上 下
89 / 233
蠱毒の壷

その十六

しおりを挟む
 進めば進む程視界を真っ白に埋めて行く霧がうざったい。
 まるで意思を持ってこっちを邪魔をしているようにすら思える。
 いや、実際そうなのかもしれない。ここは迷宮だ、常識が通じるとは思わないほうがいいだろう。

 先を突っ走って行ったお嬢さんは女の足なのに全く追い付けない。
 この霧だ、下手したら追い抜いた可能性もあるかもしれないと思うと不安になる。全くとんでもない跳ねっ返りだな。
 だが、ともあれ怪異を目指せば合流出来るだろう。
 そう考えて急いだ。
 怪異の方向はほとんど勘まかせだが、アンナ嬢よりは見つけやすいからな。

 うん。そんな風に考えていた俺は、直後に自分の間違いを知った。
 霧を透かした向こうに、鮮やかな花火のような輝きが見えたのだ。

「目立つなんてもんじゃないだろ!」

 もはや派手なネオンサインのようだ。
 耳を澄ませば戦闘の音も聞こえて来ていた。
 さっきのあれって魔法光だよな。それにしたってどんだけ強いんだ。

 うっとおしい霧を掻き分けて辿り着いた場所には巨大な狼っぽい何かがいた。
 でけぇ、軽く周囲の家程もあるぞ。
 これはもはや怪獣の類だろう。
 よくよく見ると、毛皮に見える体表には体毛の代わりに青い炎が踊っている。
 間違っても撫で撫でなどしたくない巨大なワンコである。
 そのやや手前に、目標であるやたらキラキラしい白っぽい人影を発見した。

「なんで勝手に飛び出した!」

 子細構わずその腕を引っ掴んで怒鳴りつける。
 町中でやらかしたら俺のほうがしょっぴかれそうな乱暴さだったが、優しくしても仕方ない相手というのはいるものだ。

「うるさい! 私にとって目前のモンスターと戦わないのは死ぬより最悪なことなのよ! 何もわからないぬくぬくと守られた飼い犬は黙りなさい!」

 目前のワンコに劣らない冷たく燃える青い炎のようなまなざしが俺を焼き尽くさんとばかりに睨んで来た。
 うん、やっぱりこれは遠慮していいような相手じゃないよな。
 しかし、この必死さは本当に怪異を目前にしたら戦わないと死ぬとかいう呪いとかじゃあるまいな。
 いくらなんでもそんな縛りを施したりしたら血統が早々に途絶えてしまいかねないだろうし。
 なんせどんなに優秀な血の持ち主であっても未熟な時期は絶対にある。
 逃げるという選択の無い戦いなどただの自殺にすぎないだろ。

 そんな俺の逡巡の間にも怪獣大決戦とも言うべき戦いは続いていた。
 巨大なワンコは俺たちにかまうことも出来ない状態で、何か巨大なチラチラと光るふわふわした影のような物と戦っているようだ。
 ロシアのお嬢様を守るような位置取りからして、このワンコはこのお嬢様のしもべかなにかか。

「ともかくうっとおしかろうとここでは俺の言う事は聞いてもらうぞ。そういう約束だしな。ともあれ詳しい説教は後からだ。今はこっちに集中しよう」

 俺の言葉に、アンナ嬢は一瞬ムッとしてみせた。
 その表情は今迄の取り澄ました顔と違って人間味があって、いい感じである。
 この人美人さんなんだから普通に笑顔を見せるだけで大体の自分の意思は通せそうなのに、なんで普段はああも他人を拒絶している感じなのかね。

「私の召喚の獣があの化け物を倒すからあなたは戻って他の連中と群れていればいいでしょ」

 うん、やっぱりこういうとこは可愛くないよな。

「馬鹿を言え、あんたも俺の責任の内だ。どんなに容易く見えても迷宮で油断するのは馬鹿のすることだぞ」
「あなた、さっきから、いったい私を誰だと思っているの!」

 一歩も譲らずキリキリしているアンナ嬢はともかくとして、どうも戦いの様子がおかしい。
 青いワンコが一方的にやられてないか?
 召喚の獣とやらであるらしいワンコは、まるで光る霧そのものが形を持ったような怪異に勇猛果敢に噛み付き、蹴散らしているのだが、それで散るのは少しの間だけで、相手はすぐに何事も無かったように同じ姿大きさに戻ってしまう。
 逆にワンコのほうはその体を構成するらしい炎が段々掠れて行っているように見えた。

「おい! お前のアレ、ヤバいんじゃないか?」

 俺の言葉に一瞬悔しそうな顔を見せ、アンナ嬢は荒々しく告げた。

「アレじゃない、ヴォルクよ」

 いや、今はワンコの名前とかどうでもよくね?

「霧には火がいいと思ったからヴォルクを呼んだけど、掴み所がなさすぎて相手にダメージを与えられないのよ。召喚の獣は術者と相性が良くても三十分程度が使役限度だから長くは持たないし」

 時間制限ありとかどっかのテレビジョンヒーローみたいだな。
 まあそんな馬鹿な連想はともかくとして、不定形の敵とか、俺とも相性が悪そうだ。
 班分けの担当逆のほうがよかったな。
 まあ今回は不可抗力だが。

