだ!」

 怪異の気配とは違う何か圧倒的な存在感を放つ何者かが迫って来る。
 俺は再び本能のままに身をひねった。
 唸るような風圧が寸前まで俺の頭があった場所を薙いで行く。
 思わず舌打ちをしてバックステップで距離を取ろうとするが、振り切れない。
 恐ろしいスピードで胸元に突っ込んで来る相手をギリギリで躱すと、そのまま壁を蹴って斜めに飛び退く。
 駄目だ、まだ来る。
 逃げの一手では振り切れない相手と認識した俺は、一転相手の攻撃を受け止めた。

「ぐっ!」

 身構えて両腕でブロックしたにも関わらず、その恐ろしい衝撃に僅かに体が浮いた。
 ゾッとする。これは生半可な相手ではない。先手を取らなければ不味い。
 足が着くと同時に逆にこちらから突っ込んだ。
 ドン! とまるで鉄の塊にでもぶち当たったような衝撃があった。
 オイオイどんな化け物だよ!
 だがこのぶつかり合いのおかげでやっと互いの間に距離が出来、俺は相手を確認することが出来た。

「な!」

 そこにいたのは人狼ワーウルフだった。
 剛毛に覆われた顔に金色の瞳の虹彩、獣のような口から覗く牙、資料通りの姿形だ。

「嘘だろ、おい」

 人狼と言えばどっかの国の勇者血統のはずだ。
 なぜここにいるかとなればそれは恐らく愚問だろう。
 まず間違いなくあの連中の仲間だとしか考えられない。
 と、相手の体中の筋肉がみしりと音を立てた。

「がっ!」

 目で追えない風圧として感じる蹴りが来た。
 これを避ければ更に畳み込まれるのはわかりきっているので俺は敢えてそれに向かって踏み込む。
 背筋に電撃を食らったようなビリビリとした危機感があらゆる思考を封じ込め、本能に任せて戦えと体の奥から溢れる何かが促すのをなんとかねじ伏せ、俺は無意識に低い唸り声を上げながら相手の懐に潜り込んだ。
 すっ飛んで来た鉄骨のような蹴り足を左の二の腕で受けて撥ね上げ、半身を向けた状態の相手の腹に頭を突き入れる。
 ねじった状態から逆に体を開かれて受けた衝撃はけっこうキツいはずだが、相手はなんとそのままトンボを切って追撃を避けた。
 とんでもねえ、聞きしに勝る頑丈さだ。
 手強い相手との戦いを嗅ぎ取った血が、煮え立つような灼熱を帯びる。
 筋肉が歓喜に踊るように膨れ上がり自らの体を鎧った。
 ピシリと表皮が音を立てて硬化する。

「ガアアアッ!」

 何かを感じ取ったのか、相手が獣そのままの叫びを上げ、地面を抉る力で跳躍した。
 だが、その踏み切りは力が有り過ぎた。
 跳躍は俺の頭より高く、踏み切った勢いを半ば失いつつ重力を頼りに落下して来るのみだ。
 もちろん、それは普通の人間相手なら致命の一撃と十分成り得ただろう。
 だが足りない。
 俺には足りない。
 俺は相手の落下を待たず垂直に飛び、そのまま相手の勢いを相殺するとその胴を抱え込んだ。

「ガア!」
「お前に足りねえ速さをサービスしてやるよ!」

 空中でくるりと体を入れ替える。
 そのまま俺の体重と勢いを乗せた人狼はコンクリの床を深く抉って墜落した。
 普通の人間ならこれでギブアップする衝撃だろうが、さすがは人狼、すぐに上に乗った俺を払い除けようと腕を振るう。
 俺が半瞬早く飛び退いたんで空振ったが、腕を振ったその勢いを無駄にすることなく立ち上がる。
 そして警戒するように俺を睨みつつ距離を取った。
 お互い決め手に欠けることを理解して相手の出方を伺いつつ対峙することとなった。
 噂に聞く話が本当なら、人狼ワーウルフは迷宮のような場所では肉体再生を持つ不死の存在だ。
 これはかなりやりにくい。

 睨み合いに入った俺はちらりと後方の味方の一団を目に入れた。
 あちらは先程とは様子が変わっている。
 装甲車を囲むように周囲を警戒する浩二と明子さん。
 そしてピーターはこっちへと再び向かって来ていた。
 ぎょっとしたことに、その顔にはくっきりと凶相が刻まれている。
 ピーターの両手が素早く腰の両側にあるケースからカプセル状の何かを取り出し、両肩の突起部分にそれを押し込んだ。
 あれは単なる装備としてのショルダーカバーかと思っていたがどうやら違ったようだ。
 たちまちピーターの皮膚越しに見える血管が、目に見えて盛り上がる。

「悪魔共め! 滅びるがいい!」

 それは、まるで奴自身が怨霊であるかのような、怨嗟に塗れた叫びだった。

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人狼(ワーウルフ):ゲルマン帝国の誇る勇者血統。但し出現率はかなり低い。
特定の血統の者が規定年齢に達した時にハツル山に登り、闇の精霊の祝福を授かれば人狼となる事が出来る。成功者は一世代に一人出れば良い方とされている。
闇の祝福の多い場所程強くなり、満月の夜には無限の再生能力を持つ不死の存在となる。
強大な怪異の一種である吸血鬼に対する最も強力な対抗者とされてもいて、ゲルマン帝国の門外不出の勇者血統として厳重に秘匿されている。
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