「霧に火って考えはいいが、範囲が広すぎて意味が無くなっているんだな。どうすっかな」

 こっちの悩みとは関係無しに戦いはクライマックスだ。
 主に悪い意味で。

「っ!」

 投網のように広がった怪異がヴォルクと呼ばれたワンコを押し包む。
 狼の姿が一瞬ブレたと思ったら、ワンコはふわりと四散するように消え失せた。

「くっ、おのれ! ならば更に強い炎を浴びてもらうだけよ!」

 おお、全くショックを受けた風でもないぞ。勇ましいな。ある意味頼もしいけど、こりゃあ俺の言うことなんぞはなっから聞きそうにもないぞ。
 ワンコが消えたのにめげる事無くアンナ嬢は手を掲げて空中に魔法陣を描く。
 それは全ての線が赤い炎で出来ているような、細かく、芸術的ですらある見事な魔法陣だった。
 本部で描いてみせたのはやはり彼女にとっては児戯のような簡易式だったのだろう。
 俺の目前で生成され、生命があるかのようにのたうっている魔法陣は、描かれた術式がどんどん上書きされて行き、読み取ることなど不可能に見える。
 しかし派手だな、ほんとに。まるで太陽が頭上にあるかのように見えるぞ。

 さて、それはそれとして、彼女が召喚とやらを行なう間、敵さんがおとなしく待っていてくれるかと言うとそんなはずもなく、霧という見た目の頼りなさからは想像もつかない素早さで自らを濃厚に収束させるとこちらへと飛び掛かって来た。
 まあここは俺が支えるべきだろう。
 いくら相性悪くても現在魔法陣を構成中で動けないアンナ嬢よりはマシだ。

 俺が前に飛び出すと、敵さんは反射的にこっちを狙って来た。
 さすが霧だけあってあまりものを考えるタイプでは無いようだ。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」

 古来からの伝統的な引き付けの言霊でこちらに向いた意識を更に固定させる。
 その状態で、俺はジャケットの内ホルダに手を滑らせた。
 取り出したのは小型の銃タイプの武器だ。
 もちろん、弾丸を撃ち出す本物の銃などではない。
 普通の銃の弾など怪異にはほとんど効き目がないのだ。
 炸裂弾とか術式弾とかならまた違うんだろうが、そういうのだと今度は俺が使えないからな。

 俺は銀色に輝くその銃形の武器を右手で構え、左手でホールドする。
 動きながらなので安定はしないが、とりあえず相手に銃口が向いてさえいればいい。
術式展開チャージ!」

 登録された俺の声のキーワードで中に仕込まれた術式が展開する。

標的認識シュート!」

 銃口の前方に展開した術式から、まるで絡まり合う光の枝のようなエネルギーのうねりが伸びた。
 侵食雷光スタンだ。
 不定形の相手に茨の呪が効くとは思えないので、こっちを使ったんだが上手く行くかな?
 こいつも一発撃つと二万円が吹っ飛ぶという恐ろしい武器である。
 俺的にエコな武器のナイフが通じないこの敵が憎い。

 雷光に絡みつかれ、『ソレ』は丸く平たく、様々に形を変える。
 やっこさんはワンコと戦った時のように薄く伸びてこのスタンをやり過ごそうとしたが、侵食タイプのスタンは怪異の核に直接作用するようになっているのでそう上手くはいかないぞ。
 やがて雷光は消えたが、敵さんもぶるぶる震えて動きがゆっくりになっていた。
 しかしこれを受けてまだ動けるとはとんでもない野郎だ。
 そうこうしている内にアンナ嬢の召喚が完成したらしい。
 気配を感じて頭上を見上げると、熱の塊が降り注いで来るのが見えた。

 ……え?

 俺は考える前に後ろに飛び退くと、そのまま勢いに任せてゴロゴロ転がった。
 ええっと、ちょっと前まで俺がいた場所を含む向こう側がゴウゴウ燃えてるんですけど。

 振り向いた先にいた白いシルエットのロシアの女性は、赤い照り返しを受けて、まるで鬼女のような顔でニィと笑って見せたのだった。

==============================

麻痺(スタン):一口にスタンといってもその種類は多岐に渡る。
 術式での種類を大別すると電気ショック系、音響ショック系、フラッシュ系などが存在。
 今回使われた「侵食雷光」というのは商品名で、指向性のある電気ショック系統のスタンである。
 実は魔法の麻痺スタンは術式の物とは違い、その名の通り、相手を麻痺状態にする魔法。
 魔法は展開時に術者の意思による操作が必要となる為、術式として規格化する事が出来ない。
 この辺りが魔術と魔法の違いである。
 まぁ一般人からしてみれば両者の違いは良く分からないのだが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

獣耳男子と恋人契約

花宵
キャラ文芸
 私立聖蘭学園に通う一条桜は、いじめに耐え、ただ淡々と流される日々を送っていた。そんなある日、たまたまいじめの現場を目撃したイケメン転校生の結城コハクに助けられる。  怪我の手当のため連れて行かれた保健室で、桜はコハクの意外な秘密を知ってしまう。その秘密が外部にバレるのを防ぐため協力して欲しいと言われ、恋人契約を結ぶことに。  お互いの利益のために始めた恋人契約のはずなのに、何故かコハクは桜を溺愛。でもそれには理由があって……運命に翻弄されながら、無くした青春を少しずつ取り戻す物語です。  現代の学園を舞台に、ファンタジー、恋愛、コメディー、シリアスと色んなものを詰めこんだ作品です。人外キャラクターが多数登場しますので、苦手な方はご注意下さい。 イラストはハルソラさんに描いて頂きました。 ★マークは過激描写があります。 小説家になろうとマグネットでも掲載中です。

怪異語り 〜世にも奇妙で怖い話〜

ズマ@怪異語り
ホラー
五分で読める、1話完結のホラー短編・怪談集! 信じようと信じまいと、誰かがどこかで体験した怪異。

処理中です...